壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――前話の続き。


36.ジャン視点

 

「……逃げられたくないから、しないわ」

 

ジラが目を逸らしたまま、拗ねるみたいに言った。

 

その言い方が、ずる――。

……反射でそう思った自分に腹が立つ。

 

逃げるのは、お前の方だろ。

 

――中央で今何してるのか、聞きたくて、同時に聞くのが怖い。……聞かない。

 

俺は繋いだ手を離さないまま、指に少しだけ力を入れた。

強くしすぎたと思って、すぐ緩める。緩めても、離さない。

 

「……俺は逃げねぇよ」

 

喉の奥から出た声は、思ったより低い。

嘘じゃない。嘘にしたくない。

 

ジラがこっちを見る。

見られるだけで頭が熱くなる。だから先に口を動かした。

 

「お前が危ねぇとこ行く時。勝手に突っ込む時」

「……前みたいに、いきなり消える時」

 

「消えたわけじゃ――」

 

言い返しかけるジラの口を、俺は目で止めた。

止まらねぇのが分かってるから、声を重ねる。

 

「分かってる。戻ってきた。けどな」

 

胸の辺りが、ぎゅっと縮む。

言うのが情けなくて、声が乱暴になる。

 

「俺は、あれで一回死んだんだよ」

「……言い方、悪ぃけど」

 

誤魔化すみたいに指を握り直す。

 

風が砂を巻き上げて、足元を擦った。

 

 

――手紙。

来なかった明日。

俺がどれだけ悩んだと思ってんだ。

 

 

ジラの眉が僅かに動く。

笑いが消えかけて、でも消しきれない。

――こいつ、誤魔化すんだよ。

 

だから俺は、具体的に言う。

 

 

「……俺は、放っとけねぇんだよ」

 

ジラが少し目を細める。

楽しそうな顔。刺さる顔。

 

「巻き込むつもりないよ?」

 

「知ってる」

 

分かってる。こいつはそういう奴だ。

 

……この手が、誰かを殺してるかもしれないなんて考えたくない。

 

「だから、余計に言ってんだ」

 

ジラの口が少し開く。言い返したい顔。

でも言葉がすぐ出ない顔。

 

俺はそこに、押し込む。

 

「お前が巻き込まないって決めるなら」

「俺は勝手に巻き込まれに行くって決めたんだよ」

 

言った瞬間、自分で自分が嫌になる。

格好つけたみたいで。

でも、今はそれでいい。そうじゃないと動けない。

 

ジラが小さく息を吐いた。

 

「じゃあ、ジャンも調査兵団来るの?」

 

手は繋いだままなのに、手のひらの熱だけがやけに浮く。

 

……言うな。

その単語、ここで出すな。

 

俺は、息を吸った。

吸ったのに、喉が詰まる。

 

――行く。って言いたい。

 

――俺は憲兵団に入るためにここに来たんだぞ。

 

――俺が気にしてんのはそっちじゃない。いやそっちも必要だ。

 

言葉がまとまらない。

 

ジラは笑ってる。緩い顔。

どっちでもいいみたいな顔。

 

それが一番腹が立つ。

 

 

「……今、その話すんな」

 

出た声は低い。

怒ってるみたいに聞こえるのが嫌で、さらに腹が立った。

 

ジラの眉が少しだけ動く。

でも引かない。引かせないって顔。

 

「ジャンは来なくてもいいのに」

 

軽い。

軽いくせに、刺さる。

 

俺は繋いだ指をもう一度握り直した。

逃げないために。逃がさないために。

どっちか分からなくなるくらい、必死で。

 

「……それも、嫌なんだよ」

 

言い返そうとして、言葉が見つからない。

見つからないから、雑にする。

 

「お前が、笑って言うから」

 

ジラの口角が少し上がる。

楽しそうに。

 

俺は舌打ちしそうになって飲み込んだ。

調査兵団の話をしたら、俺が弱くなる。

 

ジラは手を繋いだまま、少しだけ首を傾げた。

「――ジャンは、どうしたいの?」

 

