壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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57.

 

休暇が終わって早々。

訓練兵団に戻ってすぐに、ジャンは私の腕を掴んだ。

 

「来い」

 

それだけ。

 

 

営舎とは逆方向。

兵舎の裏手をぐるっと回って、訓練場のさらに向こう。

人の気配が薄くなる。

 

私も、ジャンも、口を開かない。

 

石畳が土に変わる。

踏みしめる音が軽くなった辺りで、腕が離される。

 

手の圧が消えたのを、寂しく思った。

そんな関係にした。自分がそうしたのに。

 

 

ジャンが振り向いた。

 

眉間に皺が寄ってる。

その顔、好き。

 

顔が自然と緩む。

「いきなりどうしたの?

 こんなとこまで連れてきて」

 

私は緩んだ顔のまま、ジャンと話す。

 

好き。私のこと考えてる顔だ。

 

ジャンの眉間が、さらにぎゅっと寄った。

 

 

「……その顔、やめろ」

 

「なんで?」

 

微笑む。首を傾げて、ジャンを見つめる。

好き。ジャンが苦しんでる。

私のせいで。

 

ジャンの喉が、ぴくっと動いた。

 

「ジラ……」

 

低い声。

 

「今、自分がどんな顔してるのか、分かっててやってんだろ」

 

分かってる。

 

「ジャンと会えて嬉しい。って顔。ダメ?」

 

ジャンは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

 

それから、顔を上げる。

眉間の皺が、さっきよりも深い。

 

 

「……ダメに決まってんだろ」

 

「どうして?」

 

首を傾げる。

分かってる。ちゃんと、分かってる。

 

でも、止めない。

 

「私はジャンに会えて嬉しい」

 

ジャンの瞳が揺れる。

好き。大好き。

 

震える口元も、歪んだ眉も、握りしめられた手の指も全部。好き。

 

私はそのまま顔に出す。

隠してもいいことないもの。

 

 

ジャンの喉仏が、ぐっと上下した。

 

一歩、こっちに踏み出してくる。

思わず、息を飲む。

 

近い。

 

一瞬、フロックの顔がチラついた。

 

 

「……嬉しい、ねぇ」

 

ジャンは笑わない。

 

 

「じゃあ何で、あの時逃げた」

 

胸の真ん中が裂かれる気分。

来るとわかってたって衝撃は消えない。

 

「……あの時?」

 

とぼけるみたいに返すと、

ジャンの眉間がさらに寄る。

 

「惚けんな」

 

吐き捨てるみたいな声。

好き。この声も。あんまり聞けない声。

 

 

「泣いて、袖掴んで、嫌われたくねぇとか言って、その直後だぞ」

「ミカサの名前出したら、顔から全部消して。勝手に話畳んで、勝手に終わらせて」

 

喋るたび、ジャンの肩がわずかに揺れる。

怒ってる。ずっと怒ってた。

 

知ってる。

怒ってくれる。そういう所も、好き。

 

でも。

 

「それで、ジャンは何が聞きたいの?」

 

私はもうそこにはいないの。

 

胸の中を全部どこか奥に押し込んで、綺麗に畳んだ声だけを外に出す。

 

ジャンの喉が、ひくりと動いた。

 

「何が知りたい、じゃねぇよ」

「……あの時なんで逃げたか、って聞いてんだよ」

 

真正面から。

 

「嫌われたくないって泣いた直後に、なんで今終わっといた方がいいなんて言えんだよ。

 何がどう繋がったら、そうなんだよ」

 

怒鳴り声じゃない。

抑えてる。

抑えてるから、余計に刺さる。

 

胸の奥が、じわっと熱くなる。

ジャンが私を見てる。私だけを。

 

 

「――好き。好きなの。だからなのだけれど……」

 

私はまた首を傾げる。

困ったように眉根を寄せる。

 

「……言たって、きっと分からないと思う」

 

 

私が何を考えてるかなんて、ジャンに分かるわけがない。

それでもジャンが理解しないと、話は終わらない。

 

それでも聞くの?、と見上げる。

 

ジャンは眉根を寄せたまま、また1歩、私に近づく。

 

 

「……分かんねぇよ」

 

私の腕に手を伸ばす。

指先が一瞬だけ震えてた。

 

「分かんねぇから聞いてんだろ」

 

手首が、さっきより少し強く握られる。

逃げ道を塞ぐみたいに。

 

「分かろうとしてんのにだぞ」

 

