ミカサと歩き始めた。
人気のない方へ。人の声が薄くなる方へ。
彼女がそう選んだ。
人は場所から先に整える。
ミカサはたぶん無意識でそれをやっていた。
でも――ミカサは、話し始めない。
歩幅は一定。呼吸も乱れない。
ただ、沈黙だけが続く。
私は、気になっていたことを先に投げることにした。
沈黙は情報として薄すぎるから。
「エレンのどこが好きなの?」
ただの好奇心。
ミカサがエレンを大事にしているのは分かる。
でも、どうしたらそこまで他人を思えるのかが、私には分からなかった。
ミカサは少し考えてから言った。
考えた、というより、言葉を整えたみたいな間。
「全て」
間髪入れずに続く。
「エレンは、私の生きる理由」
「エレンも私のために生きてる」
言い切る。
確信。揺らぎゼロ。
私は少し呆気にとられた。
言い過ぎでも、言い足りなさでもない。
ただただ、硬い、意思。
「それは……すごいね」
すごい、という言葉が自分の口から出て、少し滑稽に感じた。
ミカサは少し迷ってから口を開く。
迷いがあるようだった。
「……ジラは東洋人じゃないの?」
私は笑ったまま、目だけを細める。
「ミカサは東洋人なんだ?」
「……私は半分。母親が東洋人だった」
過去形か。
「へぇ……」
声を薄くする。
同情の匂いは混ぜない。
ミカサは今話そうとしてるから。
「父親は、普通の人?」
「そう」
アッカーマン。
普通じゃないけれど――彼女は知らないのか。
知らないふりをしている?
どちらでも、今は同じだ。今は、彼女が話す番。
ミカサは少し俯いて、続けた。
「私たちは森の奥で、隠れるように住んでいた」
森の奥。隠れる。
頭の中で、歴史書の言葉が知識として並んだ。
「……まだ子どもだった」
「父さんがドアを開けて、そいつらに刺された」
「母さんがそいつらに立ち向かって、殺された」
淡々とした口調で、簡単に言う。
簡単に言うけれど、内容は重い。
「……なかなか壮絶ね」
言いながら、私は自分の声の乾きを自覚した。
慰めは今の私の役割じゃない。
ミカサはただ続ける。
「攫われて、捕まっていた時に、エレンが助けてくれた」
「このマフラーを巻いてくれた」
そう言って、ミカサはマフラーに触れた。
指先が布を確かめる。確かめる仕草がやけに丁寧だ。
「エレンがいなければ、私はここにいない」
……惚れるには十分すぎる理由か。
生存と結びついた執着、好意、依存。さぞや剥がれ辛いだろう。
「そう。
で、それをなんで私に話したの?」
目的がない情報をただ与える理由はない。
私は、何を求められている?
「分からない。話すべきだと思った」
ミカサは真っ直ぐに私を見た。
目の焦点がぶれない。嘘をつく人間の目じゃない。
……苦手なのよね。これ。
正面から信じられると、こちらの嘘が薄汚く見える。
私は一瞬だけ目を逸らして、すぐに戻した。
話題を自分に戻さなければ。
「私のこと、なんで東洋人だと思ったの?」
黒髪なんていくらでもいる。
私は見た目で血筋なんてバレない前提で、そのままにしているんだ。
――バレる要素があるなら、少し考えないといけない。
ミカサは一呼吸置いた。
「……私の母に似ていた」
似ていた、か。
「勘ってことね」
同じ東洋人を間近で見続けた故の勘。
経験は直感を鋭くし。直感は説明を飛ばす。
私も勘は信用している。
私はミカサに一歩近づく。
「……誰にも言わないって誓える?」
ミカサの答えはすぐだった。
「エレンに危険がなければ」
私は一拍置いて、ため息をついた。
……なんだか負けた気がした。
絶対言わないと言う人間より、よほど誠実だ。
「……まぁ、いいか」
私は口角を上げる。
可愛い笑顔じゃない。少しだけ、嫌味な笑い方。
「東洋人で合ってる。純血。高いんだよ? 私」
ミカサは私をじっと見る。
……少し笑ったか?
ミカサは何も言わないし、表情も分かり辛すぎる。
私は表情を戻した。
戻すという感覚がある時点で、私は常に顔を使っている。
「……xxx」
本当の、東洋人としての名前。
それを口の中だけで一度転がしてから出した。
久しぶりに言った。しっくりくるのに違和感が凄い。
ミカサが少し目を見開いて黙った。
表情が動いた。
「私の名前」
特に思い入れなんてないけれど。
「私、中央の貴族から逃げてきたの。
ジラは偽名」
ミカサの唇が少し開いた。
「……それは、」
言葉が出そうで、止まる。
「あぁ。大丈夫。すっごく大事にされてたから。
高いモノだからね」
笑う。なんてことないみたいに。
笑うと、現実が薄くなる。薄くすると、相手は受け止めやすい。
「外に出たかったんだ。中央からなるべく離れた外」
嘘と本当を混ぜる。
本当の理由なんて、同類にくらいしか言えやしない。
ミカサは同類じゃない。
彼女は守る側で、私は動かす側だ。
「調査兵団なら、世界の端まで行けるかもしれないから」
ミカサの目が少しだけ鋭くなった。
世界の端。その言葉は彼女にも刺さる。エレンの夢に近いから。
「……xxxは調査兵団希望なの?」
久しぶりに、その名前を呼ばれた。
ただの音のはずなのに、背中の奥が少しだけ疼く。
不快じゃない。不快じゃないのが不快だった。
「そう。エレンも、だっけ。じゃあミカサもだ」
私は軽く笑って見せた。
笑って見せないと、今の感覚が顔に出る。
でも――ここだけは釘を刺す。
「……名前、呼ばないでね」
声を落とす。
この声は命令じゃない。頼みでもない。
ただの事実として置く声。
「見つかると、私また売られちゃうから」
ミカサは短く頷いた。
「……分かった。ジラ」
呼び直すのが早い。
早さは誠意だ。
彼女の誠意は、エレンのため以外にも使われるらしかった。