俺は歯を食いしばった。

 

言い方を選び直す。

 

「……分かってんだろ」

 

言って、繋いだ手を少しだけ持ち上げた。

見せつけるみたいに。

言葉の代わりに。

 

「俺、これ離したくねぇんだよ」

 

言い切って、俺は息を止めた。

言葉が熱を持つ。目は逸らさない。

 

ジラの顔が、一瞬だけ真面目になる。

その一瞬が、怖い。

 

「……俺は」

 

喉が鳴る。

 

なんて言えばこいつは消えない。

分かんねぇんだよ。

 

「……なんで、いつも居ないんだよ」

 

ジラが笑う。

でも今度の笑いは、軽くない。

 

「いるよ?」

 

「いねぇだろ」

 

「ひどいな」

 

「ひどくねぇ」

 

俺は言い切って、手を離さない。

 

「……明日って言って、明日いなかっただろ」

 

言ってから、胸が痛くなる。

痛いのに、言葉が止まらない。

 

「だから、」

「お前が黙って突っ込むなら、俺だって……」

 

ジラが、また緩く笑う。

 

――巻き込むつもりないのに。ってそう見えた。

 

 

「……っ!巻き込むつもりがないのが、一番タチ悪いんだよ!」

 

 

言い切った瞬間、喉がひりついた。

俺は一度だけ息を飲んで、視線を落とした。

 

静かになる。俺の息が荒いのが分かる。

 

言い過ぎた。

でも、引かない。引けない。

 

――ジラが少しだけ笑う気配がした。

 

ジラはそのまま、繋いだ手を軽く揺らした。

肯定にも否定にも見える、嫌な揺らし方だ。

 

ジラはどこか嬉しそうだった。

腹が立つのに、口の端が上がりそうになる。

 

(……反則だろ、これ)

 

思った瞬間、また負けるから。

俺は負けたくないのに、もうだいぶ負けてる。

目は、逸らせない。

 

指同士が擦れる。

汗ばむほどじゃないのに、じんわり熱い。

 

「ねぇ、ジャン」

 

繋いだ手が、ほんの少し揺れた。

 

反射的に、俺は握り直す。

解けないように、じゃない。……いや、そうなんだけど。

そうじゃないってことにしておきたい、みたいな。

 

――可愛い。

認めたくなくても、可愛い。

 

ジラがゆっくり首を傾けて、俺の顔を覗き込んできた。

逃げ道を塞ぐみたいに黒髪が流れる。

 

その目を、俺は真正面から受け止めるしかない。

 

 

「――私のこと、好き?」

 

世界が一瞬、止まった気がした。

 

風の音が遠くなる。

自分の呼吸の音だけ、変に大きく響く。

 

目が動かない。肩も動かない。

固まってる自覚はあるのに、体が言うことを聞かない。

 

動いたのは、唇だけだ。

震えた。情けないくらいに。

 

ジラが、嬉しそうな顔をしそうで、けど抑えてるのが分かる。

代わりに、繋いだ手の指先で、俺の指をそっとなぞってきた。

 

指の関節を、一本ずつ。

爪の端を、くすぐるみたいに。

訓練で固くなった皮膚の線をなぞって――。

 

「……っ」

 

指がびくっと跳ねた。

勝手に。反射だ。

 

喉が鳴る。

ごくり、って音が自分でも分かるくらいで、余計に焦る。

 

ジラは嬉しそうなのか、楽しんでるのか。

その両方なのか。

判断する余裕なんて、今の俺にはない。

 

俺は、耐えるみたいに息を吐いた。

逃げ場を探して、でも逃げたくない、そんなみっともないところで踏ん張る。

 

「……好きだって言ったら」

 

言葉が、喉に引っかかる。

それでも、なんとか押し出す。

 

「お前、もっと来るだろ」

 

本音だ。

 

こいつは、俺が一歩出したら三歩くらい平気で踏み込んでくる。

それが、怖い。

 

怖いけど。

本当は、それが欲しい。

 

