「団長が呼んでる」
兵士にそう声をかけられて、フロックは舌打ち混じりに振り返った。
俺を一度見たが、何も言わない。
いや、言うことなんか残ってないって顔だった。
そのまま、兵士の後について歩いていく。
俺はその背中を見送る気にもなれず、建物の外壁に背中を預けた。
夜風が冷たい。
喉の奥がざらついて、息がうまく入ってこない。
――お前が言うなら、あいつは聞いたんだよ。
――お前のせいで、ジラは死ぬかもな。
うるせぇ。
心の中で吐き捨てても、声は消えない。
むしろ、黙った今の方がよく響く。
聞いた、って何だよ。
止まるわけねぇだろ。
あいつが。
そう思うのに、完全には振り払えない。
もし少しでも揺らいだなら。
もし、あの時。昨日。
俺が違うことを言ってたら。
「ジャン」
呼ばれて顔を上げる。
アルミンだった。
いつものように静かな顔をしてる。
でも、少しだけ眉が寄っていた。心配してるようにも見えるし、そう見せてるだけにも見える。
どっちかは分からない。
今はもう、こいつの顔もあんまり信じたくなかった。
アルミンは俺の少し横に立って、同じように壁に寄りかかった。
「……どうだった?」
「何が」
答えながら、声が思ったより荒れていた。
アルミンは気にした様子もなく、前を見たまま言う。
「昨日。ジラとちゃんと話せたのかなと思って」
その言葉だけで、胃の奥がきしむ。
話した。
話した、はずだ。
ジラは笑ってた。
いつもみたいに。
いや、少し違ったか。
柔らかかった。妙に。気味悪いくらいに。
『ジャン』
昨日の声が、耳の奥で蘇る。
『好き。大好き』
甘ったるい声。
わざとらしいくらい、まっすぐな目。
俺は眉を寄せた。
「……お前に関係ねぇだろ」
「うん、関係ないね」
アルミンはあっさり言った。
否定も、言い訳もしない。
「でも、気にはなるよ。君たち、見てる方が疲れるし」
「何だそれ」
少しだけ、苛立ちが口から漏れる。
アルミンはそこで初めて、こっちを見た。
困ったような、でも少し笑いそうな顔だった。
「そういえばさ」
何でもない話をするみたいな調子で続ける。
「君たちって、いつからそういう感じだったっけ」
「……は?」
「付き合い始めたの、最近じゃないよね」
「ちゃんと好きだって言ったのは、どっちから?」
何なんだこいつ。
急に何を言い出すんだ。
そう思うのに、脳みそは勝手に拾ってしまう。
最初に告白した時のこと。
ジラの顔。
あの時の息の詰まり方。
こっちを見上げる目。
掴んだ手の熱。
好きだと言ったのは、どっちだったか。
先に言葉にしたのは。
先に落ちたのは。
先に終わる気でいたのは。
喉の奥が熱くなる。
「……何で今それ聞くんだよ」
アルミンは少しだけ視線を落とした。
「落ち着くかなと思って」
「は?」
「こういう時、人って案外、どうでもいい記憶を辿ると呼吸戻るから」
穏やかな声だった。
本当に気を遣ってるみたいな顔をしている。
その顔が、余計に腹立たしい。
頭の奥で、別の声が浮かぶ。
――ジャンはジラに洗脳されてるんだよ。
ぴたり、と胸の奥が冷えた。
あれ、いつ言われたんだったか。
あの時も腹が立った。
今思い出しても腹が立つ。
俺は顔を上げる。
「……なぁ」
アルミンが俺を見る。
「前に言ってた、あの洗脳って何だったんだよ」
自分でもびっくりするくらい、刺すみたいな声が出た。
「お前、あれ本気で言ってたのか?」
アルミンの睫毛が、わずかに揺れる。
少しだけ困ったような顔をして、それから小さく息を吐いた。
「必要だったんだ」
短い返事だった。
「必要?」
「うん」
アルミンは視線を逸らさない。
「君は、ジラのことになると見えなくなるから」
「一回、そういう言い方でもしないと駄目だと思った」
血が逆流するみたいに、かっと熱くなる。
「ふざけんなよ」
声が低くなる。
「見えなくなってるのはお前だろ」
「何が必要だよ」
アルミンは反論しない。
ただ、少しだけ口を閉ざす。
