壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――作戦室。


86.エルヴィン視点

 

フロックが部屋を出て行った後、残ったのは静寂だった。

その中で私は、目の前の少年――アルミンに問いかけた。

 

「ここまでは、君の見た通りか」

 

 アルミンは少しだけ息を飲み、それから頷いた。

 

「……はい」

 

 短く、それだけ答えたあと、彼は続ける。

 

「未来の僕が選んだ。

 そして、今の僕もその未来を選びました」

 

 

 その言葉で十分だった。

 

 

◇

 

 

 あの時のレイス家の礼拝堂は、地上の喧騒から切り離されたように静かだった。

 

 ケニーとリヴァイは途中で退席し、

 残っていたのは、祭壇前のフリーダとヒストリア、そして横に立つ少年アルミンだけだった。

 

 

 未来を見たと、彼は言った。

 

 人類にとって、どの地獄を採るかという選択。

 

 これは、ある意味自由を奪う処置だった。

 

 

 だからこそ、問われていたのは一つだけだった。

 

 ――どの地獄を通すか。

 

 

「……いいだろう」

 

 私がそう言うと、アルミンの瞳が初めて揺れた。

 

「この話を採る。そして――」

 

「採用した時点で、これは我々の責任だ」

 

 

◇

 

 

 アルミンは、今、あの日と同じ目で立っていた。

 私は椅子から立ち上がる。

 

 世界会議は中断された。

 ジラの書いていた筋書きを修正する。

 

 これは選択だ。

 

 

「残りは我々が引き受ける」

 

 この選択により死んだ者もいる。

 この選択が正しかったとは言わない。

 

 だが、ここで止まるという選択を、私が採ることはない。

 

 

「作戦を続行する」

 

 

 

◇

 

 

 爆発から十日。

 

 

 病室の前に立つと、扉の向こうから、かすかな声が聞こえた。

 

 中にいるのは二人だと報告は受けている。

 フロックと、ジラだ。

 

 

 私は扉を開ける前に、一度だけ呼吸を整える。

 

 崩れた会談場の処理、各国への説明、島内の統制、調査兵団側の配置転換。

 事態はまだ収束にはほど遠い。だが、初動の混乱は過ぎ去った。

 

 

 私は扉を二度、軽く叩いた。

 

 返事はない。

 

 だが中で、椅子が小さく鳴った。私はそのまま扉を開ける。

 

 

 病室には薬品の匂いと、まだ新しい包帯の白さが満ちていた。

 

 窓際の椅子にフロックが座っている。手には新聞。

 既に読まれた後だろう。

 

 寝台の上にはジラ。

 

 左腕は吊られ、肩から腹にかけて包帯が厚く巻かれている。

 顔色は悪い。唇の色も薄い。

 

 それでも、目だけはひどくよく動いていた。

 

 

 彼女が喉の奥で笑う。

 

「……なんの用かしら。今更」

 

 乾いた声だった。

 

 

 部屋に入ると、フロックは持っていた新聞を脇へと置き、立ち上がる。

 

 彼には既に連絡を通していた。

 短く頷く。

 

「少し二人で話したい」

 

「はい」

 

 

 フロックは一瞬だけジラを見ると、そのまますれ違い、扉へ向かった。

 

「しばらく戻らなくていい」

 

 彼は立ち止まらずに答えた。

 

「分かってます」

 

 

 扉が閉まる。

 

 部屋が急に広くなった気がした。

 

 ジラはようやく1度だけこちらを見る。

 

 驚きはない。警戒も薄い。来たのが誰であれ、大して変わらないとでも言いたげな、疲れ切った無関心だけがそこにあった。

 

 

 すぐにそらされる。

 彼女の目線は、脇に置かれた新聞。

 

 パラディ島兵士、各国代表を救うため死亡。

 理性ある島の可能性。

 再考されるべき対パラディ政策。

 エルディア人差別への反対勢力の声。

 

 その新聞たちを見たまま、彼女が言う。

 

 

「フロック、持ってくる物も、待ち方も、

 露骨だったとは思ったのよ」

 

「私が頼んだ」

 

「そうでしょうね」

 

 

 私は寝台のそばまで歩き、机の上の新聞を一瞥した。

 

「どう思う?」

 

 彼女は答える。

 

「人ってほんと、死んだ人間に意味を貼るのが上手ですね」

 

「不満か」

 

「まさか」

 

 その返答は、あまりに軽かった。

 

 

「感心してるの。

 爆発は起きた。死人も出た。1人だけ。

 なのに、その死んだのが止めた側の兵士なら、それだけで話は別になる」

 

 そこで小さく咳き込む。傷に響いたのだろう、眉が寄る。だがそれでも、笑みは消さない。

 

「……私、生き残ってるし」

 

 

 その一言で、彼女の口元が僅かに笑ってる理由が見えた気がした。

 

 ジャンが英雄になったからではない。

 

 自分の終わり方を、勝手に書き換えられたから。

 なのかもしれない。

 いや、ここは。

 

 

「君の計画は失敗した」

 

 私ははっきり言う。

 

「そしてジャンの行動は成功した」

 

 ジラの睫毛が、ほんのわずかに揺れた。

 

 

「世界は今、島を怪物でしかないものとして断じ切れずにいる。

 会談の生き残りも、新聞も、各国の使節も、その方向へ動き始めた」

 

「……でしょうね」

 

 彼女は視線を紙面へ戻す。

 

 

 私は続ける。

 彼女を盤面に戻さなくてはならない。

 

 

「君は人類に、地獄を選ばせたいと言ったな」

 

 新聞を押さえていた彼女の指が止まる。

 

「君自身が地獄を選ばないのは、不公平ではないだろうか」

 

 ジラは黙っている。

 だが、否定しない。

 

「人類に取って、どちらが正しいのかは私には分からない」

 

「君は、盤面を壊し公平な世界を作り自分はそこで降りるつもりだった。

 その方が良かった可能性も、当然あるだろう」

 

 

 ジラが、ほとんど息だけで笑う。

 

「……よく分かってますね」

 

 私は淡々と続ける。

 

 

「君は以前、こうも言っていたな」

 

 私は彼女を見る。

 

「それしか選べませんでした、という顔をされるのは、死ぬほど嫌だと」

 

 ジラの視線が動く。

 

「……言いましたね」

 

 

「ならば今度は君が選べ」

 

 私は続けた。

 

 

「君は生き残った。ジャンは死んだ」

 

 彼女は答えない。

 

「君は彼を知っているはずだ。

 彼は、自分の死を君の退場の言い訳にされて喜ぶか」

 

 

 そこで初めて、彼女の顔から笑みが消えた。

 なにかに思い至ったかのように。

 

「……ジャン」

 

 掠れた声が漏れる。

 

「……ジャンは、そういうの、嫌がりそうね」

 

 

 ジラは目を開けない。

 

 病室に沈黙が落ちる。

 長い沈黙だった。

 

 

 やがて彼女が、喉の奥で小さく笑う。

 

 最初に聞いたのとは違う音だった。乾いてはいたが、今度は少しだけ、痛みが混じっていた。

 

「本当に、団長って、性格悪いですね」

 

「君に言われるとはな」

 

 

 ジラは天井を見たまま、言葉を零す。

 

「……ジャンのために、働けってことかしら」

 

 

 ジャンの死に貼られた意味。

 外との交渉。島の延命。世界の行く末。その全部。

 

 彼女は島のためには有用だ。

 働いてもらわねばならない。

 

 私は数秒だけ考え、それから答えた。

 

 

「そうだ。

 彼のために働いてくれ」

 

 

 彼女にとっての地獄が、そこにはあるだろう。

 

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