壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

80 / 87
80.

 

心の底は妙に静かだった。

 

怒っているわけじゃない。

喚きたいわけでもない。

何かに当たり散らしたいほど、まだ期待していたわけでもない。

 

ただ、負けたのだと思った。

 

それも、ひどく綺麗に。

 

 

調べた。

記憶、身体、書類、外の人との違い。

 

違和感に気づく人はいた。

それでも、

 

世界は、何事もなかったみたいな顔をしている。

 

その程度の誤差で済んだ。

済むように、私が整えたから。

 

 

空を見上げて、息をついた。

空は変わらない。

当然だ。変わったのはエルディア人だけなのだから。

 

 

世界を変えたかった。

 

皆に、私と同じものを見せたかった。

壁の内側で守られているだけの世界じゃなくて、もっと広くて、もっと醜くて、もっと息苦しくて、それでも目を逸らせない世界を。

 

私だけが知っているのが、嫌だった。

私だけが外れているのが、嫌だった。

 

だから始めた。

 

地下で技術を掘り起こして、人を動かして、人を壊して、海を見つけて、島の外へ手を伸ばして、世界の喉元に少しずつ指をかけていった。

 

だんだんと近づいていた。

私が、私でいられて、それでも皆と同じ世界を見られる場所に。

 

皆。

エルディア人だ。

 

線が引かれたようだった。

 

私だけ残された。

 

 

記憶は塗り替えられ、巨人は過去になった。

 

巨人薬が、効果を示さなかった。

それは巨人がいないことの実証だった。

 

皆は、あっさり新しい世界に馴染んでいく。

最初からそうだったみたいな顔で。

 

 

上手い。

 

そう思う。

感心するほど、見事だった。

 

自分の上を行かれたのだと分かった。

だったらもう、仕方がない。

 

 

私の楽しいことが、他人にとっては嫌なことだと知っている。

だから好きにやる時は、必ず何かしら相手側の利益と抱き合わせにしてきた。

善人だからではない。

その方が釣り合いが取れるからだ。

 

 

今の世界は、

崩すことに利益がない。

 

私がどう動かしたって、他のルートは、型落ちだ。

だから崩さない。

私には、崩せない。

 

 

こんな世界、楽しくない。

 

私の好きな世界に戻すほどの熱量が、私には、もう無い。

 

だから、これでいい。

 

 

「……やってられないわ」

 

口に出した声は、自分で思ったよりも柔らかかった。

 

 

 

背後で足音が止まる。

 

迷いのない足音だった。

探して、見つけて、ようやく辿り着いた足音。

 

 

「こんなところにいたのか」

 

振り向かなくても分かる。

振り向く。

 

ジャンがいた。

 

眉間に皺が寄っている。

でも、それだけじゃない。

明らかに私を探していた顔をしていた。

 

 

胸の奥が、少しだけやわらかくなった。

 

あぁ、と思う。

まだ少しだけ、自分のものが残っている。

 

「探してたの?」

 

そう聞くと、ジャンは口元をわずかに歪めた。

 

「……悪いかよ」

 

「全然」

 

彼は私の方へ歩いてきて、手を伸ばせば届くところで止まる。

近すぎず、遠すぎず。

その半端な距離が、いかにもジャンらしい。

 

「フロックが……」

 

そこでジャンは言葉を飲み込んだ。

 

「……会ったの?」

 

「会った」

 

やがて低い声で言った。

 

「任せたって、言いやがったんだよあいつ」

 

眉を顰めたまま、声に出す。

 

「胸騒ぎが止まんねぇんだよ。

 何する気だ」

 

私は少しだけ笑った。

 

「恋じゃない?」

 

「お前のことはとっくに好きだよ」

 

息が、わずかに止まる。

 

本当に、この男はこういう時だけ真っ直ぐだ。

言ってほしい時には言わないくせに、欲しくない時に限って躊躇なく心臓を刺してくる。

 

困る。

でも、嬉しい。

 

「……私も好きよ?」

 

「おう」

 

短い返事。

それだけで充分だった。

 

風が吹く。

窓が鳴る。

 

私はジャンを見る。

ジャンも私を見る。

 

もう多くはいらない。

盤面は終わった。

だったら、残り少ない自分のものを、少しだけ大事にしたい。

 

「じゃあ」

 

そう口にすると、ジャンの眉が動いた。

 

 

