「……ってことは、なんだ」
空気の色が変わったのが、耳より先に分かった。
エレンの声だ。
少し落ち着いて、ライナー達が呼ばれたやつの立ち位置でも理解したか。
「お前らが……」
怒りってより、困惑が先に伝わる。
「お前らが、壁を壊した巨人ってことか!?」
地下の空洞に声が響き渡る。
「今まで、騙してたってことかよ!!」
叫びが、天井にぶつかって跳ね返る。
俺は無意識に舌打ちを飲み込んだ。
――そりゃそうなるよな。
足をエレンへと向ける。
ジラに一瞬目をやると、少し微笑まれた。
――任せたわよ。
はいはい。俺がやればいいんだろ。
エレンがライナー達のほうへ詰める。
早口で言葉を並べて、途中で噛んで、怒りと困惑で顔をぐしゃぐしゃにして。
「……だからなんだよ。人殺しだろ!俺らの敵はこいつらなんじゃねぇのか!?」
あーどうすりゃいい。これ。
ライナーは答えずに、ただ表情を固めて俯く。
ベルトルトの肩が、目に見えてびくっと揺れた。
アニは表情変わんねぇけど、指先にだけ力が入ったのが見えた。
ユミルは緩く体勢を崩したまま、舌打ち混じりに息を吐いた。
「……おーい、でけぇ声出すなよ、耳キンキンする」
言い方はふざけてるのに、空気は読んでる。ちゃっかりしてるな。
ただ、それでもエレンは、ライナー達を睨みつけたままだ。
「答えろよ、ライナー!」
「……エレン」
ライナーの喉が、乾いた音を立てる。
俺は足を止めた。
これは1回出させ切った方がいい。
「お前らが……俺の家、ぶっ壊したんだろ」
エレンの拳が震えてる。
殴る寸前、ってほどじゃないけど、今誰かが一言余計なこと言えば、確実に飛ぶ。
「黙ってたのかって聞いてんだよ!」
エレンが吐き出す。
「何年も、同じ飯食って、同じ訓練して! 笑ってたよな!? なんでだよ!」
ベルトルトが顔を歪める。視線が床を泳ぐ。
ライナーは、歯を食いしばったまま、かろうじて声を絞り出した。
「……そうだ。それが、必要な状況だった」
声、低っけぇな。
エレンが一瞬だけ詰まる。
「状況とか知らねぇよ!」
即座に吠え返す。
「俺の母さん、喰われたんだぞ! 全部、お前らのせいだろ!」
同期はだいたい知ってる。
だから駆逐するために調査兵団行くんだろ。
さんざん喚きを聞いた後、俺は足を踏み出す。
「……お前な」
口を開く。
もう大体言い尽くしただろ。
声が届く位置で止まる。
「さっきの話聞いてなかったのか?
頭、鶏かよ」
エレンが「は?」って顔で俺を見る。
こっち見るな。今お前の視線くっそ重いんだよ。
見回す。
ユミルがめんどくさそうに俺をチラ見る。
ライナーはあからさまに嫌そうな顔。
ベルトルトは気まずそうにしてるし、アニは……あぁ、見るのをやめた。
知るか。
「壁、壊したのはこいつらだ」
ライナー達を顎でしゃくる。
「それは変わんねぇ。
お前の家も、壁の中が散々な目に遭ったのも、こいつらのせいだ」
「じゃあ――」
エレンが食いかけてくる前に続ける。
「でもそこで止めたら、なんも変わんねぇんだよ」
地下の空洞にさっきの言葉が残ってる。
エルディア人。
マーレ。
外の世界。
全部聞いた後で、「全部お前らが悪い」で終われるなら、それはそれで幸せだ。
「お前、いつも言ってたよな」
俺はエレンをまっすぐ見る。
「自由のために戦うとかなんとか」
エレンがギロッと睨み返す。
「こいつらは、自分の人類を守るためにここ来てたってだけだ。自由なんてねぇんだよ」
「そんなわけ――」
エレンが噛みつく。
「今のエルディア人に、自由なんてねぇ」
言葉を被せる。
「誤魔化しようがねぇくらいの話だって、さっき散々説明したろ」
外の人間から見りゃ、俺らは「悪魔の末裔」。
その「悪魔の末裔」の中の一部が、さらに「戦士」とか名乗って、壁ぶっ壊してる。
そこに自由なんて一ミリもねぇ。
あるのは、だれがどの地獄を選んだかって話だけだ。
エレンが、息を荒くしながら俺を睨む。
「じゃあ、笑って許せってのかよ」
「誰もそんなこと言ってねぇ」
鼻で笑う。
「殴りたいなら殴ればいいし、殺したきゃ勝手にやればいい」
ユミルが「おいおい」って顔する。
ライナー達は、目の前の「殴られるかもしれない現実」に表情を固くしてる。
俺は続ける。
「ただ、今ここで殴ってスッキリしても――」
巨人は消えない。
外の世界の兵器も止まらない。
マーレは、エレンの母親の名前すら、知らない。
「……世界のほうは、何一つ変わんねぇぞ」
エレンの喉が、ごくりと鳴った。
拳はまだ震えてる。でも、一歩分だけ、足が止まった。
◇
空気が、少しだけ緩む。
その隙を逃さないみたいに、ユミルが口を挟んだ。
「ま、騙してたのは事実だろ」
わざとらしく、嘲りを入れる。
俺はでかい溜息をひとつ吐いて、肩をわざとらしくすくめた。
「色々思うとこはあると思うが」
壁にもたれて腕を組みながら、全員をざっと見る。
