音を超え、光を超えて 作:バクフーSLUMP
サンフランコ・デルトリ。フランキーという愛称で呼ばれる騎手は、一言で表すなら世界一のジョッキーだ。
イタリアで生まれ、騎手としてはイギリスで活動している男。現在においてはとある厩舎の主戦騎手を務めている。
騎乗技術に関しては圧巻の一言だ。15歳で初勝利を挙げ、G1初勝利の歳には年間141勝を記録。これを十代で成し遂げたのだから恐ろしいことこの上ない。
さらには、アスコット競馬場で開催された1日に開催される全7レース、その全てで勝利を挙げるという、史上類を見ない記録を保持。これは彼しか成し遂げていない、英国史上初の記録となっている。
現時点における世界一のジョッキー。そう呼んでも差し支えない騎手。それが、サンフランコ・デルトリだ。
そんな彼が目をつけた馬がいる。日本のビヨンドスピードだ。
その日はたまたま日本に用事があり、親交のある古島と交流する予定があった。
特段重要な用事があったというわけではなく、たまたま訪れた程度のもの。いわゆる小旅行のようなものだ。
その際に、古島が一頭の馬について話題に挙げる。
「そうだ、今ウチに凄い馬がやってきたんだ。フランキーも一度見にこんか?」
「興味があるネ。紹介してヨ!」
「いいぞいいぞ! これがまた凄い馬でな~、騎乗したい! って思うぞ」
酒の席での話題みたいなもの。お互いにあまり本気にしていない、言うだけタダみたいな会話。親しい友人との会話の中で出てきた凄い馬。デルトリは、少しだけ興味が惹かれた。
そして、次の日に見せてもらうことになったのだが。
「これが昨日言ってた馬だ。名前はビヨンドスピード、最近馬主を始めたばっかの人でな、俺がなんとか口説き落として、面倒見てもらえることになったんだ」
「……」
「何でそうなったかって言うと、コイツの父がサクラバクシンオーでな~、しかも母がノースフライトっつって」
饒舌にビヨンドスピードを語る古島。その声が聞こえないほどに、デルトリは目の前の馬に魅入っていた。
それは、ジョッキーとしての直感。少ないない年月を騎乗してきたからこそ理解する、ビヨンドスピードの才能。
(まだ、走っているところをみていなイ。ボクの直感でしかなイ。それでモ)
佇まい。雰囲気からして違う。
人懐っこそうな目に、初めて見るデルトリに対しても物怖じしない豪胆さ。あまつさえ撫でてもらおうともしている、精神面の強さ。
警戒心が薄いとも取れる。ただ、それとは違うものを感じるデルトリ。
気に入った。一目見て、ビヨンドスピードという馬の走りを見たいと思った。
(これは、フトシの言うように)
「Bravo……」
「お、どうした? フランキー。なんか気になったことが」
黙りこくっていたデルトリが呟いた言葉。頭に疑問符を浮かべる古島のことを無視して、デルトリは興奮気味に詰め寄る。
「フトシ。この子が走るところが見たイ。今日は見れるカ?」
「え? そりゃ今から調教だから見れるが」
「見たイ。この子の走りを、見せてくレ」
子供のようにキラキラした目で詰め寄られると、古島もNoとは言えない。それに、世界のトップジョッキーが見せる表情に、少しだけ誇らしさのようなものを感じていた。
(ビヨンドスピードの才覚を、認めつつあるのかもしれねぇ。こりゃ、本当にすげぇぞ)
内心テンションが上がりつつも、調教のためにと気を引き締める。ビヨンドスピードの馬房を開け、手綱をしっかりと握って。調教を始めようとしていた。
調教から始まってからというもの、デルトリのテンションは上がりっぱなしだった。
(速イ。ひたすらに速イ)
余すことなく観察し、ビヨンドスピードの能力を測る。一目見ただけで見惚れた、馬の能力を。
分かったことは、一目見た時に直感したスピードの高さだ。併せをしている他の馬を千切るほどに突出したスピード。群を抜いた速さ。
(最新のメカニズムに基づいた走りじゃなイ。本能の中で磨かれタ、野性的な走リ)
合理性に基づいた走りではなく、本能で身につけた野性的な走り。ビヨンドスピードの走りには、野生の走りがあることを見出す。
