壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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――作戦室。


86.エルヴィン視点

 

フロックが部屋を出て行った後、残ったのは静寂だった。

その中で私は、目の前の少年――アルミンに問いかけた。

 

「ここまでは、君の見た通りか」

 

 アルミンは少しだけ息を飲み、それから頷いた。

 

「……はい」

 

 短く、それだけ答えたあと、彼は続ける。

 

「未来の僕が選んだ。

 そして、今の僕もその未来を選びました」

 

 

 その言葉で十分だった。

 

 

 

 

 あの時のレイス家の礼拝堂は、地上の喧騒から切り離されたように静かだった。

 

 ケニーとリヴァイは途中で退席し、

 残っていたのは、祭壇前のフリーダとヒストリア、そして横に立つ少年アルミンだけだった。

 

 

 未来を見たと、彼は言った。

 

 人類にとって、どの地獄を採るかという選択。

 

 これは、ある意味自由を奪う処置だった。

 

 

 だからこそ、問われていたのは一つだけだった。

 

 ――どの地獄を通すか。

 

 

「……いいだろう」

 

 私がそう言うと、アルミンの瞳が初めて揺れた。

 

「この話を採る。そして――」

 

「採用した時点で、これは我々の責任だ」

 

 

 

 

 アルミンは、今、あの日と同じ目で立っていた。

 私は椅子から立ち上がる。

 

 世界会議は中断された。

 ジラの書いていた筋書きを修正する。

 

 これは選択だ。

 

 

「残りは我々が引き受ける」

 

 この選択により死んだ者もいる。

 この選択が正しかったとは言わない。

 

 だが、ここで止まるという選択を、私が採ることはない。

 

 

「作戦を続行する」

 

 

 

 

 

 爆発から十日。

 

 

 病室の前に立つと、扉の向こうから、かすかな声が聞こえた。

 

 中にいるのは二人だと報告は受けている。

 フロックと、ジラだ。

 

 

 私は扉を開ける前に、一度だけ呼吸を整える。

 

 崩れた会談場の処理、各国への説明、島内の統制、調査兵団側の配置転換。

 事態はまだ収束にはほど遠い。だが、初動の混乱は過ぎ去った。

 

 

 私は扉を二度、軽く叩いた。

 

 返事はない。

 

 だが中で、椅子が小さく鳴った。私はそのまま扉を開ける。

 

 

 病室には薬品の匂いと、まだ新しい包帯の白さが満ちていた。

 

 窓際の椅子にフロックが座っている。手には新聞。

 既に読まれた後だろう。

 

 寝台の上にはジラ。

 

 左腕は吊られ、肩から腹にかけて包帯が厚く巻かれている。

 顔色は悪い。唇の色も薄い。

 

 それでも、目だけはひどくよく動いていた。

 

 

 彼女が喉の奥で笑う。

 

「……なんの用かしら。今更」

 

 乾いた声だった。

 

 

 部屋に入ると、フロックは持っていた新聞を脇へと置き、立ち上がる。

 

 彼には既に連絡を通していた。

 短く頷く。

 

「少し二人で話したい」

 

「はい」

 

 

 フロックは一瞬だけジラを見ると、そのまますれ違い、扉へ向かった。

 

「しばらく戻らなくていい」

 

 彼は立ち止まらずに答えた。

 

「分かってます」

 

 

 扉が閉まる。

 

 部屋が急に広くなった気がした。

 

 ジラはようやく1度だけこちらを見る。

 

 驚きはない。警戒も薄い。来たのが誰であれ、大して変わらないとでも言いたげな、疲れ切った無関心だけがそこにあった。

 

 

 すぐにそらされる。

 彼女の目線は、脇に置かれた新聞。

 

 パラディ島兵士、各国代表を救うため死亡。

 理性ある島の可能性。

 再考されるべき対パラディ政策。

 エルディア人差別への反対勢力の声。

 

 その新聞たちを見たまま、彼女が言う。

 

 

「フロック、持ってくる物も、待ち方も、

 露骨だったとは思ったのよ」

 

「私が頼んだ」

 

「そうでしょうね」

 

 

 私は寝台のそばまで歩き、机の上の新聞を一瞥した。

 

「どう思う?」

 

 彼女は答える。

 

「人ってほんと、死んだ人間に意味を貼るのが上手ですね」

 

「不満か」

 

「まさか」

 

 その返答は、あまりに軽かった。

 

 

「感心してるの。

 爆発は起きた。死人も出た。1人だけ。

 なのに、その死んだのが止めた側の兵士なら、それだけで話は別になる」

 

 そこで小さく咳き込む。傷に響いたのだろう、眉が寄る。だがそれでも、笑みは消さない。

 

「……私、生き残ってるし」

 

 

 その一言で、彼女の口元が僅かに笑ってる理由が見えた気がした。

 

 ジャンが英雄になったからではない。

 

 自分の終わり方を、勝手に書き換えられたから。

 なのかもしれない。

 いや、ここは。

 

 

「君の計画は失敗した」

 

 私ははっきり言う。

 

「そしてジャンの行動は成功した」

 

 ジラの睫毛が、ほんのわずかに揺れた。

 

 

「世界は今、島を怪物でしかないものとして断じ切れずにいる。

 会談の生き残りも、新聞も、各国の使節も、その方向へ動き始めた」

 

「……でしょうね」

 

 彼女は視線を紙面へ戻す。

 

 

 私は続ける。

 彼女を盤面に戻さなくてはならない。

 

 

「君は人類に、地獄を選ばせたいと言ったな」

 

 新聞を押さえていた彼女の指が止まる。

 

「君自身が地獄を選ばないのは、不公平ではないだろうか」

 

 ジラは黙っている。

 だが、否定しない。

 

「人類に取って、どちらが正しいのかは私には分からない」

 

「君は、盤面を壊し公平な世界を作り自分はそこで降りるつもりだった。

 その方が良かった可能性も、当然あるだろう」

 

 

 ジラが、ほとんど息だけで笑う。

 

「……よく分かってますね」

 

 私は淡々と続ける。

 

 

「君は以前、こうも言っていたな」

 

 私は彼女を見る。

 

「それしか選べませんでした、という顔をされるのは、死ぬほど嫌だと」

 

 ジラの視線が動く。

 

「……言いましたね」

 

 

「ならば今度は君が選べ」

 

 私は続けた。

 

 

「君は生き残った。ジャンは死んだ」

 

 彼女は答えない。

 

「君は彼を知っているはずだ。

 彼は、自分の死を君の退場の言い訳にされて喜ぶか」

 

 

 そこで初めて、彼女の顔から笑みが消えた。

 なにかに思い至ったかのように。

 

「……ジャン」

 

 掠れた声が漏れる。

 

「……ジャンは、そういうの、嫌がりそうね」

 

 

 ジラは目を開けない。

 

 病室に沈黙が落ちる。

 長い沈黙だった。

 

 

 やがて彼女が、喉の奥で小さく笑う。

 

 最初に聞いたのとは違う音だった。乾いてはいたが、今度は少しだけ、痛みが混じっていた。

 

「本当に、団長って、性格悪いですね」

 

「君に言われるとはな」

 

 

 ジラは天井を見たまま、言葉を零す。

 

「……ジャンのために、働けってことかしら」

 

 

 ジャンの死に貼られた意味。

 外との交渉。島の延命。世界の行く末。その全部。

 

 彼女は島のためには有用だ。

 働いてもらわねばならない。

 

 私は数秒だけ考え、それから答えた。

 

 

「そうだ。

 彼のために働いてくれ」

 

 

 彼女にとっての地獄が、そこにはあるだろう。

 

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