自分で言ってて、胸の奥がまた熱くなる。

俺はそれを誤魔化すみたいに、唇を噛んだ。

 

噛んだ瞬間、ジラの視線がそこに引っかかった気がした。

見られてる、って意識した途端、余計に意識してしまう。

 

「そうだね」

 

即答だった。

迷いも何もない。

 

俺の言葉の意味を、ちゃんと理解した上での、その返事。

 

ぐらりと、足元が揺れた気がした。

 

「ねぇ、ジャン」

 

声が変わった。

 

ふざけてない。

遊んでない。

 

逃げ場を、ゆっくり減らされる。

 

「私は、ジャンが好き」

 

手が、震えた。

俺の。

 

ジラのせいで。

 

「……分かったから!」

 

情けない声が、勝手に出た。

遮らなきゃ、これ以上言われたら、本当に立ってられない。

 

「……っ、俺の番だろ」

 

言ってから、自分で少し驚いた。

 

こんなときに「番」とか言える余裕が、まだ残ってたのか。

いや、余裕じゃない。意地だ。

 

ジラが、ぱちっと瞬きをした。

想定外って顔だ。そりゃそうだ。俺だって想定外だ。

 

それでも、目は逸らさない。

逸らしたら終わる。多分、一生後悔する。

 

喉の奥で、覚悟を転がす。

落とす場所を決めなきゃいけない。

 

 

「……好き、だ」

 

やっと、落ちた。

 

たったそれだけの言葉なのに、口から出すまでが長すぎる。

でも、出た。

 

「……だから、」

 

その先を言おうとした瞬間――。

 

ジラの指が、俺の指を絡め直した。

ぎゅっと、さっきまでより深く絡む。

 

そのまま、ゆっくりと引き寄せられた。

 

距離が、みるみる縮まる。

 

近づくだけ近づいて、

ギリギリのところで止まる。

 

(キスしないのかよ)

 

そこで止まったジラを見て、心の中で訳の分からない悪態をつく。

 

止まるなら、最初から引き寄せんな。

でも、止まってくれてありがとう。……みたいな。

 

「もう一回」

 

喉がまた鳴った。

 

は?って言いかけて、声にならなかった。

でも顔だけで言ってるのが、自分でも分かる。

 

ジラは目を細めて、囁くみたいに重ねてくる。

 

「今の、もう一回」

 

こいつ、ほんと容赦がない。

 

俺は一瞬だけ目を閉じた。

このまま気絶できたらどれだけ楽か、なんて馬鹿なことを考えて。

 

それでも、開く。

観念して、息を吐く。

 

「……好きだ」

 

さっきより、小さい声かもしれない。

でも、さっきより逃げてない。

 

ジラのため、ってより。

これを言った俺を、俺がちゃんと覚えていたいから。

 

言った瞬間、手のひらの熱が跳ね上がった気がした。

 

ジラの指に、きゅっと力がこもる。

ほんの少し震えたのが、伝わってくる。

 

震えてんのは、どっちだ。

 

「……うん」

 

それだけ返される。

 

たった一音なのに、変に満たされる。

もっと何か言われたいくせに、それ以上を求めたら全部壊れそうで、黙る。

 

ジラがさらに、俺を引き寄せる。

 

逃げない。逃げたくない。

距離が、近づく。

 

額と額がくっついた。

体温が、近い。息が、混ざる。

 

視界の端が白くなるくらいには、頭が真っ白だ。

 

それでも、どこか冷めた自分が、遠くにいる。

 

――こいつ、何考えてんだ。

 

俺の告白を聞いて、俺の手を握り締めて。

こんな近さで目を閉じながら、きっとまた何か企んでる。

 

人の反応を楽しんで。

それでも、俺の言葉をちゃんと聞きに来て。

 

ジラは、いつだって俺の理性を壊しにくる。

 

一緒にいたい。

そのくせ、その願いを口にしたら、何かを失う気がして怖い。

 

俺の中に残るのは、きっとこいつだ。

何があっても、どこに行っても。

 

――俺の人生めちゃくちゃだ。

 

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