ノロイ、ノロワレ   作:藤原

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第七話

 ◆

 

 月曜日の朝、目が覚めると体が重かった。

 

 週末ほとんど眠れなかった。食事もまともにとれていない。鏡を見る。随分酷い顔色だった。

 

 それでも会社に行った。行かなければならない。休むと「また休んだ」と言われるし、木村に何を言われるかわからない。

 

 でも行ってもいかなくても同じだった。

 

 案の定、木村に詰められたのだ。報告書の言い回しが気に入らないと言われた。「日本語もまともに書けないのか」と言われた。──皆の、前で。

 

 いつもなら胃が痛くなる。いつもなら帰り道に泣きそうになる。

 

 でも今日は違った。

 

 不思議と、木村の言葉が頭に入ってこなかった。頭の中は購入者たちの告白でいっぱいだったからだ。デスクに戻って、ぼんやりとパソコンの画面を見つめていた。仕事が手につかない。集中できない。

 

 昼休みにスマホを確認した。エルカリの通知が来ていた。また新しい購入者がいた。そしてまた新しいメッセージがあった。例によってやたらと重い身の上話だろうか? 

 

 読みたくなかった。でも、読まなければそれはそれで気になってしまう。

 

 悩んだが結局読んだ。

 

『呪符、届きました』

 

 四十代の女性からだった。

 

『息子をいじめた子供を呪いたいんです』

 

 また、いじめの話だった。

 

『息子は中学二年生です。半年前から不登校になりました。理由を聞いても教えてくれませんでした。学校に行くと言って家を出て、そのまま公園のベンチで一日過ごしていたことがわかりました』

 

 画面をスクロールする。

 

『問い詰めて、ようやく話してくれました。クラスの男子グループにいじめられていると。最初は軽い悪口だったのがだんだんエスカレートして、今では毎日「死ね」と言われていると』

 

 息が詰まる。

 

『学校に相談しました。でも「調査します」と言われただけで何も変わりませんでした。加害者の親に連絡したそうですが「うちの子がそんなことするはずがない」と言われたそうです。証拠がないから動けない、と言われました』

 

『息子は今も学校に行けません。部屋から出てこない日もあります。「死にたい」と漏らしたこともあります。私が見守っているから大丈夫だと思いたいけれど、怖くて仕方ありません』

 

『加害者の子供たちは普通に学校に通っています。笑って、友達と遊んで部活をして。息子の人生を壊しておいて、何事もなかったかのように生きている。許せません。呪いでもいいから、あの子たちに罰が当たってほしい』

 

 スマホを置いた。

 

 この母親の怒りが痛いほどわかる。我が子を傷つけた相手を許せない気持ちが。

 

 同時に、胸の奥が冷たくなった。

 

 私もかつて誰かの子供を傷つけた。美月にも親がいる。美月の親は私のことをどう思っていたのだろう。娘をいじめた相手をどれほど憎んでいたのだろう。

 

 考えたくなかった。でも、考えずにはいられなかった。

 

 ◆

 

 その夜、帰宅してすぐにパソコンを開いてエルカリの画面を見つめた。

 

 呪いグッズの出品一覧が並んでいる。

 

「本格呪符 怨念込め 復讐祈願」

 

「縁切り人形」

 

「呪われたアクセサリー」

 

「怨念封入瓶」

 

「呪詛の蝋燭」

 

 一ヶ月前、美月に勧められて始めた副業。木村へのストレス発散になるからと。お小遣い稼ぎにもなるからと。

 

 確かに最初はストレス発散になった。木村のことを考えながら呪符を書くと、少しだけ気が楽になった。

 

 でも今は違う。

 

 購入者たちの告白を読むたびに、自分の過去を突きつけられる。被害者の苦しみを知るたびに、自分がどれほど美月を傷つけたかを思い知らされる。

 

 木村へのストレス発散どころではない。

 

 もう、耐えられない。

 

 私は出品を停止した。

 

 すべての商品を「公開停止」に設定した。これで新しい注文は入らなくなるはずだ。

 

 画面を見つめていると、涙が出てきた。

 

