壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――前話の続き。


77.ジャン視点

 

 その後も、似たようなことを何度かやった。

 

 俺が好きなものをひとつ選んで、次はジラに選ばせる。

 焼き菓子と、蜜漬けの果物。

 木の実を挟んだ薄い菓子と、粉砂糖のかかった小さい菓子。

 水で薄めた果実酒と、香草を入れた冷たい茶。

 

 

 最初のうち、ジラは全部に同じ顔をした。

 

「どっちでも」

 

「禁止っつっただろ」

 

「……じゃあ、ジャンが好きな方」

 

「それもなし」

 

 そう言うと、ジラは少しだけ唇を尖らせる。

 拗ねてる顔だった。

 こいつがそんな顔をするのが珍しくて、こっちは危うく笑いそうになった。

 

 

 

 通りを抜けて、少し人の少ない場所まで来る。

 市場の喧騒が少しだけ遠くなって、風の音が混じる。

 

「座るか」

 

 近くの石段を顎で示すと、ジラは素直にうなずいた。

 

 並んで腰を下ろす。

 

 

 さっき買った焼き菓子を割って食べると、ジラはじっと見ていた。

 

「ジャンはそれが好きなの?」

 

「まあな」

 

「どういうところが」

 

「外が少し固いところと、中が甘いところ」

 

「それは好きなの?」

 

「好きってほど大げさじゃねぇけど、まあ、食いたくなる」

 

 ジラは少し考えてから、俺が割った残りを受け取った。

 

 口に入れる。

 ゆっくり噛む。

 眉がほんの少し寄る。

 

「……端の焦げたところは、嫌じゃないわ」

 

「そこかよ」

 

 ジラは指先に残った欠片を見た。

 茶色くなった端を、爪の先で軽く押す。

 

「作った人が、わざと焦がしたのか」

「たまたまなのか」

「火が強かったのか」

「別のことを考えていたのか」

 

「……菓子食って考えることか、それ」

 

「味よりも先にそれが来るのよ」

 

 ジラはもう一度、小さく齧った。

 焦げた端が、歯の間でかり、と鳴る。

 

「売れると思ったのか、気にしなかったのか、これも味だと思ったのか」

 

 俺は返す言葉に少し困った。

 

 好きな味を探せって言ったはずなのに。

 こいつは焼き菓子ひとつから、作った奴の手元まで見ようとしている。

 

「……味はどうなんだよ」

 

 ジラは焦げた端を見て、それから口の中のものを飲み込んだ。

 

「甘いわ」

 

「雑だな」

 

「焦げたところは少し苦い。

 味より、そこに誰かがいた感じが残るわね」

 

 

 胸の奥に、妙なものが落ちる。

 

 こいつは本当に、普通に好きなものを探すのが下手だ。

 でも、何も感じてないわけじゃない。

 俺とは違う場所に手を伸ばして、俺が見ないものを拾っている。

 

「……そういうのも、まあ、好きの手前でいいんじゃねぇの」

 

 言うと、ジラが顔を上げた。

 

「いいの?」

 

「知らねぇけど」

 

 ジラは少しだけ目を伏せた。

 手の中の焼き菓子を、もう一度見て、残りを食べた。

 

 口元に、粉が少しついている。

 指で示すと、ジラはきょとんとしてから、自分で拭った。

 

 それだけのことなのに、なぜか胸に残った。

 

 

 

 食べ終わってからもしばらく、そのまま並んで座っていた。

 

 無理に話題を探すでもなく、ジラもただ隣にいる。

 手だけは自然とまた繋がった。

 

 市場の喧騒は少し遠くなって、代わりに風の音が耳に残る。

 日はもう傾きかけていた。

 

 このまま黙っていても別によかった。

 よかったのに、終わりが近づいてる気がした途端、変な焦りみたいなものが胸の奥で動いた。

 

「……今日」

 

 自分で思ったより低い声が出る。

 

「来て、よかったか」

 

 気づけば、そんなことを聞いていた。

 ジラは少しだけ笑った。

 

「うん」

 

 

 風が吹く。

 黒髪が揺れる。ジラはそれを押さえもせず、視線だけが下へと向く。

 

 

「……足りない」

 

 ぽつりと落ちた声は、小さいのにやけに残った。

 

「一日なんかじゃ、足りないわ」

 

 またそれだ。

 平気な顔で、そういうことばかり言う。

 

「お前な……」

 

 呆れて返したはずなのに、声が少しだけ鈍る。

 ジラは小さく笑った。さっきまでより、ずっとやわらかい笑い方だった。

 

 その柔らかいままの目が、俺を見た。

 

 

「帰るの、嫌」

 

 その一言で、胸の奥が静かに熱くなる。

 

 楽しい、とは言わない。

 嬉しい、とも違う。

 でも終わるのが嫌だと言う。それだけで十分すぎた。

 

「……俺もだよ」

 

 言ってから、自分で何を言ったのか理解する。

 遅い。もう遅い。

 

 ジラが少しだけ目を見開く。

 それから、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 

 

 今日みたいに。

 空いたから来るんじゃなくて。

 俺のために、先に置かれた時間。

 

 それをもう知ってしまった。

 知ったら、次も欲しくなるに決まってる。

 

 

「……次も、先に空けろよ」

 

 言ってから、自分でも驚く。

 でも本音だった。

 