「全部、ジラのせいってことにでもしておけ」
一瞬、空気が固まった。
次の瞬間、ユミルが吹き出す。
「ははっ、そうだな! 全部ジラのせい!」
手をひらひらさせて、悪ふざけみたいな声で続ける。
「巨人も外の国も、壁壊したのも、誰が死んだも生きてるも、
ぜーんぶジラのせいってな」
「さすがにそれは無理が……」
ベルトルトが控えめに突っ込む。
俺は鼻で笑った。
「それでいい。それくらい押し付けておけ」
「はぁ……?」
エレンが眉を寄せる。
毒気を抜かれた、って顔。
アニが軽い声を出す。
「……いいね。乗った。ジラが悪い」
目は笑ってない。
「……あぁ。ジラは悪いやつだ」
ライナーまで、小さく呟いた。
重てぇ顔のまま。
俺はまだ分かってねぇエレンに目を向ける。
「……本当は違うって、全員分かってんだ」
エレンを見て、俺は肩を竦める。
「分かってても、今だけはそう思っとけ。
誰も文句言わねぇよ」
エレンが少し目を伏せて、ぼそっと言う。
「……確かに?」
ベルトルトがぽつりと漏らした。
「責任を押し付ける先にしろ、ってことか」
「そういうことだ」
「責任の押し付け先が、自分から怪物になりに行ってるやつなら、罪悪感も何もねぇだろ」
口に出しながら、胸の奥がほんの少しだけざわっとする。
――怪物、な。
「違う」
ライナーがそこで口を挟んだ。
声が擦れてる。
ただ、罪悪感で潰れかけてる男の声。
「……全部、俺のせいだ」
「……」
エレンの喉が鳴る。
ライナーの低い声が続く。
「お前の母親も、故郷も。
それに……壁の中で死んだ連中も、今死んでいってる奴らも」
拳を握る音が聞こえそうだ。
ベルトルトが横で眉を歪め、アニはほんの少しだけ目を伏せる。
「全部、俺のせいだ」
ライナーの言葉に俺は首を振る。
「別に、罪悪感を奪いたいわけじゃねぇ」
ライナーの視線が、こっちを刺す。
「お前がやったことは、お前のだ。
それはそれで背負い続けろよ」
そうじゃなきゃ、バランス取れねぇ。
「でも――」
俺は顎で、広間の方をしゃくった。
中央憲兵の奴らがいつの間にか、広場から人を移動させていた。
残ってるのは俺らと、ジラと、調査兵団の二人だけ。
「ここから先の地獄は、ジラが選んで作ってる地獄だ」
「外の国も、巨人も、エルディア人って言葉も、
全部もうそこにある」
喉の奥が熱くなる。
自分で言ってて、さっきの演説の続きみたいでムカつく。
「何をどう使うか決めてんのは、ジラだ。
あいつが、じゃあこうするって選んだ道の上に、俺らは今から乗っかる」
「今までの分は、ライナー。お前のでいい。
でも、これから先の分は、ジラの選択に乗る俺達の責任だ」
エレンはしばらく黙ってたが、やがて、ゆっくり息を吐き出した。
「……よく分かんねぇ」
「だろうな」
理解なんか、一度でできる話じゃねぇ。
また1度、静まりかえる。
遠くでジラの楽しそうな声が聞こえる。
……何話してんだよあいつ。
◇
沈黙を、アニの声が切った。
「……で」
目だけで軽くエレンを見やる。
「そのジラがさ。
なんでエレンを呼んだか、誰か知ってる?」
エレンが一瞬「は?」って顔をする。
ライナーたちの目が、僅かに鋭くなる。
あー……そこ、言ってなかったか。
ライナーが、エレンを真っ直ぐ見た。
「エレン。お前、本当に何も知らねぇのか」
「は?」
「巨人になる条件とか、血の話とか。
誰かから何か聞かされてたりしねぇのか?」
エレンは即座に噛みつく。
「聞いてたら、さっきみてぇな顔してねぇだろ!」
怒鳴りながらも、自分で分かってる。
さっきのあいつの驚き方は、演技じゃねぇ。
「俺はただ、巨人ぶっ殺したいだけだ!」
エレンは乱暴に胸を叩いた。
「外の国の名前も知らねぇし、
エルディア人だのマーレだのも、さっき初めて聞いた!」
それ自体は、本当の声だ。
ベルトルトがエレンをじっと見てから、小さく漏らす。
「……嘘をついてるようには、見えない」
「あたしも」
アニが足す。
「エレン、演技下手だし」
「おい」
本人がちょっとムッとする。
反論できねぇ顔してんだから仕方ねぇだろ。
「ジラに何か、言われてないの?」
アニが、さらに追い打ちをかける。
エレンは少し黙った。
黙ってから、ぶっきらぼうに口を開く。
「必要な人、とは言われた」
「他には?」
ライナーが低く促す。
「巨人を駆逐したいなら、
見える敵だけ見てても足りねぇ、とか」
エレンの眉が寄る。
「あと、手がかりかもしれねぇ、って」
ライナーとベルトルトの視線が、さらにエレンに集まる。
――めんどくせぇ。
俺は露骨に息を吐いた。
「……やめとけよ、お前ら」
「何がだ」
ライナーが刺すような目をする。
「今ここでエレンさらって帰ったら任務達成できるんじゃねぇか、って顔だよ」
出口ちらちら見やがって。
ジラがそれ許すとでも思ってんのか?