 なぜ泣いているのかわからなかった。安堵なのか、罪悪感なのか、疲労なのか。

 

 多分、全部だった。

 

 ◆

 

 夜、美月からLINEが来た。

 

『今週末、会える? 話したいことがあるんだ』

 

 美月に会いたかった。美月の声を聞きたかった。でも同時に、会うのが怖かった。

 

『うん、大丈夫だよ』

 

 そう返した。

 

『土曜日の午後でいい? いつものカフェで』

 

『いいよ。何時にする?』

 

『三時くらいで』

 

『了解。楽しみにしてる』

 

 送信してから、「楽しみにしてる」という言葉が嘘ではないか考えた。

 

 嘘ではなかった。美月に会いたい気持ちは本当だった。でも、怖い気持ちも本当だった。

 

 美月に何を話そう。副業をやめたことは話すべきだろう。でも、理由をどう説明すればいいのか。「購入者の告白を読んでいたら、自分の過去を思い出して辛くなった」と言えばいいのか。

 

 それは結局、高校時代のことを蒸し返すことになる。美月はもう気にしていないと言ってくれた。なのに、私が勝手に苦しんでいることを話すのは美月に負担をかけることになるのではないか。

 

 ◆

 

 土曜日の午後三時。

 

 駅前のカフェで美月と向かい合っていた。

 

 美月は今日も古着のコーディネートがおしゃれだった。ネイビーのベレー帽に、オーバーサイズのセーター。首には細い銀色のネックレス。

 

「久しぶり」

 

 美月が笑った。

 

「うん、久しぶり」

 

 一週間ぶりだった。でも、もっと長い時間が経ったような気がした。

 

 飲み物を頼んだ。私はカフェラテ。美月はいちごのフラペチーノ。

 

「で話したいことって?」

 

 私から切り出した。

 

「ああ、そうだった」

 

 美月はストローでフラペチーノをかき混ぜながら言った。

 

「彩乃、最近どう? なんか疲れてるみたいだから心配してて」

 

「え?」

 

「顔色悪いよ。ちゃんと寝てる?」

 

 見抜かれている。美月はいつも私のことをよく見ている。

 

「ちょっと、寝不足で」

 

「仕事?」

 

「それもあるけど……」

 

 言いかけて、迷った。言うべきか。言わないべきか。

 

 美月は黙って待っていた。その静かな視線が背中を押してくれた。

 

「呪いグッズ、やめたんだ」

 

「え、そうなの?」

 

 美月は少し驚いた顔をした。

 

「うん。出品、全部停止した」

 

「どうして? 順調だったんじゃないの?」

 

「うん、売上は順調だった。でも……」

 

 言葉を探した。どう説明すればいいのか。

 

「お客さんの話、重くて。読んでると、なんか、疲れちゃって」

 

 嘘ではなかった。でも、全部は言えなかった。

 

 美月は少し考えるような顔をして、それからゆっくりと頷いた。

 

「そっか。まあ、無理しなくていいと思うよ」

 

「うん」

 

「ストレス発散のために始めたのに、逆にストレスになってたら意味ないもんね」

 

「そうなんだよね」

 

 美月の声は穏やかだった。責めるような響きは一切なかった。

 

「お客さんの話、やっぱり重かった?」

 

「……うん」

 

「どんな話が来てたの?」

 

 美月が訊いてきた。純粋な好奇心というより、私を心配しているような声色だった。

 

 答えようかどうか迷った。でも、美月になら話せる気がした。

 

「いじめの話とか、DV とか、介護の話とか。みんな、すごく追い詰められてて。藁にもすがりたいって感じで」

 

「そうなんだ。大変だったね」

 

「なんか、読んでると、他人事に思えなくて」

 

 言ってから、言い過ぎたかもしれないと思った。

 

 美月は私を見つめていた。その視線には何か深い色があった。でも、それが何なのかはわからなかった。

 

「彩乃は優しいから」

 

 美月が言った。

 

「人の痛みを自分のことみたいに感じちゃうんだよね」

 

「優しくなんかないよ」

 

「そんなことないって」

 

 美月は微笑んだ。穏やかな、優しい微笑みだった。

 

