壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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50.ジャン視点

 

目を開けた瞬間、胸の奥がひゅっと縮む。

知らない天井だった。

 

見慣れた隊舎の木の梁も、実家のぼろい板張りもない。白とも灰色ともつかない、のっぺりした天井がじわっと視界を埋める。

 

――どこだ、ここ。

 

 

「おはよう、ジャン」

 

落ち着いた声がして、反射でそっちを向いた。

 

「……アルミン?」

 

視界に入った金髪に、一瞬だけ安心しかける。

けどすぐ、その安心した自分に腹が立った。

 

なんでお前がいる。

 

俺は――家で寝てた、はずだ。

 

ジラを追っかけて、見失って。ミカサと一緒にエレンを追って、そっちも見失って。

 

隊舎に戻ったら、お前はいなかった。

 

どうしようもなくて、そのまま解散して、俺は実家に帰って――。

 

そこまで思い出したところで、首の後ろがじくっと疼いた。

 

 

違う。

一回起きた。

 

喉が渇いて、水を飲もうとして、……その後が、ない。

 

「……っ」

 

反射で手を上げようとして、ジャラッ、と耳に嫌な音が刺さった。鉄の擦れる音。手首に、冷たい感触。

 

見下ろすと、両手首に鉄の輪。

鎖が繋がってて、ベッドの柱にぐるりと回されてる。

 

……何が起こってんだ。

 

アルミンはベッド脇の椅子に座っていた。俺の顔を一度だけじっと見て、ほんの一瞬だけ、眉を下げる。謝る前みたいな、責められる前みたいな顔。

 

けど、その目の奥は妙に澄んでいた。覚悟を決めた人間の目だ。

 

すぐに、その表情を消して、いつもの真面目なアルミンの顔に戻る。

 

「ジャン。君は……」

 

一拍、置く。わざとらしいくらいに。

 

 

「――洗脳されてるんだ」

 

頭の中で、音が止まった。

背骨の内側を、冷たいものがぞわっと這い上がる。

 

洗脳。

 

アルミンの声だけが、やけにはっきり聞こえる。

 

「は?……アルミン、何言って」

俺は軽く声に出す。震えてなんかねぇ。

 

アルミンは態度を変えない。

 

 

「ジラは、そういうことをする人だ」

 

さらっと続けられて、喉が鳴った。

否定の言葉が、すぐには出てこない。

 

 

「ジャンも分かるよね?」

 

アルミンの目が、真っ直ぐこっちを見る。

真剣で、苦しそうで、でも、どこか冷静だ。

 

洗脳。人を操るってことか?

 

ジラは、人の扱いが上手ぇ。それは認める。

 

でも。

――俺の好きな気持ちまで、あいつの手口みたいな扱いすんなよ。

 

胸の中で、何かがギリッと鳴る。

 

 

「……んな、わけねぇだろ」

 

やっと出た声は、自分でも分かるくらい震えてた。否定なのに、弱い。余計に腹が立つ。

 

アルミンはすぐには反論しない。少しだけ視線を落として、それから声を落とす。

 

 

「……よく考えてみて?」

 

その言い方が、妙に優しいのが腹立つ。

 

「ジャンは元々、ミカサが好きだったよね」

 

胸の奥がひやっと冷えた。

やめろ。そこでミカサを出すな。

 

 

「あれは、……憧れだっただけだ」

 

気まずげに噛み付く。

なんでみんな知ってんだよ。

 

アルミンは頷きもしないで、淡々と続ける。

 

 

「確かに、見た目はどこか似てるんだ」

 

「――似てねぇよ」

 

否定した。

自分でも驚くくらい、すぐ出た。

 

「目と髪が黒いくらいだ。中身、全然違ぇだろ」

 

ミカサは、真っ直ぐ過ぎるし、何もかも強い。

ジラは、笑って誤魔化して、全部飲み込む奴。でもあれは強いんじゃねぇ、あれは……。

 

 

似てるわけ、ない。

俺は自然と目を伏せた。

 

アルミンは俺の言葉を否定しない。

また外側だけ柔らかくした言葉が、降ってくる。

 

 

「……ジラは錯覚を、利用したんだ」

 

静かに告げる声。

 

「ジャンが自分を好きになるように。

 ミカサへの気持ちと混ざるように。そう仕向けた」

 

俺はアルミンへと視線を戻す。

 

アルミンの目は、ゆっくりと俺から外れた。

表情は苦しそうなのに、その視線だけは刺すみたいに冷たい。

 

 

「ジャンはその、……遊ばれてるんだよ」

 

 

喉の奥で、なにかが切れた。

 

「は?」

 

ひきつった声が出る。

 

遊ばれてる?