その沈黙が、余計に気に食わない。
「俺は、自分で選んでる」
吐き捨てるように言う。
「勝手に操られてるみたいに言うな」
アルミンはそこで、ほんの少しだけ迷う顔をした。
本当に迷ってるのか、そう見せてるだけなのかは分からない。
分からないのが、気持ち悪い。
「……ねぇ、ジャン」
静かな声だった。
「今、洗脳されてないって言える?」
「当たり前だろ」
「俺は自分で選んでる」
言い切る。
言い切ったはずなのに、その直後、胸の奥が妙にざわついた。
アルミンはすぐには何も言わなかった。
ただ、制服の内ポケットに手を入れて、折り畳まれた紙束を取り出す。
少し迷うみたいにそれを指先で持って、それから俺に差し出した。
「……これ、見つけたんだ」
「何だよ」
「僕は、そうは思わない」
その言い方は静かだった。
でも、妙に冷たく聞こえた。
俺は眉をひそめながら紙を受け取る。
見覚えのある筆跡。
配置図。
数字。
補強用の支柱。
座席の位置。
そして、不自然なくらい丁寧に記された印。
喉が止まる。
「これ……」
アルミンは答えない。
――ジラに、洗脳されてるんだよ。
アルミンの声が、脳みその奥から顔を出す。
うるせぇよ、とは思う。
けど、それを無視したら、あいつの思う壺な気もして、余計に腹が立つ。
『ジャン』
昨日のジラの声が頭に回る。
『好き。大好き』
妙に、甘ったるい声。
ジラは今、あの会場で笑ってる。
フロック、これ知ってやがったのかよ。
――お前が言うなら、あいつは聞いたんだよ。
――お前のせいで、ジラは死ぬかもな。
うるせぇ。
黙れ。
そう思うのに、どっちも否定できない。
妙に落ち着いた団長。
苛立ったフロック。
昨日のジラ声、顔、言葉。
アルミンの持ってた書類。
ジラが書いた見取り図、配置図、影響範囲の予測。
頭の中で繋がった。
「……ふざけんな」
知らなかったのは俺だけか。
外の空気が肺に刺さる。
気づいたら腰の立体機動装置のレバーを押し込んでいた。
カンッとフックが、遠くの壁に食い込む乾いた音。
鋼線が引き絞られ、体が空に放り出される。
間に合うか?
風を裂く音にかき消されそうな声で、俺はもう一度呟く。
「間に合わせるしかねぇだろ」
屋根から屋根へ、ワイヤーを打ち込みながら飛ぶ。
遠くに、会談が行われている建物の屋根が見えた。
――ジラが、あの会場に、爆発物を設置した。
喉が熱くなる。
怒りと、情けなさと、怖さと、全部が混ざって気持ち悪い。
「……そういうの、嫌いになるっつったろうが」
時間がない。
◇
窓ガラスが割れる音。
俺はそのまま、会談ホールの高い窓から飛び込む。
ガラス片が頬をかすめ、血が一筋流れた。
床に転がり込んで、すぐ立ち上がる。
騒然とした視線が一斉にこちらを向いた。
豪奢なテーブル。
その周りに座る、各国の偉そうな連中。
ジラ。
一瞬で視線がぶつかった。
半目がちの黒い瞳が、ありえないくらい見開かれる。
「……ジャン?」
口がそう動いたのが、遠目にも分かった。
「よ」
息が切れてるのをごまかしながら、片手を軽く上げる。
返事はそれだけにして、俺はすぐに視線を床へ滑らせた。
柱と柱の間。
テーブルの端の下。
補強用の細い支柱。
床に、不自然な継ぎ目。
――左から6、扉から5。覚えておいて。
――きっと役に立つ。
アルミンの言葉が木霊する。
くそっ。これかよ。
「ジャン、なんで!」
ホールに響くジラの声。
焦ってる。
俺は笑った。
性格の悪い笑い方になってる自覚はある。
「今さらだろ」
支柱の根本に全力で蹴りを入れる。
鈍い手応え。簡単には動かない。
「チッ」
しゃがみ込んで、床の継ぎ目に指を掛ける。
薄い板が、ぎぃ、と音を立てて持ち上がった。
中から顔を出したのは、金属とコードの塊。
細長くて、嫌な重みのある爆弾。
「……はい、正解」
喉の奥で笑いが漏れる。
アルミンは何を知ってるんだ、とか、今はどうでもいい。
――時間がない。
走って間に合うか?