「彩乃は変わったんだよ。高校のときとはもう違う人になってる。だから人の痛みがわかるようになったんだよ」

 

 その言葉を聞いて、涙が出そうになった。

 

 美月はこんなにも私を許してくれている。こんなにも私を受け入れてくれている。

 

 私があんなにひどいことをしたのに。

 

「美月」

 

「うん?」

 

「ありがとう。いつも、私の話、聞いてくれて」

 

「そんなの、友達なんだから当たり前だよ」

 

 友達。その言葉が温かかった。同時に、針で刺されたような痛みもあった。

 

「それと高校のとき、本当にごめんね」

 

 また謝っていた。何度謝っても足りない気がした。

 

「また言ってる」

 

 美月は呆れたように笑った。

 

「何回謝れば気が済むの? 私、もう全然気にしてないって」

 

「でも……」

 

「彩乃がそうやって気にしてくれてるの、嬉しいよ。でも、本当にもう大丈夫だから。過去のことはもう過去のことなの」

 

 美月の声は穏やかだった。表情も穏やかだった。

 

「私たち、今は友達でしょ? それでいいじゃん」

 

「……うん」

 

 私は頷いた。

 

 美月は微笑んでフラペチーノを飲んだ。窓から差し込む冬の日差しが美月の横顔を照らしていた。

 

 その微笑みに、私は救われた。

 

 同時に、胸が締めつけられた。

 

 美月はこんなに優しい人なのに。私はこの人をあんなに傷つけた。

 

 許してもらった。友達になれた。

 

 でも、私は自分を許せない。

 

 美月が許してくれたからといって、私の罪が消えるわけではない。

 

 私がしたことは消えない。

 

 一生、消えない。

 

 ◆

 

 帰宅してから、また購入者たちの告白を思い返していた。

 

 集団無視された女性。「一生許さない」と言っていた。

 

 SNSで晒された女性。今もスマホを見るのが怖いと言っていた。

 

 大切なものを壊された女性。今も夢に見ると言っていた。

 

 みんな、今も苦しんでいる。加害者を許していない。傷が癒えていない。

 

 美月は許してくれた。美月は優しい人だから。

 

 でも、許されることと、償うことは違う。

 

 許されたからといって、罪が軽くなるわけではない。

 

 私は報いを受けるべきなのかもしれない。

 

 まだ受けていないだけでいつか必ず、報いは来るのかもしれない。

 

 ◆

 

 その夜もまた眠れなかった。

 

 目を閉じると、高校時代の光景が浮かんでくる。美月の同人誌を破いた日。屋上に立つ美月の後ろ姿。卒業式の日の、美月の微笑み。

 

 そして購入者たちの言葉。

 

「存在を消された感覚」

 

「今でもスマホを見るのが怖い」

 

「一生、許さない」

 

 美月は許してくれた。

 

 でも、あの購入者たちは許していない。一生許さないと言っている。

 

 普通は許せないのだ。あれほどのことをされたら、許せなくて当然なのだ。

 

 美月が許してくれたのは美月が特別に優しい人だからだ。

 

 私に許される資格があったからではない。

 

 時計を見ると、午前三時を過ぎていた。

 

 窓の外は暗い。街灯の明かりだけがぼんやりと見える。

 

 購入者たちの告白は被害者の声だった。

 

 私はその被害者と同じことを美月にしていた。

 

 呪いグッズを売ることで私は被害者たちの声を聞いてしまった。

 

 聞きたくなかった。でも、聞いてしまった。

 

 そして自分の罪の重さを思い知らされた。

 

 美月は許してくれた。でも、私は自分を許せない。

 

 許されていいのか、わからない。

 

 私の心は、私なんて許されるべきではないと叫んでいる。

 

 でも美月は私を断罪してはくれないだろう。彼女はとてもやさしいから。

 

 だったらどうすればいい? 

 

 本当に、本当に許されるためには──私はどうするべきだろうか。

 

 ふと考える──美月がもし、あの購入者たちと同じように私を許していなかったら、と。

 

 そう考えると背筋が冷たくなるけれど──少しだけ、安心する自分がいた。

 

 

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