執務室の壁に背中を預けながら、俺はエルヴィンが呼び出した、机の向こうのガキを見てた。
金髪、ひょろい体、眼の下に薄くクマ。
一見ただの頭でっかちな兵士。
だが、あの黒髪のガキが妙に気にかけているのは、こいつだ。
理由までは知らねぇ。だが、警戒してる相手ってのは見りゃ分かる。
エルヴィンは肘をついて、静かにアルミンを見ていた。
問い詰めるでも、疑うでもなく、まず全部吐かせる時の顔だ。
窓際ではケニーが椅子に腰かけ、つまらなそうに足を組んでいる。
こいつが同じ部屋にいて、なおかつ帰らねぇ時点で、ろくでもねぇ話だと分かる。
「……確認するが」
エルヴィンが口を開いた。
「君の見たものは、ただの予測ではないんだな」
「はい」
アルミンは頷いた。
迷いのない返事だった。
「結果だけが見えるわけじゃありません。そこへ行き着くまでの失敗も、途中で切れた枝も、全て見ています」
淡々とした声だった。
そのくせ、目の底だけが妙に冷えている。
俺は黙って聞いていた。
進撃だの未来だの、そういう話を素直に飲み込める趣味はねぇ。
だが、こいつが適当を抜かしてる顔じゃないことくらいは分かる。
「その中に」
エルヴィンが続ける。
「その失敗の記憶に、
この島がどう終わるかも含まれている、と」
エルヴィンの声も淡々としている。
「はい」
アルミンは頷き、
エルヴィンは続ける。
「パラディ島が破滅する枝も、
こちらが先に世界へ、取り返しのつかないことをする枝もあったのだな」
「はい」
短い返事。
それだけで、部屋の空気が一段沈んだ気がした。
ケニーが喉の奥で小さく笑う。
面白がってるのか、呆れてるのか分からねぇ嫌な笑いだ。
「で」
俺は口を開いた。
「てめぇはその中から、どれがマシか選んで持ってきたってことか」
アルミンの視線が一瞬だけこっちを向いた。
驚きも反発もない。ただ、少しだけ疲れた目だった。
◇
いい加減頭のいい会話に飽きた頃。
エルヴィンは指を組み直した。
「君は調査兵団に何を求める」
アルミンはすぐには答えなかった。
息をひとつ挟んでから、ようやく口を開く。
「壁内と外の世界との、バランスを保つための、
ジラが世界を、飲み込まないための」
「止める力を」
静かな声だった。
部屋の空気がまた一段重くなった。
ケニーが細めた目でアルミンを見る。
俺は腕を組み直す。
アルミンは声に出す。
エルヴィンは目を閉じる。
考えている時の顔だ。
あいつはいつだって、人類の勝利と自分の夢の両方を天秤にかけて、それでも前へ進む。
「君の話をそのまま受け取るなら」
やがてエルヴィンが言った。
「我々は外と戦う準備を進めながら、同時に内にも枷をはめることになる」
「はい」
「人類全体から見れば、自己制約だな」
その言葉には確認以上の意味があった。
必要だからやるのか、それとも恐れているからやるのか。
たぶん、その両方だ。
エルヴィンの視線が俺に向いた。
「リヴァイ」
「なんだ」
「君はどう思う」
面倒な振り方をしやがる。
俺は壁から背を離しもしないまま、アルミンを見た。
ガキは逃げねぇ目をしていた。
だが、まっすぐなだけの目でもねぇ。
もう引き返せない場所まで、一人で歩いてきたやつの目だ。
「気に食わねぇ話だな」
そう言うと、ケニーが肩を揺らして笑った。
「だが、止める役が要るってのは分かる」
アルミンが小さく息を吐く。
安堵には見えなかった。確認がひとつ済んだだけの顔だった。
エルヴィンはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「いいだろう」