喉の奥で笑いそうになってるのが分かる。全然楽しくなさそうな笑い方。

 

「お前がどうせ分かんねぇって決めて、勝手に話終わらせようとしてんだよ」

 

 

私は目線をジャンから逸らした。

手首が熱い。

 

自分の思考をまとめるには、ジャンを思考から追い出さなきゃいけないのに。

手は振り払えない。

 

理解して貰えるように、組み立てるしかない。

 

嘘はつけない。

それだと、私が終われないから。

 

 

「……人の感情って、揺らぐものなの。

 これは分かるでしょう?」

 

静かに切り出すと、ジャンの手の力がわずかに変わった気がした。

 

 

「その時は絶対って思っても、時間が経てば忘れるし、誓いだって脆くなる」

 

どれだけ強く約束した言葉だって、二年、三年。

季節がいくつか過ぎれば、薄くなる。

塗り直さなければ、剥がれていく。

 

 

「もちろん人によるわ」

 

淡々と言いながら、自分の中で事実と事象と経験を並び変えていく。

 

「人には人それぞれの性格がある」

「揺らぎやすい場所と、揺らがない芯の場所」

 

揺れやすいところは、環境や状況で簡単に引っ張れる。

私がよくやる手法。

 

けれど、どれだけ引っ張っても、誘導しても、追い詰めたってそこに戻っていくような、芯のような場所も確かに存在する。

 

 

「講義かよ」

ジャンがぼそっと零す。

 

ジャンが説明しろって言ったからしてるのに。

それでも緩まない手首に、少しだけ頬が緩む。

 

 

「思い込みと、本能の違い」

 

私はそこに線を引く。

 

 

「ジャンにとって――」

 

一度だけ、息を吸う。

私が目を背けてきた、分かってて認めてこなかったこと。

 

 

「私は揺らぎで、ミカサは本能」

 

はっきりと言い切ると、手首を掴む指先が、ぴくりと跳ねた。

 

「勝手に決めんな」

 

イラついてる。

でも、私はジャンの思考を作った。誘導した。

元々そこにいたのは、ミカサだ。

 

私が誘導を止めれば、戻るだけ。

 

 

「……私、誤魔化してなんかないわよ」

 

ゆっくりと顔を上げる。

視線が、真っ直ぐジャンの目を捉える。

 

「それでも違うって言うなら、それはジャンがそう思い込みたいの」

「嬉しいけれど、それ偽物よ?」

 

 

ジャンは、本物から目を背けてるだけ。

 

「私の方が手に入りやすいから、手を離したくないのよね」

 

私は笑う。

だって私を手に入れようとしてくれる事自体は嬉しいから。

 

 

私が逃げる理由。

――本物に怯え続けたくない。

それだけ。

 

信じてないって言われれば、そう。

私は人を信じてない。

 

でも、

――芯は変わらない。そう信じてる。

 

 

ジャンの表情が、そこで完全に変わった。

 

さっきまで眉間に寄っていた皺が、そのままぐしゃっと崩れる。

怒りとも呆れともつかない、妙な顔。

 

 

ジャンは、しばらく黙って私を見ていた。

 

目の奥に感情が溜まっていく。

怒りなのか、哀れみなのか、失望なのか。

 

全部かもしれない。

 

――どんな感情でも、ジャンに見られてると嬉しい。

 

どこかで狂ったように、そう思った。

 

 

「……っ!」

 

ぐっと手首を引き寄せられる。

身体が一歩分だけ引きずられる。

 

距離が、詰まる。近い。

 

「お前さ」

 

間近で見るジャンの目は、思っていたよりもずっと暗い色をしていた。

 

「俺のこと、舐めすぎじゃねぇ?」

 

「そんなこと」

 

「舐めてんだよ」

 

食い気味に叩きつけられる。

 

「手に入りやすいから、本物はミカサだから」

 

一つ一つ指折りするみたいに並べられる。

 

「そんな安い理屈で満足するほど、俺の気持ちが軽いと思ってんのかよ」

 

 

真剣な目を、そのまま見返す。

 

「えぇ。思ってる」

 

淡々と返した。

 

今のジャンは確かに私でいっぱい。

嬉しい。凄く。

それがどんな感情だって、今の私は満たされてる。

それでも、

 

「あなたは、私を嫌いになる」

 

私は掴まれている手に、もう片方の手を重ねる。

 

 

「だって私が、そう動かすんですもの」

 

きゅっと握る。

 

 

