壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――エルディア人待機場所。


85.フロック視点

 

「……」

 

地面が揺れた。

周りを見渡す。

 

エルヴィンが顔色ひとつ変えずに何かをメモしている。

リヴァイはいつものイラついた顔。

その少し離れた椅子で、アルミンはじっと机の一点を見ていた。

 

作戦室。

ジラがいる会場からは少し離れた場所。

 

「フロック」

 

妙に静かなアルミンの声が響く。

ゆっくり顔を向けると、真っ直ぐ俺を見ていた。

 

 

「ジラは、無事だよ」

 

 アルミンは淡々と続けた。

 

「死んだのは、ジャンだ」

 

 

世界が、さっきと別の意味で静かになった。

 

安堵と、焦りが同時に来る。

さっきまで、あんなにうるさかった心臓の音が一瞬浮いた。

 

「フロック」

 

次はエルヴィンが口を開く。

正論が来る。危険だとか、状況を見るべきとか、そういう類のやつが。

 

俺は顰めた顔を隠さずに、顔だけで振り向く。

 

「……」

 

真正面から見つめ返される。

 

「ジラはまだ、我々に必要な存在だ」

「回収は君の役目だろう」

 

――許された。

 

 

「……回収してきます」

 

 

 

 

燃えた匂いがした。

 

建物の外にいる時点で、鼻の奥に刺さっていた。

煙と、焦げた木と、焼けた布と、鉄と、……血。

 

外壁は黒く焦げている。

窓ガラスは何枚も割れ、ところどころ大きく穴が空いている。

 

でも、崩壊してはいない。

街全体が吹き飛んだ気配もない。

ジラの、計算通り。

 

 

警備のやつが囲んでる。

 

変装くらいしてくるべきだったか。

立体機動の制服のままで、良かったのか?

ジラの想定と、これは、どこまでズレてる……?

 

 

「……入っていいか?」

 

警備は俺の格好を見て、顎をしゃくった。

 

「中だ」

 

分からねぇが、いいらしい。

俺は頷く。

 

 

崩れかけた階段を駆け上がった。

 

三階。

長い廊下。

血と埃と煙で霞んだ空間。

 

その向こうに、破れた扉と、半壊した会議室。

 

天井が一部落ちている。

支柱が折れ、テーブルが傾き、様々な破片がめちゃくちゃに散らばっている。

 

人がいる。

呻き声を上げている者、気絶している者。

焼け焦げた制服を着た兵士が、壁にもたれかかって咳き込んでいる。

 

「生存者はこちらです!」

 

誰かが叫ぶ。

救護部隊が担架を運び、傷ついた人間を引きずり出していく。

 

足元の瓦礫を蹴散らしながら探す。

 

黒焦げになった木片。

ねじ曲がった鉄。

砕けたガラスに、靴底を滑らせそうになる。

 

あの黒髪を探す。

あんなにいつも目立ってるのに、今日はなんで。

 

「……ジラ」

 

喉が勝手に名前をこぼす。

 

返事はない。

返ってくるのは、そこら中にある人の呻きと、咳と、うっすらした泣き声。

 

焦ってるのか冷静なのか、自分でも分からない。

ただ、視界に入る一つひとつを、片っ端から。

 

――いた。

 

半壊したテーブルの陰。

折れた支柱と、落ちた天井の板の隙間。

 

膝から崩れた姿勢のまま、動かない黒。

 

心臓が、一瞬だけ高く跳ねた。

 

「ジラ!」

 

瓦礫を蹴飛ばし、踏みしだき近づく。

 

近くに行っても、最初はそれが本当にジラなのか、判別できなかった。

 

 

灰と血と、細かいガラス片が髪にこびりついている。

服は煤で汚れ、肩口が破れている。

素肌に、赤黒い線が何本も走っていた。

 

顔を覗き込んで、ようやく、見慣れた輪郭だと理解する。

 

「……生きてるか」

 

呼びかける。

 

黒髪が、かすかに揺れた。

 

伏せていた顔が、ゆっくりこちらを向く。

黒い瞳が、ピントを探すみたいにフラフラと動いて――俺の顔に止まった。

 

その瞬間、ジラの喉から、音になりきらない何かが漏れた。

 

「……フロック」

 

声がひどく掠れている。

いつもの甘ったるい響きが、全部どこかに落ちたみたいに乾いていた。

 

「あぁ。生きてんな」

 

実際に口から出たのは、その程度の言葉だった。

 

近づいて、肩を掴んで揺さぶろうとして――気づく。

 

ジラの手が、何かを抱えて離していない。

 

胸の前で、まるで壊れものを守るみたいに、小さな両手が固まっている。

 

――近くには立体機動装置の残骸。

 

見た瞬間、口の中に鉄の味が広がった。

 

この会場には入れなかったはずの、

壁の中にいた、俺たちしか使わない、

見慣れた形。

 

 

「……ああ、クソ」

 

頭の奥で、アルミンの声が蘇る。

 

――ジラは、無事だよ。

――死んだのは、ジャンだ。

 

そうかよ。

 

「どこまで……分かってて言いやがったんだ」

 

アルミンに向かっての悪態か、自分へのかはもう分からない。

 

ジラは、俺の独り言なんか聞いていない。

 

視線は、腕の中のそれに貼り付いたままだ。

 

血で滑ったのか、ところどころベルトの革が裂けている。

金具の一部は、熱で変形していた。

 

「……全部、無くなっちゃった」

 

かすかな声が落ちた。

 

「……あ?」

 

「……顔も、手も。……何も分からないの」

 

瞳が、ゆっくり俺の方に向いた。

 

何かを期待している訳でも、助けを求めてる訳でもない。

ただ、そうだった、と確認された事実を、俺に見せつけてくるみたいな目。

 

「ここに、これだけ」

 

ジラの指がぎゅっと握られる。

ジラの握ったバックル部分には、小さく刻んだイニシャルが見えた。

 

J.K.

