ざわざわと、地下の空洞が鳴っていた。
石壁に反響する声。
「……人、集めすぎだろ」
ぼそっと漏らした声は、自分でも驚くくらい低かった。
舞台代わりの足場のすぐ裏。
エレン。
ライナー。
ベルトルト。
アニ。
ユミル。
何回か既に顔を合わせてる、中央憲兵の人達。
ジラの牢屋に入ってた、
匿われた技術者に、ジラが選んだ共通点が分からない尖ったヤツら。
それに調査兵団。
――エルヴィン団長
――リヴァイ兵長。
全部「観客」でこっちを待ってるとか、嫌になる。
「今さらビビってるの?」
背中側から、軽い声。
振り向かなくても分かる。
ジラが俺を見ている気配。
「ビビってねぇよ」
即答してから、拳を握り直す。汗ばんだ掌がうっとおしい。
ジラは小さく笑った気配だけ残した、
「なら、行ってきて。
――あなたの声のほうが、届くから」
「お前がやればいいだろ。元はお前の計画だ」
「私がやると、彼らは自分で選べないでしょ」
俺にはほぼ無理やりのように選ばせたくせに。
ジラは楽しんでるみたいに言う。
「今日は、あなたが『希望』の顔」
「……はっ。上手く使うじゃねぇか」
毒づいても、何も変わらない。
こいつの言葉に、俺はもう何度も乗ってきた。
途中で降りる気は、ない。
「静粛に」という声が響き、
ざわめきが一段落ちる。
呼吸を一つ深くして、俺は足を踏み出した。
◇
視界が開ける。
地下の大きな空洞を整えた、即席の演説場。
謎の光る石が至る所にあり、どこか明るい。
視線が、一斉に刺さる。
――逃げ道、ねぇな。
台の上に立つ。高くはない。
でも、全員の顔が見えた。
喉が、ひりつく。
それごと押しつぶすみたいに、息を吸う。
「……フロック・フォルスターだ」
名乗りから入るのは嫌いだが、仕方ねぇ。
今日ここにいる半分は、俺をただのジラの後ろにいるやつって認識だ。
いちいち自己紹介までしてる余裕はない。
だから、最初の一言でぶった切る。
「今日ここにいるやつらは――」
見渡して、笑う。
ジラの真似だなと心の中で思う。
「壁の中で『必要ない』ってラベル貼られたやつらだ」
ざわ、と空気が揺れた。
「知らなくていいことを知ろうとした憲兵。
気づかなくていいとこに気づいた知識者。
上のやつらが決めた以上にたどり着いた技術者。
……そして、壁の外の、その先を知ってるやつら」
視線をライナーたちにだけ、わざと短く引っかける。
気づいたやつは、固まった。
エレンが、ほんの少し目を見開く。
「まず、最初に言う」
喉の奥から絞り出すんじゃない。
腹から、放り投げる。
「ここで聞いたことを外に漏らせば、死ぬ」
一瞬、全員が黙る。
「お前らが死ぬかもしれねぇし、
お前らの仲間が、家族が、
何も知らねぇまま、処理されるかもしれねぇ」
処理。
ジラの言葉をそのまま使う。
吐き気のする単語を、あえて選ぶ。
「脅しだと思うなら、今すぐ帰れ。
帰れるなら、の話だがな」
誰も動かない。
技術屋の一人がごくりと喉を鳴らし、若い男の憲兵が拳を握りしめる。
「……よし」
胸の奥で、何かがカチッとハマる。
「じゃあ、聞け」
少しだけ、笑う。
「俺ら壁の中の人類は――」
「――巨人になれる種族だ」
「巨人になれる人間でもいい。
外を彷徨いてる巨人も、元は俺らと同じ人間だ」
静かなざわめきが、今度は一気に爆発した。
「はぁ!?」
「何言ってん――」
「そんなわけないだろ!?」
声が、あちこちからあがる。
「静かに」
短く言ったつもりだったが、思った以上に響いた。
リヴァイが、腕を組んだまま目を細める。
エルヴィンの瞳がわずかに光る。
「今から言うことは、妄想でも、夢物語でもねぇ。
中央政権が、ずっと隠してきた現実だ」
言葉を繋いでいく。
言葉に籠る熱とは別に、頭は妙に冴えていく。
「壁の外、巨人たちのが彷徨いてる向こう側には巨人にならねぇ種族の人間もいる。
そいつらに、俺らの種族は『エルディア人』って呼ばれてるらしいな」
「……だったら、なんで――!」
エレンの声。怒鳴りかけて、途中で止まった。
自分の中の何かに、引っかかっている。
「なんで、壁の中のやつらはみんな巨人にならねぇのか、か?」
問いを奪って、投げ返す。
「簡単だ。条件がいる」
「巨人化の薬っつーものがある。それを体内に投与されると、巨人になる」
エレンの顔から、血の気が引くのが見えた。
「外を彷徨いてる巨人は、その薬を投与された、
――エルディア人だ」
壁の外の巨人が、目の裏に浮かぶ。
――実際に見ないと分からないこともあるわ。
ジラはそう言った。
「気づいたか?
