私は街路を歩いていた。
石畳は乾いている。乾いているから足音だけがやたらと響く。
さっきの、驚いて固まったジャンの顔を思い出す。
口が半開きで、世界が一瞬止まったみたいな間。
……面白かった。少しだけ。
ジャンの地元だとは知っていたけれど、会う確率なんてほとんどないと思っていたのに。
世界はときどき、妙に律儀に偶然を届けてくる。
私は偶然が嫌いじゃない。
思い通りに全てが進むなんてつまらないから。
私の少し前を歩く背の高い男が、瓦礫を踏まないように足を運んだ。
――ケニー・アッカーマン。
彼は、振り返らないまま口を開いた。
「知り合いか?」
「訓練兵団の同期です」
嘘は必要ない。
この人には分かる。
分かる人には、余計な飾りはただの邪魔だ。
「そうか。言い訳くらいは考えておくんだな」
少し間を置いて、鼻で笑う。
「……って、お前さんには言うまでもないか」
私は軽く微笑んだ。
返事の角度だけ整える。甘くしない。
むしろ素を出していく。
この人は、媚びる声に反応しないから。
「そんなことありません。ご忠告ありがとうございます」
ジャンの驚いた顔がまだ残っている。
そのせいで、今の私は少し機嫌がいい。その声をそのまま出す。
ケニーが意外そうに、ちらっとだけ私を見た。
目が合う。ほんの一瞬で、すぐ視線が戻る。
「とてもじゃないが、自分から家を爆破してくれって言うお嬢様にゃあ、見えないな」
「受けてくれてありがとうございました」
ケニーは軽く笑う。乾いた笑い。
私は微笑みを返す。
この人は私と少し似ていた。
私は、私の為に世界を変えると決めた。
この人も、自分のために足掻いている。
私にとってあの屋敷は足枷だった。
そして、この人と会えたのは幸運だった。
「恩の為にも、一生懸命働きますね!」
明るく言う。
恩は本当だ。屋敷もそうだけれど、
彼がいなければ私は訓練兵になれていたかすら怪しい。
ケニーは小さく息を吐く。
「ほどほどでいいんだよ。
国も面倒な仕事投げやがる」
道はだんだん狭く、暗くなっていく。
崩れた壁の隙間から冷たい風が抜ける。
はじめて来る場所なのに、ケニーは迷わない。
「来たことあるんですか?」
「ねぇよ。どこもこんなもんだろ」
そう言って瓦礫を足で避け、ひとつの古いドアの前で止まった。
ドアの塗装は剥げている。取っ手は新しい。
新しい取っ手は、最近誰かがここに出入りした証拠だ。
ケニーが顎で示す。
「あとは任せるぞ」
「はい。護衛だけ頼みますね」
護衛、と言う。
護衛の必要なお嬢様を演じるために。
私はノックをする。
軽く、間隔を揃えて。
礼儀正しい。押しが弱い。でも退かない。
育ちの良さと我儘が同居するように。
この場で私がひとりだと、相手は構える。
背後にケニーが立つと、相手は別の意味で構える。
構えれば、動きが読みやすい。
中で足音がして、少ししてから鍵が外れる音がした。
扉が少しだけ開く。
出てきたのは一般人。
痩せた男。髪はぼさぼさ。目の下が黒い。指先にインクの染み。
研究者の匂い。金も時間も燃やしてる人。
――私は、無垢なお嬢様。
護衛を連れてわがままを押し通してきた、珍しいもの好きな少女。
笑顔は柔らかく。目は大きく。声は少し高く。
相手が断れない形で、相手の善意を叩く。
「初めまして!」
私は一歩だけ踏み出す。
距離を詰めすぎない。逃げ道を残す。
逃げ道がある相手は、踏み込まれても怖がらない。
「あなたの研究に興味があって来ました!」
相手の目がわずかに動く。
研究という言葉に反応する。
誇りと焦りが混ざった動き。いい反応だ。
「ぜひ、協力させて欲しいのです!」
最後は、少しだけ手を胸に当てる。
祈りの形。
祈りは、無害に見える。無害に見えるものが一番危ないのに。
相手の目が一度だけケニーに泳いだ。
ケニーが欠伸を噛み殺す。
「俺は護衛だよ。なんなら外で待ってるか?」
男は戸惑いながらも、ドアをもう少しだけ開いた。
歓迎じゃない。拒絶でもない。
――揺れている。
揺れは、こちらの勝ちだった。
「――中でお話、いいですか?」