部屋の空気が、わずかに刺々しくなる。
ライナーの肩がぴくっと動く。
ベルトルトは目を逸らした。
エレンはその空気を肌で感じて、牙を剥きかける。
「落ち着け」
1歩エレンの前に出る。
「それが悪手だってことくらい、分かってんだろ」
ライナーの拳がきしむ。
「……分かってる」
歯ぁ食いしばった声が、それ以上を飲み込んだ。
また、誰も喋らない。
遠くから、またジラの声が漏れてくる。
「……楽しい」「……希望」「……死ぬ」「……使う」
ロクなこと話してねぇな?
「夢とかは?」
アニが淡々と蒸し返す。
「変な夢見たりとか。誰かの記憶見たりとか」
「あぁ、やっぱあれ、そういう事なのかよ……」
ユミルがぼやく。
その顔は冗談半分、諦め半分。
ライナーとベルトルトの顔が沈む。
エレンはそれに気付かずに、ただ腕を組んだ。
「変な夢くらい誰だって見るだろ。
巨人ぶん殴ってる夢とか、
壁ぶっ壊してるやつ逆にぶっ飛ばす夢とか」
アニはしばらくエレンを見つめてから、溜息をついた。
「……そういう事じゃない」
「じゃあどんな――」
「もうやめろ」
ユミルが、どさっとその場に座り込む。
「難しい話は、もう腹いっぱいだ」
その言い方が妙に本音っぽくて、ちょっとだけ笑いそうになった。
「……ユミル、お前は?」
エレンがふと問う。
「巨人になれるんだろ。
さっきの話だと、お前も外の側だ」
ユミルは、床に座ったまま笑った。
「外から来たのは本当だ。
でも、あたしは巻き込まれただけだっつーの」
「その名前で?」
アニの言葉で、空気が一瞬ピリつく。
俺は肩を竦める。
「ジラのことだ。
何かしらお前らを集めた狙いはあるんだろ」
ライナーが、そこで初めて俺を見た。
「フロック。お前は……どこまで知ってる」
「さっき喋った分がほぼ全部だ」
納得してない顔だ。
ライナーは重々しく口を開く。
「お前はジラのなんなんだ」
ジラに最初に捕まったときが、頭をよぎる。
夜中の手紙。壁の影。甘えてるって言われたこと。
世界の敵になって。
私だけの味方でいて。
……言いたくねぇなぁ、これ。
でも、ここで黙ると、また要らねぇ考え持たれるんだろ。
一緒くたに見られるのも気に食わねぇ。
「……俺は」
拳を握り直す。
ジラの喉の感触を思い出した。
「俺は、ジラ殺すために動いてる」
エレンの目が丸くなる。
「はぁ!?」
ユミルが吹き出した。
ライナーは息を止める。
ベルトルトとアニは、何故か逆に「やっぱり」みたいな顔をした。
「いや、訳わかんねぇよ!」
エレンが両手を振る。
「ジラを殺すって、お前さっきまであいつの計画だの未来だのなんだの……!」
「矛盾はしてねぇよ」
俺は肩をすくめる。
「必要なら殺すって話だ」
喉の奥が熱い。
あの日、ジラの首を握った指の感触が、また蘇る。
「途中で折れたり逃げたら、俺が殺すって、
ジラと約束してる」
ユミルの目がぎらっと光る。
「クソ重いな。浮気じゃねぇのこれ」
横からアニがさらっと乗る。
「あぁ、ジャン。そういえば居ないね」
「黙れ。それは今関係ないだろ」
即座に遮った。
ここはあいつの出る場所じゃねぇ。
関係ないとこまで出張ってくんな。イラつく。
空洞の端から、かすかに声が聞こえる。
エルヴィン団長の落ち着いた声と、それに返すジラの、どこか楽しそうな声。
リヴァイ兵長の舌打ち混じりの短い言葉。
あれは、
……まだ終わりそうにねぇな。