壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――数ヶ月後


62.

 

――人間は、空を飛んでいた。

 

 複数の気球が、ゆるやかに風を受け進む。

 地上では荷馬車が馬に引かれ、必要な物資を積みながら街道もない地を走っていた。

 

 巨人は上を見上げることもなく、ただ地上をうろついている。

 

 討伐しない。迂回もしない。真正面から戦わない。

 

 これまでの調査兵団ならあり得なかった進軍方法に、古参兵の何人かはいまだに慣れていない顔をしていた。

 

「……本当に、こうして来ちまったな」

 気球の縁に手をかけた兵が、独り言のように呟く。

 

「夢じゃねぇよな?」

「夢なら、もっと気持ちよく勝たせてくれるだろ」

 

 別の男が笑う。乾いた笑い声だったが、妙に震えて聞こえた。

 

 気球の反対側では、ペトラが身を乗り出して下の荷馬車を見ている。

「……なんか、変な感じですね」

「そうだな」

「もっと感動してもよくないですか?」

「感動で浮力が増すならしてやる」

 

 オルオが鼻を鳴らして口を挟む。

「チッ、まあだが……悪くねぇ景色だな」

「兵長の真似なら、似てないからやめてくれないかな」

 ペトラが即座に刺し、エルドが吹き出す。

 そのやり取りを、リヴァイは鬱陶しげに聞き流した。

 

 視線だけが、はるか前方を捉えている。

 

 見え始めていた。

 地平線の先、空と地の境に、別の色がある。

 

 訓練兵上がりの面々は、もう隠しきれないほど落ち着きを失っていた。

 

「ねぇ、あれ……エレンが言ってたのじゃない!?」

 クリスタが声を弾ませる。

 

「多分! 多分そうだろ!」

 

 エレンが食い気味に返すと、ミカサも珍しく少しだけ前のめりになる。

「……青い」

 

 ジャンが思わず声を上げた。

「川とか湖とかの大きさじゃねぇぞ、あれ」

 

「塩水なんだよな!? 本当に!?」

 エレンが半ば叫ぶように言うと、アルミンはそれに素直に頷いた。

 

「そのはず……すごい……本当に、ここまで来られたんだ……!」

 

 

 違う気球で、ライナー達は無言で近づく海を見ていた。

 ベルトルトも同じだった。

 アニは外の風に頬を打たれながら、ほとんど瞬きもしない。

 

 帰れるかもしれない、そんな顔だった。希望のようでいて、喉に骨が刺さったみたいな顔。

 ユミルだけが、彼らの横顔を見て薄く目を細めたが、何も言わなかった。

 

 

 私は再びエレン達の気球に目を向ける。

 

「アルミン! 見ろよ、海だ! 本当に!」

「うん、エレン、見てる。すごいね」

「降りられないのかな、あそこまで!」

「条件次第では……でも、まだ危ないかも」

 

 自然に見える。

 ただの、海に浮き足立っている、少年。

 

 

 ここ数ヶ月を思い返す。

 

 私達は地下で温めていた理論を地上へ上げ、

 調査兵団の名目で資材と技術者を動かした。

 

 もっと詰まるはずだった。

 試作も、改良も、補給も。

 

 致命的な綻びがないことに、勘が警鐘を鳴らす。

 

 ――アルミン。

 

 

 問題が起こりそうなところには、決まって彼がいた。

 そうなるように、私が置いた。

 

 私の勘がいくら理論を並べても例外扱いする彼に、

 手が空いていると何をするか分からない彼に、

 ちょうどいい足枷のつもりだった。

 やる事に追われて、睡眠すらままならなかったはずだ。

 

 なのに。

 ――何も致命的な問題が上がってこなかった。

 

 薄気味悪い。

 それでいて、ただただ、便利だった。

 

 便利で、実際にここまで来てしまった。

 

 

 視線を海へと外す。

 

 綺麗だとは思う。

 空より濃く、壁より広い、見たことの無い景色だ。

 

 エレンは本気で目を輝かせ、

 ミカサはそんなエレンを気にしながら、自身も海に視線を奪われている。

 クリスタは興奮したのか、違う気球に乗るユミルに向かって体全体で手を振っている。

 

 フロックはさっきから、誰に向けるでもなく高揚を喋り続けている。私の反応が薄いことには気づいていないらしい。

 

 

「死んだ連中に見せてやりてぇ景色だ」

 エルドのその一言に、誰もすぐには返さなかった。

 

 リヴァイは黙ったまま海を見ている。

 エルヴィンもまた何も言わず、ただその青を視界に収めていた。

 

 

 高台に気球が降下を始める。

 マーレが、恐らく楽園送り――エルディア人を巨人化させ、パラディ島に突き落とすために使っている高台だった。

 

 

 

 気球から降りると、ジャンが隣に並んだ。

 

 しばらく何も言わずに海を見ている。

 その横顔は、呆れてるようにも、少し笑ってるようにも見えた。

 海よりも、その横顔の方が目を引かれる。

 

 

「……本当にあったんだな」

 

「何が?」

 

「海だよ」

 

 そう言ってから、ジャンは私を見る。

 

「で、お前はまた人見てるだろ」

 

「ダメ?」

 

「いや」

 

 ジャンは海の方を顎で示す。

 

「両方見てるのに」

 

「嘘つけ。お前のその顔は、景色に感動してる顔じゃねぇ」

 

 言いながらも、ジャンの口元も少しだけ緩んでいる。

 

 その軽いやり取りを横で聞いていたミカサが、海から目を離さないままぽつりと呟いた。

 

「でも、分かる」

 

「何が?」

 エレンが聞き返す。

 

「海が綺麗なのも、皆が嬉しそうなのも、どっちも分かる」

 

 その率直さは、私には少しだけ眩しかった。

 

 

 アルミンは、エレンたちと一緒に海を見て騒いでいる。

 どこまでも自然に見えた。

 だから余計に、薄気味悪い。

 

 

 ふっと息を吐く。

 

 まあ、いい。

 今は、ここまで来た。

 

 

「降りるのはまだ無理だな」

 ジャンが地上を見下ろしながら言う。

 

「見れば分かるでしょ。巨人だらけ」

「分かるけど、悔しいだろ」

「悔しいの?」

「そりゃちょっとはな」

 

 見えたのに届かない。

 手前まで来たのに、触れられない。

 

 見えたものに、ただ手を伸ばしたがる。

 その真っ直ぐさが少しだけ羨ましくて、少しだけ眩しかった。

 

 

 エルヴィンが振り返る。

 

「浮かれるのはそこまでだ。現状、海岸への降下は危険が大きい。巨人の配置、視界、足場、いずれも好ましくない」

 

 声が通る。ざわめいていた兵たちも次第に口を閉ざした。

 

「本日の目的は達成した。

 以降はこの高台を拠点に、監視と待機へ移る」

 

 その言葉に、空気が少しだけ引き締まる。

 到達の熱が、次の行動へ変わる。

 

 私は海を見たまま、一歩だけ前へ出る。

 

 風が、結った髪を後ろへ流していく。

 眼下では巨人がまだうろついている。

 青い海の向こうには、まだ見えない国がある。

 ここは終わりではない。ようやく、外へ向かうための岸に立っただけだ。

 

 だから、答えは一つだ。

 

「……マーレの船が来るまで、私達はここで停泊します」

 

 誰に聞かせるでもなく、だが皆に届く声で、私はそう言った。

 

 期間は狂ったけれど、ここまでは予定調和。

 

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