その新聞は、朝の点呼の前に届いた。
調査兵団本部の一室。
いつもなら壁外遠征の地図や報告書が並ぶ机の上に、今日は分厚い紙の束がどさりと置かれる。
マーレ経由で手に入れた、外の国の新聞。
表紙の真ん中。
見出しは、大きな黒い文字で、こう踊っていた。
《悪魔の国家 パラディ島》
視線がタイトルをなぞってから、写真へ移る。
白黒の印刷でも、分かる。
床に転がる人間。
痩せ細った手足。
腫れ上がった顔。
皮膚に走る鞭痕の影。
「……これ……」
隣で、ジャンの声が漏れた。
新聞紙の匂いに、鉄と血の匂いが混ざった気がした。
ジャンはこの人を知っている。
記事の中心で、ぼやけた輪郭のまま「悪魔の島で受けた拷問の生存者」として語られている男。
目の周りの青痣。
尋問室で、照明を細めて見返してきたあの皺。
全部、はっきりとジャンの目に蘇っているらしかった。
「見せてくれ」
後ろから新聞が抜き取られる。
エルヴィンが無言で見出しを流し読みし、写真へ目を落とす。横からリヴァイが覗き込む。
ざわ、と部屋の中が波立った。
「なんだよ、これ……」
「パラディ島で行われた悪魔的所業?」
誰かが記事の一部を読み上げる。
――エルディア人は、島の地下に多数の「実験施設」を持ち、異国の技術者を誘拐しては、人間の尊厳を無視した非道な拷問と洗脳を繰り返している。
――写真の男は、その地獄から奇跡的に生還した、生き証人である。
――彼の証言によれば、パラディ島の「悪魔」達は、笑いながら人を解体し、子どもですら進んでその所業に加担しているという。
「……してねぇよ、そんなこと」
ジャンが呆然と呟く。
解体なんてしていない。
洗脳なんてしていない。
そんなところかしら。
攫ったのは事実。
技術を吐かせるために尋問したのも事実。
紙の上に並んでいるのが「悪魔」と「地獄」ばかりなのは、まあ、そう見せたいのでしょうね。
「まだあるぞ」
フロックが奥から来て、別の束を机の上へ放った。
新聞紙より硬い、厚い封筒。
エルヴィンが眉を寄せて開封すると、中から数枚の写真が滑り出る。
印刷じゃない。
現物の写真だった。
新聞ではぼやけていたものが、ここでは生々しく焼き付けられている。
皮膚の裂け目。
拘束具。
血の跡。
誰かの指が、不自然な方向へ折れ曲がっている。
「……っ」
誰かが吐き気を堪える音を立てた。
ジャンも目に見えて表情を変える。
うちの地下じゃない。
パラディ島とは構造も壁も違う。見知らぬ建物も混ざっている。
けれど記事の中では全部、ひとまとめにされていた。
《悪魔の島 パラディで撮影されたものとされる》
とされる。
たったそれだけで、何もかもごちゃ混ぜにされる。
エルヴィンの指先が、わずかに強く写真を掴んだのが見えた。
「……ふざけてんな」
ジャンは知らない間に、声を荒げていた。
「何でもかんでも、俺たちのせいにしやがって……!」
「落ち着け」
リヴァイが短く言う。
ジャンが落ち着けるはずがない。
だって写真の男が、紙の上から、ジャンを見返している。ぼやけた印刷でも分かるんでしょうね。ジャンは。
――悪魔に、人間扱いしてもらえるとは思わなかった。
そう言って、あの男は笑っていた。
今、その顔は「悪魔に拷問された被害者」にされている。
「……ふ」
だめだった。
声が漏れた。
視線が、一斉にこちらへ向く。
新聞を一部抜き取り、ぱら、と頁をめくる。
「上手に作ったわね」
軽く言って、紙面を閉じる。
「見出しも、写真の使い方も。よく分かってる」
「……何がだよ」
ジャンの声は低かった。
怒鳴る前の声だ。
私は新聞を机の端へ揃える。
「何が、って?」
視線を上げる。
「外から見れば、こうなるでしょうって話よ」
部屋が静まる。
誰も口を挟まない。
「パラディ島は悪魔の国家。エルディア人は巨人だけじゃなく、人間まで弄ぶ。そういう話にしたいなら、これが一番早いもの」
「早いとか、そういう話してんじゃねぇだろ」
ジャンの声が硬い。
エルヴィンが何か言おうとした気配がした。
でも、それより少し早く、私は写真を一枚つまみ上げた。
「この拘束具、うちの地下のものじゃないわ」
「壁も違う。天井も。たぶん別の国の施設」
「でも、そんなの読む側には関係ない」
写真を戻す。
「怖い話の形になっていれば、それで十分なんでしょうね」
「……お前」
ジャンがこっちを見ている。
ああ、そんな目をするのね。
その目、初めて見たわ。
「分かってたのか」
「何が?」
「こういう風にされるかもしれねぇってことだよ」
怒鳴ってはいない。
でも、その方がずっと冷たかった。
「分かってたなら、なんで言わなかった」
私は少しだけ首を傾げる。
「言ったところで、やめた?」
ジャンが言葉を失う。
そこで黙るのね。
「攫った時点で、向こうが何もしてこない可能性の方が低いでしょう」
「どんな形で返してくるかまでは、その時には決まってなかっただけ」
「だからって……」
「だから、見ていたのよ」
自分でも驚くくらい、声は静かだった。
「どう返してくるか」
「どこの国が、どの写真を使って、どう話を作るのか」
「その方が、次を考えやすいもの」
息を呑む音がした。
誰のものかは分からない。
「お前さ」
ジャンが一歩、近づく。
「写真の顔、見ただろ」
その一言で、部屋の空気が変わった。
「見た上で、今それ言ってんのか」
私はジャンを見る。
怒っている。
怒っているのに、そっちじゃない顔をしていた。
軽蔑。
たぶん、そういう種類。
「……ええ」
それだけ答える。
「ふざけんなよ」
今度ははっきり、怒鳴られる。
「俺たちがどう書かれてるかとか、そういう話じゃねぇんだよ!」
「あの人は実際に痛めつけられて、使われて、今度は紙の上でもまた使われてんだろうが!」
「それ見て最初に出てくるのが、面白いとか次に使えるとか、そんなもんなのかよ!」
部屋の誰も動かなかった。
リヴァイの視線だけが、わずかにこちらへ寄る。
エルヴィンは黙ったまま、目を離さない。
私は少しだけ目を細める。
「それに」
自分でも、ひどく薄い声だと思った。
「――こっちの方が楽しそうだったから」
部屋の空気が、ぴたりと止まる。
「……は?」
「聞こえなかった?」
笑う。
新聞の見出しなんてどうでもいいとでも言うみたいに、軽く、笑う。
「ジラ」
低い声が割って入った。
フロックだった。
さっきまで黙って新聞と写真を見ていた彼が、一歩前に出る。
その目は笑っていない。
腕を掴んで引っ張られる。
「先、借ります」
私は視線だけジャンへと向ける。
――もう、好きって言ってくれないかもしれない。