「……」
地面が揺れた。
周りを見渡す。
エルヴィンが顔色ひとつ変えずに何かをメモしている。
リヴァイはいつものイラついた顔。
その少し離れた椅子で、アルミンはじっと机の一点を見ていた。
作戦室。
ジラがいる会場からは少し離れた場所。
「フロック」
妙に静かなアルミンの声が響く。
ゆっくり顔を向けると、真っ直ぐ俺を見ていた。
「ジラは、無事だよ」
アルミンは淡々と続けた。
「死んだのは、ジャンだ」
世界が、さっきと別の意味で静かになった。
安堵と、焦りが同時に来る。
さっきまで、あんなにうるさかった心臓の音が一瞬浮いた。
「フロック」
次はエルヴィンが口を開く。
正論が来る。危険だとか、状況を見るべきとか、そういう類のやつが。
俺は顰めた顔を隠さずに、顔だけで振り向く。
「……」
真正面から見つめ返される。
「ジラはまだ、我々に必要な存在だ」
「回収は君の役目だろう」
――許された。
「……回収してきます」
◇
燃えた匂いがした。
建物の外にいる時点で、鼻の奥に刺さっていた。
煙と、焦げた木と、焼けた布と、鉄と、……血。
外壁は黒く焦げている。
窓ガラスは何枚も割れ、ところどころ大きく穴が空いている。
でも、崩壊してはいない。
街全体が吹き飛んだ気配もない。
ジラの、計算通り。
警備のやつが囲んでる。
変装くらいしてくるべきだったか。
立体機動の制服のままで、良かったのか?
ジラの想定と、これは、どこまでズレてる……?
「……入っていいか?」
警備は俺の格好を見て、顎をしゃくった。
「中だ」
分からねぇが、いいらしい。
俺は頷く。
崩れかけた階段を駆け上がった。
三階。
長い廊下。
血と埃と煙で霞んだ空間。
その向こうに、破れた扉と、半壊した会議室。
天井が一部落ちている。
支柱が折れ、テーブルが傾き、様々な破片がめちゃくちゃに散らばっている。
人がいる。
呻き声を上げている者、気絶している者。
焼け焦げた制服を着た兵士が、壁にもたれかかって咳き込んでいる。
「生存者はこちらです!」
誰かが叫ぶ。
救護部隊が担架を運び、傷ついた人間を引きずり出していく。
足元の瓦礫を蹴散らしながら探す。
黒焦げになった木片。
ねじ曲がった鉄。
砕けたガラスに、靴底を滑らせそうになる。
あの黒髪を探す。
あんなにいつも目立ってるのに、今日はなんで。
「……ジラ」
喉が勝手に名前をこぼす。
返事はない。
返ってくるのは、そこら中にある人の呻きと、咳と、うっすらした泣き声。
焦ってるのか冷静なのか、自分でも分からない。
ただ、視界に入る一つひとつを、片っ端から。
――いた。
半壊したテーブルの陰。
折れた支柱と、落ちた天井の板の隙間。
膝から崩れた姿勢のまま、動かない黒。
心臓が、一瞬だけ高く跳ねた。
「ジラ!」
瓦礫を蹴飛ばし、踏みしだき近づく。
近くに行っても、最初はそれが本当にジラなのか、判別できなかった。
灰と血と、細かいガラス片が髪にこびりついている。
服は煤で汚れ、肩口が破れている。
素肌に、赤黒い線が何本も走っていた。
顔を覗き込んで、ようやく、見慣れた輪郭だと理解する。
「……生きてるか」
呼びかける。
黒髪が、かすかに揺れた。
伏せていた顔が、ゆっくりこちらを向く。
黒い瞳が、ピントを探すみたいにフラフラと動いて――俺の顔に止まった。
その瞬間、ジラの喉から、音になりきらない何かが漏れた。
「……フロック」
声がひどく掠れている。
いつもの甘ったるい響きが、全部どこかに落ちたみたいに乾いていた。
「あぁ。生きてんな」
実際に口から出たのは、その程度の言葉だった。
近づいて、肩を掴んで揺さぶろうとして――気づく。
ジラの手が、何かを抱えて離していない。
胸の前で、まるで壊れものを守るみたいに、小さな両手が固まっている。
――近くには立体機動装置の残骸。
見た瞬間、口の中に鉄の味が広がった。
この会場には入れなかったはずの、
壁の中にいた、俺たちしか使わない、
見慣れた形。
「……ああ、クソ」
頭の奥で、アルミンの声が蘇る。
――ジラは、無事だよ。
――死んだのは、ジャンだ。
そうかよ。
「どこまで……分かってて言いやがったんだ」
アルミンに向かっての悪態か、自分へのかはもう分からない。
ジラは、俺の独り言なんか聞いていない。
視線は、腕の中のそれに貼り付いたままだ。
血で滑ったのか、ところどころベルトの革が裂けている。
金具の一部は、熱で変形していた。
「……全部、無くなっちゃった」
かすかな声が落ちた。
「……あ?」
「……顔も、手も。……何も分からないの」
瞳が、ゆっくり俺の方に向いた。
何かを期待している訳でも、助けを求めてる訳でもない。
ただ、そうだった、と確認された事実を、俺に見せつけてくるみたいな目。
「ここに、これだけ」
ジラの指がぎゅっと握られる。
ジラの握ったバックル部分には、小さく刻んだイニシャルが見えた。
J.K.
