音を超え、光を超えて 作:バクフーSLUMP
日々の調教を順調に過ごすビヨンドスピード。次期は6月の初頭、新馬戦が見えてき始める頃だ。
古島にはすでに将来のビジョンが見えている。今回はその話をするために、馬主である長谷川のもとへ訪れていた。
「っちゅうわけで、新馬戦は8月の半ばなんてどうかなと思ってます。8月の第3週、新潟の第6Rを予定ですね」
「え~っと……あ、芝の1400mですか」
こじんまりとした会議室。棚にある資料を引っ張り出して確認をしつつ、話を聞いている長谷川。まだまだ馬主としてはひよっこ、学んでいる最中だ。
そんな新米にも分かりやすいように、古島は選んだ理由を説明する。
「サクラバクシンオーは短距離、ノースフライトはマイルで活躍しとりました。産駒も総じてスピードタイプですし、今後を見据えるとしたら短距離になるでしょう」
「短距離路線、ですか」
「はい。まずは芝の1400mで様子見て、いけるようやったら距離延長も視野に入れましょう」
話を聞いている最中も緊張しっぱなし。忙しなく視線をさ迷わせていた。
理由に心当たりがある古島は、そんな様子に微笑ましさを覚える。
(最初に購入した馬や。レースなんて走ってみるまで分からんし、そら緊張するわな)
自分のお手馬には勝ってほしい。馬主をする人間、ひいては関係者にとっては当たり前の感情だ。1つでも多くの勝ち星が欲しいし、しっかり無事に帰ってきてほしい。万人が願うありふれた思いであり、携わる人間誰もが抱く。
新規参入したばかりの馬主ならば尚更だ。右も左も分からない、勝ったことも負けたこともない。レースのイロハも分からない以上、心配する気持ちは止まず、落ち着きがないのも当然と言える。
目に見えて狼狽えている長谷川に対し、古島が取った行動は。
「大丈夫ですよ、長谷川さん」
笑うこと。緊張する長谷川を解すために笑いかける。何も心配はいらないとばかりに。
「ビヨンドスピードの素質は素晴らしいもんです。調教でも他の2歳新馬と比べて、ごっついタイムを叩き出してますから」
「そう、らしいですね。一応目を通しました……見方、はまだ漠然とですけど、とにかくすごいってことだけ」
「そう! ビヨンドスピードはえらい馬です。それに、騎乗するジョッキーもこれまたえらい人です。なんせ、世界一のジョッキーなんて言われとりますからね」
タイムが素晴らしいこと、調教も真面目にこなしていること、騎乗する人間が世界でもトップレベルのデルトリであること。不安材料を取り除くための情報を明らかにする。
特に、ジョッキーの存在が大きいか。本来であれば主戦にすらならないし、相手にされるかも微妙な雲の上の存在。世界で活躍する名ジョッキーが主戦になったのは、長谷川にとって幸運でしかない。
「ホンマにえぇ巡り合わせですよ長谷川さん。ビヨンドスピードもそうですし、フランキーが騎乗するわけですからね」
「いや、もう、本当に。光栄で、なんというか」
さっきまで緊張していた長谷川。が、今度は目に見えて困惑していた。出てきた情報を考えると仕方がないかもしれないが。
まさか、ビヨンドスピードの主戦騎手があのサンフランコ・デルトリになるとは思わないだろう。最初は知らない名前だったので海外の人なんだな、程度にしか思っていなかったが、実績を聞いた瞬間飛び上がった。さらには海外の大レースの数々を聞いて二度飛び上がった。とんでもない人物が主戦になったもんだ、と。
本当にあり得ないことなのである。だからこそ、この巡り合わせには感謝しかなかった。
とはいえ、だ。ビヨンドスピードには最大の懸念点がある。それが、体調問題だ。
「後はま~体調問題ですね。こればっかりはしゃーないとこありますけど」
「ただでさえ体、弱いですもんね。ビヨンドスピード」
ビヨンドスピードは体調を崩しがちであり、満足な調教をできない日がままある。馬自身の体質のため仕方ないが、他と比べて遅れが出ているのは事実だ。
バカ正直に伝える、が。無論それだけではない。
「やけど、プラスに考えれる要素もあります。他より遅れても、新馬戦に出しても問題ないくらいに仕上がっとる、っちゅうことですわ」
「え、っと。ビヨンドスピードの素質が高い、ってことですか?」
「そういうことです!」
ポジティブに考えることもできる。少ない調教で確実に成長し、他より何倍もの速度で土台を作り上げているのだと力説する。
「ゲート試験も一発通過、成長度合いも文句なし! これで体質が改善されていったら、3歳馬4歳馬の頃にはどえらいことになっとりますわ! 長い目で見れば、長谷川さんはえぇ馬を選んだっちゅうことです!」
今後の成長も見込める、と。太鼓判を押していた。それだけのポテンシャルを秘めている。不思議と確信があった。
