壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――前話の続き。


72.フロック視点

 

先に手が動いた。

 

「先、借ります」

 

ジラの細い腕を乱暴に掴む。

驚いたように肩が跳ねたが、構わず立たせ、そのまま引きずるように歩き出した。

握っている力が強すぎるのは、分かってる。

 

「おい!」

 

すぐ背後で椅子が軋み、ジャンの声が飛ぶ。振り返りもせず、俺は横目だけ向けて睨みつけた。

 

ジャンの身体が一瞬止まる。

 

背中に団長達の視線が突き刺さるのを感じたが、無視した。

 

俺が先だ。

 

掴んだときのジラの顔は、心底驚いたように目を丸くしていたくせに、数歩も歩けば顔が作られる。

口の端だけが、面白そうにわずかに上がった。

 

クソッ。

 

俺か。

俺のせいかよ、これ。

 

 

◇

 

人通りのない廊下の奥、ほとんど使われてない部屋の扉を蹴るみたいに開けて、ジラを中へ押し込む。

手を離し、軋む音を背中で聞きながら扉を閉めた。

 

ジラは少しふらつきながらも姿勢を直し、こちらへ首を傾げる。

いつもの人を値踏みする角度で。

 

「……どうしたの、フロック?」

 

その声音が妙に落ち着いていて、逆に苛立ちが増した。

 

「なぁ、ジラ」

 

喉が熱い。言葉を選ぶ余裕なんかない。

 

「分かってんのか?」

 

「なにが?」

 

本当に分かってねぇ顔。

とぼけてるのか、素で気づいてねぇのか、一瞬判断に迷う。

 

「線、超えてんだよ。お前」

 

「線?」

 

首を傾げたまま、薄く笑う。

その笑いが、今は心底ムカついた。

 

「人を数字で見てるのは前からだ。

 人が苦しんで、混乱してるの見て、楽しくて仕方ねぇ顔してんのも、前から知ってる」

 

一歩詰める。

 

「でもな。

 それだけのやつじゃなかっただろ」

 

ジラの睫毛が、不満そうに一瞬だけ揺れた。

 

「自分の趣味だけで人を潰したいなら、貴族の飾りのままでもやれただろ。

 わざわざ調査兵団なんかまで出てきてねぇよ」

 

呼吸が荒くなる。

それでも言葉は止まらない。

 

「お前は、悪いって分かっててやってんだよ。

 今までは、利益や得がある時しか自分の趣味は通さなかった」

 

絞り出すように言う。

 

「だから、まだギリギリ許せたんだよ。

 俺も、団長も、他のやつらも。

 お前が必要だからって線ギリ攻めてるだけだって、思い込んで誤魔化してきた」

 

ジラと目が合う。

 

瞬き。何度も。

――あのジラが、本気で、驚いてる?

 

 

「……楽しいから、だと思ってたのだけれど」

 

(……マジで、気づいてなかったのかよ)

 

笑えてくる。

ほんとに俺のせいか?これ。

気づいてなかったとか、分かるかよ、んな事。

 

 

「……あの技術者返して、得したやつ、誰だよ」

 

 静かに問いかける。

 

 ジラは俯く。

「――私。楽しかったわよ?」

 

「ジャンの信頼裏切ってまで、欲しいもんかよそれ」

 

最初は皆、喜んだ。

ジャンだって、ちょっとだけ救われたような顔してた。

お前は、嫌われなかったとホッとしただけだ。

 

技術者が殺されたって、自分は楽しめる。

返すのを決めたのはジャン本人。

自分は嫌われないって、

そんなヌルい、ボケた予測しやがって。

 

――俺らのこと、バカにしすぎだろ。

 

返した技術者は、本島で被害者に仕立てられた。

新聞はパラディ島を悪魔の国だって喚き立ててる。

 

「こうなるなら、ジャンも無理に返さなかった」

 

 喉の奥が焼ける。

 

「――お前は、最初からこうなる可能性、見えてたんだろ」

 

こいつだったら読めてたはずだ。

それくらい、俺らはもう分かってる。

それでも、面白そうだからって天秤にかけて、世界の方選んだ。

そう思い込んだ。ジャンが絡んだから、バカになってんだこいつの予測が。

 

「お前は今回、

 ジャンを取ったつもりで、

 ジャンでもなく、俺ら人類でもなく」

 

「――自分の楽しみをとった」

 

 

線を、超えた。

 

――お前が止まらなくなったら。

――その時は、俺が、殺す。

 

訓練兵の頃、ジャンを殺そうとしたこいつに、俺は言った。

 

 

止まるかこいつ?

止まれ。止まるよな?

 

ジラは俯いたまま。

表情が影になって、見えない。

 

 

――廊下の向こうから、焦ったような靴音が近づいてくる。

舌打ちが漏れた。

 

「……チッ」

 

 

俺は扉を開け、自分だけ外へ出る。

背中で扉を押さえ、ジラを部屋に閉じ込める。

 

 

「やっぱりお前か」

 

案の定、ジャンが歩いてきた。

眉間に皺寄せて、まっすぐ俺を睨んでいる。

 

「俺だって、ジラに話する権利くらいあるだろ」

 

「悪いけど、無ぇよ」

 

短く切り捨てる。

ジャンの目が一瞬ギラッと光き、次の瞬間、俺の胸ぐらを掴んできた。

 

「退け」

 

低い声。喉の底で震えてる。

 

俺は笑った。鼻で。

 

 

「自分のせいでこうなったって、思ってんのか?」

 

「あ?」

 

「これはな、ジラの悪癖だ」

 

 胸ぐらを掴まれたまま、顔を近づけて言う。

 

