音を超え、光を超えて 作:バクフーSLUMP
1999年、北海道のとある牧場にて。
「ノースフライトにサクラバクシンオーを付けてみませんか?」
そう提案する1人の男がいた。2代目のオーナーが存命だった頃からの古株は、目を爛々と輝かせ提案する。
対峙しているのは牧場の3代目オーナー、西塔俊夫。表情は、かなり渋い。
「そうは言うがねぇ、伸介さん。さすがにそれは」
「いいじゃないですか。夢がありますよ、夢が!」
拳を強く握りしめ、ノースフライトにサクラバクシンオーを付けてくれとお願いする。古株の男、吉良伸介は力説していた。
マイルを席巻し、短距離ではサクラバクシンオーに敵わなかったマイルの女王。
短距離を席巻し、マイルではノースフライトに敵わなかった短距離の驀進王。
この2人の子は夢があると。きっとファンも望んでいると。オーナーである西塔に語っていた。
しかし、西塔は乗り気ではない。
「夢はあるけど、現実は厳しいねぇ。マイルのノースフライトに、短距離のサクラバクシンオーを付けるなんて」
配合の問題だ。ただでさえ短い距離しか走れない2頭を配合しても、中距離以上を走れるとは思えない。だからこそ、西塔は2頭の配合を渋った。
日本で主流となっているのは中距離以上。サクラバクシンオーらの台頭によって、短距離やマイル路線も日の目を浴びつつあるが、それでも厳しいのが現実。
インブリード的な問題はないが、スプリンターやマイラーになることが約束されることは間違いない。
更なる問題点として、2頭とも体質が強くない点が挙げられる。
「ノースフライトは言わずもがな、サクラバクシンオーも体質が強いとは言えない。下手をしたら、走れないなんて可能性もある」
「それは、そうだけど」
「走ることなく引退、なんてこともあるわけだ。あまりにもリスキーすぎる」
サクラバクシンオーは父から体質の弱さを受け継いでしまった。ノースフライトもまた、お世辞にも強いとは言えない。産まれてくる子の体質が弱くなることは、想像に難くないだろう。
無論、絶対ではない。なにかの突然変異で丈夫な子が生まれてくる、なんてこともあり得る。可能性は0ではない。
ただあまりにも低い。走れないなんてこともある。だからこそ、西塔は2頭の配合を渋っていた。
「そう言われると、ぐうの音も出ないがっ」
正論を突きつけられ、吉良も押され気味になっていた。自分の意見が正しいのかどうか、信じることができなくなっている。
悔しそうに顔を歪ませ、拳を握ってどうしようかと考える。説得の材料が見つからないのか、唸るだけだが。
そんな吉良を見ていると、西塔も心が痛んだ。表情だけでも、どうにかして2頭の配合を実現したい思いが切実に伝わってくる。
気持ちは分からなくもない。そう、分からなくもないのだ。
(俺も、やりたいとは考えているがねぇ)
本当なら吉良の言うように、2頭の配合を実現してやりたい、賛成したい1つの思いがあった。
現在の日本競馬は、サンデーサイレンスやトニービン、ブライアンズタイムといった、海外産の種牡馬が幅を利かせている。内国産の種牡馬は劣勢に立たされていた。
サンデーサイレンスは初年度から大ブレイクし、もはや日本競馬界の顔になりつつある活躍。トニービンはノースフライトやエアグルーヴといった名牝を、ブランズタイムは史上5頭目の三冠馬であるナリタブライアンを輩出している。
リーディングを独走する御三家。彼らはいずれも、外国産の種牡馬だ。
日本で牧場を経営する身として、西塔にも密かな野望がある。
(内国産の馬で、大レースを制したい。そんな気持ちもある)
内国産の種牡馬で、今の海外馬が幅を利かせている日本競馬界に風穴を開けてやりたい、という思いだ。
安牌を求めるなら、結果を出してくれる海外の種牡馬だ。理屈の上では分かっている。
西塔も牧場を経営するオーナー。どちらがより良い決断かどうか、見分けぐらいはつく。
しかし、それでも。ロマンを求めたい気持ちがあるのも事実。もしも2頭の産駒が実現して、中央で走ることができたのであれば。想像するだけで身震いする。
(あまりにも低い確率で、活躍することができたらと。夢みたいなことを思わなくはない)
