壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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35.

 

空気が軽い。

私は私服で砂埃が舞う訓練場の端を歩く。

 

私は数週間ぶりに、堂々と昼間の訓練兵団へと戻ってきていた。

ある程度の目処はついたから。

 

やることはまだ山ほどある。

 

でも、

頭が会いたいと煩い。だから、仕方ないの。

 

 

私はそっと後ろから近づいた。

 

マルコが先に気づいて、目を見開く。

声を出しかけた口が、止まる。

私が人差し指を立てて、唇の前に置いたから。

 

しーっと、言わなくても伝わる顔で笑うと、

マルコは一拍だけ迷って、それから小さく頷いた。

 

そのまま近づく。

ジャンはまだ気づいてない。

 

私は手を伸ばして、ジャンの腕を掴む。

掴んだ瞬間、ジャンの身体がびくっと跳ねた。

 

「っ!?」

 

声が裏返りかける。

視線が一瞬でこっちへ寄る。嬉しい。

 

私は引っ張る。迷いなく。

 

「ジャン、借りるね!」

 

マルコへ声を投げる。

軽く。

上機嫌なのは隠さない。

 

マルコは困ったように笑って、でも止めなかった。

「腹痛とでも言っておくよ」

 

その言い方に、ジャンの耳が一気に赤くなる。

 

「お、おい……!マルコ!お前……!」

 

抗議の形なのに、声が弱い。

足は引かれて、ちゃんと動く。

 

マルコはもう背を向けていた。

訓練場へと向かう背中。

次の時間は抜けても大丈夫だって知ってる。

 

残ったのは私とジャンだけ。

そのまま少し歩く。人目がないところまで。

 

「……お前、いつ戻ってきて……」

 

ジャンはそう言いかけて、止まる。

私は人があまり通らない壁際まで、ジャンを引っ張った後、ゆっくり振り向いた。

 

 

ジャンは止まったまま、視線が私の顔を探す。

探して、見つけて、そこから逸らせなくなる。

 

それだけでもう、頭が痺れるように嬉しい。

 

――だから。

 

私は少しだけ、悲しげな顔を作る。

作るくらいの余裕はある。

 

「……ダメだった?」

「……会いたかったから、予定変えちゃった」

 

恥ずかしい気持ちを、そのまま出す。

誤魔化さない。受け取って。

 

私はジャンを見上げる。

 

ジャンの喉仏が上下するのが見えた。

言葉を探すみたいに口を開いて、閉じた。

 

――好き。もっと。

 

私は掴んでいた腕の位置を変える。

手のひら。指。

 

ぎゅっと掴んで、目を見る。

 

ジャンは一瞬目を逸らした。

手はこわばった。でも逃げない。

 

視線はすぐ戻ってくる。

口が動く。怖々と。

 

「……会いたかったから、って……」

「そういうの、急に言うなよ」

 

声が掠れてる。

その声に胸がしめつけられる。

 

「……俺、」

 

ジャンは何かを言いかけて、飲み込んだ。

飲み込んだまま、指を握り返してくる。

 

――俺も会いたかった。

 

言葉は聞こえない。

でも、全身で言ってるのが分かる。

 

顔がにやけそうになる。

多分、にやけてる。

ダメ。それは可愛くない。

 

私は指を絡ませる。

絡ませて、指の関節を確かめるみたいに握る。

 

もっと。もっと欲しい。足りない。

 

ジャンの手に力が入った。

奥歯を噛んで、別の言葉に逃げる。

 

「……今日、どれくらい居られるんだ」

――どうせ、すぐまた居なくなるんだろ。

そんな風に聞こえた。

 

ジャンは視線を落として、繋がった指を見ている。

見たまま、戻らない。

 

うん。……そんなに長くはいられない。

どう返そうか。

 

私は口を開く。

でもその前に、ジャンの声が耳に届いた。

 

「……離すなよ」

 

私は止まった。

何をする気……?

