壁も巨人も、世界は私のために変われ!   作:an-ryuka

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87.最終話

 

 ジャンが死んでから、数年が経った。

 

 パラディ島の港に、他国の旗を掲げた船が並ぶ光景にも、だいぶ慣れた。

 最初の頃は、いちいち殺し方を数えていたけれど、最近はもう数えない。

 代わりに、舵輪を握る船長の視線や、同行している外交官の靴の擦り減り具合を見て、「この国は今どこまで追い詰められてるか」を測る。

 

 調査兵団は、もう「巨人を討つ」組織じゃない。

 

 スーツと軍服の中間みたいな服を着て、各国の港を行き来して、技術と情報を盗んでくる。

 たまに本当に盗むし、ときどき「売ってもらうし」、まれに「保護」もする。

 

 そのどれもが、少しずつ世界のバランスを歪ませている。

 戦争の引き金にさせない程度に、ギリギリで。

 

 ――これなら、ジャンはギリギリ文句言わないかな。

 

 私は何か決めるたびに、心の中でそう考える癖がついた。

 

 

「xxx、また変な顔してんな」

 

 背後から声が飛んできた。

 振り返らなくても分かる。フロック。

 

 いつからか、私のことをジラと呼ばなくなった。

 

 もうずっと使ってない本名を、フロックだけが呼んでいる。

 

 

「どんな顔よ」

 

「鼻で笑ってんのに、目は半泣き」

 

「……最悪の感想ね」

 

 港に停泊する船団を見下ろす丘の上で、私は軽く肩を竦めた。

 

 眼下には、島と外を結ぶ定期船。

 各国からの使節団。

 商人。

 技術者。

 観光客なんてものまで混ざっていて、「ここは本当にパラディ島か?」と時々疑いたくなる。

 

 巨人化できる種族は、世界のどこにもいない。

 

 エルディア人はただの人間で、巨人は「かつて絶滅した、人類とは別種の怪物」だ、と教えられている。

 外征は悪、戦争は恐怖、という感情が、血と記憶に染み込んでいる。

 

 レイス家、やりやがった――と、あの瞬間は本気で思った。

 今でも、思ってる。

 

 でも、そのおかげで巨人はこの世界のどこにも存在しない。

 あの、一瞬で世界を踏み潰す選択肢は、取ることすら不可能になった。

 

 元々私が壊せるのは、人間の戦争と人間の均衡だけだけれど。

 

 

「……どうだ、最近」

 

「そこそこ均衡。そこそこ不満。そこそこ陰謀」

 

 私は指を折りながら答える。

 

「どこか国が単独で暴れ出すには、まだちょっと足りない。

 かといって、皆で仲良く手を繋いで歌うには、根っこが腐りすぎてる」

 

「つまり?」

 

「ちょうどいい、綱渡り状態」

 

 

 笑うと、フロックも口元だけ緩めた。

 

「お前、本当にそういういい方好きだな。

 平和ってことだろ」

 

「ジャンが好きそうな言葉ね」

 

 自然に出た名前に、一瞬だけ空気が止まる。

 

 

 私もフロックも、その沈黙を掘り返さない。

 

 私は、

 

 ――ジャンならこれ嫌がるかな?

 ――ジャンならどうする?

 

 その二つだけを心の中で繰り返す。

 

 

「……あっちの二人は?」

 

 フロックが視線を別の方向へ向けた。

 

 丘の反対側。

 港から離れた、小さな村。

 

 木造の家。

 畑。

 柵の向こうで、子供が二人走り回っているのが見える。

 

 黒髪の女が、少し離れたところからその様子を見ている。

 腰まである黒髪を一つに結んで、簡素な服を着ている。

 少女と大人の中間の顔は、以前より少し柔らかくなっていた。

 

 ミカサ。

 

 彼女の視線の先には、エレン。

 巨人になれないエレン・イェーガー。

 

 彼は耕した土に膝をついて、何かを苗床に植えている。

 子供たちがその周りをちょろちょろ走り回って、ミカサが時々声を飛ばしている。

 

 戦場にも、巨人にも、地ならしにも出会わなかったエレン。

 ただの今は、農夫として生きているエレン。

 

 

「見ての通りよ」

 

 私は肩をすくめる。

 

「平和ボケの極み」

 

「……いいじゃねぇか」

 

 フロックがぼそりと呟いた。

 

「自由に選んだ結果ってやつだろ。

 あいつには、そんくらいが似合ってる」

 

「そうね」

 

 認めるのは、少し悔しいけど。

 

「ミカサも、あれくらいで丁度いいわ。

 化け物じみた強さなんていらないのよ」

 

 ミカサと目が合った。

 

 彼女は遠くから細めた目でこちらを見て、軽く会釈する。

 その隣でエレンが何か言って、ミカサが頬を膨らませ、子供達が笑った。

 