「なにがあんたをそうさせる? わざわざ口にするということは、よっぽどの思いがあるんだろう?」
本当なら聞くまでもない質問。吉良の提案など退けてしまえば良いだけの話だ。
それでも聞いたのはきっと、西塔にも迷いがあるからかもしれない。現役時代ライバルだった2頭の、夢のような配合を試したいという気持ちが、欠片でもあるからかもしれない。
黙り込んでいた吉良。やがて意を決したように顔を上げると。
「夢が、あるじゃないか! もしも2頭の子が活躍して、日本競馬界に新しい風を巻き起こすかと考えたら!」
夢を語った。自らが思い描く理想図を、夢を。
「問題点を挙げればキリがない。何よりの課題である体質の問題も、高確率でつき纏うかもしれない。そんなことは分かっている!」
「だろうねぇ。誰もが思うことだ」
「しかし、それでも! 俺は冒険したいと思っているんだ! サクラバクシンオーとノースフライトの子が中央で活躍して、海外の一流種牡馬たちの子と渡り合う姿を、俺は見てみたい!」
興奮気味に、手に汗握って力説する。子供のように輝いた瞳で、胸に秘めた情熱をぶつける。
「もし、もしもだ。サクラバクシンオーのスピードにノースフライトの切れ味が加われば、無敵の馬になることは間違いない!」
「そんな軽くねぇ、2頭の良いとこ取りができるわけが」
「あぁそうだ。俺の希望的観測にすぎない。だが! 挑戦しなければ、冒険しなければ可能性はいつまでも0。冒険すれば、可能性は0.1%でもあるんだ!」
挑むことが大事。リスクを孕まなければ偉業は生まれない。そう言わんばかりに吉良は西塔を説得する。
「リスクなのは重々承知の上だ。そのリスクを承知の上で、俺は2頭の子を見てみたい!」
「……ハァ。随分とまぁ、2頭にやられているんだねぇ、伸介さん」
呆れつつも、西塔は絆されつつあった。正論をぶつけて突っぱねるのではなく、静かに吉良の言葉に耳を傾けている。姿勢は、わずかに前傾姿勢になっていた。
「それに、サクラバクシンオーの産駒は悪くない。最大の武器であるスピードは子にしっかりと遺伝しているし、少ない種付けながらも結果を出している」
話を前向きに聞く気になった。そう捉えた吉良はすかさずメリットを挙げる。考え無しではない、ロマンを求めているだけではない。サクラバクシンオーを選ぶ上でのメリットを提示し、西塔の説得を続ける。
「確かに御三家に比べれば見劣りするだろう。だが、内国産の種牡馬として、彼は必ず台頭してくるはずだ! 種付けするなら今がチャンス、この機会を逃すわけにはいかない!」
「ふぅむ……とはいえ、厳しいものがあると思うがねぇ。産駒も短距離に寄っていると思うんだが」
「それはっ、言い逃れできない。しかし、彼は今後内国産馬の希望となるはずだ! 彼の産駒は必ず走る、今の内に付けておいて損はない!」
まだ種付け料が安い今の内に付けておくべきだと、今後G1馬を輩出するような種牡馬になると語る。間違いなく、ノースフライトにとってプラスになるはずだと吉良は譲らない。
「それだけだと、ノースフライトに付ける意味はないかもしれない。正直な話、俺が見てぇだけってのは否定できない」
黙って耳を傾ける西塔。吉良の言葉に、反論することなく聞いている。微動だにしていなかった。
吉良は、西塔からの反論がないことに気づいていない。自分の思いの丈を、ひたすらにぶつけていた。
「でも、俺は見てぇ! 2頭の産駒が走るところを、日本競馬界に君臨するのを見てぇ! 夢物語だとしても、現実的に厳しいとしても、俺は2頭の産駒を見てぇんだ!」
ただ見たいだけだ。子供の我儘もいいところ。得策じゃないことなんて承知の上。全部理解している。
その上で、吉良は2頭の産駒を見たかった。走るところを見てみたい、あわよくば活躍して、またサクラバクシンオーとノースフライトの2頭が注目されるところを見たい。その思いが、吉良を突き動かしている。
1分か、2分か。はたまたそれ以上か。無言の時間が流れる中で、西塔は吉良の目を改めて見る。
(……固い決意の籠った目だねぇ。譲る気はない、強い信念を感じる)
「なにが、伸介さんをそうさせるんだい? そこまでの思いは、どこから出てきてるんだい?」