 ジラは一瞬だけ目を瞬いた。

 それから、少しだけ目を細める。

 

「ええ」

 

 短く返ってくる。

 それだけで妙に安心して、胸の奥の力が少し抜けた。

 

 今日一日が、そこでちゃんと形になった気がした。

 市場に行って、菓子を食って、飴を買って、歩いて、手を繋いだ。

 派手なことは何もない。

 世界も動いてない。

 誰かの顔色を変えたわけでもない。

 

 

 なのに。

 

 繋いだままの手が、ほんの少しだけ強くなる。

 ジラは何か言いかけるみたいに唇を動かして、それからやめた。

 

 その間が、妙に引っかかった。

 

 

「……何だよ」

 

 聞くと、ジラは少しだけ目を逸らした。

 さっきまでとは違う意味で、言いづらそうな顔だった。

 

「……発表は、まだなんだけど」

 

 その前置きで、胸の奥が少しだけ嫌な冷え方をする。

 

「何だよ」

 

 ジラは視線を落としたまま言う。

 

 

「――世界会議があるの」

 

 

 そこで、繋いだ手の感覚が急に現実味を失った気がした。

 

「パラディ島も、まぁ、参加できることになった」

 

 その瞬間、話の意味が一気に繋がる。

 

 島の外だろ。

 外交の場だ。

 参加するなら、誰かが行く。

 

 いや、違う。

 誰かじゃない。たぶん、こいつだ。

 

 

「……お前が行くのか」

 

 聞くと、ジラは小さく頷いた。

 

 それだけで、胸の奥が少し重くなる。

 

 また外か、と思う。

 危ないかもしれない。見えない場所で、何が起きるか分からない。

 

 せっかく次を口にしたのに、その次がもう置いていかれる話みたいで、少しだけ腹が立った。

 

 

 ジラは少し困ったみたいに眉を寄せた。

 

「……会談場に入れるのは私だけだから、私は確実に行かなきゃいけない」

 

 眉が寄る。

 

「は?」

 

「世界会議の会談の席に着けるのは、私だけ」

 

「何でだよ」

 

 反射みたいに出た声に、ジラが一瞬だけこっちを見る。

 

 

「私は、エルディア人じゃないから」

 

 そこで、言葉が詰まった。

 

 知らなかった。

 でも、どこかでは納得してしまった。

 

 東洋人だ。

 ――ミカサとの共通点はこれか。

 

 

 俺とは裏腹に、ジラはそれを大したことでもないみたいに続ける。

 

「エルディア人差別が無くなるには、時間が足りなかったの」

 

 ジラは静かに言う。

 

「パラディ島が参加することと、エルディア人を会談場に入れることは、向こうにとって別の話だった」

 

 分かる。世界会議だ。

 止められる話じゃないのも、重要なのも分かる。

 

 納得できるかは別だ。

 

 黙ったままいると、ジラの指先が少しだけ揺れた。

 繋いだ手を、離すでもなく、強く握り直すでもなく、ただそこに置いたまま。

 

 それから、ほんの少しだけためらって言う。

 

 

「……ジャンも、行く?」

 

 頭の中が、そこでまた止まった。

 

 ジラは、不安そうに俺を見た。

 見たまま、少しだけ緊張した様子で、それでも続ける。

 

「今回は、連れていけると思う。会談場は無理だけれど、近くにエルディア人用の、パラディ島側の建物が用意される予定なの」

 

 胸の奥に落ちる言葉の重さが、すぐには処理できなかった。

 

 

 俺も。

 行ける。

 

 置いていかれる側じゃなくて。

 最初から連れていく側に、入ってる。

 

 

「……俺も、行けるのか」

 

 自分でも驚くくらい、声が低い。

 

「ええ」

 

 ジラがやっとこっちを見る。

 

「嫌なら、無理にとは言わないけれど」

 

「そういう聞き方すんなよ」

 

 反射で返した。

 

「俺が断るみたいに言うな」

 

 ジラが少しだけ目を見開く。

 

 嬉しい。

 たぶん、思っていたよりずっと。

 でもそれと同じくらい、今さらかよ、って気持ちもある。ずっと欲しかったものを、やっと渡されたみたいで、胸の奥がぐちゃぐちゃだった。

 

「……行けるなら、行くに決まってんだろ」

 

 そう言うと、ジラはほんの少しだけ息を止めたみたいな顔をした。

 それから、小さく笑う。安心したみたいに。

 

 その顔を見て、ようやくこっちも息ができた。

 

「でも今さらだぞ」

 

 続ける。

 

「そういうの、もっと早く言え。今までずっと、置いてくだけ置いてったくせに」

 

「……ごめんね」

 

 ジラが小さく言う。

 

 謝られると、少しだけ腹の立ち方が鈍る。

 ほんとずるい。

 

 

「で、何人で行くんだ」

「いつだ」

「俺は何として行く」

 

 一気に聞くと、ジラが少しだけ目を丸くした。

 

「聞くの早いわね」

 

「行くって決めたら、そこは聞くだろ」

 

「そう」

 

 ジラはそこで、ようやくちゃんと嬉しそうに笑った。

 

「……うれしい」

 

 

 心臓の音が跳ねた。

 変に熱くなった気がした。

 

 島の外に行く。

 でも、今度は置いていかれない。

 胸の奥にあるのは嫌な重さばかりじゃない。

 

 そのことが、どうしようもなく嬉しかった。

 

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