 

 ――いいわよ。

 

 ――あなた達は、もう二度とこっち側に来ないで。

 

 心の中でそう呟く。

 

 

 アルミンはあの後、私に報告に来た。

 何も言わないのは、気分が悪いからって。

 私は鼻で笑って追い返した。

 

 でも、これは理解した。

 

 ミカサとエレン。

 アルミンが大事なあの二人は、少なくとも今のところは、幸せそうだ。

 私の知る限り、マシと言っていい顔をしている。

 

 

 ……だから、余計に心が苛立つ。

 ジャンがいないことに、心臓が泣いている。

 

 

「ねぇフロック」

 

「なんだよ」

 

「私、そろそろ前線から降りてもいいかしら」

 

 横目で見ると、フロックは露骨に顔をしかめていた。

 

「は?」

 

「疲れた」

 

 正直に言った。

 

「世界を整えて、均衡を作って、崩れないように紐を結んで。

 あとは、賢い人達が頑張れば回る」

「そもそも誰かが居なくなったら崩れる制度の方が、よほど問題あるわ」

「団長も早く辞めるべきよ」

 

 

「そう言うのは本人に言え」

 ため息混じりの声。

 

「もう言ったわ」

 

 笑ってみせる。

 フロックの目が細くなる。

 

 

「……めんどくせぇ女だな」

 

「知ってたでしょう?」

 

 フロックは額を指で押さえ、長く息を吐いた。

 

 

「降りて何すんだよ」

 

「何も」

 

「は?」

 

「決めてないもの」

 

 世界の端っこで、何もしないで寝転がる。

 たまに、港に来て船を数える。

 夜になったら星を見て、ここに落ちてこないかなと願う。

 

 ――ジャンはそれくらい許してくれる。

 

 

 世界はもう、私のものじゃない。

 私が作って、私が壊すおもちゃ箱じゃない。

 私には、このジャンが望んだ世界をもう、壊せない。

 

 

 フロックが目を据わらせる。

 

「お前のやらかし全部、押し付ける気かよ」

 

「そうよ。頑張って」

 

「俺は居続ける前提か?」

 

 文句を言いながらも、フロックはそれを受け入れる目をしていた。

 この男はいつだってそうだ。

 私がどれだけひどいことを言っても、だから何だ、で飲み込む。

 

 

「……なら」

 

 彼がぼそりと付け足す。

 

「たまには顔出せよ」

 

「嫌」

 

「即答かよ」

 

「だって、面倒くさいもの」

 

「お前最近、そればっかだな」

 

 

 空を見上げると、雲一つない青空だった。

 

 私は息を吸って、吐いた。

 

 

「……そろそろ行くわ」

 

「どこに」

 

 目線をそらす。

 

 波が静かに揺れている。

 遠くの方に、小さく船影が見えた。

 どこかの国からの使節か、ただの商人か。

 

 

「ねぇフロック」

 

「なんだよ」

 

「なんで私のところ来るの?」

 

 言葉にすると、少し怖かった。

 聞きたくない答えが返ってくるかもしれないから。

 

 お前が生み出した世界の責任取らせるためだとか。

 お前ほど頭のいい奴が他にいないからだとか。

 そんな、どうしようもない理由だったら、笑うしかない。

 

 フロックはしばらく黙っていた。

 

 何度か言葉を飲み込んでいる。

 

 彼はゆっくりと、私の方を見た。

 

 

「お前に会いに来る役、他の誰にもやらせたくねぇんだろ」

 

 少しだけ、笑った。

 

「責任感?」

 

「……執着かもな」

 

言葉が一瞬詰まった。

 

「俺は世界の味方じゃねぇ。

 エルディア人の味方ってわけでもねぇ。

 お前が世界の敵になったら、一緒に世界の敵になってやるって決めた」

 

「でも、私は途中で降りたわ」

 

「俺は勝手に隣にいるだけだ」

 

 

 胸が少しだけ痛くなった。

 

「……私、あなたのこと、ジャンの代わりにする気はないわよ」

 

「それでいい」

「上等だ」

 

 フロックは踵を返して歩き去った。

 

 

 静寂が戻る。

 

「……不器用ね、ほんと」

 

 

 丘の下の海を見る。

 波は相変わらず、どこまでも続いている。

 

 ジャンが死んだ世界。

 アルミンが選んだ世界。

 私が整えて、手放す世界。

 

 完璧とは程遠い。

 マシと言うのは虫唾が走る。

 それでも――

 

 

「貴方はこういうのが欲しかったのよね」

 

 呟いて、空を見る。

 

 いつか私が死んだとき、あの世でジャンに会ったら、どう言おう。

 

 頑張ったんだもの。うんと褒めてもらわなきゃ。

 

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