女子部屋でジラと二人きりになった時だった。
……たまたまじゃない。
わざわざ他を追い出したな、この女。
「次の休暇、私に時間くれないかしら?」
そう言った後、ジラはわざわざ扉を背に立って、逃げ道を塞いだ。
「はぁ? なんであたしが、お前に付き合わなきゃなんねぇんだよ」
あたしの口から出た疑問に、ジラは肩を竦める。
「ここではちょっと、言えないわ」
少し困った顔を作って、一歩近づいてくる。
意味深に。楽しそうに。獲物でも見てるみたいに。
「あなたには不都合なことするの。
あなたも知ってるわ。でも」
「――クリスタのためよ」
その名前を出した瞬間、あたしの表情が動いたのを、
この女は絶対見逃してない。
「……あんたさぁ」
笑いが喉まで出かかった。
最悪な意味で、いいところ突いてくる。
「クリスタの名前出しときゃ、
あたしが首縦に振ると思ってんだろ」
「思ってるわ?」
ジラは表情すら変えない。
舌打ちしたくなるのを、なんとかこらえる。
「……分かったよ。行けばいいんだろ」
ジラの口元は弧をかいている。
ずっと同じ笑み。いつものお貴族様のやつだ。
「えぇ。
次の休暇、空けておいてね?」
あたしはため息をひとつ吐いた。
何がバレた。
もう帰れないかもしれない。
◇
人気のない扉をいくつか開いて、迷路のような階段を下りる。
石段に靴が触れるたび、コツ、コツ、と乾いた音が響く。
「……クリスタのためだ」
そう言葉でもう一度沈めてから、目の前のドアに手をかける。
ジラに指定された時間と場所。
言われたとおりに一人。
なんでクリスタとの時間をわざわざ割いてまでここに。
この部屋だけ、人の気配がある。
ここだ。
ドアを開けると
待っていたのはジラと、腕を組んだフロックだった。
待っていたかのように、あたしに目線が刺さる。
フロック?
いやどうでもいい。さっさと終わらせるんだ。
「何が目的だ?」
その言葉にフロックが、澄ました顔で言い切った。
「人類の未来のためだ」
乾いた空気に、その言葉だけがやたらと響く。
すぐ隣で、ジラが露骨に眉を顰めた。
「綺麗事ね」
薄く笑うような声音。鼻で笑って、でも目だけは笑っていない。
フロックが視線だけを横にそらして、舌打ちみたいに言葉を吐く。
「お前が言ったんだろ」
「そうだったかしら」
ジラは肩をすくめて、わざとらしく首を傾げる。
こいつは本気でとぼけてるのか、わざとなのか、いつも判断がつかない。
「まぁ、外側の言葉なんてなんでもいいわ」
「よくねぇ」
フロックは指をイライラと叩きながら、面倒くさそうに続ける。
「一貫した言葉を持つべきだろ」
ジラは小さく息を吐いた。
「……じゃあ、それでいいわ」
「……だ、そうだ」
フロックが肩をすくめて、まとめた風に言う。
……いや。
「いや、何一つ伝わってない」
思わず口から出ていた。
壁に背を預けて、目の前の二人を睨む。
これは今、何を見せられてる?
「何が目的だ?」って聞いた結果が、これだ。
ジラはジャンと出来てると思ってたんだが、違ったのか?
いや、そりゃねぇな。あの砂糖菓子みたいな空気と、今のこれ別物だ。
……それはどうでもいい。
把握しないといけないのはそこじゃない。
なんであたしが呼ばれたのか。
こいつらが、どこまで知ってるか。
人類の未来? んなもん知るか。
気にしてるのは――。
ジラが、あたしを見る。
ゆっくり、一歩近づく。
「ユミルには伝わらなくてもいいのよ」
その距離。
――あの時と一緒だ。
「クリスタが生きるため」
ジラは首を傾げた。
澄んだ青じゃない。黒い瞳があたしを映す。
クリスタとは似ても似つかない。
なのに雰囲気だけ似せてくる。
「それだけで十分でしょう?」
――クリスタ。
あぁ、そうだ。
クリスタを引き合いに出されたら、断れる訳がない。
秘密を知っている、なんて囁き付きならなおさらだ。
「来い」と言われて、来ない道理がどこにある。
だから今、ここにいる。
この、湿気た石の匂いのする薄暗い部屋で、こいつらと向き合っている。
「反吐が出る。
二度とやるなって言っただろ」
喉の奥から吐き捨てるように言う。
ジラはそれでも、綺麗なお貴族様の顔で笑った。
本当に、腹が立つくらい整った顔だ。
その顔で、ろくでもないことばかり言う。
そして、何気ない調子で続ける。
「――エルディア人、って言うらしいわね」
その単語が、空気を変えた。
一瞬で、部屋の温度が数度下がったような気がした。
肩が固まる。顔が固まる。息が止まる。
出すな、表情に出すな。
……なんで、それをジラが。
胸の奥に、冷たい指を突っ込まれたような感覚が走る。
駄目だ。完全に表情に出た。
ジラはこれが見たくて今の言葉を選んだんだ。遅れて理解する。
「ユミル。
あなた、壁の外から来たんでしょう?」
ジラの声は穏やかだ。
ただの事実を、なんてことない声で読み上げる。
「あなたは、巨人になれる」
こいつ、どこまで知ってる?
