食堂はいつも同じ匂いがした。
汗とパンと、薄いスープ。木の椅子の湿り気。
私はミカサと居た。
女子が先に終わった。それだけだ。
ミカサは相変わらず表情が少ない。
食堂の扉が開いて二人が入ってきた瞬間、ミカサの目が光る。
「エレン!アルミン!」
声の温度が一段上がる。
目が輝く、という表現がそのまま当てはまる。
ミカサは椅子から立ち上がって、迷いなく二人へ向かっていった。
……まぁ、いいけどさ。
そう思ったら。
三人がそのまま、私の席まで来た。
来て、当然みたいに座り直す。
エレンが、肘をついて疑問をそのまま顔にした。
「お前、ミカサと仲いいよな」
「そう見える?」
私は首を傾げる。角度は少しだけ。
仲がいいという言葉は便利だ。曖昧で、都合がいい。
ミカサが即答する。
「ジラは友人」
……評価高いね?
高くても問題はない。むしろ便利だ。
友人という札は、場面によって鍵になるから。
エレンが頬を掻いて、言いにくそうに続けた。
「こいつ、避難所でも、俺とアルミン以外とまともに話そうとしなくてさ」
「まぁ、なんていうかさ……」
言葉が詰まる。
詰まるのは、照れてるからじゃない。説明が下手だからだ。
馬鹿は嫌いじゃない。読みやすいから。
私はミカサの方に視線を戻して、からかうように笑った。
「ミカサ、大事にされてるのね?」
ミカサは表情をほとんど変えないまま、言う。
「当たり前。エレンは私のことが大事だから」
「お前!よくそんなこと言えるな!?」
エレンが反射で叫ぶ。
怒っているようで、焦っているようで、照れているようで、全部混ざっている。分かりやすい。
アルミンが苦笑いをして、間に入る。
「まぁまぁ。エレンもミカサも落ち着いて」
……よく見る光景。
三人の輪。
普通に考えれば、アルミンはその輪から外れるはずだ。
外れてもいいはずなのに、外れていない。
私は無意識にアルミンを見ていた。
見てしまった、という方が正しい。
「ん?」
アルミンが首を傾げる。
目が合う。
笑う。
表情が柔らかいのに、視線が逃げない。
そう。なら試そう。
私は声を軽くして、名前を呼ぶ。
「アルミン。
貴方は好きな人いないの?」
「えっ、僕?」
アルミンが頬を掻いた。困った顔。困った顔のまま考える。
「うーん……今はそういうこと考えてる余裕がないというか……」
私は少しだけ角度を変える。
甘い質問より、刺さる質問の方が反応が見える。
「二人がイチャついてるの見て、イラッとこないの?」
「イチャ……!」
エレンがその言葉で固まる。
ミカサは、満更でもないように少し口角を上げた。
この2人はこうやって固定されてるんだろう。
そういう恋愛もあるらしい。
アルミンは一瞬だけ目を伏せ、それから小さく笑った。
「……羨ましいな、って思う時はあるよ」
声が静かだ。
静かな声は、本音のことが多い。
「でも、あの二人が幸せなら……それでいいって思うんだ」
あの……?
まるで目の前にいないかのような言い方。
本人は清々しい顔。
本気で思っているなら、頭は相当お花畑だ。
本気でそう思えるなら。それは別の意味で強さでもある。
私は顔に出さず、短く返す。
「へぇ……」
私は相槌だけ落とす。
落としながら、話をそらす。
違和感だけは積み重なる。
「この二人って昔からこうなの?」
アルミンが少しだけ肩の力を抜く。
話しやすい話題だ。人は語れる話を振られると安心する。
「あ、あぁ。僕が初めて会った時にはもうこんな感じだったよ。最初なんて……」
アルミンの声が、少しだけ弾む。
――アルミンは苦手だ。
エレンはいい。馬鹿だ。
ミカサもいい。エレン馬鹿だ。
馬鹿の思いもよらない行動が、私は好きだ。
アルミンは賢い。
そして、ひらめきも同時に持つ秀才。
エレンが横から、得意げでもなく、ただ思い出したまま言う。
「一度、壁を上から抜けようとして怒られたんだよな」
「上から?」
私が聞き返すと、ミカサが補足する。
「アルミンが作った」
「結局壊れちゃったけどね」
壊れた。
成功していたら、ここにはいないか。
壁の外で巨人に食われているか、壁の内で憲兵団に処されているか。
恐らくもっと小さな頃だろう。
末恐ろしい。
アルミンは、エレンのためにその頭脳を使おうとする。
使えるからこそ、使う。使うのが当然だと思っている。
当然は最強の駆動力だ。
表向きは歓談。
でも私は思考を回す。
今の私は賭けの最中だ。
この国の全てを。歴史を。外を。その先を。
命があるうちに知ることができるか。
アルミンの夢は、外の広い世界を見ること。
エレンも同じ方向を見てるはずなのに、彼はどこか目が澄んでいる。
気味が悪い。
私は、知ることにより人が追い詰められる瞬間が見たい。
理性が折れて、本能が勝つ瞬間。
私は多くの混乱を、この目で見たい。
そのためにも私は、知らなければいけない。
動かなければならない。
知識は通過点だ。
理性では想像がつかない、暴力的な世界。
壁の内側、壁の外側。どちらも。
「……ジラ?」
ミカサが私を呼ぶ。
私は、自分が笑っていたことに気づいた。
笑ったつもりはなかった。
――ダメだ。体が勝手に反応してるな。
「どうかした?」
「笑ってたから。アルミンの話は面白い?」
ミカサは真っ直ぐだ。
真っ直ぐは、刃になる。
彼女はその刃を、エレンのために振るう。
私は瞬き一つで、表情を整えた。
可愛い笑顔じゃない。いつもの、軽い微笑み。
「興味深いね」
ほんとに。
アルミンの夢は綺麗でつまらない。
アルミンの賢さは私の邪魔になるとしか思えない。
彼への違和感は答えが出ない時の恐怖に似ている。
予想通りなんてつまらない。
でも、盤面を完全にひっくり返されるのも困る。
嫌なものを視界の外に置くのは好みじゃないから、
私は黙って距離だけを測り直した。