ジャン・キルシュタイン。
「……あの、馬鹿」
笑い声とも、しゃくり上げともつかないものが喉で絡まる。
「キスくらい、しとけばよかった、なんて……」
心臓が、どくりと跳ねた。
「なんで、今更言うのよ……」
ジラから涙と嗚咽が、溢れるように零れる。
――やってくれたな、ジャン。
胸の奥で、誰にも聞こえない声が呟く。
「……最悪だな、お前ら」
息を吐き出すみたいに言う。
ジラが、ぽかんと俺を見る。
「……フロック?」
「最悪だよ」
あえて笑った。
「全部目の前で終わらせやがって」
ジラの喉が、きゅっと縮まるのが見えた。
「……終わってなんて、ない」
細い声。
「してないの。終わらせてなんか、ないのに」
指先が震える。
握っているバックルに、爪が食い込む。
そのまま、ジラの肩を片手で掴んだ。
「立て」
簡潔に言う。
ジラは、俺を見上げたまま瞬きをした。
「……立てない」
「立て」
「……足が」
「じゃあ勝手に連れてく」
無理矢理引き起こす。
ジラの膝が、瓦礫の上をずるりと滑った。
細い足が震えて、すぐに折れそうになる。
肩を引き寄せ、腰を支え、半ば引きずるみたいにして立たせる。
「フロック、離して」
「やだね」
「お願い」
「嫌だ」
ジラが顔を歪める。
「……私、今、まともじゃないわ」
「最初からだろ」
一瞬、ジラの目が見開かれて――ふっと笑いが零れた。
ひどい顔だ。
笑ったというより、顔の筋肉が勝手に引きつっただけだ。
「……そうね」
肩にかかる重みが少し増える。
「私がまともじゃないから」
「ジャンが来てしまった」
――どこまでこいつの想定通りだ。
爆弾はお前が用意した。
和平会談のど真ん中に。
爆発前に逃げると言ったのは、嘘だったんだろ。
「……」
ここで口にするのは、良くねぇ。
ただ、睨みつけた。
ジラは顔をそむけた。
ッチ。
「帰るぞ」
あのへたれが、最後の最後で一番格好つけたのは想像がつく。
「……でも、あいつはそういう男だ」
吐き捨てるように言う。
「ジャンの足を動かしたのは、ジラ、お前だ」
言いながら、自分で言わせられてる感覚があって、舌打ちしたくなる。
「……私が、殺したってこと?」
「そうだ」
即答した。
「お前とジャン共犯だ」
ジラが、ぽかんとした顔で俺を見る。
言いながら、自分でも笑えてくる。
そして――
「俺は、そのお前らに、最後まで付き合うって言っちまった馬鹿だ」
ジラの喉が震える。
胸の奥から、ふっと息が漏れた。
「……まだ、付き合ってくれるの?」
「途中で都合よく変えるなって言ったの、俺だからな」
肩を引き寄せる腕に力を入れる。
ジラは、まだジャンのバックルを離さない。
いい。
それはそれで持ってろ。
「行くぞ、ジラ」
「どこに?」
「エルヴィン団長のとこだ」
この女はまだ、必要とされている。
世界をマシにする道具として。
「お前を、回収しに来た」
ジラが笑う。
ひび割れた声、汗と涙と血でぐちゃぐちゃになった顔。
力は入ってない。
俺が引きずってるようなものだ。
……背負うか?
「……もういい。もういいのよ」
「もう、楽しくないじゃない。こんなの」
「それでも、最後までやれ」
無理やりにでも背負う。
嫌がられはしなかった。
一歩。
また一歩。
崩れかけた会議室の中を、ゆっくり歩く。
周りには、まだ呻いている人間がいる。
誰かが泣いている。
その全部を背に受けて。
「フロック」
俺の背中に重みを預けたまま、ジラが囁いた。
「……私、ジャンの望む未来なんて、つまらないわ」
「だろうな」
こいつには退屈すぎる。分かってた。
「でも」
俺は、正直に答える。
「ジャンは諦めなかったから、こうなってんだろうが」
「……諦めなかった、だけ」
「途中で投げ出したら、
その時こそ本当にお前を殺しに行くぞ」
ジラが、小さく笑った。
「……頼んだわね」
「……黙ってろ」
会議室の出口が近づく。
外には、煙と、怒号と、これから何十年も続く面倒くさい話が待っている。
その全部をまとめて引き受けるみたいに、ジラは最後にもう一度だけ、バックルを握りしめた。
「……聞いてる? ジャン」
誰にともなく呟く。
「……ちゃんとやるから。……嫌いにならないでよ」
そう言って、黒髪の女は顔を上げた。
俺は崩れた会議室から一歩外へ踏み出す。
世界はまだ、燃え尽きていない。