私は微笑む。ジャンの目を見つめる。

嬉しくて仕方がないという目をそのままに。

 

 

「私の事それでも好きって言えるなら。

 誓ってもいいわよ?」

 

 

そう言った瞬間、ジャンの目が細くなった。

睨まれてるというより、値踏みされてるみたいな目。

 

数秒だけ、何も言わない。

 

風の音と、自分の鼓動だけが耳にうるさい。

 

ジャンは鼻で小さく笑った。

全然、楽しそうじゃない。

 

 

「誓っていいとか、何様だよ」

 

掴んでる手首に、ぐっと力がこもる。

 

「そんなのに、乗るわけねぇだろ」

 

低く言い捨てる。

 

「……そう」

 

かろうじて出てきた言葉。

 

ジャンは短く息を吐いた。

 

 

「誓いとかいらねぇから言ってんだよ」

 

ジャンは眉をしかめながらも、目は逸らさない。

 

 

「今、俺はお前が好きだって、何回でも言ってやるって言ってんだ」

 

 

喉が変な音を立てた。

 

「……今は、ね」

 

そこだけ、どうしても引っかかる。

 

ジャンが露骨に嫌そうな顔をする。

 

 

「だからそこだけ拾うなって」

「しゃーねぇだろ、一生絶対とか言ったら、お前それ握りしめて殴ってくるだろ。絶対」

 

想像できて、言葉が詰まる。

 

 

「俺の逃げ道は、俺が決める」

 

ぼそっと付け足す。

 

「いつか本当に嫌いになったら、そのときはちゃんと嫌いになったって言う」

「その代わり、今みたいに好きなときは、好きだって言う」

 

「それで十分だろ」

「わざわざ誓うとか、そんな芝居いらねぇよ」

 

息が、少し震え始めているのに、自分で気づく。

 

 

「お前が、どう動くかはお前の勝手だけどな」

 

ジャンの手が、手首から少し上にずれる。

逃げ場を探しても、もうない。

 

「でも、俺がどう思うかまで、お前が決めんなよ」

 

視線が刺さる。

 

 

「嫌いになるタイミングまでお前の想像通りとか、冗談じゃねぇから」

 

「分かったか?」

 

分からない。

分からないけれど、ジャンは、私が思ってるより、私のことが好きなのかもしれない。

 

 

私はは小さく頷く。

分かったことだけを、言葉にする。

 

「……今は、好き、なのね?」

 

自分でも嫌になるくらい、子供っぽい質問。

 

ジャンは額に手を当てて、深く溜息を吐いた。

 

「……あーもう、マジでめんどくせぇな、お前」

 

それでも、ちゃんとこちらを見る。

 

「今は、好きだよ。クソ」

 

少しだけ照れて聞こえた。

 

胸の奥で何かがきしむ。

嬉しい。怖い。嬉しい。

 

「そう」

 

それしか言えなかった。

 

 

ジャンは、やっと掴んでいた手首を離した。

 

急に軽くなる。

同時に、変に寒くなる。

 

「……戻るぞ」

 

「話は終わり?」

 

思わず笑ってしまう。

ジャンも、ほんの少しだけ口元を歪めた。

 

「終わりだ、終わり」

 

 

「……ねぇ、ジャン」

 

戻りかけた足を、半歩だけ遅らせる。

 

「何だよ」

 

「私、またきっと面倒なことするわよ」

 

予告。宣言。

 

ジャンはうんざりしたように溜息を吐いた。

 

「知ってる」

 

「だからそのたびに文句言うし、止めるし、怒る」

「それでもお前が勝手にやったら、その時また喧嘩しようぜ」

 

喧嘩。

 

「……喧嘩だったのね、これ」

 

「当たり前だろ。

 お前がまた何も言わねぇで消えたら、またやるからな」

 

胸の中のどこかが、きゅっと鳴った。

 

「……頑張って嫌われなきゃね」

 

冗談めかして言う。

 

ジャンは、嫌そうに口を歪める。

 

「今すぐ、また喧嘩するか?」

 

「しないわ?」

 

嫌われたい。でも嫌わないで欲しい。

 

私の負けだ。

……嫌われたくないから。

 

嫌われる態度を、取り切れない。

いつもなら並ぶ選択肢が、浮かびすらしない。

 

 

訓練場の向こうに、兵舎の屋根が見えてくる。

 

日常のざわめきに、戻っていく。

 

 

――終わらなかった。

それが良かったのかは、分からない。

 

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