中央区の夜は、音が薄い。
静かなのに、今日は視線が忙しい。
……噂って便利だよね。
正門の前にいる憲兵は2人。
貴族の家は扉が多い。この家だけで何人使ってるんだか。
「退きなさい。中央憲兵よ」
声は柔らかく。口元は偉そうに。
私は借り物の中央憲兵の制服を着て、それらしく振る舞う。
私はケニーと副官さん、他数人を連れて歩幅も変えずに近づく。
外は一般憲兵。中は中央憲兵。
ここの貴族がそう指定した。
なのに、男は私の顔を見て、考えこんだ。
……知らない顔。
何が引っかかったかな。
相当らしい形はできていたと思うのだけれど。
「確認を、できますか?」
勘なのかな。
予想外はいい。楽しい。
私は笑う。雑に。偉そうに。
「何を?」
一歩、距離を詰める。
詰めた瞬間、男の喉が鳴った。
鳴ったまま、右手が腰に落ちる。
――笛。
そこまで警戒する?
一瞬だけ、面倒だと思った。
その後愉快さで舌が笑った。
背後でケニーが欠伸をした。
眠いふり。
やるか?って顔。
私は男の手首を見る。
見るだけで止まると思った。
止まらなかった。
……そう。止まらないのね。なら。
「仕事よ」
私が言った瞬間、ケニーの指が男の手首に触れた。
次の瞬間、笛が床に転がる。
落ちる音だけが、妙に大きい。
「おっと、手が滑っちまった」
ケニーがわざとらしく笑う。
もう1人の憲兵が固まった。
固まったまま、目だけが動いてる。
――覚える気かな。
私は笑う。
笑ってるのに、胃の奥だけ冷たい。
別に覚えてもいいけれど。
「介抱してあげて。そこの君も一緒に行って。
――ね?」
甘く。
甘いけれど、拒否の余地はない。
副官が前に出る。倒れた憲兵を起こす。
もう一人の憲兵の目が泳いだ。門番としての規律と、生き物としての危機察知が喧嘩してる。
喧嘩してる間に、ケニーが肩を組んだ。馴れ馴れしく。逃げ道を塞ぐように。
「ほらほら、ヒーロー。介抱の時間だ。笛なんて吹いてたら喉が乾くだろ?」
言いながら、ケニーは男の肘の内側を撫でた。
血管の位置かしら。ケニーも楽しんでるわね。
倒れてた男は呻き声ひとつ上げない。
上げられない。喉が押さえられてるわけじゃないのに。
私は門の前を素通りするみたいに歩く。歩幅を変えない。
後ろで呆れた声が響く。副官さん。
「人数をポンポン増やさないでください。
牢の空き、無限じゃないので」
「殺さないだけ優しいと思ってくれると嬉しいです」
私は微笑む。いつものお嬢様だ。
死んだって噂だけを流す。誰が死んだかは不明。
行方不明はたまに。
私とお話した貴族は、口を噤んで元の生活に戻るだけ。
勘の良い人。私の琴線に引っかかった人。
そういった人は、別。特別待遇だ。
――牢屋。と呼んでいる。
でも待遇は牢なんかじゃない。
引き込める人、引き込むと役に立つ人の保管庫。
◇
あとはいつも通り。
いちばん情報を知ってる貴族の方とお話して、書斎を漁って、それで終わり。
どこかの貴族は家を出た後、中央憲兵がいないところを狙って殺された。そんな噂を流す。
具体的な名前も、見た人すら居なくても勝手に広まる。
恨みつらみは本物を。少しの真実はとても効く。
「――どうせ、お前らは忘れる!
殺さなかった事を後悔するんだな!!」
同じような負け惜しみを言った貴族がいた。
「――お前、もしかして……」
途中で私が昔、飼われていた東洋人なのを思い出した人もいた。
「知って何になる。
人類はこの壁の中にいるのがいちばんいいんだ。
何故分からない」
外が変わるから。
何にも適応が必要だと、何故分からないの?
まぁ、楽しくないと私もやる気なんて出さないから、同じようなものかしら。
「――次はレイス家、か?」
ケニーが私の手元の地図を見てアタリをつけた。
「そうですね。
貴方と私の2人で行きましょうか」
私は微笑んだ。
ケニーは私に合わせて笑った。
そして、どこか勿体ぶって告げた。
「……嬢ちゃん、どこまで繋げてる?」
――そう。
「今ので繋げました」
「ケニーは国にではなく、レイス家に仕えてたんですか?」
ケニーの顔色を伺う。
読めない。読ませてくれない。
肩をすくめ、どこか違ってる雰囲気だけを渡してきた。
「さぁな」
私はやるべき事だけを淡々と片付けた。
◇
レイス家の人達は、なぜか協力的だった。
まるで、こっちの手札を最初から聞かされていたような。
「貴方たちは、人類の未来に興味が無いのでしょうか?」
私がそう告げると、レイス家の人達の視線が、静かに座る一人の女性に集まる。
「それが定めならば、受け入れるだけです」
その言葉はすぐに受け入れられ、皆は何もなかった顔に戻った。
私は隣の男の横顔を盗み見る。
この人の夢は、叶わない。
それなのに、諦観じゃない。
どこか満足しているような。今ここじゃないどこかを見ているような。
「……それ、どんな顔ですか? ケニー」
「終わったはずの話が、まだ続いてたって顔だよ」
ケニーが扉の方へ歩き出す。
私はその背中を目で追ってから、もう一度だけ部屋を見渡した。
未来に興味のない人達。
定めを受け入れるだけ。
安穏とした滅びを、待ち続けている。
……分かったことは多い。
それでも。気分はあまり良くなかった。
◇
外に出ると、夜気が肺に流れ込んだ。
中央区の夜は、相変わらず音が薄い。
「どうしました?」
後ろから副官さんの声がした。
私は首だけ振り返って、軽く首を傾げる。
「いえ。少し、疲れました」
――顔が、見たい。
砂埃の匂い。雑多な音。
からかう声と、真面目に怒ったふりをする声。
今ここじゃない場所の空気を、脳が欲しがってる。
「これが片付いたら、少しだけ戻ります」
私がぽつりと言うと、副官さんは呆れたようにため息を吐く。
「あなたが訓練兵をする意味、今更ありますか?」
ケニーが先を歩きながら、鼻で笑った。
「まぁいいんじゃねぇか。
大事なもの、1つくらいは残しとけ」
私はその背中を見て口元だけで笑った。
大事なもの、か。
私はそっと予定を書き換える。
次に片付けるのは、仕事じゃない。
頭が会いたいと煩い相手に、会いに行く。