グルメ回、はんばぁぁぁぁぐ!
サザナはそれなりによく食べる人
昔はずっと泣いてて喉も通らなかったのにね
とある昼時。
D.U.自治区の外れにある古い商店街は、穏やかな喧騒に包まれていた。
「…」
かつかつかつ。
雑居ビルの狭い路地を歩くのはヴァルキューレ警察学校、刑事局の局長である潮凪サザナだ。
黒いスーツに身を包み、定規で引かれたような長い姫カットの黒髪を揺らすその姿には、極道の妻のような静かなる威圧感が漂っている。
「…」
だが今日の彼女に殺気はない。
(…)
あるのはただ圧倒的で根源的な飢えだけだった。
「はぁ」
サザナは低く息を吐いた。
昨日から立て続けに発生していた広域の抗争事件。
せいぜい2か3勢力の争いであったため、公安と刑事の介入により早々に片がつく──はずだった。
(どうしてああなった?)
その時、現場から遠ざけていたにも関わらず迷い込んできた的場イキハの登場により、事態は凄まじい勢いで悪化。
最終的に80勢力以上2000人以上の反社会的勢力が入り乱れた大乱戦へと発展した。
(イキハは──まぁ、仕方ない)
その後始末に追われる中、普段の頭痛の種である烏丸クロエは…
食堂の電子レンジで卵を爆発させ、ポットも爆発させ、食堂担当の怒りも爆発させていた。
彼女は生活力が無いらしい。
(あいつは普段どうやって生きているんだ?)
そして八咫黒モナカ。
彼女は大乱闘の現場に居座ったまま爆睡。
今も眠り続け、撤去作業の障害となっている。
(確かに酷使はしたが…!)
部下たちが引き起こすしょうもないトラブルの事務処理によって、彼女の体力は限界に達していた。
(嗚呼…)
彼女の胃は既に空腹の危険信号を鳴り響かせており、早急な炭水化物と脂質の補給が必須であった。
(腹が…減った)
だがヴァルキューレの食堂で腹を満たす気にはなれない。
というか今、食堂担当に会いたくない。
D.U.の街並みを抜ける中、様々な看板が目に入る。
『500円で食べられる!オデュッセイア流シーフードランチ!』
『ちょっと贅沢1000円ランチ!山海経直伝の山椒チャハーン定食!』
(シンプルなランチか、良いな……だが)
彼女が求めているのは適当な食事ではなく、魂の隅まで充足を約束してくれる確かな『完成された食事』だった。
「…む」
そんな折、彼女の視線はとある古びた看板に向けられる。
『洋食キッチン・ブル』
色褪せた赤いレンガ調の外壁に、年季の入ったガラス張りの扉。
ショーケースの色がくすんだ食品サンプルは精巧とは言えずとも、どれも食欲を引き立てる造形をしていた。
「趣があるな」
扉に近寄ってみると、店外へ漂ってくるラードと焦げたソース、蒸発した赤ワインの匂いが、彼女に店の実力を知らしめる。
今この瞬間、疑っていた彼女の脳は『分からされた』
(これは…アタリだ)
刑事の直感が空腹太鼓を打ち鳴らす。
サザナがドアノブに手を掛けて重厚な木製の扉を引こうとしたまさにその時。
「む」
背後から柔らかな風が吹き抜けた。
反射的にサザナは身を強ばらせ、視線だけを後ろに回す。
「誰だ」
「あら」
サザナの耳に鼓膜をくすぐるような玲瓏な声が届く。
「御免あそばせ」
振り返るとそこには、一人の少女が立っていた。
サザナの首元あたりまでしかない背丈、白いブラウスに黒と赤いラインを基調とした制服、その上に黒いコートを優雅に羽織っている。
真っ白な肌と長い銀髪が射し込む日差しを受けてキラキラと煌めき、深紅の瞳には底知れぬ光が宿っていた。
「…失礼、つい癖でね」
「構いませんわ」
一見すればどこぞの大企業のご令嬢が、路地裏に迷い込んだかのように見える。
(ゲヘナか…?警戒するに越したことはないが…)
(制服ではない。ですがこの雰囲気……)
彼女の腰から垂れる黒い尻尾、左側だけに存在する黒い翼がゲヘナの生徒であることを証明しているが、不思議と暴力的な匂いはしない。
「お先にどうぞ。食事の優先権は急いでいる方にあるべきですから」
「…お心遣い感謝する。ではお言葉に甘えて」
サザナも一歩下がり、相手の落ち着いた佇まいに軽い敬意を表してドアを開け放った。
「ではどうぞ。ご令嬢」
「ありがとうございます」
カランコロンと郷愁を誘う真鍮のベルが店内に鳴り響き、炒めた玉ねぎとデミグラスの香りが一気に二人を包み込む。
(おお…ん?)