誰がそんな薬を使ったか。人間を巨人に変えたか」
言葉を切る。
ライナーの肩が、ぴくりと動くのが見えた。
「外の奴らだ。外にもエルディア人はいる。
そして、外でエルディア人は『人』として扱われちゃいねぇ」
重く落とす。
「壁の外……マーレって国をはじめとした連中は、
エルディア人を『悪魔の末裔』だと決めつけ、迫害し、」
マーレ、という単語に、戦士組の空気がぴりつく。
「――用済みになったやつに、薬を打ってこのパラディ島に捨てる」
喉が自然と笑った。
「狭い区画に押し込めて、差別して、
最後は巨人だ、人間じゃないんだから何をしたっていいんだと嘲笑う。
酷い扱いだな」
エルヴィンの瞳が、異様な静けさを帯びた。
情報として、貪るみたいに飲み込んでいる。
「……俺も、最初に聞いたときは信じたくなかった」
本心だ。
できるなら、知らないままでいたかったとすら思った。
「でも、証拠は腐るほどある。
外から来たやつらもいる。
技術も、文書も、全部――」
言いかけて、一度だけ視線を後方に向ける。
ジラと、中央憲兵の一人がわずかに顎を引いた。
その動きだけで、背中を押される。
「つまり――」
言葉をまとめるような真似は、したくない。
でもここだけは、はっきりさせる。
「――俺達は、外の国の迫害から逃げてきた一種族だ」
「それを忘れ、同じ種族の巨人に怯え、そして同時に守られている」
喉が焼ける。
「それが、この世界の現実だ」
◇
「……だったらどうする」
最前列で、エレンが吐き捨てるみたいに言った。
声が震えている。怒りと恐怖と、今まで信じてきたものがひっくり返される感覚。
「だったら何だよ。
だからって、俺達が悪いってのか?
母さんを喰われたのは、そのせいだって言いてぇのか?」
噛みつくような視線。
昔の自分ならムキになって噛み返してただろう。
今は――違う。
「違ぇよ」
静かに言う。
「悪いのは、全部、数字に変えてきた連中だ」
エレンの息が、少しだけ止まる。
「巨人の力を、国同士の戦争に使ってきた外のやつら。
知ることを咎め、無知でいることを強制した国、
その仕組みを守ってきた貴族」
視線を、ジラへと一瞬向ける。
「王政は、知ってた。
外の世界のことも、エルディアの罪も、
外のエルディア人がどう扱われてるかも」
声が自然と荒くなる。
「それで何をしたか?
技術者を間引いた。外に出られないようにな。
『この島に引きこもってりゃ、外の人間は手出ししてこない』とさ」
吐き捨てるように言うと、何人かが顔をしかめた。
「本当にそうか?」
問いかける。
「巨人の力さえあれば、誰も攻めてこねぇ?
