壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――前話の続き。


77.ジャン視点

 

 その後も、似たようなことを何度かやった。

 

 俺が好きなものをひとつ選んで、次はジラに選ばせる。

 焼き菓子と、蜜漬けの果物。

 木の実を挟んだ薄い菓子と、粉砂糖のかかった小さい菓子。

 水で薄めた果実酒と、香草を入れた冷たい茶。

 

 

 最初のうち、ジラは全部に同じ顔をした。

 

「どっちでも」

 

「禁止っつっただろ」

 

「……じゃあ、ジャンが好きな方」

 

「それもなし」

 

 そう言うと、ジラは少しだけ唇を尖らせる。

 拗ねてる顔だった。

 こいつがそんな顔をするのが珍しくて、こっちは危うく笑いそうになった。

 

 

◇

 

 通りを抜けて、少し人の少ない場所まで来る。

 市場の喧騒が少しだけ遠くなって、風の音が混じる。

 

「座るか」

 

 近くの石段を顎で示すと、ジラは素直にうなずいた。

 

 並んで腰を下ろす。

 

 

 さっき買った焼き菓子を割って食べると、ジラはじっと見ていた。

 

「ジャンはそれが好きなの?」

 

「まあな」

 

「どういうところが」

 

「外が少し固いところと、中が甘いところ」

 

「それは好きなの?」

 

「好きってほど大げさじゃねぇけど、まあ、食いたくなる」

 

 ジラは少し考えてから、俺が割った残りを受け取った。

 

 口に入れる。

 ゆっくり噛む。

 眉がほんの少し寄る。

 

「……端の焦げたところは、嫌じゃないわ」

 

「そこかよ」

 

 ジラは指先に残った欠片を見た。

 茶色くなった端を、爪の先で軽く押す。

 

「作った人が、わざと焦がしたのか」

「たまたまなのか」

「火が強かったのか」

「別のことを考えていたのか」

 

「……菓子食って考えることか、それ」

 

「味よりも先にそれが来るのよ」

 

 ジラはもう一度、小さく齧った。

 焦げた端が、歯の間でかり、と鳴る。

 

「売れると思ったのか、気にしなかったのか、これも味だと思ったのか」

 

 俺は返す言葉に少し困った。

 

 好きな味を探せって言ったはずなのに。

 こいつは焼き菓子ひとつから、作った奴の手元まで見ようとしている。

 

「……味はどうなんだよ」

 

 ジラは焦げた端を見て、それから口の中のものを飲み込んだ。

 

「甘いわ」

 

「雑だな」

 

「焦げたところは少し苦い。

 味より、そこに誰かがいた感じが残るわね」

 

 

 胸の奥に、妙なものが落ちる。

 

 こいつは本当に、普通に好きなものを探すのが下手だ。

 でも、何も感じてないわけじゃない。

 俺とは違う場所に手を伸ばして、俺が見ないものを拾っている。

 

「……そういうのも、まあ、好きの手前でいいんじゃねぇの」

 

 言うと、ジラが顔を上げた。

 

「いいの?」

 

「知らねぇけど」

 

 ジラは少しだけ目を伏せた。

 手の中の焼き菓子を、もう一度見て、残りを食べた。

 

 口元に、粉が少しついている。

 指で示すと、ジラはきょとんとしてから、自分で拭った。

 

 それだけのことなのに、なぜか胸に残った。

 

 

◇

 

 食べ終わってからもしばらく、そのまま並んで座っていた。

 

 無理に話題を探すでもなく、ジラもただ隣にいる。

 手だけは自然とまた繋がった。

 

 市場の喧騒は少し遠くなって、代わりに風の音が耳に残る。

 日はもう傾きかけていた。

 

 このまま黙っていても別によかった。

 よかったのに、終わりが近づいてる気がした途端、変な焦りみたいなものが胸の奥で動いた。

 

「……今日」

 

 自分で思ったより低い声が出る。

 

「来て、よかったか」

 

 気づけば、そんなことを聞いていた。

 ジラは少しだけ笑った。

 

「うん」

 

 

 風が吹く。

 黒髪が揺れる。ジラはそれを押さえもせず、視線だけが下へと向く。

 

 

「……足りない」

 

 ぽつりと落ちた声は、小さいのにやけに残った。

 

「一日なんかじゃ、足りないわ」

 

 またそれだ。

 平気な顔で、そういうことばかり言う。

 

「お前な……」

 

 呆れて返したはずなのに、声が少しだけ鈍る。

 ジラは小さく笑った。さっきまでより、ずっとやわらかい笑い方だった。

 

 その柔らかいままの目が、俺を見た。

 

 

「帰るの、嫌」

 

 その一言で、胸の奥が静かに熱くなる。

 

 楽しい、とは言わない。

 嬉しい、とも違う。

 でも終わるのが嫌だと言う。それだけで十分すぎた。

 

「……俺もだよ」

 

 言ってから、自分で何を言ったのか理解する。

 遅い。もう遅い。

 

 ジラが少しだけ目を見開く。

 それから、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 

 

 今日みたいに。

 空いたから来るんじゃなくて。

 俺のために、先に置かれた時間。

 

 それをもう知ってしまった。

 知ったら、次も欲しくなるに決まってる。

 

 

「……次も、先に空けろよ」

 

 言ってから、自分でも驚く。

 でも本音だった。

 