「……キスしても、いい?」

 

ジャンの動きが止まる。

 

分かりやすいくらいだった。

逡巡。葛藤。迷い。

目を逸らした。喉が動く。手が、ほんの少し震えている。

 

……そうよね。

分かってた。

 

私の視線が自然と落ちる。

 

今さらだ。

本当に、今さらすぎる。

 

好きだの何だの散々やってきて、まだそこだけは越えていない。

越えなかったから保てたものも、たぶんある。

 

 

静かに時間が流れる。

 

風の音。

窓枠の鳴る音。

遠くの気配。

 

やがて、ジャンが動いた。

 

 

手がゆっくり伸びてきて、私の頬に添えられる。

 

あたたかい、と思った。

 

その手つきはひどく慎重だった。

触れたいくせに、壊したくはないみたいな手。

 

顔が少し上がる。

目が合う。

 

ジャンの目は、相変わらず不器用なくらい真っ直ぐだった。

欲もある。迷いもある。怯えもある。

それでも、どれか一つに飲まれてはいない目だった。

 

 

好き。

 

本当に、好き。

 

顔が近づいてくる。

私は目を閉じた。

 

息遣いを感じる。

あと少し。

たぶん、触れる寸前まで来て、

 

 

止まった。

 

思わず少し笑いそうになる。

 

あぁ、この人は本当にこういう人。

 

 

「――何する気だ」

 

低い声が、近くで落ちる。

 

……こういう時だけ勘が効くのね。

 

目を開ける。

近すぎて焦点が少しぼやける。

でも、ジャンが近い。触れられてる。それだけで嬉しい。

 

だから笑う。

 

「キス、してくれないの?」

 

そう言うと、頬に触れている指先がわずかに強張った。

 

キス。

この距離なら、私が動けば奪える。

 

したい。

それくらい貰ってもいいでしょう、と思う。

 

私はゆっくり顔の角度を傾ける。

ジャンが固まった。

 

今ここで、

私からキスしても、多分、嫌われない。

 

そう思う。

 

思うけれど。

 

 

――私はゆっくりと身を引いた。

 

離れる。

頬の手が滑り落ちる。

 

ジャンの目が揺れる。

戸惑いと、不満と、少しの焦り。

分かりやすい。

 

私はその手を取った。

指をきゅっと握る。

ジャンは遅れて握り返してくれた。

 

その遅れ方が、らしいと思う。

 

ゆっくりと手を持ち上げる。

ジャンの目を見る。

 

それから、ジャンの手の甲にキスをした。

 

訓練兵の時を思い出す。

 

あの頃も、私たちはこういう触れ方をした。

唇までは行かない、でも何もなかったことにはしない触れ方。

子供っぽくて、妙に丁寧で、今思えばずいぶん不格好だった。

 

うん。

後悔はしてない。

 

私はやれるだけのことをやった。

始めてなかったら、ジャンに会えてなかった。

 

今の状況を招いた原因は分かってない。

誰が、どうやって、ここまで綺麗に盤面をひっくり返したのか。

それでも。

 

「――好き。大好き」

 

記憶が変わってたって。

例え私のこと忘れてたって、きっと。

 

手の甲に向けて言うと、ジャンの手が握りしめられた。

 

次の瞬間、腕が引かれる。

手がぐいっと持ち上げられる。

 

ジャンの口元に。

 

私の手の甲に、ジャンの唇があたる。

 

数秒。そのまま。

 

訓練兵の時と同じ場所。

でも、同じではない。

 

あの頃より、ずっと重い。

ずっと静かで、

ずっと後戻りがない。

 

ジャンの目が閉じられている。

胸が震えた。

 

好き。

 

 

目がゆっくり開く。

唇が離れる。

 

手は、繋がれたまま。

 

 

「……言えねぇのか?」

 

低い声だった。

 

私は少しだけ笑った。

 

「言えないんじゃない、言わないの」

 

ジャンの眉間に皺が寄る。

予想通り、そこで引かない。

 

「何でだよ」

 

「そう決めたから」

 

「ふざけんな」

 

「ふざけてないわ」

 

「だったら、ちゃんと言え」

 

声が少し強くなる。

でも怒鳴らない。

怒鳴ったら壊れるって、どこかで分かってるのだろう。

 

そのくせ、退かない。

 

「お前、また勝手に決めてんのか」

 

その言葉に、私は目を細めた。

 

