壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――前話の続き。


55.ジャン視点

 

「待て!」

 

叫ぶのとほとんど同時だった。

 

ジラの肩に手が届くと思った。

一歩で。二歩で。

泣いて、足元だってふらついてたくせに。

 

なのに、指先は空を掴んだ。

 

ジラは真っ直ぐ逃げなかった。

後ろに飛ぶみたいに一歩引いて、荷車の影に体を滑らせた。

その後は、似た服、気配、走る影。

俺の目が迷う方に。

 

一瞬で選んでやがる。

 

 

「っ、クソ!」

 

追いかける。

自分の石畳を蹴る音がやけにうるさい。

 

速さで追わねぇと、撒かれる。

さっきまで泣いてた女の逃げ方かよこれが。

 

角を曲がる。

 

黒髪が見えた気がした。

そっちへ飛び込む。

違う。黒い上着の女だった。

 

舌打ちが漏れる。

 

先の分かれ道。

子供が走って横切った。

 

――走ったら追いつけると思ったでしょう。

 

言われてもいない声が、頭の中で鳴った気がした。

 

 

誰もいない。

黒髪もいない。

 

「ジラ!」

 

思わず名前を呼ぶ。

返事なんかあるわけがねぇ。

 

足を止めるな。

止めたら、そこで本当に終わる。

 

さらに走る。

角。階段。低い柵。裏口の並ぶ通り。

息が上がる。

喉が焼ける。

なのに、どこにもいない。

 

「……マジかよ」

 

ジラはいない。

 

見失った。

 

今度こそ、完全に。

 

息が荒い。

胸が上下するたび、さっきの言葉まで一緒に揺れる。

 

――私は同じこと、きっとまたやるわ。

――嫌いになるんでしょう。

――じゃあ今、終わっておく方が、いいに決まってる。

 

「ふざけんなよ……」

 

吐き捨てた声は、自分でも笑えるくらい掠れていた。

 

壁に手をつく。

冷たい。

冷たいくせに、頭の中だけぐちゃぐちゃに熱い。

 

何なんだよ、今の。

 

何ひとつ終わってねぇだろ。

まだ俺、話の途中だっただろ。

 

尾けたこと、ちゃんと言おうと思った。

黙ってるのが嫌だったから。

自分だけ逃げ道残すみたいで、気持ち悪かったから。

 

それで話した。

見失ったことも。

その後ミカサと会ったことも。

 

別に、何でもねぇ話だ。

 

本当に、何でもない。

 

なのに。

 

「ミカサ?」

 

あの一言を聞いた瞬間だった。

 

ジラの顔から、さっきまでの泣き方が全部消えた。

泣き止んだ、とかじゃねぇ。

凍った、って方が近い。

 

あそこで止まった。

そこから先、あいつ、多分何も聞いてなかった。

 

俺は説明しようとした。

二人きりっていうか、とか。

エレンを追ってて、とか。

見失って、とか。

 

でも、もう遅かった。

 

ジラの中では、そこで全部終わってた、のか?

 

 

「……何なんだよ、それ」

 

誰に向けた言葉でもない。

 

ミカサと一緒にいたら何なんだ。

あいつの中で何が繋がった。

何を見た。

 

頭の中で、さっきの泣きそうな笑い方がちらつく。

 

――進路。どこに行くか迷ってたのって、私が調査兵団に行くから、なんでしょう。

――もう、憲兵団に行けるわね。

 

そこで、今度は違う意味で頭に血が上った。

 

「ざけんな……」

 

拳を壁に叩きつける。

鈍い痛みが返る。

でも、全然足りねぇ。

 

何でそうなる。

何でそこで、勝手に話を決める。

 

俺がどこ行くか迷ってんのが、全部お前のせいだとでも思ってんのか。

……いや、全然関係ねぇとは言わねぇ。

お前が調査兵団行くって聞いて、頭がおかしくなるくらいムカついたし、怖かったし、勝手に巻き込まれに行くって思ったのも本当だ。

 

でも、それだけじゃねぇだろ。

 

それを、あんな一言で。

「もう憲兵団いけるわね」で片付けんなよ。

 

俺のことまで、勝手に整理すんな。

 

息を吐く。

全然落ち着かない。

 

さっきまで、あいつ、泣いてたんだぞ。

 

嫌われたくないって。

世界に嫌われるのはいいのに、俺には嫌われたくないって。

ぐしゃぐしゃに泣いて、俺の袖掴んで、ちゃんと頷いて。

 

あれは嘘じゃなかった。

 

そこは分かる。

分かるから、余計に腹が立つ。

 

本気で泣くくせに、

本気で傷つくくせに、

その直後には、俺の言葉を使って逃げる。

 

――嫌いになるんでしょう。

 

違うだろ。

そうじゃねぇって、言おうとしただろ。

このままなら、って言ったんだよ。

同じこと繰り返すなって。

終わらせたいわけじゃなかった。

 

 

「っ……」

 

喉の奥に何か詰まる。

怒りだ。

多分。

そうじゃなきゃ困る。

 

 

ミカサのことを、何だと思ってんだ。

俺がまだそっち見てるとでも思ってんのか。

それとも、そこまでじゃなくても、比べられたら終わる程度のもんだと思ってたのか。

 

……そっちの方が、キツい。

 

あいつの中じゃ、俺の好きはまだその程度なのかよ。

 

 

「っ、クソ……!」

 

もう一回壁を殴りかけて、やめる。

手が無駄に痛ぇだけだ。

 

代わりに髪を掻き上げて、深く息を吐く。

全然足りない。

全然整理つかない。

 

ただひとつだけ、はっきりしてる。

 

終わってねぇ。

 

あいつが勝手に決めただけだ。

俺は認めてない。

聞いてもねぇ。

頷いてもねぇ。

 

だから終わってない。

 

逃げ切ったと思うなよ。

 

胸の奥で、怒りに似た熱がじわじわ膨らむ。

悔しい。

腹が立つ。

でも、その全部の真ん中に、まだ好きだって感情が居座ってる。

 

「……俺は逃げねぇって言っただろ」

 

今さら返事なんかない場所で、呟く。

 

お前が逃げた。

本気で。

分かってる。

 

でも、それで終わりにしてたまるかよ。

 

足を動かす。

家に戻るしかない。

 

 

分かるのに、何歩か進んだところで、また振り返る。

ジラが消えた暗がり。

もう何もない。

 

それでも目が離れない。

 

 

同じだ。

俺はまた見失った。

 

 

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