「お前が知らなかっただけで、地下じゃ日常茶飯事だったことだ」

 

「貴族の書物を漁った時に邪魔だったやつ」

「必要な情報をどれだけ痛めつけても吐かねぇやつ」

「新しい薬を試して、そのまま動かなくなる身体」

「新装置の実験で転がる死体」

 

 言葉は荒くなっていく。

 

「その場に、いつもジラはいた。

 手ぇ下してた時もあれば、椅子に座って見てただけの時もある」

 

思い出すのは、あいつの目だ。

 

追い詰められたやつの絞り出す感情を。

死んだやつらを見る、俺らを。

楽しそうに、観察してくる目。

 

 

「胸糞悪いだろ。俺だってそう思うよ」

 

 鼻で笑う。

 

「それでも俺らは飲み込んだ。

 それが一番早くて、俺らに足りねぇのは時間だったからだ」

 

俺の言葉に、ジャンの手が少しだけ緩む。

胸元を掴む力が弱くなった瞬間、心の中で別の声が囁いた。

 

(なんでこんなやつに)

 

なんで俺なんかに、ジラのことを説明しなきゃならねぇんだ。

なんでここまで言ってやんなきゃ、こいつは分かんねぇんだ。

 

今度は俺が、ジャンの胸ぐらを掴み返す。

布越しに伝わる体温が、やけに熱い。

 

 

「ついでに、もう1つ教えてやろうか?」

 

目を細めて言うと、ジャンがわずかにたじろぐ。

 

「……な、なんだよ」

 

喉が震えている。声が掠れている。

知りたくねぇけど、もう後戻り出来ねぇって顔だ。

 

 

「――俺とジラ、キスしてんだよ」

 

ジャンの動きが、ピタッと止まった。

 

時間まで止まったみてぇに、あたりが静かになる。

廊下を吹き抜ける風の音だけが、遠くでかすかに鳴っていた。

 

「は?」

 

間抜けな声が漏れる。

胸ぐらを掴んだまま、俺は嘲りの笑みを浮かべた。

 

知ったことか。

もう、全部ぶちまけてやる。

 

「お前ら、あんだけ、好き好き言っときながら、キスしてないんだってな」

 

わざとらしく肩をすくめてみせる。

 

「何歳だよ。ガキかよ、お前ら」

 

ジャンの肩が震える。

俺の胸ぐらを掴んでいる手も、震えている。

怒りか、ショックか、その両方か。

 

「……いつだよ」

 

声まで震えてる。

当たり前だ。好きな女の口が、別の男に取られてた話なんて聞きたくなかっただろうに。

 

 

「訓練兵の時だ。お前、ボロ泣きさせただろ」

 

俺の脳裏に、あの夜の倉庫が蘇る。

泣き腫らした目で、ぐしゃぐしゃな顔で、扉を開けてきたジラ。

 

「忘れたなんて言わせねぇぞ?」

 

「あれは……!」

 

ジャンが俺を睨みつける。顔が近すぎて鬱陶しい。

掴んでいた胸ぐらを突き放すように手を離した。

同時に、ジャンの手も滑り落ちる。

 

「何があったかなんて、どうでもいい」

 

吐き捨てる。

 

「あいつはボロボロのまま俺のとこ来て、キスしろって言い出した」

 

喉の奥から苦笑が漏れた。

 

「……俺が拒否出来ると思うか?」

 

あの目で見上げてきて、あの声で頼まれて。

……俺には、無理だった。動けなかった。

 

 

「拒否、しろよ」

 

ジャンが低く言う。

睨みつけながら、歯の奥で言葉を噛み砕いて。

 

「無理だっつの。あいつの方から舌突っ込んできたんだぞ」

 

わざと下品に言ってやる。

顔をしかめたのはジャンだけじゃない。俺もだ。

 

いまだに、ふとした時に思い出す。

柔らかい感触と、熱と、後味の悪さ。

 

「……それが、今と何の関係がある」

 

ジャンの声が、さっきより低くなる。

付き合ってられねぇって顔してるな。

残念。

 

 

「大ありだよ」

 

間髪入れずに返す。

 

「お前は、調査兵団なんか来るべきじゃなかった」

 

 ジャンの目が大きく開く。

 

「お前がいたから、ジラはこんなことやったんだよ」

 

「は?」

 

「お前がいなきゃ、技術者返還なんて話、ジラの却下の一言で終わってた」

 

言葉を突き立てる。

 

「お前が食い下がったんだ。

 殺さなくて済むなら、その方がいい、なんて綺麗事で殴りかかって」

 

俺は見ていた。

あの時、ジャンの拳が震えてたのも。

その横で、ジラが迷った顔をしたのも。

 

「ジラは、お前に嫌われたくなくて頷いた」

 

扉の向こうのジラを、見ないまま。

 

「その結果が、今だ。

 返された技術者は本島で道具にされて、パラディ島は、また新聞で悪魔扱い」

 

ジャンの拳が、ぎりっと握りしめられる。

節が白く浮き出て、震えが腕ごと伝わってくる。

 

 

「ジラは、人で遊ぶのが好きな最低な女だ」

 

そこは誤魔化さない。

 

「お前より先に、俺とキスしてるようなやつだ」

 

それも事実だ。

 

「それでも、世界を相手に戦えるようなやつだ」

「世界をあいつの手1つで敵に回せるようなやつだ」

 

言いながら、自分でも何をしてるのか分からなくなる。

 

「ジャン」

 

名を呼ぶ。

 

「お前、ジラにとって、

 世界と同じ位置にいるの分かってんのか?」

 

目を見る。

 

「――それでも、ジラのこと、好きか?」

 

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