その後も、似たようなことを何度かやった。
俺が好きなものをひとつ選んで、次はジラに選ばせる。
焼き菓子と、蜜漬けの果物。
木の実を挟んだ薄い菓子と、粉砂糖のかかった小さい菓子。
水で薄めた果実酒と、香草を入れた冷たい茶。
最初のうち、ジラは全部に同じ顔をした。
「どっちでも」
「禁止っつっただろ」
「……じゃあ、ジャンが好きな方」
「それもなし」
そう言うと、ジラは少しだけ唇を尖らせる。
拗ねてる顔だった。
こいつがそんな顔をするのが珍しくて、こっちは危うく笑いそうになった。
◇
通りを抜けて、少し人の少ない場所まで来る。
市場の喧騒が少しだけ遠くなって、風の音が混じる。
「座るか」
近くの石段を顎で示すと、ジラは素直にうなずいた。
並んで腰を下ろす。
さっき買った焼き菓子を割って食べると、ジラはじっと見ていた。
「ジャンはそれが好きなの?」
「まあな」
「どういうところが」
「外が少し固いところと、中が甘いところ」
「それは好きなの?」
「好きってほど大げさじゃねぇけど、まあ、食いたくなる」
ジラは少し考えてから、俺が割った残りを受け取った。
口に入れる。
ゆっくり噛む。
眉がほんの少し寄る。
「……端の焦げたところは、嫌じゃないわ」
「そこかよ」
ジラは指先に残った欠片を見た。
茶色くなった端を、爪の先で軽く押す。
「作った人が、わざと焦がしたのか」
「たまたまなのか」
「火が強かったのか」
「別のことを考えていたのか」
「……菓子食って考えることか、それ」
「味よりも先にそれが来るのよ」
ジラはもう一度、小さく齧った。
焦げた端が、歯の間でかり、と鳴る。
「売れると思ったのか、気にしなかったのか、これも味だと思ったのか」
俺は返す言葉に少し困った。
好きな味を探せって言ったはずなのに。
こいつは焼き菓子ひとつから、作った奴の手元まで見ようとしている。
「……味はどうなんだよ」
ジラは焦げた端を見て、それから口の中のものを飲み込んだ。
「甘いわ」
「雑だな」
「焦げたところは少し苦い。
味より、そこに誰かがいた感じが残るわね」
胸の奥に、妙なものが落ちる。
こいつは本当に、普通に好きなものを探すのが下手だ。
でも、何も感じてないわけじゃない。
俺とは違う場所に手を伸ばして、俺が見ないものを拾っている。
「……そういうのも、まあ、好きの手前でいいんじゃねぇの」
言うと、ジラが顔を上げた。
「いいの?」
「知らねぇけど」
ジラは少しだけ目を伏せた。
手の中の焼き菓子を、もう一度見て、残りを食べた。
口元に、粉が少しついている。
指で示すと、ジラはきょとんとしてから、自分で拭った。
それだけのことなのに、なぜか胸に残った。
◇
食べ終わってからもしばらく、そのまま並んで座っていた。
無理に話題を探すでもなく、ジラもただ隣にいる。
手だけは自然とまた繋がった。
市場の喧騒は少し遠くなって、代わりに風の音が耳に残る。
日はもう傾きかけていた。
このまま黙っていても別によかった。
よかったのに、終わりが近づいてる気がした途端、変な焦りみたいなものが胸の奥で動いた。
「……今日」
自分で思ったより低い声が出る。
「来て、よかったか」
気づけば、そんなことを聞いていた。
ジラは少しだけ笑った。
「うん」
風が吹く。
黒髪が揺れる。ジラはそれを押さえもせず、視線だけが下へと向く。
「……足りない」
ぽつりと落ちた声は、小さいのにやけに残った。
「一日なんかじゃ、足りないわ」
またそれだ。
平気な顔で、そういうことばかり言う。
「お前な……」
呆れて返したはずなのに、声が少しだけ鈍る。
ジラは小さく笑った。さっきまでより、ずっとやわらかい笑い方だった。
その柔らかいままの目が、俺を見た。
「帰るの、嫌」
その一言で、胸の奥が静かに熱くなる。
楽しい、とは言わない。
嬉しい、とも違う。
でも終わるのが嫌だと言う。それだけで十分すぎた。
「……俺もだよ」
言ってから、自分で何を言ったのか理解する。
遅い。もう遅い。
ジラが少しだけ目を見開く。
それから、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
今日みたいに。
空いたから来るんじゃなくて。
俺のために、先に置かれた時間。
それをもう知ってしまった。
知ったら、次も欲しくなるに決まってる。
「……次も、先に空けろよ」
言ってから、自分でも驚く。
でも本音だった。
ジラは一瞬だけ目を瞬いた。