 ジラは一瞬だけ目を瞬いた。

 それから、少しだけ目を細める。

 

「ええ」

 

 短く返ってくる。

 それだけで妙に安心して、胸の奥の力が少し抜けた。

 

 今日一日が、そこでちゃんと形になった気がした。

 市場に行って、菓子を食って、飴を買って、歩いて、手を繋いだ。

 派手なことは何もない。

 世界も動いてない。

 誰かの顔色を変えたわけでもない。

 

 

 なのに。

 

 繋いだままの手が、ほんの少しだけ強くなる。

 ジラは何か言いかけるみたいに唇を動かして、それからやめた。

 

 その間が、妙に引っかかった。

 

 

「……何だよ」

 

 聞くと、ジラは少しだけ目を逸らした。

 さっきまでとは違う意味で、言いづらそうな顔だった。

 

「……発表は、まだなんだけど」

 

 その前置きで、胸の奥が少しだけ嫌な冷え方をする。

 

「何だよ」

 

 ジラは視線を落としたまま言う。

 

 

「――世界会議があるの」

 

 

 そこで、繋いだ手の感覚が急に現実味を失った気がした。

 

「パラディ島も、まぁ、参加できることになった」

 

 その瞬間、話の意味が一気に繋がる。

 

 島の外だろ。

 外交の場だ。

 参加するなら、誰かが行く。

 

 いや、違う。

 誰かじゃない。たぶん、こいつだ。

 

 

「……お前が行くのか」

 

 聞くと、ジラは小さく頷いた。

 

 それだけで、胸の奥が少し重くなる。

 

 また外か、と思う。

 危ないかもしれない。見えない場所で、何が起きるか分からない。

 

 せっかく次を口にしたのに、その次がもう置いていかれる話みたいで、少しだけ腹が立った。

 

 

 ジラは少し困ったみたいに眉を寄せた。

 

「……会談場に入れるのは私だけだから、私は確実に行かなきゃいけない」

 

 眉が寄る。

 

「は?」

 

「世界会議の会談の席に着けるのは、私だけ」

 

「何でだよ」

 

 反射みたいに出た声に、ジラが一瞬だけこっちを見る。

 

 

「私は、エルディア人じゃないから」

 

 そこで、言葉が詰まった。

 

 知らなかった。

 でも、どこかでは納得してしまった。

 

 東洋人だ。

 ――ミカサとの共通点はこれか。

 

 

 俺とは裏腹に、ジラはそれを大したことでもないみたいに続ける。

 

「エルディア人差別が無くなるには、時間が足りなかったの」

 

 ジラは静かに言う。

 

「パラディ島が参加することと、エルディア人を会談場に入れることは、向こうにとって別の話だった」

 

 分かる。世界会議だ。

 止められる話じゃないのも、重要なのも分かる。

 

 納得できるかは別だ。

 

 黙ったままいると、ジラの指先が少しだけ揺れた。

 繋いだ手を、離すでもなく、強く握り直すでもなく、ただそこに置いたまま。

 

 それから、ほんの少しだけためらって言う。

 

 

「……ジャンも、行く?」

 

 頭の中が、そこでまた止まった。

 

 ジラは、不安そうに俺を見た。

 見たまま、少しだけ緊張した様子で、それでも続ける。

 

「今回は、連れていけると思う。会談場は無理だけれど、近くにエルディア人用の、パラディ島側の建物が用意される予定なの」

 

 胸の奥に落ちる言葉の重さが、すぐには処理できなかった。

 

 

 俺も。

 行ける。

 

 置いていかれる側じゃなくて。

 最初から連れていく側に、入ってる。

 

 

「……俺も、行けるのか」

 

 自分でも驚くくらい、声が低い。

 

「ええ」

 

 ジラがやっとこっちを見る。

 

「嫌なら、無理にとは言わないけれど」

 

「そういう聞き方すんなよ」

 

 反射で返した。

 

「俺が断るみたいに言うな」

 

 ジラが少しだけ目を見開く。

 

 嬉しい。

 たぶん、思っていたよりずっと。

 でもそれと同じくらい、今さらかよ、って気持ちもある。ずっと欲しかったものを、やっと渡されたみたいで、胸の奥がぐちゃぐちゃだった。

 

「……行けるなら、行くに決まってんだろ」

 

 そう言うと、ジラはほんの少しだけ息を止めたみたいな顔をした。

 それから、小さく笑う。安心したみたいに。

 

 その顔を見て、ようやくこっちも息ができた。

 

「でも今さらだぞ」

 

 続ける。

 

「そういうの、もっと早く言え。今までずっと、置いてくだけ置いてったくせに」

 

「……ごめんね」

 

 ジラが小さく言う。

 

 謝られると、少しだけ腹の立ち方が鈍る。

 ほんとずるい。

 

 

「で、何人で行くんだ」

「いつだ」

「俺は何として行く」

 

 一気に聞くと、ジラが少しだけ目を丸くした。

 

「聞くの早いわね」

 

「行くって決めたら、そこは聞くだろ」

 

「そう」

 

 ジラはそこで、ようやくちゃんと嬉しそうに笑った。

 

「……うれしい」

 

 

 心臓の音が跳ねた。

 変に熱くなった気がした。

 

 島の外に行く。

 でも、今度は置いていかれない。

 胸の奥にあるのは嫌な重さばかりじゃない。

 

 そのことが、どうしようもなく嬉しかった。

 

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