低い声だった。
「君の見たものとやらを、私は一旦信じる」
あっさり言いやがる。
こいつはいつだってそうだ。腹を括る時だけは、余計な音がねぇ。
「ただし」
エルヴィンの声が続く。
「この話はここで終わらせない。確認すべき相手がいる」
アルミンがわずかに目を伏せる。
「……はい」
その返事で、次の行き先が決まった。
窓際のケニーが、腰を上げる。
「案内しろって顔だな」
「頼めるか」
エルヴィンが言うと、ケニーは大げさに肩をすくめた。
「連れてくだけだ。後は知らねぇぞ」
俺は壁から背を離した。
◇
その場所の空気は、最初から気に食わなかった。
誰も声を荒げてはいない。だが静かな時ほど、取り返しのつかねぇ話は進む。
歴史だのどうだのに興味はねぇ。
空気は張っているが、今すぐ斬り合う類のもんでもねぇ。
アルミンが何か言い、フリーダが静かに返し、エルヴィンがその先を読んでいるだけだ。
その横で、ケニーがふらっと抜けた。
先導してきたくせに、肝心な場には背を向ける。
やつらしい。
だが今日は、ただの気まぐれじゃねぇ匂いがした。
「エルヴィン」
呼ぶと、あいつは目だけ寄越した。
「外す」
それだけ言って、俺は広間を出た。
◇
開いた裏口の先、石段にケニーがいた。煙草をふかしてやがる。
「おい」
声をかけると、やつは振り返りもせず、肩だけ揺らした。
「来ると思ったぜ」
俺は近くの壁にもたれた。
「見張りだ」
「暇だったんだろ?
そんなとこばっか俺に似やがって」
舌打ちが出た。こいつの口からそういう言い方を聞くと、今でも妙に腹が立つ。
ケニーは笑って、煙を吐いた。
「中央憲兵が、元々何してたか知ってるか」
「知らねぇな」
「嘘つけ」
その言い方で、ろくでもねぇ話が来ると分かった。
「あの嬢ちゃん。
――xxxの親を殺したのは、俺だ」
風が木を鳴らす。
驚きはしなかった。
xxx。
あの女の本名だ。中央側ではたまにそっちで呼ばれて、嫌そうな顔してたか。
思えば、ジラがケニーをそばに置いていたことも、途中で切ったことも、全部どこか歪だった。
「……そうか」
「薄いな」
「お前が人を殺した話で、いちいち驚くかよ」
ケニーが喉の奥で笑う。
「それでも嬢ちゃんは俺を使った。
俺も使わせた。そういう関係だった」
「なんで切られた。……アルミンか?」
「そうだ」
ケニーは灰を落として、少し笑う。
「地下に連れてった時だ。にっこりしやがってよ。
『もう来ないでください』だと」
目に浮かぶ言い方だった。柔らかい面して、後に引かねぇ声で言う。
「上等な切り方じゃねぇか」
「だろ?」
だがその笑いも長くは続かなかった。
石段の下、暗い庭を見たまま、ケニーは低く言う。
「親は東洋人だった。二人ともな」
「だろうな」
こいつに聞いた。
壁の中で、アッカーマン家と同じような境遇だった一族。
「頭の切れる夫婦だった。国に使われてた」
ケニーは鼻で笑った。
何が言いたい。
「化け物の親は化け物だってだけだろ」
ケニーは肩を竦めて、そのまま続けた。
「世界のために、自分が役立つのが楽しかったんだとよ」
落としたその言葉だけ、重い。
「だが結局、見てたのは自分の好きな世界だけだ」
馬鹿にしてるようで、違った。
嫌ってるくせに、忘れてねぇ声だ。
ジラの親の話をしてるはずなのに、それだけじゃないものが混じっている。
「何が言いたい」
俺がそう言うと、ケニーはすぐには答えなかった。
「……広間の中じゃ、あいつらがでけぇ顔して世界を決める」