 

ジャンは息を止めて、ゆっくり顔を上げる。

目が近い。

近すぎて、心臓が勝手に鳴る。

 

繋いだ手が少しだけ持ち上がる。

 

私の手の甲が、視線の高さまで連れていかれる。

唇が動いた。

 

「……怒るなよ」

 

一瞬止まる。

ジャンの目が、私の目を、反応を伺って揺れる。

 

――私はどう見えたんだろう。

 

ジャンの目は、耐えるように歪んで、

そのまま――。

 

唇が、私の手の甲に触れた。

 

触れたまま、少しだけそのままだった。

 

唇の感触が、手の甲にじわっと残る。

絡んだ指が、動かせない。

動かしたら終わってしまう。

 

でも終わらせたくない。

 

ジャンはゆっくりと手を下ろした。

一瞬眉がグッと寄る。後悔したみたいに。

でも、手は重ねたまま。

重ねたまま、離れない。

 

私は繋いだ指に力を込めた。

言葉にならないまま、胸の奥が熱くなる。

 

ジャンは、私の手をまだ握っている。

握っているくせに、目だけは少しだけ逸らした。

目を逸らしても、視線の端でまだ私を見ている。

 

……そういう所も、好き。

 

 

「……ねぇ」

 

声が勝手に柔らかくなる。

触れられたところが、まだ熱い。

 

「今の、どこで覚えたの?」

 

ジャンは眉を寄せた。

言い返したい顔。でも、言い返し方が見つからない顔。

 

「……覚えたとかじゃねぇよ」

 

低い声。

でも、さっきより少しだけ弱い。

 

「……お前が、やっただろ」

 

――うん。そうだね。

 

私が最初にやった。

あの夜。手の甲に。

キスさせてくれなかったから、代わりに手の甲。

 

それが、ジャンの中に残ってた。

残って、こうして返してきた。

 

私の口角が勝手に上がりそうになって、抑える。

抑えきれてない気もする。

 

「……覚えてたんだ」

 

「忘れるかよ」

 

ジャンの耳が赤くなる。

 

言い過ぎたって顔をするのに、手は離さない。

むしろ指が少しだけ絡み直される。

力を込める場所を変えて、逃げるのを防ぐみたいに。

 

 

私は息をひとつ吸って、吐いてから――言った。

 

 

「――好き」

 

心の声をそのまま出した。

だって溢れるから。出したって全然足りない。

それだけのはずなのに、声が少しだけ震えた。

 

ジャンの目が揺れる。

揺れて、唇が少し開く。

言いたい。言えない。言うのが怖い。

その全部が顔に出る。

 

「……お前、そういうの」

 

「急に言うなって?」

 

私が先に拾うと、ジャンの眉が跳ねた。

図星の顔。

 

「……そうだよ」

 

苛立ったみたいに言って、でも力は抜けない。

握ってる手が、ほどけない。

 

「……俺、頭が、追いつかねぇ」

 

そんなの、知ってる。

追いついてない。その顔が好き。

 

私は笑いそうになって、笑わなかった。

代わりに、ジャンの指をもう一度だけ強く握る。

 

 

「追いつくのって、必要?」

 

ジャンの喉が鳴る。

反論したいのに、声が出ない鳴り方。

 

「要るんだよ……っ」

 

言いながら、ジャンは繋いだ手を少しだけ引いた。

引いて、自分の方へ。

距離が縮む。

 

近い。

近いと、頭が熱くなる。

私がダメになる。

 

欲張って、加減を間違える。

もっと、欲しい。

 

ジャンの視線が一瞬だけ私の口元へ落ちて、すぐ戻る。

戻って、歯を食いしばった。

 

「……キスとか、すんじゃねぇぞ」

 

低い声。

言った直後に、自分で嫌そうに眉を寄せる。

 

「……いや、そうじゃねぇ」

「俺が、耐えられねぇ……」

 

分かってる。

分かってるけど……。

 

私は拗ねるように口を尖らせる。

目を逸らす。

見てたらしたくなる。

 

「……逃げられたくないから、しないわ」

 

 

嫌われるのも、逃げられるのも。嫌だ。

 

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