外はもう薄暗い。
今日のうちに動く組と、明日の朝出る組。
――ごめんなさい。時間取れなかった。
ジラの言葉が頭によぎる。
精一杯やった。でも無理だった。
そんな言葉が連なっていた。
……結局怒れてねえんだよ。俺。
俺は無言で私服に袖を通す。
ジラは、今日のうちにここを出る。分かってる。
マルコが、躊躇いがちに声をかけてきた。
「ジャン……」
「……予定ある」
マルコは、一瞬戸惑った後頷いた。
「……気をつけていっておいで」
「……あぁ」
◇
「……行くに決まってんだろ」
誰にも聞こえないくらいの声で呟く。
分かってる。
こんなの、やっちゃダメなことだって。
信じてやれよ、とか。
詮索すんなとか。
友人とか恋人とか、そういうのの線引きとか。
「時間作るって、言っただろ」
誰に向かって言ってるんだか、分からない。
足音を殺す。
影に紛れる。
ジラの黒髪が、少し先を歩いていた。
いつも訓練場で見てる後ろ姿なのに、今はやけに遠く見える。
「どこ行くんだよ、お前」
喉の奥で、問いだけが増える。
こっちが勝手に決めた約束だ。
「巻き込むつもりがない」のが一番タチ悪いって言ったのも、俺だ。
だったら――
「勝手に巻き込まれに行くって、決めただろ」
自分に向かって言い直す。
ジラの足取りは、迷いがない。
でも、
……どこだ?どこへ向かっている?
観光でもない。
ふらふら歩くでもない。
目的地がある歩き方。
角を曲がるたび、人を抜けるたび、
「見失うな」「近づきすぎるな」と、自分に命令する。
――気づかれるな。
気づかれたら、多分、終わる。
何が終わるのかは分からない。
でも、嫌な予感だけはちゃんとある。
ジラは、どんどん人が少ない方へ入っていく。
露店が減り、賑やかな声が遠くなり、石畳の音だけが近くなる。
――ジラの黒髪が、角を曲がったところで消えた。
「……っ」
急いで角を曲がる。
けど、そこにはもう、さっきまでの後ろ姿はなかった。
人はいる。商人、荷車。
でも、ジラはいない。
「マジかよ……」
舌打ちが漏れた。
立ち止まるのもまずいのは分かってる。
それでも、足が一瞬止まる。
どっちに行った。右か、左か。
中央に行くなら――。
視線を走らせた、その端で、見慣れた黒髪が揺れた。
「……ミカサ?」
思わず小さく名前がこぼれる。
距離は少しある。
けど、あれは間違いない。ミカサの背中。
その少し前を、あいつが歩いていた。
エレン。
二人とも、こっちには気づいてない。
ミカサの視線は、エレンの背中だけを追っている。
……なんだよ、これ。
ジラを見失った場所と、エレンたちが進んでる方向が、重なった。
同じ場所に行こうとしてる?
こんな時間に?
そんなバカな、って思うのに、胸のざわつきが消えない。
どうする。
ミカサを見なかったことにして、別の路地を探すか。
それとも――。
喉が鳴った。
「……っ」
一瞬、息を飲んで、言葉を飲み込んだ。
今声かけたら、ミカサの尾行の邪魔になる。
それくらい分かる。
でも。
ジラと、エレン、多分同じだろ。
頭の中でそんな声がした。
俺ひとりで追って、何が分かる。
見失ったのが、その答えだ。
だったら――。
「ミカサ」
意識して小さく呼んだ。
邪魔にならないように。けど、届くくらいには。
ミカサの肩が、ぴくりと動いた。
振り返る。その目が俺を見つける。
ほんの一瞬だけ、「なんでお前がいる」って顔をしてから、すぐに感情を消した目になる。
「……ジャン」
返ってきた声は、いつも通りに淡々としていた。
「何してるの」
先に聞いてきたのは、ミカサだった。
俺は一瞬だけ迷ってから、半分だけ本当のことを言った。
「……人、追ってたんだよ。見失った」
ミカサの眉が、ほんの少しだけ動く。
「エレンを?」
「違う。……ジラだよ」
その名前を出した瞬間、ミカサの目が細くなった。
エレンの背中は、まだ前方に見える。
ミカサは視線を一度だけ前に戻してから、俺に視線を返した。
「……話はあと。静かにして」
それだけ言って、顎で示す。
「一緒に来るなら、邪魔しないで」
それで、決まりだった。
エレンの背中を、ミカサが追う。
その少し後ろを、俺が追う。
足音を殺す。
でも、頭の中は全然静まらない。
ジラはどこ行った。