知られたくなかった場所まで、ズカズカと土足で踏み込まれる気分だ。
「……それで? あたしにどうしろって?」
絞るように声を出すと、喉の奥がひりついた。
虚勢だって自分でも分かってる。
でも、そうでもしないと膝が笑いそうだった。
フロックが大げさにため息をついた。
あたしにじゃない。
ジラに向かって、だ。
「お前はなんでそう、追い詰める話し方しかしないんだよ」
「うーん。こればっかりはただの好みね」
ジラが悪びれもせずに言う。
ジラは、マジで性格悪い。
あたしは最初に会った時から思ってた。
「はぁ……、おい。ソバカス女」
「なんだよモブ」
条件反射みたいに返す。
フロックはイラっとした顔のまま、しかし目だけは妙に真剣に、言葉を続けた。
「俺らには力が足りない」
短く切られた言葉。
「壁の中の人類、だけじゃない。
壁の外にいる、俺らと同じ種族の人間も含めて、だ」
その、同じ種族って言葉に一瞬だけ胸が詰まる。
同じ、ね。
「守るためだ。
クリスタもそれで守られる」
そこでようやく、フロックはあたしの真正面から目を合わせた。
「――お前の力を貸せ」
ジラが、その横から軽く、言葉の後を繋げる。
「エルディア人。巨人化できる種族。
……ユミルの民、とも言うらしいわね?」
マーレで、そう呼ばれてた。
違う。
あたしが、ユミルだ。
昔の神様みたいな単語に自分を押し込められるのはもう、うんざりだ。
でも、その名前をこうやって引き出されると、逃げ場が無くなる。
ジラを睨むように見る。
ジラは、あたしの表情を、一つ残らず観察するように目を細める。
ああ、嫌な奴。
こいつは、あたしの反応で何かを知った。
ジラは満足そうに口角を上げた。
「不本意ながら、そこまでを守らないと、私の生活まで脅かされそうなの」
お貴族様のくせに、生活って単語を軽々と口にするな。
どうせ自分の周りだけだ。
ただ、自分の周りって範囲がこいつはバカでかい。それは何となくわかった。
「……お貴族様は優しいんだな。
皆に手を差し伸べてくれるそうだ」
嘲るように声を出す。本心だ。ああ、ありがたい。
乾いた笑いと一緒に、言葉が零れる。
もう分かってる。
あたしは空気に飲まれてる。
こいつらのペースに、ずるずると引きずり込まれてる。
隣にいるモブ――フロックに目をやる。
……フロックはもっと、さえないやつだったはずだ。
「何が目的なんだよ」
最初と同じ問いを繰り返す。
皆を救いたい?
ジラがそんな生ぬるいことで動く訳がない。
むしろそういうことを言い出しそうなのは、ジャンの方だ。
あいつなら言う。ああ、言いそうだ。
でも、ジラが隣に置いてるのはジャンじゃない。
なんなんだよ、こいつら。
ジラは、薄く笑った。
本当に楽しそうに。
身体の芯がざわつくタイプの笑い方だ。
「私は楽しそうだったから手を出しただけよ」
さらりと言い切る。
子どもが新しい遊びを見つけたみたいな顔で。
「それに、何も知らないうちに全部終わってるのは嫌いよ」
ジラはゆっくりと視線を上げる。
どこか遠くを見るような目。
壁の向こうか、もっと先か、そのさらに外か。
「崩すなら、私の手で崩したいの」
静かな声だった。
でも熱が喉を燻ってる、気持ち悪い声だ。
フロックはそれを聞いて、あからさまに呆れた目をした。
それから、面倒くさそうに視線をあたしに戻す。
「ジラの目的は置いておけ。ややこしくなる」
……それは同意だった。
ただでさえこの状況はややこしいのに、ジラの頭の中まで理解しようとしたら、頭が爆発する。
フロックは少しだけ言葉を選ぶように黙ってから、短く息を吸った。
「詳しい話、してもいいか?」
部屋の中の空気がまた変わる。
さっきまでふざけ合っていたように見えた二人の目から、余計な色が抜けていく。
やっと本題か。
壁にもたれたまま、片足を組み替えた。
――逃げるなら今だ、って本能が言ってる。
でも、背中で感じるのはひんやりとした石の冷たさだけだ。
クリスタの顔が、頭に浮かぶ。
人類の未来なんて知らない。
外の世界なんて、もっとどうでもいい。
でも――利用できるものは全部、利用してやる。
舌打ちを飲み込んで、顔を上げた。
「……聞くだけ聞いて、気に入らなきゃ降りる。
その前に一発噛み付いてやるけどな」
あたしはユミルだ。
ただのユミル。
それでも使いたきゃ、使え。
クリスタのためなら使われてやるよ。