壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――地下に人を集めた日から数日。



52.

 

予定より、早く終わった。

 

 

「……え?」

 

自分で自分に問い返すみたいな声が出た。

 

 

「だから、お前さんがやることもう無いとよ」

 

ケニーが肩をすくめる。

 

「……でも、私がやった方がいいわよね?」

 

ケニーの言葉に、私は懐疑的に返す。

こんなに人が集まることなんてない。やることなんて山ずみのはずなのに。

 

 

「嬢ちゃんが居なくても、もう回り始めてんだよ」

 

思考が一瞬、空白になりかける。

 

ケニーはニヤつくように笑った。

あの日後回しにした疑問が頭をもたげる。

 

 

――アルミンと、何かありましたか?

――別に?

 

 

ケニーには、アルミンの隔離を頼んでいた。

エレンを1人連れ出すため。

アルミンは絶対に、地下に入れたくなかったから。

 

数時間で済むはずのケニーが帰ってきたのは、フロックの演説が始まる直前。

 

 

――もう回り始めてんだよ。

 

 

含みがあるように聞こえた。

 

分からない。

線は繋げない。そう決めてる。決めてるのに頭が勝手に繋げようとしている。

 

ケニーはアルミンと何を話した?

アルミンは何を考えてる?

何を知ってる?

 

 

そんなことより。

 

思考に雑音が混じる。

 

 

――ちょっとだけでも。時間が空けてみる。

 

 

空けられる。空けられてしまった。

ジャンに会える。

 

 

ケニーを見る。

これが罠だとしても。

 

アルミンの手のひらの上だとしても。

 

 

「――じゃあ、少しだけ、抜けますね」

 

 

ここに、今。

私はもう、いらない。

 

 

そんなわけは無い。私がいないと……。

 

違う。

私の代わりは、いくらでもいる。

エルヴィン団長も、フロックも。もう私の代わりを担える。

 

 

――ごめんなさい。時間取れなかった。

 

 

私は時間を空けることを、あの時諦めた。

私が空けないことを選んだ。

 

関係ない。

私は今、ジャンに会いたかった。

 

 

 

 

彼の家の前に立つのは、初めてだった。

 

場所自体はずっと前から知っている。

地図で確認して、道筋まで頭に入れて、迂回路もいくつか用意して。

 

でも実際に目の前に立つと、紙の上と全然違う。

 

思ったより小さい。

思ったより温かそう。

 

 

――ここにジャンが住んでる。

 

変な感じ。

 

知っているジャンの全部と、今目の前にある家が、頭の中でうまく繋がらない。

 

 

呼吸を一つ整えて、拳を握る。

扉の前に立つ。

 

コン、コン。

 

思ったより小さな音になった。

やり直したくなったところで、もう遅い。

 

中から足音。

何かが擦れる音。

ガチャ、と鍵が回る音。

 

扉が開いた。

 

 

「……」

 

ジャンが立っていた。

 

訓練兵団で見るのより、少しだけラフな服。

でも、顔はいつもより固い。

眉間に皺が寄っていて、目が、私を見てる。

 

――なんでそんな顔するの?

 

 

「……来たな」

 

「うん」

 

「……ほんとに、来やがった」

 

低く、呟くみたいに。

 

言葉に含みがある。

何があった。何をされた?

 

 

「……来ちゃった」

 

いつもの癖で、少しだけ明るく返す。

その瞬間、ジャンの眉がぴくりと動いた。

 

その反応が、嫌な予感みたいに胸に沈んだのを、私は振り払う。

 

 

女の人の声がした。

 

「あら、ジャン坊? 誰?」

 

ジャンが一瞬だけ顔を引きつらせる。

 

「母ちゃん、ちょっと外、行ってくる」

 

「なに、彼女?」

 

ジャンの背後から、ひょいっと顔を覗かれた。

 

女の人が、玄関の灯りの中にすっと入ってくる。

頬に生活の皺。手に洗い物の匂い。声の温度が、距離を詰めてくるタイプのそれ。

 

――ジャンに、近い。

――母親。

 

私は反射で背筋を伸ばした。

口角が上がる。目の形が整う。呼吸が浅くなる。

貴族の顔を、貼る。

 

「あらまぁ。かわいい子じゃない」

 

視線が私の顔をなぞる。

値踏みじゃない。警戒でもない。

ただ、「うちの玄関に立ってる子」を見てる目。

 

(……分からない)

 