さっきまで追ってた黒髪は、別の角で消えた。
代わりに見つかったのが、エレンと、それを追うミカサ。
嫌な予感しかしない組み合わせだ。
耐えきれず、小さく声を出した。
「……なぁ、ミカサ」
「静かに」
即答。
それでも、完全に切り捨てる音じゃない。
数歩分、黙って歩いた。
けど、喉に引っかかったものが、落ちてくれない。
「どこ行くか、知ってんのか?」
できるだけ小さく、短く。
ミカサは視線を前から外さずに、ぽつりと返す。
「……分からない」
「……中央じゃねぇのか?」
通行証がない。壁を抜けられたら尾行は止まる。
それでも、何とかするつもりだった。
ミカサはエレンを目で追いながら答える。
「たぶん、違う」
「たぶんってなんだよ……」
それ以上の説明をする気はなさそうだった。
だけど、このまま黙るのは無理だ。
「ジラとエレンって、なんか関わりあったか?」
自分で聞きながら、変な質問だと思う。
でも、さっきのジラの進んでた方向と、今エレンが向かってる方角が、
頭の中で重なって離れない。
ミカサのまつ毛が、ほんの少しだけ揺れた。
「特には」
ミカサはそれ以上、何も足さない。
嘘か、本当か。
どっちとも取れるくらい、余計な情報を乗せない声。
それでも、口は止まらなかった。
「ミカサ、お前ジラと仲いいだろ。
何か知らねぇのか」
何か少しでも、手がかりないのかよ。
そこで、初めてミカサが少しだけこっちを見た。
横目。
エレンを視界の端で追いながら、黒い瞳が一瞬だけ俺を刺す。
……ジラと同じ色だ、と考えが一瞬ブレた。
ミカサは淡々と答える。
「ジラは友人。
でも全てを知ってるわけじゃない。」
「……信用はしてる。でも、全部は話さない人」
妙に正確な評価だった。
同時に、胸のどっかが少しだけ軽くなる。
――俺だけじゃねぇのか。知らねぇの。
ミカサは、また前を向く。
そこで黙ってればいいのに、続きが出る。
「でも、お前――」
「ジャン」
被せられた。
いつもの淡々とした声なのに、妙に強く聞こえる。
「ジラのこと、全部知りたい?」
不意打ちだった。
足が、半歩だけ止まりかける。
「……は?」
「……ジャンには、教えてもいいと思う」
何を、とは言わない。
でも、その言い方で十分伝わる。
ミカサは、ほんの一瞬だけ視線を落とした。
「……ジラから、誰にも言わないでって言われた、事がある」
「……」
息を飲む。喉がざらついた。
「でも、それと今回のことは、たぶん関係ない。……と思う」
「また、たぶんかよ」
自分でも情けない声だと分かる。
ミカサはそれには答えず、息をひとつ吐いた。
「ジャンが必死なのは分かる。でも、今は――」
そこで、ミカサの動きが一瞬だけ止まった。
「……ミカサ?」
呼びかけた時には、もう遅かった。
視線を前に戻したミカサの目が、わずかに見開かれる。
その先――
さっきまで歩いていたはずのエレンの背中が、消えていた。
「……っ、エレン!」
ミカサが一気に歩幅を広げる。
俺も慌ててついていく。
角。路地。
さっきと同じような道が、いくつも続いている。
人はいる。
でも、エレンの姿はどこにもない。
「嘘だろ……」
さっきまでの会話が、急に全部邪魔になった気がした。
「悪ぃ、俺――」
言いかけたところで、ミカサが短く首を振る。
「違う。私のせい」
その声は、淡々としているのに、僅かに硬かった。
「……あの瞬間、見てなかった」
何を、とは言わない。
でも、それで十分だった。
俺が話しかけた。
ミカサが、一瞬だけそこに引っ張られた。
その一瞬の間に、エレンはどこかへ消えた。
「……クソ」
吐き捨てるように言って、俺は額を押さえた。
やっぱり、こんなことやるべきじゃなかったのか?
ミカサまで巻き込んで。
ミカサは、エレンが消えた路地を見つめる。
「追う」
短く、ミカサはそれだけ言う。
俺は今更気づいた。
そういや……。
「ミカサ、1人か?」
こういう事は、大抵アルミンもセットだろ。
ミカサは、難しい顔をした。
「……はぐれた」
あたりはますます暗くなる。
この狭い路地の中、今から見つけるのは、もう絶望的だ。
「……アルミン拾って、帰るぞ」
知能が居る。
なら、がむしゃらに探すよりは、追える確率は上がるはずだ。
嫌な予感は消えない。