俺が?

 

 

「ジラは、人の痛いところを見つけるのが上手い。

 傷つけるのが楽しいんだ」

 

アルミンは、あくまで分析するみたいな調子で続ける。

 

「タチが悪いのは、その後だよ」

 

「聞いたことない?

 君にだけ。誰にも言わない。秘密。みたいな言葉」

 

――二人だけの秘密。

 

 

「そういった甘さを向けて、傷だらけの人の心に滑り込む」

 

 

心臓が、ぎくりと跳ねた。

 

あの時のジラの笑いが、鮮明に浮かぶ。

喉の奥でくすっと笑う、あの声。

 

そうだ。あれが最初だ。

 

 

違う。

 

 

ジラは言ってた。

 

――惚れてくれたら、いいように使ってやろうって、そう思ってた。

 

俺はもう知ってる。

最初は、……そうだ。遊びだったのかもしれない。

 

でも。

 

――今は、違うから。

――私、人を好きになったの、ジャンが初めて。

 

触れていた手の体温を思い出す。

 

……あれが嘘なわけ、あるかよ。

 

 

「遊ばれてたのかどうかくらい、

 俺が一番分かってる」

 

言いながら、無意識に手首に力が入る。

鎖がギチッ、と鳴った。

アルミンを睨みつける。

こいつは何がしたいんだ。

 

 

アルミンはただ、視線を落とした。

 

「貴方だけ。君にしかできない」

 

ぽつりと落とすみたいに言葉をこぼしてから、続ける。

 

「ジラがそう言った言葉を向ける相手って、ジャンだけじゃないんだよ」

 

「誰だよ」

 

反射で噛み付く。

 

「……フロックか?」

 

名前が勝手に口から出た。

 

アルミンは目を伏せたまま、それを肯定とも否定ともつかない沈黙で受け止める。

その沈黙が、答えと言っているように聞こえて腹が立った。

 

 

「ジラは今頃フロックと……」

 

そこでアルミンは言葉を切った。言いかけた言葉を飲み込むように、奥歯を噛む。

 

 

勝手に頭の中に浮かぶ。

 

ジラが、あの剣呑な笑みをフロックに向けている姿。

俺の知らない顔で。俺なんか知らないって顔で。

もしかしたら俺に向けてた目を、そのまま――。

 

 

頭に血が上る。

 

違う。違うだろ。

 

 

錯覚でも、洗脳でもない。そんな馬鹿げた話、あるわけがない。あいつが笑った顔も、からかう声も、真剣に俺を見つめた目も、全部、全部――。

 

だったら何だ。全部仕組まれてたって言うのか。

 

俺が勝手に好きになったんじゃないってのか。

 

 

……違う。

最初がどうだろうと、選ぶって決めたのは俺だ。

 

 

「……適当なこと言ってからかってんのか?」

 

自分でも驚くほど低い声が出た。

喉が焼けてるみたいに熱い。

 

鎖がまた音を立てる。外せるか試す。びくともしない。

 

 

「……ごめん。今君に逃げられると困るんだ」

 

アルミンが淡々と言葉にする。外すつもりはないらしい。

 

「……困る?」

 

思考がうまく回らない。怒りと混乱と、鎖の冷たさが、頭の中をごちゃごちゃにかき混ぜていく。

 

 

アルミンがゆっくり息を吸い込む。何かを覚悟するみたいに背筋を伸ばした。

 

「詳しいことは言えない」

 

真っ直ぐ、俺を見る。

 

「今はここに居てくれないか」

 

その声音には、押しつける力も、命令の硬さもない。ただ必死だった。頼み込むような、それでいて引く気はないと告げる固さが混じっている。

 

 

「最悪ジラを信じたままでもいい。

 ジラを死なせたくはないだろう?」

 

胸がぎゅっと締め付けられた。

 

反射的に、当たり前だ、と叫びそうになる。

でも、その瞬間、さっきの言葉が脳裏に蘇る。

 

 

――ジャンだけじゃないんだよ。

 

ジラはフロックと、今、二人なのか……?

 

 

ぐちゃぐちゃだ。

 

何を信じればいい。自分の感情か。アルミンの理屈か。

 

 

しばらく声を出せない。

 

ジラとフロック。

 

アルミンはなんで動いてる?

エレン関係か?

 

ジラと同じ方向に消えた。

ミカサは追ってた。だから俺と同じだ。知らないはずだろ。

 

 

 

エレンを見失って、訓練兵団に戻った時のことを不意に思い出した。

 

――ユミルどこに行ったか知らない?