爆弾を片腕で抱え上げる。
予想通り、重い。でも、持てないほどじゃない。
固まって動けなくなっている各国の代表たちが、青い顔でこっちを見ている。
そりゃそうだ。
自分たちの足元にこれが仕込まれてた自覚くらいは、あるんだろ。
「お前らも、運悪かったな」
ぼそりと呟いて、俺は立体機動装置のレバーを引いた。
窓が一番近いのは、反対側の壁だ。
ジラがいる場所とは逆方向。
「ジャン!」
「もう起動してんだよ」
爆弾の側面。
小さなランプが点滅している。
カウントは、とっくに始まってる。
「真ん中でドカンとやるよりマシだろ」
一歩。
二歩。
三歩。
腕の中の爆弾が、かすかに熱を帯び始めている。
皮膚越しに、いやな鼓動みたいな振動が伝わる。
ジラが走ってくるのが分かる。
爆弾のあった位置は、ジラも確実に巻き込まれてた。
それでも
「俺、お前のこと好きなんだよ」
外から見たら、ただの狂った兵士だ。
爆弾抱えたエルディア人が、和平会談のど真ん中を突っ走ってる。
でも、俺は知ってる。
ここで誰も動かなかったら、もっと最悪な形で終わってた未来を。
――これは俺の判断か?
――誰かに操られてるだけじゃねぇのか?
アルミンの声がまた響く。
「うるせぇよ」
誰に向かってか分からない悪態を吐いて、俺は叫ぶ。
「俺は洗脳されてねぇ!」
肺が燃える。
喉が焼ける。
「これは、俺が決めた!」
窓まで、あと数歩。
ガラスに映った自分の顔は、思ったより楽しそうだった。
「キスぐらい、先にしときゃよかったな!」
乾いた冗談みたいな本音が、勝手に口をついて出る。
投げ捨てて、横の廊下に飛び移りゃ、ワンチャン生き残れるか――そんな甘い計算が頭の隅をかすめる。
俺は全力で腕を振りかぶった。
投げる動きの途中。
爆弾が、俺の腕の中で白い光に変わる。
音が飛んだ。
世界が、真っ白になって。
熱だけが、やけにリアルだ。
皮膚が焼ける。
鉄と血の味。
遠くで、誰かが叫んでいる。
誰かが泣いている。
誰かが俺の名前を呼んでいる。
――世界のためでも、人類のためでもねぇ。
――ただ、お前に、そんなクソつまらない顔させたくなかっただけだ。
胸の奥で、心臓が最後の仕事をする。
ドクン、と一回、大きく跳ねる。
視界の隅で、テーブルが半分吹き飛び、もう半分は辛うじて残っているのが見えた。
窓ガラスは割れて、爆風の大部分が外へ抜けていく。
真ん中じゃない。
少し、外した。
……上出来だろ。
誰かが膝から崩れ落ちる影が見えた気がした。
口の形だけで、自分の名前を呼んでいる。
――ああ、泣いてくれてる。