持って生まれたフィジカルギフテッド。親から受け継いだ、天性のスピード。思わず舌を巻くほどに、ビヨンドスピードは速かった。
それだけではない。ビヨンドスピードには切れる脚もある。
(これハ、瞬発力勝負で負けることはまずないだろウ。スタート下手でも十分戦えル)
1つ1つ、能力を確認していく。そこにあるのは、もはや興味ではない。
(不安要素があるとすれバ、スタミナ。フトシは血統がよろしくないって言ってたシ、スプリンターの父とマイラーの母じゃそれ以上は厳しイ。ここハ、ボクが乗る時の工夫次第、カ)
自分が騎乗するとしたらどうするか。ビヨンドスピードの強みを活かすために、自分ならどう乗るかだけを考えていた。
デルトリは海外を拠点にするジョッキーだ。懇意にしている厩舎もある以上、勝手な行動はできない。
本来であれば、日本の馬の主戦騎手になることはない。身体が1つしかない以上、主戦場であるイギリスに集中しなければならないから。
当然、デルトリも頭では理解している。優先すべきはイギリスの方であり、日本はあくまでサブでしかないと。専属契約を結んでもらってる以上、イギリスで戦わなければならないと。
その思いを無視してでも、デルトリは気づけばビヨンドスピードにどう騎乗するかを考えていた。どんな風に乗って、どのレースで勝つか。そのことで頭がいっぱいだった。
ビヨンドスピードの才能が、世界一のジョッキーに認められただけではない。心を、騎手としての好奇心を刺激した。
それだけの才能が、ビヨンドスピードにはあった。魅了してやまない、途方もない才能が。
気づけばデルトリは。
「ボクも乗せてくれないカ? フトシ」
「は? どうしたフランキー。いくらなんでもそれは」
「頼ム。この子ニ、乗ってみたいんダ」
騎乗させてくれとお願いしていた。ビヨンドスピードに騎乗したいと、古島に訴えかけていた。
抑えきれなかった。騎手としての好奇心が、理性というタガを外した。ビヨンドスピードの速さを、自らの五体で体感したいと。興奮が抑えきれなかった。
古島は渋い表情をする。
当然だ。デルトリとビヨンドスピードが会ったのは今日が初めて。馬の方が不安がる上に、調教師でも厩務員でもない、ましてや主戦を務めるわけでもない騎手を乗せるのはいかがなものかと考えていた。
友達ではあるがそれはそれ、これはこれ。人の馬を預かっている以上、下手なことは出来ない。気持ちは汲んでやりたいが、難しい話だ。
(さすがにそれはなぁ。ビヨンドスピードの方がどうかってとこだが)
ひとまず厩務員に降りてもらい、ビヨンドスピードへと視線を向ける。
肝心のビヨンドスピードはというと──もっと走らせろと言わんばかりに興奮していた。
(もう少し走らせることは確定。つっても、フランキーを騎乗させるのは)
悩む古島。最善の選択はどれか、どうするべきかを迷い悩む。
珍しいデルトリの興奮した姿。まだ走りたそうにしているビヨンドスピード。
そして、何故かデルトリの顔を舐めているビヨンドスピード。デルトリは拒むことはせず、嬉しそうに頭を撫でていた。
(警戒心ってもんがないのかね、ビヨンドスピードは。まぁ、警戒心がないならそれはそれでいいか)
悩んだ末に、古島が出した結論は。
「分かった。つっても、ちょっとだけだからな? あんま無茶は出来んし、調教も終わりかけだし。ほんとにちょっと乗せるだけだ」
「グラッツェ、フトシ! よシ、早速乗ろウ!」
デルトリが乗ることを許可する。彼ほどの騎手が乗りたいと口にするのは滅多にない。この機会を逃すわけにはいかないと自分を納得させて、デルトリに乗ってもらうことにした。
ビヨンドスピードに騎乗するデルトリ。まず感じたのは、柔らかさだ。
(まだまだ新馬だけド、将来が楽しみになるほどの柔らかさ。悪くなイ)
ハミをかけて、手綱をしっかりと握って常歩で走らせる。一番遅い常歩から少しずつスピードを上げていき、最終的には2番目に速い駆歩まで走るつもりだ。
だんだんと、少しずつスピードを上げていくビヨンドスピード。デルトリは、その上で風を感じていた。
(堪らないネ、この感覚。最高ダ!)
