ノロイ、ノロワレ   作:藤原

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第六話

 ◆

 

 三年前の春だった。

 

 私は新卒で入った会社で二つ年上の先輩、高村拓也と出会った。営業部の花形で、背が高くて、いつも笑顔で、とても優しい人だった。

 

 最初は挨拶を交わす程度だったが、食堂がたまたま混んでいて、隣の席になって少し話をしたことで、彼が同じ大学の先輩だったことがわかった。それがきっかけでそれからも昼休みに一緒にご飯を食べるようになり、仕事帰りに飲みに行くようにもなり──気づけば付き合っていた。

 

 交際二年での婚約。両家の顔合わせも済ませた。結婚式場も決めて、招待状のデザインも選んで。とてもとても幸せだった。この人と一緒に生きていくのだと信じていた。

 

 でもそんな幸せな妄想はあっというまに終わってしまったのだ。

 

 結婚式の三ヶ月前。

 

 私は会社の後輩女性と拓也が浮気していることを知った。きっかけは些細なことだった。ホテルで寝ている時、拓也のスマホに通知が届いたのだ。でも拓也は寝ている。

 

 だから──魔が差した。

 

 内容は……まあ、お察しの通りだ。

 

 問い詰めると、拓也は開き直った。

 

「正直、もうお前との結婚は無理だと思ってた」

 

 何を言われているのか、最初は理解できなかった。

 

「あっちのほうが俺のことわかってくれるんだよ」

 

 あっち。その言葉が刃物のように刺さった。

 

「お前は俺に求めすぎなんだよ」

 

 私が何を求めた? 普通に愛されたいと思っただけだ。結婚を約束した相手に裏切られたくないと思っただけだ。そりゃあ少しは束縛……ともいえる様な事をしたのかもしれない。でもそれだって愛の裏返しではないか。

 

 更に追い打ちがあった。浮気相手が妊娠していた。

 

 拓也は言った。

 

「本当に好きなのは向こうだった。子供もできた。結婚は向こうとしたい。だから、別れてくれ」

 

 その言葉を聞いたとき、目の前が真っ暗になった。

 

 ◆

 

 地獄はそれだけでは終わらなかった。

 

 浮気相手は私の存在を知ると逆上して、被害者ぶったストーリーをSNSに投稿し始めた。名前は出さなかったが、私だとわかる情報を散りばめていた。それによれば、私が拓也を精神的に虐待していたらしい。生来のテイカー気質で、それで、それで……。

 

 コメントは私を叩くようなものばかりだった。

 

 地獄は続く。

 

 会社中に噂が広まったのだ──もちろん、私が加害者、略奪者として。

 

 拓也は責任を転嫁した。

 

「お前にも悪いところがあったんだよ」

 

「俺を追い詰めたのはお前だ」

 

「慰謝料? 金目当てかよ」

 

 共通の友人たちは拓也側についた。「拓也にも事情があったんだよ」「彩乃もちょっと重かったよね」。そんな言葉を投げかけられた。

 

 私は孤立した。会社に行くのが苦痛になった。廊下を歩くと視線を感じた。ひそひそ話が聞こえた。誰も味方がいなかった。

 

 毎日泣いた。食べられなかった。眠れなかった。

 

 どうすればいいのかわからなかった。

 

 ◆

 

 そんなとき、LINEが届いたのだ。

 

 美月からだった。

 

『久しぶり。SNS見たんだけど、大丈夫? よかったら話聞くよ』

 

 高校卒業後、美月とは年に一度会うかどうかの関係だった。卒業式の日に謝って、許してもらって、たまに連絡を取る程度。

 

 正直驚いた。なぜ美月が連絡をくれたのか。高校時代、私はこの人をあれほど傷つけたのに。

 

 躊躇した。あれだけ傷つけておいて、いざ自分が傷ついている時に甘えてしまうのかと。それはちょっと都合がよすぎるんじゃないかと。でも他に頼れる人がいなかった。親には心配をかけたくなかったし、友人は全員、拓也側についてしまっていた。

 

 そうして美月と再会した。

 

 駅前の喫茶店で、私はすべてを話した。拓也の浮気。妊娠。婚約破棄。会社での孤立。SNSでの晒し。

 

 美月は黙って聞いてくれた。何時間も。コーヒーが冷めても、窓の外が暗くなっても、ずっと。

 

「辛かったね」

 

 美月はそう言った。

 

「彩乃は悪くないよ。彩乃は何も悪くない」

 

 その言葉を聞いたとき、涙が溢れ出した。ずっと誰かに言ってほしかった言葉だった。

 

「慰謝料、請求したほうがいいよ」

 

 美月は冷静だった。

 

「婚約破棄は不法行為になる場合があるから。知り合いの司法書士に弁護士を紹介してもらえるよ」

 

 美月は本当に紹介してくれた。弁護士との相談にも付き添ってくれた。LINEのスクリーンショットを整理し、時系列をまとめ、SNS投稿の魚拓を取るのを手伝ってくれた。

 

 最終的に、私は拓也から百五十万円の慰謝料を獲得した。

 

「あんな会社、辞めたほうがいいよ」

 

 美月のアドバイスで、私は転職し、今の会社に移った。

 

 まあ今の会社でもパワハラはキツいが、前の会社と比べれば雲泥の差だ。

 

 ◆

 

 ある日、私は美月に訊いた。

 

「なんで、ここまでしてくれるの? 高校のとき、私、美月にひどいことしたのに」

 

 美月は少し困ったように笑った。

 

「だって彩乃、辛そうだったから。それに、高校のことはもう昔の話だよ。彩乃は謝ってくれたし。私、もう気にしてないから」

 

 私は泣いた。

 

 美月は本当に私を許してくれたのだ。こんなにひどいことをした私を、友達として受け入れてくれたのだ。

 

 あのとき、私は誓った。この人を絶対に裏切らない、と。

 

 ◆

 

 記憶が途切れた。

 

 三年前のことを思い出していた。美月がどれほど私を助けてくれたか。どれほど優しくしてくれたか。

 

 美月は私にとって特別な存在だ。高校時代、私は美月をひどく傷つけた。それなのに美月は許してくれた。どん底の私を救ってくれた。今もこうして親友でいてくれる。

 

 美月の優しさに、私は救われている。

 

 でも──

 

 美月の優しさに触れるたびに、私は自分の過去の醜さを思い知らされる。

 

 そして購入者たちの告白を思い出した。

 

 集団無視された女性。SNSで晒された女性。大切なものを壊された女性。

 

 みんな、私が美月にしたことと同じ被害を受けている。みんな、今も苦しんでいる。みんな、加害者を許していない。

 

 でも美月は許してくれた。

 

 それは美月が特別に優しい人だからだ。

 

 普通は許せない。一生許せない。そういうものなのだ。だって皆そうではないか。私に身の上話をしてくる呪いの購入者たちは、みんな加害者を許してなんかいない。

 

 だから、私も──許されるべきではない人間なのかもしれない。

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