その瞬間サザナは気づいた。
「すー………」
後ろを歩く銀髪の少女が店内から漏れ出た匂いを肺いっぱいに吸い込みうっとりと目を細めたのを。
(良い目だ)
それはただ食事に来た人間の顔ではない。未知の美術品に遭遇した鑑定士が思わず漏らす『悦び』の表情そのものだった。
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
白髪の混じった毛並みのブルドッグの店主が厨房から顔を出し声を掛ける。
「いいえ、一人です」「別々でお願いするよ」
二人の声が同時に重なった。
店主は頷くとカウンター席の中央と一つ席を空けた隣の席を二人にそれぞれ手で示した。
店内は四人掛けのテーブルが三つとカウンターが六席。すでに常連らしき客が数人、黙々と皿に向かっている。
(…良いな)
(ロケーション…99点)
天井付近に置かれたラジオから流れるBGMは古めかしいジャズ。
完璧な陣立てだった。
「さてさて…」
サザナは席に着くとすぐさまメニューを開き視線を落とした。
彼女にとって食事とは事前の構築が全ての要である。捜査の手順と同じく最適解のオーダーを出さねば勝利はない。
(そう、これは言わば『捜査』だ)
定番のハンバーグステーキ。濃厚なソースを吸い込むポークジンジャー。カニクリームコロッケと白身魚のフライがセットになったミックスグリル。
他にも洋食の王道といったメニューがずらりと並んでいる。
(随分と手広くやってらっしゃるのですね…しかしこれでは一つのメニューに対する熱量に疑問を抱かずにはいられませんわ)
(…ふむ、どれも悪くない。むしろ全部食べたいくらいだな)
しかし人間の胃袋には限界があるのだ。
サザナ自身の胃袋は通常よりもかなり頑丈にできているが、ここで美しくない量の注文をするのはスマートとは言い難い。
どこまでいけど、面子は守りたいのが警察だ。
(うーむ、ワンセットで足りるものか…?)
だがしかし彼女の胃の腑は今や巨大な空洞だった。
部下の起こす騒動と終わらない書類仕事によって削られた精神を満たすためには、どう見ても定食一つでは足りない。
ここは『挑戦』しなければならない。
「すまない、注文だ」
「はい」
サザナは意を決して顔を上げると、お冷を持ってきた店主に口を開いた。
「この…特製デミグラスのダブルハンバーグランチ。それとトッピングで頭付き大海老フライを二本と帆立のグラタンを付けてもらおうか。…ああ、ご飯は大盛りで頼む」
「…!」
店主が、常連客が、隣の少女が、それぞれ一瞬だけ手を止めた。
(…っ)
サザナの背中を嫌な汗が撫でる。
細身で洗練された雰囲気を纏う、スーツ姿の長身美少女から発せられたカロリーにまみれたパワーワードの連鎖に、誰もが耳を疑い、同時に微かな違和感を抱いた。
──これは『暴食』ではないか。
格式高い店ではない、しかし、そこには長年で培われてきた見えない礼節が存在する。
そして『暴食』とは、かつての人々が記した罪に誘う欲望の一つ、それは礼節を乱す行為。
「承知いたしました。ダブルハンバーグ定食、エビフライを二本、帆立のグラタンでお間違いありませんか?」
「あ、あぁ、頼むよ」
店主は一瞬目を見開いたが、すぐにプロの顔に戻り柔和な笑みを浮かべながら注文を復唱した。
「では…私もよろしいですか?」
「お伺いします」
サザナが震える手でメニューを戻すと、隣から鈴を転がすような声がした。
「私はこの『特製デミグラスの目玉焼きハンバーグランチ』を、ライスは普通で構いませんわ」
少女はメインの注文を伝えると、すぅと息を吸って口を閉じる。
その場の誰もが、直前のサザナのオーダーと比較して『普通だな』と思ったことだろう。
「ただ…」
しかし、彼女の注文は終わりでは無い。
「可能であれば…ハンバーグに乗せる目玉焼きは水を入れた蒸し焼きではなく多めの油で外側をカリッと揚げるようにしていただけますか。デミグラスの粘度と合わせるなら白身の端が弾けていたほうが香ばしさが立つと思いますの」
「ほう」
静まり返った店内にその淀みないオーダーが響く。
店内がざわめき、店主は少しばかり試すような目を少女に向ける。
(と、特殊オーダーだと…?!)