――一緒に帰るって言ってたのに。

 

クリスタが不安そうに、そう話してた。

 

 

タイミングが良すぎる。

あのクリスタ馬鹿のユミルが、クリスタに何も言わないで消える?有り得ない。

 

きっとユミルもだ。

 

 

他……あーくそ。分かんねぇ。

ジラ、フロック、エレン、ユミル。

なんなんだよこの人選。何も結びつかねぇ。

 

 

アルミンは静かに窓の外へと目を向ける。話し出す気配がない。

 

何を言うか、何を聞くか。

 

躊躇っていたら。

足音が聞こえた。すぐにドアが開く。

 

 

「おい坊主。……って起きたのか」

 

 

見た事ねぇおっさん。

長いコート。つばの深い帽子。

 

「へぇ……起きてるとこ見るのは初めてだな?」

 

バカにしたような声でニヤケながら、そいつは部屋に入ってくる。

 

「……誰だよ」

 

喉が焼けてるのに、声は勝手に荒くなる。

 

男は肩をすくめた。

 

「ケニーだ。ただのケニー。

 まぁ、お前をここに攫ってきたヤツだな」

 

「……は?」

 

意味を理解するのに、数秒かかった。

理解した瞬間、血が一気に頭に上る。

 

 

「てめぇが……!」

 

体勢も考えずに跳ね起きようとして、鎖がギチっと鳴る。

手首の皮が引きちぎれそうに痛い。

 

ケニーと名乗った男は、鼻で笑うだけだった。

 

 

「おっとそうだった。

 あれ、終わったぞ」

 

ケニーがアルミンへと視線を向ける。

 

あれ、って何だよ。

 

アルミンは部屋の隅の椅子に座ったまま、黙って俺を見ていた。

視線が合うと、ほんの一瞬だけ眉を下げる。

 

 

「……」

 

無言で立ち上がると、俺へと近づく。

 

指が、鎖の金具に触れた。

カチャ、と乾いた音がして、鎖が外れた。

 

痺れていた感覚が一気に戻ってくる。

 

「……っ」

 

俺は反射で手首を押さえる。皮膚が少し赤く擦れていた。

 

 

目の前にいるのはアルミン。

そして、ケニーとかいう知らねぇおっさん。

 

「ふざけんなよ」

 

声が自分でも分かるくらい低い。

 

「俺をさらって、縛って、ジラが洗脳とか訳わかんねぇこと言って――」

 

 

言いながら、視線をケニーに向ける。

 

「てめぇがやったんだな?」

 

ケニーは肩をすくめた。

 

「俺はこの坊主に頼まれたことを、やっただけだぜ?」

 

「んなこと信じる訳ねぇだろ!!」

 

「いいねぇ。若いねぇ」

 

「……調子乗ってんじゃねぇ」

 

俺はベッドから降りる。

足が床に触れた瞬間、ふらつきそうになる。

 

 

そんな俺の前に、アルミンが立つ。

 

止めるためじゃない。

殴られるのを待つみたいに、ただ立った。

 

 

「ジャン」

 

名前を呼ばれて、余計に腹が立つ。

 

アルミンは一瞬だけ眉を下げる。

謝りたい顔。――でも謝らない顔。

 

「殴ってもいい」

 

ぽつりと言った。

 

「僕のこと殴って、スッキリするなら」

 

その言い方が、最悪に腹立つ。

 

「スッキリするわけねぇだろ」

 

俺は吐き捨てる。

 

「言えよ、説明しろ。

 ジラは何をやっていて、お前は俺にどうさせたいんだ?」

 

アルミンは真剣な顔で息を飲んだ後、口を開く。

 

「……詳しいことは言えない」

 

同じ一言で、血が逆流した。

 

「言えよ!」

 

「言えないんだ」

 

 

アルミン同じ言葉を、何度も言い直す。

俺のためじゃない。自分に言い聞かせてるみたいだった。

 

「ふざけんな」

 

 

俺はアルミンの胸ぐらを掴んだ。布が指に食い込む。

 

「俺を攫って鎖に繋いで、言えない、で済むかよ」

 

詰めても、アルミンは首を振らない。頷きもしない。

その隙に、怒りが戻る。

 

「言えよ。言えないなら――最初から関わらせるなよ」

 

アルミンの喉が、かすかに動いた。

 

 

「数日後に、ジラが君の家に来る」

「ジャンが動きたいように動いて」

 

――僕から言えるのはそれだけなんだ。

 

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