唐突なようで、そうでもなかった。
アルミンとエルヴィン。フリーダとヒストリア。あそこで進んでいる話が、ジラの盤面をひっくり返す。それくらいは俺でも分かる。
「嬢ちゃんは負ける」
ケニーがそう言った。
言い切りだった。予感でも分析でもねぇ。もうそういう顔をしている。
「勝つ負けるで動く女でもねぇだろ」
「そうだな。負ける時はある」
煙草を指で揉みながら、ケニーは吐き捨てるみてぇに続ける。
「で、柄にもねぇことを考えちまった。
俺のせいかもなってよ」
俺は黙った。
こいつがそんな言い方をするのは気持ちが悪かった。謝る気なんざなく、悔いるつもりもねぇ。だが引っかかってる。そういう声だった。
「親を殺した。そいつの血を引いたガキを手元に置いた。使えるだけ使った。余計なもんまで見せた」
ケニーが笑う。乾いた、嫌な笑いだった。
「そりゃあ、少しくらいは歪むだろ」
「今さらだろ」
「ああ、今さらだ」
石段から立ち上がる。膝を払う仕草まで、いつも通りだった。いつも通りなのに、妙に鬱陶しい。
「だから何だ」
吐き捨てると、ケニーは肩をすくめた。
「別に。助ける気もねぇ。助ける筋合いもねぇ」
「だったら黙って失せろ」
「怖ぇな」
そう言いながら、こっちを見た。
「育ててなくても、似るもんだなと思ってよ」
その言葉で、嫌でも分かる。
ジラが親に似たと言いたいのもある。
俺がこいつに似たと言いたいのもある。
たぶんその両方だ。
「誰が誰にだ」
「聞いてんじゃねぇよ。分かってる顔してるくせに」
腹が立った。
地下で叩き込まれたもんが今も身体に残ってるのは、自分が一番よく知っている。刃の使い方も、息の殺し方も、迷わねぇための癖も。捨てたつもりのもんは残る。
だから余計に、こういう話をこいつの口から聞きたくなかった。
「今さら身内面か」
吐き捨てると、ケニーは露骨に嫌そうな顔をした。
「気色悪ぃこと言うな。伯父ぶる気なんざねぇよ」
「もう十分気色悪ぃ」
「違ぇねぇ」
ケニーは短く笑って、それから少しだけ真顔になった。
「こうはなるなよ、とは思ったかもな」
そのまま言いやがったので、一瞬だけ言葉に詰まった。
だが次の瞬間には、こいつ自身がその言い方を気に食わなかったらしく、舌打ちして言い直す。
「……いや、違ぇな。そうなるなら、せめて自分で選べ。人に乗せられた盤面で、勝手に終わるな」
その言葉は、ジラに向けたものか、俺に向けたものか分からなかった。
たぶん、どっちにもだ。
「何で俺に話した」
聞くと、ケニーは鼻を鳴らした。
返さずに俺の横を通り過ぎる。
煙草と酒と、古い地下の匂いがした。忘れたつもりでも、身体は覚えてやがる。
「後は若いのでやれ。俺は抜ける」
「逃げるの間違いだろ」
「そうとも言う」
数歩先で、足が止まる。
「リヴァイ」
呼ばれて顔をしかめた。
「何だ」
だが俺が黙っていると、ケニーはそれで満足したらしい。
「……気まぐれだ」
ケニーは口の端だけで笑った。馬鹿にする笑いじゃない。認めたくねぇことを誤魔化す時の顔だった。
それだけ残して、今度こそ歩いていく。
俺は追わなかった。
追ったところで、こいつは肝心なところだけ自分でも名前をつけねぇ。昔からそうだ。
裏口の向こう、広間の方からかすかに声がした。アルミンたちはまだ話している。世界だの未来だの、でかい話はあっちで進む。
石段に残った煙草の匂いだけが、妙にしつこかった。
勝手なことばかりしやがる。
ケニーも。
ジラも。
アルミンも。
……反吐が出るほど、似たような連中だ。