そのオーダーを聞いていたサザナに戦慄が走る。
ある程度の手順の『正解』が定まっているであろう歴史のある店で、本来とは異なる調理方法の要求など、別のアプローチでの『挑戦』などと言えるどころの話ではない。
常識的に考えてご法度だ。
ましてや調理法の変更提案など、店の
(どう動く…ブルの店主…!)
両手でコップを握りしめ、タラリと冷たい汗を垂らしたサザナの目の前で、店主はニヤリと片方の口角を上げた。
「…お嬢さん、うちのデミの粘度まで分かるとはなかなか良い鼻と耳を持っていなさる。揚げるような目玉焼き、承知しましたよ」
「うふふっ。店内に漂う香り、そして煮込まれているソースの音の広がり方で想像がついてしまいますもの。楽しみにお待ちしておりますわ」
オーダーを終えた少女は上品に微笑むとカウンターの縁にそっと肘をつき、出されたお冷のグラスを美しい指先で持ち上げた。
(と、通った…だと?!)
その瞳には、確かな『確信』があった。
店内に踏み入った瞬間、この古ぼけた洋食屋が本物の情熱を持った『正解』であると彼女は即座に理解していた。
美味しいものに、停滞は似合わない。等しくどこまでも追求されるべき。
ただひたすらに味わうための純粋な待ち時間がそこにあった。
(…こいつは)
サザナは思わず隣の少女を盗み見てしまった。
彼女自身食事にはそれなりのこだわりがあるが、隣の少女はさらに一段上の領域にいる。
メニューに書かれていない工程を指示するという、シェフの実力と矜持を刺激する賭けの一手、下手すれば追い出されても仕方ない所業、言わば『傲慢』──
いや、彼女は賭けとすら思っていない。それが美食に繋がると信じて疑っていないのだ。
(…なんて、良い顔をしているんだ)
サザナは心の中で感服し、膝を着いた。
少女の名は、
ゲヘナの問題組織『美食研究会』の長にして、究極の美食を求め続ける道をゆく者───
(あれこそ、食という大海原を征く、現代の航海者…!)