それから、少しだけ目を細める。
「ええ」
短く返ってくる。
それだけで妙に安心して、胸の奥の力が少し抜けた。
今日一日が、そこでちゃんと形になった気がした。
市場に行って、菓子を食って、飴を買って、歩いて、手を繋いだ。
派手なことは何もない。
世界も動いてない。
誰かの顔色を変えたわけでもない。
なのに。
繋いだままの手が、ほんの少しだけ強くなる。
ジラは何か言いかけるみたいに唇を動かして、それからやめた。
その間が、妙に引っかかった。
「……何だよ」
聞くと、ジラは少しだけ目を逸らした。
さっきまでとは違う意味で、言いづらそうな顔だった。
「……発表は、まだなんだけど」
その前置きで、胸の奥が少しだけ嫌な冷え方をする。
「何だよ」
ジラは視線を落としたまま言う。
「――世界会議があるの」
そこで、繋いだ手の感覚が急に現実味を失った気がした。
「パラディ島も、まぁ、参加できることになった」
その瞬間、話の意味が一気に繋がる。
島の外だろ。
外交の場だ。
参加するなら、誰かが行く。
いや、違う。
誰かじゃない。たぶん、こいつだ。
「……お前が行くのか」
聞くと、ジラは小さく頷いた。
それだけで、胸の奥が少し重くなる。
また外か、と思う。
危ないかもしれない。見えない場所で、何が起きるか分からない。
せっかく次を口にしたのに、その次がもう置いていかれる話みたいで、少しだけ腹が立った。
ジラは少し困ったみたいに眉を寄せた。
「……会談場に入れるのは私だけだから、私は確実に行かなきゃいけない」
眉が寄る。
「は?」
「世界会議の会談の席に着けるのは、私だけ」
「何でだよ」
反射みたいに出た声に、ジラが一瞬だけこっちを見る。
「私は、エルディア人じゃないから」
そこで、言葉が詰まった。
知らなかった。
でも、どこかでは納得してしまった。
東洋人だ。
――ミカサとの共通点はこれか。
俺とは裏腹に、ジラはそれを大したことでもないみたいに続ける。
「エルディア人差別が無くなるには、時間が足りなかったの」
ジラは静かに言う。
「パラディ島が参加することと、エルディア人を会談場に入れることは、向こうにとって別の話だった」
分かる。世界会議だ。
止められる話じゃないのも、重要なのも分かる。
納得できるかは別だ。
黙ったままいると、ジラの指先が少しだけ揺れた。
繋いだ手を、離すでもなく、強く握り直すでもなく、ただそこに置いたまま。
それから、ほんの少しだけためらって言う。
「……ジャンも、行く?」
頭の中が、そこでまた止まった。
ジラは、不安そうに俺を見た。
見たまま、少しだけ緊張した様子で、それでも続ける。
「今回は、連れていけると思う。会談場は無理だけれど、近くにエルディア人用の、パラディ島側の建物が用意される予定なの」
胸の奥に落ちる言葉の重さが、すぐには処理できなかった。
俺も。
行ける。
置いていかれる側じゃなくて。
最初から連れていく側に、入ってる。
「……俺も、行けるのか」
自分でも驚くくらい、声が低い。
「ええ」
ジラがやっとこっちを見る。
「嫌なら、無理にとは言わないけれど」
「そういう聞き方すんなよ」
反射で返した。
「俺が断るみたいに言うな」
ジラが少しだけ目を見開く。
嬉しい。
たぶん、思っていたよりずっと。
でもそれと同じくらい、今さらかよ、って気持ちもある。ずっと欲しかったものを、やっと渡されたみたいで、胸の奥がぐちゃぐちゃだった。
「……行けるなら、行くに決まってんだろ」
そう言うと、ジラはほんの少しだけ息を止めたみたいな顔をした。
それから、小さく笑う。安心したみたいに。
その顔を見て、ようやくこっちも息ができた。
「でも今さらだぞ」
続ける。
「そういうの、もっと早く言え。今までずっと、置いてくだけ置いてったくせに」
「……ごめんね」
ジラが小さく言う。
謝られると、少しだけ腹の立ち方が鈍る。
ほんとずるい。
「で、何人で行くんだ」
「いつだ」
「俺は何として行く」
一気に聞くと、ジラが少しだけ目を丸くした。
「聞くの早いわね」
「行くって決めたら、そこは聞くだろ」
「そう」
ジラはそこで、ようやくちゃんと嬉しそうに笑った。
「……うれしい」
心臓の音が跳ねた。
変に熱くなった気がした。
島の外に行く。
でも、今度は置いていかれない。
胸の奥にあるのは嫌な重さばかりじゃない。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。