熱のこもった力説に、長谷川の表情は自然と和らいでいた。
「あ、あはは。あ、ありがとうございます。本当は2頭の産駒が欲しかっただけ、なんですけどね」
「ええんですよ、それで。馬を選ぶ理由なんて気楽でええんです。一目惚れでも問題なしなんですから」
気楽になり、肩に入っていた力がいい感じに抜けた。後はもう問題ないだろう。
「あ、やけど8月の新馬戦に出れんかった時のことも考えとります。第ニ案は9月の」
「おっとっと、メモ取ります!」
緊張した空気から一転、和やかな雰囲気で進む。ビヨンドスピードの展望について、馬主と調教師の2人で話し合っていた。
◇
時折体調を崩すことがあったものの、なんとか最終追い切りまで済ませることができたビヨンドスピード。抜群の時計を叩き出して、ついに新馬戦を迎える。
初めて訪れるパドック。美浦よりもはるかに多い人の数に、ビヨンドスピードは興味津々とばかりにキョロキョロしていた。
「ぶるるっ」
人の指示には従順に。興味を惹かれているが、しっかりとパドックを周回する……にしては、大分入れ込んでいた。
忙しなく落ち着きがない。早く走らせろとばかりに興奮している。というか、今にも走り出しそうだった。
これにはパドックを見学している競馬ファンも苦笑いを浮かべる。
「ビヨンドスピードは~、あの子だな。いや、うん」
「めちゃくちゃ入れ込んでるじゃねぇか。大丈夫か?」
「切りたい、切りたいがっ。さすがにバクシンオーとフライトの子だからな。軸にするのは怖いけど、複勝に」
好走とか以前に潰れそうだ、というのがファンによるパドック評。勝てるかどうかは微妙そうだと評価を落とし、3番人気に落ちていた。それでも3番人気なのは、父と母の影響があるのかもしれない。
パドックを終えた競走馬は新潟競馬場の芝へ。ゲートに入る前の返し馬を済ませている中、実況のアナウンスが競馬場に響き渡る。
《新潟競馬場第6R、2歳新馬戦。距離は芝1400m左回り、恵まれた太陽の下、良馬場での開催となりました。新馬にとっての登竜門、あらゆる名馬が通るこの舞台、新たなスターホース誕生の目撃者となれるのか。16頭での出走となります。一番注目を集めているのはやはり?》
《はい。古島厩舎のビヨンドスピードですね。追い切りのタイムも素晴らしいですし、なにより父サクラバクシンオーに母ノースフライトですからね。古くからの競馬ファン程、この時を楽しみにしていたんじゃないでしょうか?》
《背にあのサンフランコ・デルトリ騎手を乗せるビヨンドスピード。ただ、パドックでは入れ込んでいる様子でした。今回の3番人気、果たしてどんなレースをしてくれるのか注目です》
《返し馬でも入れ込んでいるように見えますね。大丈夫でしょうか?》
実況や解説からも不安視されているビヨンドスピード。跨っているデルトリも、苦笑いを浮かべるしかない。
当然だが、入れ込む状態はよくないことだ。極度の興奮状態、落ち着きを失っている。人が多い場所に来て、ビヨンドスピードも気が気でない。
人がいるスタンドを興味深そうに眺めては、一目散に駆け寄ろうとしている。そうなる前に、デルトリによって諫められ、返し馬に戻る。さっきからこの繰り返しだ。
生来の人懐っこさが悪い方向に作用してしまった。見知らぬ人だろうと気になって仕方ない。駆け寄ろうとしてしまう。
愛嬌はあるのだが、レースとしてはマイナス点もいいところ。ただでさえ最初のレースだというのに、これから先が思いやられる内容だ。
とはいっても、鞍上のデルトリは苦笑いこそ浮かべているが、なにも心配していない。
「大丈夫サ、ビード。勝ってうんと褒められよウ」
すでに勝つビジョンは見えている。これだけの不安要素があっても、ビヨンドスピードならば勝てると踏んでいる。焦りも何もない、堂々と跨るだけ。歴戦のジョッキーとしての風格を漂わせていた。
心配な返し馬が終わり、係員の案内でゲートに入る。ビヨンドスピードは丁度真ん中の枠番。早くも遅くもない枠入りでゲートに収まった。
ゲート内のビヨンドスピードはというと、先ほどまでの興奮が嘘のように静かだ。狭い空間を嫌がるわけではなく、早く出せとばかりに興奮することもない。ごく普通に、ゲートの中でじっと待つ。
《大外枠のイルデパンがゲートに入って、態勢整いました。レース前に出走取り消しとなった2頭を除いて、16頭がゲートに収まります》
静まり返る会場。ジッと、静かに待って。
ゲートが開いた。我先にと飛び出す馬もいれば、反応が遅れてゆっくりと飛び出す馬もいる。ビヨンドスピードは、前者だ。
《態勢整いまして今、スタートしました。まばらなスタートとなります新潟競馬場第6レース新馬戦。おっと、これはビヨンドスピードが好スタートを切りました。ビヨンドスピードが瞬く間に先頭へ》
