外の空気から、段々と人の気配が減っていく。
街のざわめきが遠のいていく。
ジャンの胸に顔を埋めて、その音を遠くに感じた。
泣きたくて泣いたんじゃない。
泣かされた。完全に。
喉の奥から勝手に出てきた嗚咽が、ジャンの服の布を震わせる。
胸に当たる鼓動が変に近い。
うるさいけど、落ち着く。
「……大丈夫か」
頭の上から降ってきた声は、戸惑いと、聞いたことのない柔らかさが半々に混ざっていた。
声が胸元から直接響くの、妙な感じ。
もう大丈夫。
だけど。
「……大丈夫じゃないわ」
裾をギュッと握る。離れたくないもの。
離さないで欲しい。
ジャンはしばらく黙っていた。
「……ひとつ、言っとく」
低い声だった。
私は袖で目元を押さえたまま、顔を上げる。
「何」
「俺、お前のこと尾けた」
一瞬、意味が分からなかった。
「……なんの、こと?」
「休暇前。お前が、時間取れねぇって言った日」
ジャンは気まずそうに視線を逸らした。
でも、逸らしたままにはしない。
「さっき逃げんなって言ったの、俺だろ。なのに俺だけ黙ってんの、違ぇと思った」
妙に真面目な言い方だった。
ああ、ジャンはそういうところがある。
自分が嫌だと思ったやり方を、自分だけ許せない。
「……つけてたの」
「悪かったとは思ってる」
「見つかった?」
「いや」
少しだけ間が空く。
「途中で見失った」
その言葉に、ほんの少しだけ息が抜けそうになる。
ああ、そう。
見失ったのなら、まだ。
「そのあと」
ジャンが続ける。
「ミカサに会って」
世界が、そこで止まった。
「……ミカサ?」
自分の声が、変に遠い。
「ああ。エレン追ってたみてぇで、俺も――」
「二人で?」
ジャンが、止まる。
「いや、二人きりっていうか」
でも、もうそこから先は入ってこなかった。
ミカサ。
その名前だけで、頭の中の何かが一気に裏返る。
ああ、そう。
そっちに戻ったんだ。
だって、当たり前じゃない。
最初に見ていたのは、私じゃない。
私は横から手を伸ばして、向きを変えさせただけ。
好きだと言わせたって、そんなの本物じゃない。
本物の方を前にしたら、醒めるに決まってる。
じゃあ、さっきの嫌いになるも、そういうことか。
胸の奥が、冷たくなる。
目の奥の涙が急速に引っ込んでいく。
「……そっか」
「ジラ?」
「私は同じこと、きっとまたやるわ」
ジャンの眉が寄る。
「は?」
「あなたが嫌がることも、たぶんまたやる」
自分でも、声が妙に綺麗だと思った。
泣いた後の声じゃない。
人に突きつけるための声。
「何言って――」
「嫌いになるんでしょう」
そこで、ジャンの顔がはっきり強張った。
「違――」
「じゃあ今、終わっておく方が、いいに決まってる」
言い切る。
最後まで聞かない。
聞いたら駄目。
違うと言われたら、期待してしまう。
期待したら、もっとみっともなくなる。
ジャンが肩を掴む。
顔をあげる。
必死な顔が、どこか可愛い。好き。
――でも、私のものじゃない。
「待てって。お前、話聞けよ」
「聞いてるわ」
「聞いてねぇよ!」
その声に、喉の奥が少しだけ震えた。
それでも、笑う。
泣きそうな顔のまま。
泣きそうなまま笑うのが、一番残る。
今日来た目的を唐突に思い出した。
「進路。
どこに行くか迷ってたのって、私が調査兵団に行くから、なんでしょう?」
ジャンが、目を見開く。
「……は?」
「もう、憲兵団に行けるわね」
私が嫌いなら、来る必要ないもの。
思った瞬間、自分の胸にも刃が入る。
でも止めない。
「ジラ!」
後ろへと下がる。
ジャンが腕を伸ばした。
――もう遅い。
一歩下がる。
半歩ずらす。
後ろにあった荷車の影へ滑り込む。
ちょうど同じ色の上着の女が通りを横切る。
その足音に、自分の靴音を重ねた。
私と似た服、私と似た影。走る音。
目線がズレるところを選んで走る
「待て!」
待つわけがない。
走ったら追いつけると思ったでしょう。
そういう逃げ方は、しないの。
視線が散る場所。特徴が見えなる場所。
そういうのは慣れてるから。
胸が痛い。
視界が涙で歪む。
「ジラ!!」
――少し遠くに、声がした。
嫌われる前に終わらせた。
まだ嫌われていないところで、切った。
それでいい。
それでいいのに。
曲がった先で壁に手をついて、呼吸を崩す。
全然、よくない。