また。

 

そのまたには、いろんなものが混ざっている。

技術者のこと。

地下のこと。

フロックに突きつけられたこと。

自分だけが後から知ること。

 

ジャンは全部を言わない。

でも、全部が消えたわけでもない。

 

「ええ」

 

「ええ、じゃねぇだろ」

 

「だって、そうでしょう」

 

「そうじゃねぇよ」

 

ジャンの声は低い。

怒鳴ってはいないのに、押し返す力だけは強い。

 

 

「……俺がいるだろ」

 

 

胸の奥が、きゅっと縮んだ。

 

本当に、この男はそういうことを言う。

 

逃げ道みたいに差し出される優しさじゃない。

綺麗事でもない。

ただ、そこにいると言う。

自分を勘定に入れろと、まっすぐ言ってくる。

 

私はジャンを見た。

彼も私を見ている。

逃がす気のない顔だった。

 

まっすぐ返ってくる。

ほんとうに、こういう人だ。

 

残ったものを抱えて進む人。

納得できなくても、傷が残っていても、それでも前を向く人。

今の世界だって、きっとそうやって受け入れてしまう。

失ったものを数えながらでも、生きていく方を選ぶ。

 

だから好きになった。

 

だから、困る。

 

「ジャンがいるから」

 

そう言うと、ジャンの眉がぴくりと動いた。

 

私は少しだけ笑った。

 

 

「全部どうでもよくなった。

 でも、ジャンだけ、まだ惜しいの」

 

ジャンの顔が強張る。

その表情が、少しだけ可笑しかった。

 

 

もう決めたのだ。

世界が綺麗に上書きされた以上、私が崩す意味はない。

崩したところで、誰の得にもならない。

私が見たいものは、もう失われた。

 

だったら終わりだ。

 

終わりのはずなのに。

 

ジャンがいると、終わり切らない。

 

 

「……私はこんな世界、認めたくない」

 

ぽつりと落とす。

 

「でも、崩せない」

「崩したって、前より悪くなるだけだもの」

 

ジャンは黙って聞いていた。

口を挟まない。

たぶん全部は分かっていない。

それでも、黙って受け止めようとする。

 

そういうところも、ずるい。

 

 

「全部、私の都合よ」

「ジャンは何も悪くない」

 

「一人で決めんな」

 

すぐに返ってくる。

間髪入れずに。

 

ジャンは少しだけ苛立った顔をした。

 

「お前が勝手に終わらせようとすんの、もう見飽きたんだよ」

 

その言葉に、息が少し止まる。

 

見飽きた。

そう言われるくらいには、何度もやってきたのだろう。

自分で決めて、自分で切って、自分だけ納得して先へ行く。

 

たしかに、そうだ。

 

 

「ねぇ、ジャン」

 

「何だよ」

 

「私のこと、好き?」

 

「今さら何聞いてんだよ」

 

呆れたように言いながら、視線は逸らさない。

 

「好きだよ」

 

 

心臓が、ひどく静かに沈む。

 

嬉しい。

困る。

もっと欲しくなる。

 

「……私も好き」

 

声が、自分で思ったより柔らかかった。

 

ジャンの喉がわずかに動く。

けれど、言葉は何も出てこなかった。

 

私は明日、世界会議に行く。

私だけで。

 

会談場にエルディア人は入れない。

それは、もっと前に決まって、もう覆らなかったことだ。

 

 

そして私は、もう決めた。

誰の盤面かは知らないけれど、多分きっと望んでいることをしてあげる。

 

だって私は、それが綺麗だと思う。

 

 

それなのに。

 

――もっと欲しい。

 

 

ゆっくり顔を上げる。

 

「……もうちょっとだけ、そばにいて」

 

 

ジャンの目が揺れる。

 

命令じゃない。

懇願でもない。

ただ、今だけは離れたくないという、ずいぶんみっともない本音だった。

 

ジャンは少し黙って、それから低く返した。

 

「ちょっとじゃねぇよ」

 

「え?」

 

「今日は、俺の見えるとこにいろ」

 

その言葉に、思わず笑いそうになる。

ああ、本当に。

 

 

「……独占欲?」

 

「うるせぇ」

 

吐き捨てるみたいに言って、でも手は離さない。

 

私はその熱を確かめるみたいに、指を絡めた。

 

 

足りない。

全然、足りないと、そう思った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。