《鋭い脚ですね。あっという間に先頭に立ちましたよ》
《追走するセイワミラージュ、コンチネンタルも内枠を活かして抜け出しを図る。しかしこれはビヨンドスピードが一枚上手、サンフランコ騎乗のビヨンドスピードあっという間にハナを奪いました》
先頭に立ち、真ん中からスーッと上がっていく。綺麗に、一直線に。真っ直ぐな線を描くように抜け出す。
「いけー! 頑張れー!」
「お前に賭けてるんだぞー!」
デルトリに誘導されるまま内側へ。進路妨害にならないほどの距離を空けて、少しずつ内へと進出していく。そうはさせまいと、内枠の馬達が果敢に飛び出そうとしていた。
新馬戦ということもあってか、行きたがる素振りを見せる馬が多い。初めてのレース、とにかく前へ前へ、隣を走る相手に負けていられないとばかりにガンガン飛ばす。
逸る馬をいかにコントロールするかが勝利の鍵。騎手の腕の見せ所。どこかで折り合いを見せつつ、勝利への道筋を導き出す。
16頭の中で勝てるのはたったの1頭のみ。例外こそあれ、残りの15頭は敗北を刻み込まれる。そうさせないためにも、騎手は己の全霊を尽くして勝負に臨んでいた。
そのために、欲しいのは最内のベストポジション。経済コースと呼ばれる場所を走ることが、一番分かりやすい勝利への道筋だ。
果敢に攻める。最内の、願わくば前寄りへ。
《ビヨンドスピードが先頭で駆け抜けます。あっという間に最内を奪って逃げるビヨンドスピード、これは凄まじい速さです!》
《すでに3馬身ぐらいは開いていますね。これは、ちょっと》
《2番手セイワミラージュ追いかけるのを諦めた、コンチネンタルは果敢に突っ込みます。2番手はコンチネンタル、3番手にセイワミラージュ。固まった馬群、しかし抜け出しているただ1頭ビヨンドスピードこれは速い》
経済コースの、先頭のポジションを取ったのはビヨンドスピード。真ん中から抜け出して、気づけばあっという間に激戦区の最内を奪った。
否、激戦にすらなっていない。全く苦労せずに奪ったのだ。ポンと抜け出して、あれよあれよと差を広げ。気づけば最内の経済コースを走っているだけ。いともたやすく、簡単にベストポジションを取った。
そして、そこから先繰り出されたのは。
《ビヨンドスピードが後続との差をさらに広げます。グングン広げる、もっともっと広げる。その差は6馬身から7馬身はついているか? さらに開きそうな勢いだ》
《いや、これは凄いですねぇ》
圧倒的な速さによる蹂躙劇だ。新潟競馬場の向こう正面、ポケットからスタートした1400mの新馬戦は、第3コーナーに入る頃には7馬身の差がつき、もっと差が広がろうとしている。
後続の馬は必死に追いかけているが、差は一向に縮まらない。ビヨンドスピードはお構いなしに差を広げにかかり、ペース配分なんて知ったこっちゃないとばかりに駆け抜ける。
声を上げていた観客の声は、レースが進むにつれてトーンが下がっていく。目の前で繰り広げられるレースに、少しずつ言葉を失う。
《第4コーナー半ばでその差は大差、大差になったかビヨンドスピード。ビヨンドスピードがかなりの差を広げて逃げています。これはビヨンドスピードの一人旅。これはまずいと悟ったか2番手以下慌てて追いかけてきている!》
《最後の直線は約360m。今の内にいかないと、追いつくには厳しい距離になりますよ》
《まもなく最後の直線。最後の直線を迎える前に大差をつけているビヨンドスピード。これは圧倒的だ、これは圧倒的だ》
大口を開けて固まる観客もいるほどだ。否、観客だけではなく、馬主席で観戦している馬主達も言葉を失っている。長谷川も例外ではない。
彼らの思考は一致していた。
「速さの桁が違う」
出走した16頭。ビヨンドスピードはただ1頭だけ、速さの次元が違った。
そこから先、差が縮まることはなかった。
《最後の直線残り200を切りました。ビヨンドスピード差を広げる、ビヨンドスピード差を広げる! 凄い脚だビヨンドスピード、これは凄い脚だ!》
誰も先頭を走る馬に追いつくことは出来ず。
《これはもう文句なし、これは文句なしだビヨンドスピード! 2番手に浮上したイルデパンをさらに突き放す!》
影を踏むことすら許さないままに。新人馬主がとてもあっさりと。
《勝ったのはビヨンドスピードだビヨンドスピードだ! 圧倒的な速さを見せつけて、ビヨンドスピードが新馬戦を制しました! いや、これは速い! 速いとしか言えません! 2着のイルデパンがようやくゴールしたのをしり目に悠々とウイニングラン、ビヨンドスピードが凄いレースを見せてくれました!》
《大差をつけての圧勝! 芝の1400mで、これは凄いですよ!》
《明らかにモノが違ったビヨンドスピード! 今後のレースが非常に楽しみです!》
ビヨンドスピードが新馬戦で勝利を飾った。
強い。