壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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64.アルミン視点

 

 ジラたちが出立してから数日。

 調査兵団の本部は、妙な空白を抱えたまま、日常を続けていた。

 

 訓練場に立つエレンの声は、以前よりずっと穏やかだ。

 

「なあミカサ、考えてみればさ……」

 木陰のベンチに腰かけて、エレンが空を見上げる。その隣で、ミカサが静かにマフラーの端を指で弄んでいた。

 

「巨人は人間だったんだって話、何回も聞かされたけどさ。……結局、人を巨人にしてたのも、人を壁の外に捨ててたのも、人間だろ? 巨人なんて飾りで、本当に悪いのは、あっちの戦争なんじゃねぇのかって」

 

 ミカサは少しだけ目を見開いて、エレンを見つめる。

 

「エレン……」

「俺、前はさ。巨人を駆逐するって、それだけしか考えてなかったけど……今は、もうちょっと欲張りでもいいのかなって」

「巨人を駆逐するんじゃなくて、外の戦争を終わらせて……それで自由を掴めたら一番いいだろ」

 

 彼の声は、怒鳴り声でもなく、諦めでもなく。

 ただ、真っ直ぐ前を見ている少年の声だった。

 

 

(――変わったな、エレン)

 

 少し離れた建物の影から、僕はその横顔を盗み見る。

 

 あの地獄みたいな日から、エレンはいつだって叫んでた。「巨人を駆逐してやる」と。

 今はその言葉が、何のためにと、その先に続く願いに変わっている。

 

 ジラと出会って、マーレの情報を聞いて、ライナーやベルトルトの過去を見て――エレンの矛先は「巨人」から「戦争」へ、そして「自由」へと少しずつ向きを変えた。

 

 ミカサは、それを真横でずっと見ている。

 僕は、それをもう少し遠くから見ている。

 

 

「アルミン?」

 

 名前を呼ばれて、壁から姿を出す。

 エレンが手を振っていた。ミカサの隣で。

 

 

「いたんなら声かけろよ。技術班、サボりか?」

「サボってないよ。今、休憩時間」

「最近、文字ばっかで立体機動訛ってんじゃねぇか?」

 

 エレンが笑う。

 その笑顔は、昔と変わらないのに、向いている先だけが少し違って見えた。

 

「アルミンは、あの場所楽しそう」

 ミカサがぽつりと言う。三人でいた頃には、彼女からそんな言葉を聞くことはあまりなかった。

 

「うん。楽しいよ。……本当に楽しい」

「お前が楽しそうだと、なんか安心するわ」

 エレンがそう言って笑う。

 

 ミカサは、エレンの横顔を見ながら、一瞬だけこちらに視線を寄越した。その瞳の奥に、ほんの小さな棘みたいな違和感があるのを僕は見つける。

 

(気づいてるよね。僕が、前より話さなくなったこと)

 

 それでもミカサは何も言わない。

 エレンが楽しそうだから。

 三人でいる時間が、まだ壊れていないから。

 

 僕は、その沈黙に甘える。

 

「ごめん。そろそろ戻らないと、ほんとにサボりになっちゃうから」

「また今度、三人で飯食おうぜ」

「うん」

 

 その「今度」が、何度も先送りにされることくらい、分かっているくせに。

 僕は笑って手を振り返し、技術班が詰めている倉庫の方へ足を向けた。

 

 

 

 

 技術班の部屋は、金属と油と紙の匂いが混ざっていて、妙に落ち着いた。

 

 立体機動装置の改良案。気球の安定飛行のための計算式。燃料の効率。

 ジラが持ってきた、どこかの誰かが書いた技術の紙束を、僕は手の中で静かにめくる。

 

「アルミン、また徹夜するつもりか?」

 元々調査兵団にいた技術班の先輩が、あきれたように声をかけてくる。

 

「いえ。今日はちゃんと寝ます」

「またそんなこと言ってな。眼の下、真っ黒だぞ」

「これは、前からです」

 

 笑ってごまかしながらも、僕の頭の中では別の帳簿が動いている。

 

 ジラが調査兵団に入って動かしていくのは、2つの盤面。

 

 表の盤面。

 エレンとミカサがいる場所と、

 

 裏の盤面。

 僕がいる場所。

 

 そして、裏の盤面は、訓練兵の時にジラが整えた地下へと繋がる。

 

(ジラが世界を変えようとしている。

 ――僕が、ジラが変える世界を、誘導する)

 

 

 進撃の巨人の記憶は、時々ひどく残酷だ。

 未来の僕は、今の僕に全てを見せた。

 

 無数の結末が、どれも血と炎と絶望で出来ていて、その中に正解なんてない。

 

 エレンが世界を踏みつぶす未来。

 パラディ島が海ごと消される未来。

 ジラが世界全部を自分の遊び場にする未来。

 

 そのどれでもない、かろうじて「最悪ではない」枝にたどり着くために、僕は未来の僕が決めたルートを歩く。

 

 進撃の記憶は地図ではない。

 風景が見えるだけの、ただの一本道。

 

(次にすることは――)

 

 紙束を閉じ、机から離れる。

 誰にも気づかれないよう、静かに部屋を出た。

 

 

 

 夜の街は、昼間よりもずっと本性を隠していない。

 

 路地裏の空気は湿っていて、酔っ払いと香水と血の匂いが少しだけ混ざっている。

 角をひとつ曲がるごとに、暗闇の色が変わる。

 