彼女は駒じゃない。

こういう視線の扱い方を、私は知らない。

知らないから、完璧に微笑むしかない。

 

「いつもお世話になってます」

 

頭を下げる角度まで、教科書通り。

声も柔らかい。丁寧。間違いはない。

なのに背中に汗が伝う。

 

「あらまぁ、礼儀正しいのねぇ。ねぇジャン坊、あんた何したのよ」

 

「母ちゃん!」

 

ジャンが真っ赤になる。

怒鳴り声のくせに、どこか安心した音が混じってる。

 

女の人は笑って、私をもう一度じっと見た。

 

「あんた……貴族のお嬢様みたいだねぇ」

 

貴族。

 

何度も使われた言葉。

その後に続くのは、命令か、檻か、謝罪か。

どれも、私を人じゃないものにするためのラベルだった。

 

――これは違う。

 

この人は、笑って言ってる。

善意だ。悪気なんてない。

 

だからこそ、分からない。

 

私は笑みを崩さない。

崩せない。

でも、返事がほんの少しだけ遅れた。

 

「……そう、見えますか」

 

声は綺麗に出た。

綺麗すぎるくらいに。

 

女の人は何も気にした様子もなく、楽しそうに続ける。

 

「こういう子がうちの玄関に来るなんてねぇ。

 ジャン坊、悪いことしてないでしょうね?」

 

「してねぇよ!」

 

ジャンが慌てて言う。

 

その慌て方を見て、胸の奥がきゅっとなった。

 

 

大事にされてる。

 

口に出さなくても分かる。

この家は、ジャンをジャンのまま置いてる。

脅しも取引も条件もないまま、守ってる。

 

知らない。

知らない世界だ。

 

(……羨ましい)

 

同時に、嫌な熱が喉元まで上がる。

 

(……壊したい)

 

壊して、無くしてしまえば。

ジャンはこの知らない場所に逃げられない。

 

そういう最短ルートが、頭の中に一瞬で浮かんで――

 

私は、息を止めた。

 

違う。

それはしてはいけないこと。

考えてもダメ。

これは、絶対に嫌われる。

 

 

ジャンは母親の肩をぐいっと押して、半ば強引に扉を閉めた。

私を振り返る。

 

「外、行くぞ」

 

「……うん」

 

 

手は、伸ばしてこない。伸ばさない。

 

……眉間の皺。

口の端の硬さ。

こっちを見る目が、いつもよりずっと刺々しい。

 

(……変だ)

 

「……ジャン」

 

名を呼ぶ声は、いつも通りに出た。

いつも通り、に聞こえるはずの音で。

 

「何か……怒ってる?」

 

ジャンは答えない。

答えないまま、先に歩き出す。

 

私は一拍遅れて、その背中についていく。

 

指先だけが、ずっと冷たい。

 

 

 

家の近くの、少し開けた場所まで歩いた。

家の影が落ちないところ。

 

道端に腰かけられる低い段差。

 

ジャンは立ったまま、私は段差に軽く腰を下ろした。

視線の高さが少しだけずれる。

 

沈黙が落ちる。

 

 

「……会いに来たの、ダメだった?」

 

先に口を開いたのは私だった。

沈黙に負けた。

 

ジャンの目が、かすかに細くなる。

 

「……時間、余ったからか?」

 

「ん?」

 

「やること終わって、まだちょっと時間あるから。ついでに寄った、って感じか」

 

喉の奥が、ひゅっと縮んだ。

 

「ついでじゃないよ。……会いたかったから」

 

一拍おいて、素直に言う。

 

ジャンは笑わない。

目を逸らしもしない。

 

「……なら、なんで最初にそう言わねぇんだよ」

 

静かな声。

 

「今の、お前の言い方さ」

 

言いながら、ジャンは自分のこめかみを指で押さえた。

 

「ダメだった?って」

 

真似されると、自分の言葉が急に安っぽく聞こえた。

 

「……ごめんなさい。そういうつもりじゃ」

 

「じゃあ、どういうつもりだよ」

 

被せる声が、少しだけ強くなる。

 

「……俺に、どう言えば許されるか考えてから喋るなよ」

 

胸の中で何かがちりっと弾けた。

 

「……ごめん、なさい」

 

言葉が、喉で止まる。

 

ジャンは、ゆっくりと息を吐いた。

それでも落ち着ききれていない呼吸。

 

 

突き放される。

嫌われる。

 

なんで。

どうして。

 

――私はどうすれば、いい?

 

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