ジャン・キルシュタイン。

 

 

「……あの、馬鹿」

 

笑い声とも、しゃくり上げともつかないものが喉で絡まる。

 

「キスくらい、しとけばよかった、なんて……」

 

 心臓が、どくりと跳ねた。

 

「なんで、今更言うのよ……」

 

ジラから涙と嗚咽が、溢れるように零れる。

 

 

――やってくれたな、ジャン。

胸の奥で、誰にも聞こえない声が呟く。

 

 

「……最悪だな、お前ら」

 

息を吐き出すみたいに言う。

 

ジラが、ぽかんと俺を見る。

 

「……フロック?」

 

「最悪だよ」

 

あえて笑った。

 

「全部目の前で終わらせやがって」

 

ジラの喉が、きゅっと縮まるのが見えた。

 

「……終わってなんて、ない」

 

細い声。

 

「してないの。終わらせてなんか、ないのに」

 

指先が震える。

握っているバックルに、爪が食い込む。

 

そのまま、ジラの肩を片手で掴んだ。

 

「立て」

 

簡潔に言う。

 

ジラは、俺を見上げたまま瞬きをした。

 

「……立てない」

 

「立て」

 

「……足が」

 

「じゃあ勝手に連れてく」

 

無理矢理引き起こす。

ジラの膝が、瓦礫の上をずるりと滑った。

 

細い足が震えて、すぐに折れそうになる。

 

肩を引き寄せ、腰を支え、半ば引きずるみたいにして立たせる。

 

「フロック、離して」

 

「やだね」

 

「お願い」

 

「嫌だ」

 

ジラが顔を歪める。

 

「……私、今、まともじゃないわ」

 

「最初からだろ」

 

一瞬、ジラの目が見開かれて――ふっと笑いが零れた。

 

ひどい顔だ。

笑ったというより、顔の筋肉が勝手に引きつっただけだ。

 

「……そうね」

 

肩にかかる重みが少し増える。

 

「私がまともじゃないから」

 

「ジャンが来てしまった」

 

 

――どこまでこいつの想定通りだ。

 

爆弾はお前が用意した。

和平会談のど真ん中に。

 

爆発前に逃げると言ったのは、嘘だったんだろ。

 

 

「……」

 

ここで口にするのは、良くねぇ。

ただ、睨みつけた。

ジラは顔をそむけた。

 

ッチ。

 

「帰るぞ」

 

あのへたれが、最後の最後で一番格好つけたのは想像がつく。

 

「……でも、あいつはそういう男だ」

 

吐き捨てるように言う。

 

「ジャンの足を動かしたのは、ジラ、お前だ」

 

言いながら、自分で言わせられてる感覚があって、舌打ちしたくなる。

 

「……私が、殺したってこと?」

 

「そうだ」

 

即答した。

 

「お前とジャン共犯だ」

 

ジラが、ぽかんとした顔で俺を見る。

 

言いながら、自分でも笑えてくる。

 

そして――

 

「俺は、そのお前らに、最後まで付き合うって言っちまった馬鹿だ」

 

ジラの喉が震える。

胸の奥から、ふっと息が漏れた。

 

「……まだ、付き合ってくれるの?」

 

「途中で都合よく変えるなって言ったの、俺だからな」

 

肩を引き寄せる腕に力を入れる。

 

ジラは、まだジャンのバックルを離さない。

 

いい。

それはそれで持ってろ。

 

「行くぞ、ジラ」

 

「どこに?」

 

「エルヴィン団長のとこだ」

 

この女はまだ、必要とされている。

世界をマシにする道具として。

 

「お前を、回収しに来た」

 

ジラが笑う。

 

ひび割れた声、汗と涙と血でぐちゃぐちゃになった顔。

 

力は入ってない。

俺が引きずってるようなものだ。

 

……背負うか?

 

 

「……もういい。もういいのよ」

 

「もう、楽しくないじゃない。こんなの」

 

「それでも、最後までやれ」

 

 

無理やりにでも背負う。

嫌がられはしなかった。

 

 

一歩。

また一歩。

 

崩れかけた会議室の中を、ゆっくり歩く。

 

周りには、まだ呻いている人間がいる。

誰かが泣いている。

 

その全部を背に受けて。

 

「フロック」

 

俺の背中に重みを預けたまま、ジラが囁いた。

 

 

「……私、ジャンの望む未来なんて、つまらないわ」

 

「だろうな」

 

こいつには退屈すぎる。分かってた。

 

「でも」

 

俺は、正直に答える。

 

「ジャンは諦めなかったから、こうなってんだろうが」

 

「……諦めなかった、だけ」

 

「途中で投げ出したら、

 その時こそ本当にお前を殺しに行くぞ」

 

ジラが、小さく笑った。

 

「……頼んだわね」

 

「……黙ってろ」

 

会議室の出口が近づく。

 

外には、煙と、怒号と、これから何十年も続く面倒くさい話が待っている。

 

その全部をまとめて引き受けるみたいに、ジラは最後にもう一度だけ、バックルを握りしめた。

 

 

「……聞いてる? ジャン」

 

誰にともなく呟く。

 

「……ちゃんとやるから。……嫌いにならないでよ」

 

そう言って、黒髪の女は顔を上げた。

 

俺は崩れた会議室から一歩外へ踏み出す。

 

世界はまだ、燃え尽きていない。

 

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