確認するかのような言葉。西塔の疑問に、吉良は当たり前だとばかりに。
「俺は、あの2頭が好きだったんですよ。お互いに認め合って、自分の領分なら絶対に譲らない、そんなライバル関係が」
「……そうかい」
2頭のことが好きだからと、迷いなく言い切った。
その言葉を聞いて、西塔は思いを巡らせる。
(俺のところに直談判しにくる時点で、だねぇ。あの2頭に惚れ込んでいるってわけかい、伸介さん)
吉良から伝わる熱い思い。なんとしてでも2頭の産駒を見たい、その思いをぶつけられて、西塔の天秤は傾いていた。
(人はどうしても安全な道を進みたがる。サンデーサイレンスやブライアンズタイムを付けて、安牌を選ぶのは悪くねぇ)
傾いたのはきっと、西塔にも同じ思いがあるからだろう。2頭の産駒を見たいという、吉良と同じ思いが。
(たまにゃ、冒険するのも悪くねぇ、か)
だからこそ、西塔の天秤は傾いた──吉良の提案を受ける方向に。
時間にしてどれほど流れたか? 10分か、20分か。もしかしたら1時間以上流れたかもしれない。時の流れが遅く感じるだけの静寂が、2人のいる部屋を支配していた。
破ったのは、西塔の方。
「調教師のところに行くまで、最後まで面倒を見るつもりはあるかい、伸介さん?」
「っ、はい?」
唐突に、よく分からない問いかけを投げかける。吉良も首を傾げ、どういうことかと聞き返した。
西塔はジッと吉良を見ている。覚悟を見せろと言わんばかりに、負けじと強い意志で睨みつけていた。
「バクシンオーとフライトの子だよ。四六時中お世話をする覚悟はあるかと聞いているんだ」
「……それは、どういう」
「今ここで答えてほしい。あんたは、バクシンオーとフライトの子を世話する覚悟があるか?」
疑問の言葉を途中で遮る。有無を言わさない、今すぐに答えろと言わんばかりの強い語気。訳が分からない質問に、吉良は最初困惑した。
しかし、答えはすでに決まっている。
「当然だっ。もし2頭の子が生まれたのだとしたら、俺が最後まで面倒を見てやる。勿論、引退後もだ。路頭に迷わないように、俺が面倒を見るッ!」
肯定。絶対に面倒を見ると、西塔の前で約束した。
幼駒時代だけではない。もし仮に走れなかったとしても、結果を出せずに引退したとしても、自分のところで面倒を見る。
お金がいくらかかっても構わない。絶対に、なにがなんでも世話をすると言い切った。
その答えを聞いた西塔は。
「……伸介さんには負けたよ。分かった、ノースフライトの次の種付けは、サクラバクシンオーで行こう」
「それはっ、本当かい!? 俊夫さん!」
「嘘は言わんよ。次の種付けはサクラバクシンオーで行く」
吉良の希望を叶えると。2頭の交配を実現すると確約した。
信じられない、という気持ちと2頭の産駒が実現する喜び。2つの気持ちが混ざった表情を浮かべる吉良。彼に対し、西塔もまた朗らかな笑みを浮かべる。
「根負けしたよ、伸介さんの気持ちには。よっぽど、2頭の産駒が見たいんだねぇ」
「あぁ、あぁ……! ありがとう、ありがとう俊夫さん!」
「ま、俺も2頭の産駒が見たくないと言えば嘘になる。冒険したいという気持ちに、嘘は吐けないさ」
西塔もまた、2頭の産駒が見たかった。そこに吉良の情熱をぶつけられて、天秤が夢に傾いた。2頭の産駒が中央競馬で活躍する夢を、西塔も見たくなった。
活躍するかは未知数。どのような子になるかも分からない。だとしても、もう迷いはない。
「2頭の子はどんな子になるのか、今から楽しみだねぇ」
「今から楽しみすぎて眠れないぞ俺は!」
「仕事に影響が出るから寝てほしいねぇ」
サクラバクシンオーとノースフライトの交配を実現させる。心に決めた。
◇
種付け自体はスムーズに済んだ。ノースフライトの発情期にサクラバクシンオーの種付け権を得ることができ、種付け自体もつつがなく終わった。
無事に受胎。ノースフライトも健康そのものであり、大きなケガや病気もすることなく日々を過ごす。
月日は流れ、気づけば年が明け。2月の24日。
「う、産まれた! ノースフライトの子が生まれたぞぉ!」
父サクラバクシンオー、母ノースフライトの子供が生まれた。