壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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68.

 

マーレから帰還した日から、壁の外の世界地図は、少しずつ埋められていった。

 

そして×の印が増えていく。

ここにはもう必要ない、という印。

 

 

 

 夜。

 雲のない空に、星の代わりに煙があがる。

 

 遠くの国の軍港。

 港湾施設の灯りが、波に揺れて滲んでいる。

 兵舎の窓には明かり。中では、きっと誰かが退屈そうにカードを切っている時間。

 

 その上を、黒い影が滑っていく。

 

 立体機動のアンカーが、よその国の倉庫の壁に突き刺さる音は、ここでも同じだった。

 鎖の唸りも、ガスの噴き出す鈍い音も。

 

 違うのは、相手が巨人じゃないことだけ。

 

 私が選んだ人達が、既に慣れたように効率よく散っていく。

 このことは団長しか知らない。

 ……リヴァイ兵長くらいは知ってるかしらね。

 

 

「四番。書類室を確認。技術書、押収しました」

 

「了解。一旦戻れ。

 火、回る前にこっちへ寄越せ!」

 

 フロックの声が、夜気を裂いた。

 私は別の屋根の上で、海風に髪を煽られながら、静かに状況を見下ろしていた。

 

 扉をこじ開け、中から書類の束や試作品のようなものを手際よく回収していく。

 

 こちらを見つけた兵士の口を、悲鳴をあげる前に閉ざす。

 その隙に、別の兵士が地下階段を駆け下りていく。

 

 

 一番の狙いは、いつも同じだ。

 

 設計図。記録。

 そして、それらを書いた「頭」。

 

「いたぞ。設計主任!」

 

 中年男が地下から引きずり出されてくる。

 目は恐怖で見開かれ、言葉にならない悲鳴が喉で絡まっていた。

 

 私は屋根から飛び降り、石畳に膝を曲げて着地する。

 男の前に歩み寄ると、彼の視線が私に縋りついてきた。

 

「た、助け――」

 

「静かに」

 

 笑って、指を一本立てる。

 

「命は保証する。少なくとも、今すぐ殺すつもりはないわ」

 

 男の喉が、ひゅ、と鳴った。

 私はそのまま彼の目の前にしゃがみ込む。

 

「あなたの頭が欲しいの。あなたが生きててくれないと、私達はとても困る」

 

 言葉の意味を、彼はすぐには理解できないようだった。

 ただ、何かが変わったと悟ったのか、震えは少しだけ弱くなる。

 

「で、でも、私はこの国の……」

 

「この国の技術者。戦争を前に進める仕事をしてきた」

 

 私は彼の頬に軽く指を触れた。

 汗と血と恐怖の匂い。

 

「今度は、戦争を止めるために働いてもらうわ」

 

「……止め、る?」

 

「ええ。あなたの技術で、世界から戦争がなくなるのよ」

 

 男の表情が目を見開く。

 

 後ろで、フロックが鼻で笑った。

 

「先生方は毎回これで固まるよな」

 

「夢のある言い方をしてあげてるのよ」

 

「どこがだよ」

 

 フロックは呆れたように言いながら、男の腕を乱暴に引き上げ、立体機動のハーネスに括りつける。

 男の命綱は、彼の腰のベルトと、私達が握っているロープだけ。

 

 

 この数ヶ月、私達はこれを繰り返した。

 

 

 マーレから提供された技術に、更に奪った他国の技術を繋ぎ合わせる。

 砲兵。鉄道。通信。爆薬。

 各国の戦争の牙を、根元ごとちぎって壁の中に持ち帰る。

 

 誰がやったか分からない敵がいる。

 それだけを世界に理解させるための、地道で派手な泥棒。

 

 ――足りない、まだ。

 

 世界を、私の思い通りにするためには、

 まだ、足りない。

 

 

 

 

 地下の施設に、急ごしらえの部屋割りが追加された。

 

 元々の入り組んだ廊下に加え、中からは出られないように鍵のかかった部屋を幾つも通る。

 扉にはそれぞれ番号と、担当者の名前。

 

 研修室と呼ばれている一室を覗くと、ジャンが椅子に腰掛けていた。

 向かいの簡易ベッドに座っているのは、最近連れてきたばかりの技術者。

 