「……よくもまあ、ガキの足でここまで来る気になったもんだ」

 

 薄暗い路地の奥。

 樽の上に腰かけていたケニーが、帽子を押し上げて僕を見た。

 

「約束、してくれましたよね」

「おう。嬢ちゃんがいねぇ間にやること、やっときてぇんだろ」

 

 ケニーは伸びをして立ち上がると、いつもの気怠い調子で肩をすくめる。

 

「ただし、言っとくがな。連れてくのは『扉』までだ。中で何が起ころうが、てめぇとあっちの話だ。俺は知らねぇし、口出しもしねぇ」

 

「それで問題ありません」

 

 ケニーの口の端が吊り上がる。

 

「……お前、ほんとロクでもねぇガキだな」

 

 苦笑だけを返す。

 

 

 

 馬車で少し走ると、街灯の数が減り、代わりに星の光が濃くなる。

 着いた先は、表向きはさほど特徴のない、少し大きめの屋敷だった。

 その奥には、礼拝堂。

 

 門番がケニーを見るなり、道を開ける。

 僕はフードを深く被り直し、その後ろに続いた。

 

「ここが……レイス家」

 声に出すと、喉の奥に冷たいものが落ちた感覚がする。

 

 本来なら、もう壊れていて、地上の瓦礫が僕たちを待っていたはずの礼拝堂。

 

 グリシャ・イェーガーが拳を振るったあの日が、この世界では起きていない。

 

 

「行くぞ」

 

 ケニーの後ろについて廊下を歩く。

 木の軋む音と、足音と、遠くで誰かが本を閉じる小さな音が聞こえる。

 

 やがて、重たそうな扉の前でケニーが足を止めた。

 

「中にいるのは、ここの……お姫様方だ。あんまりびっくりさせんなよ」

「努力します」

「……本当にガキか、お前?」

 

 呆れたように吐き捨ててから、ケニーは扉を軽くノックした。

 

「連れてきたぜ」

 

 中から「どうぞ」と落ち着いた声が返る。

 扉が開くと、そこには二人の人間がいた。

 

 一人は、まだ少女と呼んでいい年頃の女性。

 柔らかな金髪と、静かな眼差し。

 もう一人は、その隣に控える、同じ色の髪をしたもう少し幼い少女。

 

 フリーダ・レイスと、

 ヒストリア・レイス。

 

 僕は知っている。

 進撃の記憶で何度も見た。

 

「久しぶりだね、アルミン」

 

 ヒストリアが……いや、クリスタはいつものように、僕に笑いかけた。

 

 目には涙のあと。

 ユミルはもう、戻ってこない。

 

 僕はクリスタへと頷くと、フリーダへと体を向ける。

 

「初めまして」

 僕は敬礼し、頭を下げた。

 

「アルミン・アルレルトと言います。

 調査兵団の一兵士です」

 

 フリーダは穏やかに微笑んだ。その瞳の奥には、言葉にできない諦めと、深い愛情の影が揺れている。

 

「ようこそ、アルミン。

 ……ケニー、あなたが連れてくるなんて珍しいわね」

 

「面白そうだったんでな

 ……あの嬢ちゃんの趣味がうつったか?」

 

 ケニーが肩をすくめる。

 フリーダの視線が、少しだけ鋭くなる。

 

「ジラ……」

 

 僕は顔をあげる。

 

「彼女は、あなた方のことを『動かない駒』と呼んでいました」

 

 部屋の空気が、ほんの少しだけ凍った。

 ヒストリアがびくりと肩を震わせる。フリーダは微笑みを変えないまま、息を吸う。

 

「私たちは、長い間、そうしてきましたから」

 

 定めを受け入れるだけの置物。

 ジラの言葉と、進撃の記憶が重なる。

 

「でも、僕にとっては違います」

 

 フリーダへと目を向ける。

 ここで演じるべきなのは、「ただのアルミン」だ。

 でも、その仮面の裏で、進撃の記憶が次の言葉を選んでくる。

 

「パラディ島は、そう遠くないうちに世界から攻撃を受けます」

 

「……ええ。だいたいのことは聞いています」

 フリーダが静かに頷く。

「それでも、私達は動くつもりはありません」

「知っててあなたはここに来た。なぜかしら」

 

 喉が渇く。

 でも、この言葉を言うために、僕はここまで来た。

 

「――――――――」

 

 ヒストリアが目を見開く。

 フリーダの瞳の奥が、わずかに揺れた。

 

「……あなたは、何を知っているの?」

 

 フリーダは長く息を吐き、やがて小さく笑った。

 

「……質問を変えましょう」

 フリーダが僕を見つめる。

 

「アルミン。あなたはこの世界に、何を望みますか?」

 

 

 その問いは、直接心臓を掴んでくる。

 

 エレンは言う、「自由を掴みたい」と。

 ジラは言う、「世界を自分のために」と。

 

 じゃあ、僕は?

 

「……マシな世界」

 

 言葉にしてしまった瞬間、喉の奥が焼けるみたいに熱くなった。

 

「誰も死なない世界じゃない。争いがなくなる世界でもない。でも――皆が、本来より少しだけマシな未来を、この世界に押し付けたい」

 

 

 フリーダは静かに目を細めた。

 

「……あなたは、世界と約束したのね」

「はい」

 

 

 

 僕はもう一度深く頭を下げて、レイス家を後にした。

 

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