壁があるから、安心して眠れる?」
笑い声が、喉の奥で乾いた。
「外の国の技術は、もうそこまで来てる」
技術屋たちに視線を向ける。
「空を飛ぶ鉄の塊。
地面をえぐり取る爆弾。
巨人より速く動く機械」
それから、エルヴィンへ。
「巨人のうなじ一つに、人間が張り付かなくても、
――遠くから、まとめてぶち抜ける武器がある」
ライナー達から聞いた兵器が、頭をよぎる。
言葉だけじゃ伝わらない。
「……は?何言ってんだって顔してるな。
俺も最初に聞いた時は、頭おかしくなったかと思った」
でも、想像でいい。
その想像すら、この島の連中は奪われてきた。
「巨人を殺せる技術は、
もう、外の世界で生まれかけてる」
エルヴィンの目が細くなる。
リヴァイはわずかに顎を上げた。
「……この島の存在は常に敵視されている」
喉を鳴らす。
「外の人間は、俺達を『人』とは認めてない。
悪魔であり、兵器である。
そのどっちでもある限り、いつか必ず――」
息を吸う。
「外の奴らは、
俺ら壁の中の人類全てを――駆逐しようとする」
◇
静寂が、耳を打つ。
ここからが、本題だ。
「まず、はっきりさせておく」
言いながら、自分の掌を見る。
あの日ジラの喉に置いた指の感触が、まだ残っている気がした。
「巨人の力だけに頼る未来は、ない」
エレンがわずかにこわばる。
ライナーたちの肩も、硬くなる。
「巨人の力は、今はまだ必要だ。
この島を守るにも、外の動きを牽制するにも、
時間を稼ぐためには、使わなきゃならねぇ」
それは事実だ。
今、現時点でこの国を守っているのは、壁の外にいる人を食う化け物だ。
それなのに、今すぐ手放す余裕なんて、どこにもない。
「だが――」
そこで、叩きつける。
「それだけに縋り続ける限り、
俺達は永遠に『化け物』から抜け出せねぇ」
息が熱い。
「やるべきは、『対等』を勝ち取ることだ」
壁一枚隔てた外側じゃない。
島の中の貴族たちとの話でもない。
「世界に対してだ。
エルディア人は、巨人になるだけの獣じゃない。
人としてここにいるってことを、
力で叩きつけるしかない」
ユミルが、少しだけ目を細める。
エレンの拳が震え、エルヴィンは微動だにせずに聞いている。
「巨人の力じゃねぇ力が、要る」
技術屋たちを見やる。
「外の国の技術。
武器。
知識。
研究」
そして――ライナーたちに。
「外の世界の情報。
何を考え、何を恐れてるか。
どこなら殴れるか。どこなら交渉できるか」
最後に、調査兵団へ。
「そして何より――
それを成すだけの、人が必要だ」
エルヴィンの光る瞳と、エレンの燃える瞳が、同時にこっちを射抜いた。
◇
静寂が鳴る。
その中から1歩、足音が響いた。
「……そこまでは、分かった」
エルヴィンが低く口を開く。
「だが、どうやって、その『技術』とやらを手に入れるつもりだ?」
鋭い質問だ。
それを待っていたように、ジラが後方でわずかに肩を揺らす。
――笑うな。だからお前じゃダメなんだ。
おれは真面目くさった顔でエルヴィン団長へと向き直る。
「簡単じゃありません」
正直に言う。
「昔の技術者の資料、
国が隠し持ってた資料は、既に色々な手を使ってかき集めた。でもそれだけでは到底足りない」
ジラの顔が目に浮かぶ。
楽しそうに、話した展望。
「外と張り合うためには、外の技術が必要だ。
でも、正面切って戦ったら、潰されて終わる」
「だから――
盗む。
引き抜く。
騙す。
裏切らせる」
言葉が、あの日のジラをなぞるように滑る。
「ここにいる技術者たちは、その再現のために匿われた」
その一部が、ここに座っている。
「調査兵団は、これからも巨人と戦うだろう。
でも、これからはその先の『情報』を得るための場所に変わる」
エルヴィンの口元が、僅かに持ち上がった。
「巨人の戦い方だけじゃねぇ。
向こうの兵器の性能。
戦場の地形。
敵の動員の仕方。
非戦闘員の扱い」
一つ一つ、積み上げる。
「全部、数字にして、記録して、
ここの連中に渡す」
技術屋たちの目が、光を宿す。
「そうして初めて、
巨人と並ぶ『別の力』が、この島にも生まれる」
◇
「それまでの間は、巨人の力を借りる」
繰り返す。
「俺は、選んだ」
自分の胸を拳で一度叩く。
「この汚れた現実を知った上で、