「だからさ、あんたのとこの砲って、こっちのより装填が早ぇんだろ? その仕組みをもうちょい、こう……」

 

「ふ、ふむ……。いや、あなた達のものも、決して悪くはない。むしろ、素材の質がいいのはそちらだ」

 

 白髪混じりの男が、身振り手振りを交えて語っている。

 ジャンは真剣に聞きながら、時々冗談を挟む。

 

 

 

 ――本当に、いつの間にかだった。

 

 エレンやミカサのように、表側の方に置いていたのに。

 いつの間にか地下のメンバーに入り込んでいた。

 

ジャンは私に言った。

 

「もうここでお前が何やってるかは、だいたい知ってる。

 表側に戻したりしないだろ?」

 

 そう言って、泥を飲み込んだような顔をした。

 

 知ってるなら、戻せない。

 

 ここが知られても、

 ――まだ、嫌われてない。

 

 

「……好きにして」

 その時は、そうとしか言えなかった。

 

 

 

 

「へぇ、褒められると悪い気はしないね」

 

 技術者の男が苦笑した。

 眉間に深い皺を刻みながら、少し肩を落とす。

 

「外では悪魔だなんだと言われているが……」

 

「……」

 

「君も、廊下ですれ違う兵も。厨房で働く娘も。皆、家族の話をする。仕事の愚痴も言う。笑う。怒る。……悪魔と呼ぶには、あまりにも、普通だ」

 

 ジャンの喉が、僅かに上下した。

 

「……ありがとな」

 

「そして君は、いい人だ」

 

 男は静かに続けた。

 

「エルディア人にも、いい人はいる。――そう言ったら、笑われるかもしれないがね」

 

 ジャンは少しだけ視線を逸らし、天井を見上げた。

 

「笑わねぇよ」

 

 自嘲みたいな笑い方で、でも確かな声でそう言った。

 

 

 

 その横顔を、廊下の影から少しだけ覗き見る。

 

 

 私と違って、ジャンはちゃんと人を見ている。

 

 攫ってきた技術者を、

 私が「道具」としか見ていないものを、ジャンはちゃんと「人」として扱ってしまう。

 

 

 私にはできない。理解もできない。

 でも、好き。

 

 

 

「――覗きなんて趣味悪いな」

 

 すぐ後ろで囁かれて、私は肩をすくめた。

 振り返れば、フロックが壁にもたれて腕を組んでいる。

 

「んー。任務中の兵士の様子確認?」

 

「はぁ? ただの監視だろ」

 

「そんなこと言わないで」

 

「じゃあなんて言うんだよ。

 お前最近あいつと目ぇ合わせねぇくせに」

 

 目を伏せる。

 

 話したい。でも、あの目で見られたくない。

 先延ばしにし続けている。

 

「……次のお客様、来たんでしょう。

 行きましょう?」

 

「いいけどな。俺は」

 

 

 

 

 尋問室は、余計なものを一切排除した部屋だ。

 入れる人も限られるし、他の部屋からも離した。

 

 椅子と机、鎖。

 壁に埋め込まれた灯り。

 外への扉は分厚い鉄。

 

 中央に座らされているのは、別の国の通信技術者だ。

 まだ若い。二十代前半。

 手首に食い込んだ枷の跡が赤い。

 

「名前」

 

「……言ったら、殺されるんだろ」

 

「言わなくても、殺されるかもね」

 

 彼の目が揺れる。

 冗談半分、本気半分。

 私は椅子の背に体重を預けて、彼の視線を受け止めた。

 

「どっちにしても、今すぐじゃない方を選んだ方が得よ」

 

「……レオン」

 

「レオン。良い名前ね」

 

 私は机の上に資料を広げる。

 連れてきたときに押収した書類。符号表。手書きのメモ。

 

「率直に言うのだけれど、この技術、すごいわ

 この纏まりのない資料で理解できる人は私くらいでしょうけどね?」

 

「……」

 

「何故あなたは国に尽くすの?

 義理とか心情のものかしら。これ、完成させたくないの?」

 

 淡々と告げると、レオンの眉がきつく歪んだ。

 

「……」

 

「国のために作ってる資料に乗せなかったのは何故?