思った通りの乗り心地。ますます募る、この馬に騎乗したいという思い。サンフランコ・デルトリは、騎乗したことで理解した。
この馬の主戦を務めたいと。ビヨンドスピードに惚れ込んだ。
(そのためにはまズ、イギリスに説明しに戻らないとナ~。許可してくれるといいんだけド)
「マ、なんとかなるでショ。お願いしたらどうにかなル」
軽い気持ちで今後の計画を立てるデルトリ。古島に止められるまで、ビヨンドスピードに騎乗していた。
走った後、改めて古島へと伝えるデルトリ。この馬の、主戦騎手を務めたいと。
「フトシ、ボクをこの子の主戦騎手にしてくれないカ?」
「……お前がそこまで言うのか」
「ウン。騎乗して分かっタ。この子ハ、世界で戦えるどころか世界一になれる器ダ」
「それは言いすぎだろ~。俺もそうなってほしいとは思うけどな」
主戦騎手にしてくれ、という言葉にまず驚く古島。デルトリの口から世界一になれる馬という話を聞いて、そこまでの評価をするのかとさらに驚く。
ただ、古島もちゃんとした調教師。しっかりと、理性的な判断を下す。
「つっても、イギリスに懇意にしてる厩舎があんだろ? そっち優先じゃなきゃまずくねぇか? 日本にいる暇ないだろ」
「それはなんとかするヨ。話せばわかってくれるっテ」
「なんで楽観的なんだよお前は。明らかに難しいだろ」
契約を結んでいる以上、向こうを優先すべきだ。信用問題に関わるから、無理をするべきではないと率直に言った。当のデルトリは楽観視しているが。
それでも、デルトリほどの騎手に認められたのは素直に嬉しい。なので、古島も無下にはしない。
「ま~ちゃんと向こうさんの許可を取ってきたら、フランキーを主戦にしちゃる。つっても、まだ新馬戦も決まってねぇけど」
「本当カ? 本当だナ、フトシ。絶対にボクを主戦にしてくれるナ?」
「わーかった、分かったから詰め寄るなフランキー。心配せんでも、ちゃんと説得できたならお前を主戦にするから」
イギリスの厩舎を説得出来たら主戦騎手にすると約束した。どうせできるわけないだろうと少しは思っていたが、出来たら出来たでデルトリが主戦騎手になってくれる。嬉しいことしかない。
世界のトップジョッキーを魅了したビヨンドスピード。当の本馬はそんなことお構いなしに、厩務員に対してじゃれていた。顔を寄せ、ベタベタになるまで舐め回していた。
デルトリが帰国。その2週間後の出来事。
「ちゃんと説得してきたヨ、フトシ。これでボクをビヨンドスピードの主戦にしてくれるネ?」
「お前本当に説得してくる奴があるか! てか、よく説得できたなおい!?」
デルトリはしっかりと説得してきた。誠心誠意、イギリスの方も手を抜かないことを条件に、馬主と調教師から許可を取ったそうである。
なお、この一件でイギリスを筆頭とした欧州側もビヨンドスピードを認知したのはまた、別のお話だ。