その汚れごと背負って先に行く道を」
あの日、ジラに「途中で折れるな」と言った自分の声が蘇る。
「ここにいる連中は、今、全員、背負った。
壁の外の真実を。
今俺たちが成すべきことを」
視線が、ライナーで止まる。
彼の顔には、誰より濃い影が落ちている。
「全部を抱えたまま、前に進むしかねぇ」
喉の熱が、もう痛みじゃなくなっていた。
「人の力は、果てがない」
ジラがよく言う台詞だ。
自分の言葉みたいに、噛みしめて吐き出す。
「技術ってのは、発展し続ける。
一方向に、止まらない。
外の連中が巨人を殺す力を伸ばしてるなら――」
拳を握り締める。
「俺達は、巨人に頼らない力を伸ばすしかない」
「引きこもってるだけじゃ、押し潰される」
一言ずつ、叩き込む。
「このまま飛び出したら、踏み潰されて終わりだ」
エレンの喉が、ごくりと鳴る。
ユミルが、指を握る。
エルヴィンの目が、重さを増す。
「だから、手に入れる。
巨人の力で、外の目を逸らしながら。
その間に、ここにいる全員で、
技術と情報をかき集めて、
新しい『力』を作る」
その「間」の中に、誰かの死も確実に入っている。
もう分かり切っている。
だからこそ――言える。
「未来は――」
言葉が喉で燃える。
「ここにいるお前らの手に、かかってる」
ゆっくりと見渡す。
「調査兵団」
エルヴィンと目が合う。
「中央憲兵」
制服の列が揺れる。
「技術者たち」
震えていた手が、静かに握り直される。
「突出した才能を持つ者」
「マーレ出身者」
ライナーが顔を上げ、ベルトルトが目を閉じ、アニの指が微かに動く。
エレンの目が、こちらを捉えて離さない。
「俺達が、ただの『巨人になる種族』で終わるか。
それとも、『人』として世界に立つか」
息を飲む音が、重なった。
「その境目に、俺達は立ってる」
自分自身にも聞かせる。
「心臓を捧げるのは、巨人にでも、王政にでもねぇ」
一拍置いて、静かに続ける。
「――俺達自身の未来に、だ」
◇
誰かが、小さく息を吐いた。
静寂の後、
最初に動いたのは、エルヴィンだった。
右拳を胸に当てる。
迷いのない動作。
「調査兵団は――」
低い声が、広間に落ちる。
「人類の自由のために存在する。
その前提が覆されたのなら、
我々は『自由』の意味を、もう一度定め直さねばならないようだ」
その瞳は、燃えている。
「貴殿の言葉が真実であるかどうか、
必ず、検証しよう」
それは宣戦布告にも似ていた。
外の世界に対して。
そして、今ここで新しく描かれようとしている『未来』に対して。
ライナーは何も言わない。深く目を閉じた。
ベルトルトの肩の力が少し抜ける。
アニは視線を伏せたまま、小さくひとつだけ俯いた。
リヴァイが、鼻で笑う。
「……話はわかった」
つまらなそうに言いながら、その実、目は死んでいない。
「要するに、地獄が続くから、
もう一段階クソな地獄を作るって話だろ」
「はい」
リヴァイは口の端をわずかに上げた。
「なら、せいぜい派手にやれよ。
中途半端に死なれたら、後始末が面倒だ」
その言葉が、妙に嬉しいと思ってしまった自分に気づいて、苦笑したくなった。
◇
ざわめきが、次第に「覚悟」の色を帯びていく。
ここにいる全員が、今日この瞬間から、もとには戻れない。
あの静かな訓練兵の頃にも、
何も知らなかった兵士見習いの頃にも。
――それでいい。
台の上から一歩下りる。
台の影にいたジラと目が合う。
「……どうだった」
心臓は鳴ったまま。手がまだ少し震えた。
ジラは笑った。
「最高だったわ」
「お前の台本だろ」
そう返すと、ジラは首を横に振った。
「台本だけじゃ、人は動かない」
ジラの瞳が、こちらを刺す。
「動かしたのは、あなたの覚悟」
胸の奥で、何かが笑った。
「……だったら、お前もちゃんと動けよ」
低く告げる。
「途中で逃げるな。
途中で折れるな。
――俺を言い訳に使うな」
ジラの口元が、ほんの少しだけ歪む。
「えぇ」
そう言うと、ジラは肩を震わせて笑った。
「しないわよ。そんなこと」
地下の空洞では、まだざわめきが続いている。
人の声。
泣き声。
笑い声。
怒鳴り声。
全部まとめて、未来の音に変わっていく。
俺は、もう一度だけ、台の上に視線を戻した。
ここが、出発点だ。