 ……まぁ、弾圧されそうよね。あの国だと」

 

 机の向こう側に肘をつき、顎を乗せる。

 

「質問に答えてくれるなら、ここで本を書かせてあげる。あなたの知ってることを全部、教科書にできる。名前も残せる」

 

「……拒否したら?」

 

「フロック」

 

 呼びかけると、壁際にもたれていた彼が、面倒くさそうに顔を上げた。

 

「なんだ?」

 

「拒否した場合、この子をどうすると思う?」

 

「どっかの部屋に閉じ込めて、飯と水だけ与えて放置。心折れるまで二、三ヶ月? 折れなかったら、使えねぇから処分」

 

 レオンの顔から血の気が引いた。

 

「処分って……!」

 

「選ばせてるだけ、優しい方だろ」

 フロックが肩をすくめる。

「ここに連れてこられたってことは、まだ使える可能性があるってことだ。何も言わねぇまま殺された奴だって、山ほどいる」

 

 事実だ。

 だからこそ、彼らは私のところに来る。

 

「ね?」

 

 私はレオンを見た。

 

「ここで普通に働くか、何もしないまま誰にも知られず消えるか。どっちがいい?」

 

 少しの沈黙。

 ぎゅっと結ばれていた唇が震えて、やがて開く。

 

 その瞬間が、好きだ。

 

 自分の頭が、誰かの世界を変えてしまうと理解した人の顔が、たまらなく好きだ。

 

 彼の技術は、そこまでのものなんかじゃない。

 折れる場所は、人によって違う。

 

 

 

 

 奪った物を返すつもりなんて、なかった。

 

 技術を搾り取って、知っていることを全部紙の上に吐かせたら、それで用途は終わる。

 

 外に返せば、いつか必ず敵として戻ってくる。

 遠い未来、誰かの手に渡って、別の形で私達を刺す。

 

 そんな面倒で確実なリスクを、わざわざ抱えてあげる理由なんて、どこにもない。

 

 でも。

 

「……返したいって言ってきた人達の名簿が、これ」

 

 薄暗い別棟の部屋で、私は机の上に紙束を置いた。

 フロックがそれを拾い上げ、ざっと目を通す。

 

「こいつら、技術者と直接話してる連中か」

 

「そう」

 

 ――名簿には、ジャンも入ってる。

 

 

「それでもやるのか?」

 

「やる」

 

 人の心なんてどうでもいい、と言いたいところだけれど、それだと現場は回らない。

 帰りたいという言葉を直接聞いたら、自分が何とか出来るかもしれないならば、動きたくなるものなのだ。人は。

 

 できないと落とせば、勝手に動き出すのが目に見えている。

 

 

「……表向きには、それぞれの国に返す。

 船に乗せて、送り出す」

 

「表向きには、な」

 

 フロックの声は乾いている。

 

「実際には、国に帰り着くことはない。」

 

 この場所じゃない。

 誰も見ていないところで。

 証拠も残さず、名前も残さず。

 

 フロックは眉を寄せたまま、小さく声を出す。

 

「……ジャンが知ったら、ぶちギレるぞ」

 

 

 知ってる。

 ジャンだけじゃない。これは士気に関わる。

 

 だから

 

「私とあなただけ」

 

「他の人は

 ――知る必要ないの」

 

 部屋の空気が微かに揺れた気がした。

 

 

「……俺が止めろって言ったら?」

 

 フロックの声が、少しだけ低くなった。

 私は笑って、彼を見た。

 

「あなたが止めてくれるなら、それはそれで面白いけど」

 

「ジラ」

 

「何?」

 

「……いや。やっぱ、今はいい」

 

 彼は紙束をぱさりと戻し、代わりに一本のペンを机の上に置いた。

 

「俺は、お前が決めたやり方を、最後まで見届けるって決めた。

 途中で折れたら、その時はその時だ」

 

 折れたら殺す。

 以前、そう言われたのを思い出して、思わず口元が緩んだ。

 

 

「頼もしいわ、さすが私だけの味方ね」

 

「味方って言葉、便利に使いすぎなんだよ、お前」

 

 フロックが呆れた声のまま、扉に手をかける。

 

 

 

 ――ドアの隙間から、薄い影が見えた。

 

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