立体機動装置の訓練。
訓練兵団に、三年も縛られる理由の八割はこれだと思う。
単純に難しい。
難しいのに、難しいだけじゃ済まない。
体の中に、新しい器官を増やすみたいな感覚が要る。
これを体の一部みたいに動かせなんて、本当に馬鹿げている。
人間の構造に反している。
反しているから、慣れるまで死にかける。
それを、短い期間で、ほぼやり遂げてる連中がいる。
……もう人間じゃない。
どこで身体の部品を交換したの。
「ジラ、余所見か? 先行くぜ!」
コニーが振り返りもせずに叫んで、木から木へ飛び移った。
身体が軽い。動きが迷わない。余裕げに見えるのが腹立つ。
……次の班だったよね?
追いつくのが早い。
運動能力っていうのは、才能が出やすい。努力は盛れる上限がある。
ライナーとベルトルトが後ろから追い抜いていく。
私は視線だけで二人を追った。
大きい。息が乱れていない。重心がぶれない。
……こいつらは、色々気になるところもある。
あるけど、今は後回し。
今はこの訓練が先だ。
ケニーには本当に感謝している。
あの期間がなかったら、私はここで普通の顔ができなかった。
◇
地下の、開けた空間だった。
人の気配がない。風の流れもない。
音が壁に当たって、鈍く返るだけの場所。
ケニーに、私の計画を話した時だった。
「調査兵団だぁ? お前さんがぁ??」
乾いた笑い混じりに言われて、私は少しだけ眉を寄せた。
私の頭がおかしいと思われる話は他にもしたはずなのに、最初に突っ込まれたのはそこだった。
「実際に見るのが手っ取り早いんです。
その手段を身につけるのにいちばん向いてる場所、ですよね?」
私は変なことを言っているつもりがなかった。
だから困惑したのを覚えている。
ケニーは眉根を寄せた後、ぶっきらぼうに聞いた。
「お前さん、走ったことはあるか? どの位の距離だ?」
「体力なんて、訓練兵団にいる間にいくらでもつくでしょう?」
答えになっていないのは分かっている。
でも、私は知識の中では正しいことを言っている。
「いいから答えろ」
……せいぜいが、主人を出迎える時に小走りする程度。
はしゃいだ子どものふりをするために。
距離は――。
「……十メートル、未満ですね」
ケニーは呆れるように、長い息を吐いた。
「訓練兵団ってのは、一般人を兵士にする場所なんだぜ?
お嬢様を一般人へ戻すところじゃねぇの!」
雑に言い切って、手をひらひら振る。
その雑さが、妙に優しい。
優しさの形が、綺麗じゃないのがこの人らしい。
そうか。
そこまで常識外だったのか。
「……今年に希望を出すのは、やめた方がよさそうですね」
ケニーが言うのならそうなんだろう。
私は計画の変更を考え始める。
ケニーは目を細め、空間の端を指差した。
「諦めるつもりは無さそうだな。
ここ三周してきな。その後話聞いてやるよ」
「お前さんの頭脳は買ってるんだぜ?
せいぜい現実を見ろよ」
現実。
私は知識でしか知らなかった。
走るという行動を、体力の意味を。
その時の私は、一周もできずに地に伏せた。
胃の中がひっくり返って、喉の奥が焼けて、涙が勝手に出た。
自分の限界を私はその時初めて知った。
けれど、苦しいこととは別に、
限界が広がっていく感覚が、私は嫌ではなかった。
数日かけて走りきった。
ケニーは呆れた顔で続きを聞いてくれた。
◇
木にアンカーを刺し、次の木へ移動する。
ワイヤーが鳴る。
身体が引っ張られて、空気が頬を切る。
私の後ろにも人がいる。
二年かけて、私は体力が少ない一般人程度にはなった。
コツさえ掴めば、平均程度の動きはできる。
平均。
それが今の私の現実だ。
順路を走り切って、地面へ降りた。
着地の衝撃が足首に残る。
息が熱い。喉が痛い。汗が目に入る。
走破時間は、平均より少し上。
悪くない。
悪くないと言い聞かせる必要がある時点で、良くないことを知っている。
遠くでミカサが降り立つ。
……ミカサはコニーよりさらに後の班じゃなかった?
その後、着々とジャンやサシャも降り立つ。
目立っている面々が、当然みたいに結果を出す。
私が視線を送っていると、隣で誰かが鼻で笑った。
――フロックだ。
「あいつらすげぇよな」
声で分かる。
自分を下げて安心している。
安心のために言葉を吐く。
それで何が変わるのか。
口から言葉がするりと出た。
こういう時、私は少しだけ雑になる。
「そうやって羨んでるだけじゃ、何も変わらないけどね」
フロックがハッとこちらを見る。
私に言ったつもりはなかったのかもしれない。
独り言のつもりなら、なおさら浅い。
彼は、息を整えている私を憐れむように見下ろし、それでも口の中の毒をそのまま吐き出した。
「お貴族様には、努力が実らない平民の気持ちなんて分からないんでしょうね?」
喧嘩を売る時の言葉はだいたい似ている。
相手を分類して、自分を守る。
平民と貴族で世界を切れば、負けても自尊心が残る。
喧嘩は買う。
私は息を整え、彼に向き直る。
「気持ちを考えて、それでどうなるの?
結果が変わるわけでもないじゃない」
フロックが舌打ちした。
「……全部才能ってやつだろ。立体機動装置も対人格闘だって。
俺らは、何やってもあいつらには勝てやしない」
サラッと私を同じ位置に判定するのね。
いいけれど。
私はここでは勝てないと受け入れている。
「そうね。才能、血筋がほとんど。
努力するしない。できるできない。全部含めてそうよ」
フロックの顔が一瞬だけ引きつった。
努力は美徳の物語、淡い幻想が崩れる瞬間の顔。
それを見て私は目線を少しずらした。
言葉を刺しすぎた。
……疲れて加減を誤った。
でも、言葉が上から落ちてきた。
彼は、去らなかった。
「……じゃあなんで、羨んでも何も変わらない、とか言うんだよ。
どうせ変わらないなら、やるだけ損だろ」
私は顔を上げ、一瞬だけ考えた。
彼は納得を求めているんじゃない。
自分の諦めに、形が欲しいだけだ。
それなら……。
「羨ましいと思う時点で――」
そこで、空気が切れた。
「1班集合!!!」
キース教官の声が訓練場に落ちる。
背筋が反射で伸びる。
フロックは言葉を飲み込み、私も続きを飲み込んだ。
隊列が動き出す。
人の足が土を踏む。
私は最後にもう一度だけ、空を切ったワイヤーの音を思い出す。
才能。血筋。努力。
その全部が、結局は盤面の初期配置だ。
初期配置が認められないなら。
盤面そのものを壊して、並べ直せばいい。