法や秩序を守る立場に立ち、レールの上を歩んできたサザナは、既存の範疇から逸脱するという考えを恐れてしまう。
しかしそれ故、探求する意志と恐れない心意気を持つ者に対する敬意は深い。
たとえ相手が見ず知らずの他校の生徒であっても、そこらのチンピラであってもである。
(何だか救われてしまったな)
サザナの胸の中に、これからやってくる自分の暴食を他人の目を気にせず遂行してもよいのだという妙な安心感が広がっていった。
「お待たせしました。特製ダブルハンバーグ定食とエビフライ二尾、帆立グラタンです。グラタンは特に熱いのでお気をつけて」
「──!」
「こちらハンバーグステーキになります。卵はお望み通り外をカリッと焼いておりますよ」
「!!」
じゅうじゅうと凄まじい音と湯気を立てる鉄板が二人の前に置かれた。
「おお…」
「待っていましたわ!」
漆黒のデミグラスソースが鉄板に触れ、焦げる香りが暴力的なまでに鼻腔を刺激してくる。
同時に白磁の皿に高く盛られた大盛りの白米と普通盛りの白米がそれぞれ並べられる。
「これは…!」
サザナの目の前の鉄板には大きくてまるーいハンバーグの連山、その山裾を流れる川のごとく並べられた二本の巨大な有頭海老フライにちょい盛りのナポリタン。
そしてその奥では焼きたてのグラタンがチーズを容器の縁で焦がしながら湯気を立てていた。
「なんと…!」
ハルナの目の前には、オーソドックスでありながらも一切の妥協のないフォルムのハンバーグに鉄板の半分を覆うナポリタン。
ハンバーグの上には白身の端が狐色に揚がった、見事な目玉焼きが黄金の太陽のように輝いていた。
「いただきます!」
「いただきますわ!」
偶然にも二人の声が重なった。
フォークとナイフを持つ動作に寸分のブレも迷いもない。
闘いの火蓋が切られたのだ。
(ハンバーグといえばまずはこれだろう!)
ずぶっ…!じゅわわ…!
サザナはまずナイフを巨大なハンバーグの中心へと真上から突き立てた。
濃いめに色づき固くなった表面に抑え込まれた肉汁という名の透明な泉が、せき止められていたダムを解放されたようにドクドクと溢れ出し、下の真っ黒なデミグラスソースと融合していく。
じゅわわわわ…!!
ハンバーグを切り開き、彼女の口と同じくらいに切り出した塊をフォークで豪快に口へと運んだ。
「んぐっ!」
咀嚼。
途端にサザナの細められていた目がすっとわずかに開かれる。
(ふ、深い…!並大抵な言葉など…このデミグラスソースには無礼であろうよ…!)
赤ワインと玉ねぎが形を無くすまで煮込まれ、牛の髄の髄までエキスが抽出し尽くされたであろう圧倒的な重厚感。
その中に残る微かな苦味がアクセントとなり、ハンバーグの脂のくどさを綺麗に切り裂いている。
(底が見えん…!まるで海溝に沈んだようだ…!)
そしてハンバーグの挽肉は細かすぎない粗めのミンチにされており、肉本来の野性的な食感を残していた。
(このままでは…!)
これは気取った洋食ではない。街の胃袋を支え続けてきた洋食屋の真っ直ぐな実力そのもの───
(私が…沈められる!!)
サザナの動きが加速した。
ハンバーグの塊を胃に送った直後、一切のタイムラグを置かず白飯へとフォークを突き刺し口に放り込む。
「ぅぅ〜〜〜…!!」
ソースと肉汁が絡みついた口内に白い炭水化物が流れ込み『完成』するこの一連の作業こそが、人類にもたらされた究極の幸福である。
彼女の目が青く光り、その視線はエビフライに向けられていた。
鉄板の奥に置かれていた若干盛りすぎなくらいのタルタルソースの小鉢を手前に持ってくる。
(逃れられると思うなよ!)
すぐさま左のナイフで海老フライの中央を一刀両断し、タルタルソースをたっぷり乗せかぶりつく。
ザクッ!
という見事な衣の破壊音が店内に小さく響く。
身が詰まってプッリプリの海老の甘みが熱気と共に舌を覆い尽くし、ナポリタンで口の中の景色を変え、すかさずグラタンの帆立のエキスが染みた熱々のホワイトソース。
最後に熱さに焼かれた喉を冷たい水で冷却する。
(っっかぁぁぁぁぁ〜〜〜!!たまらん〜!!!)
完璧なローテーション。究極のエモーション。
彼女は今、果てしない食の海洋を泳ぐトライアスロンの最中にある。
これほど膨大な量に食らいついていながら、彼女の姿勢には少しの乱れもなく、白いシャツを汚すような真似も一切ない。
「っぁ…!」
豪快にして清廉。冷徹にして貪欲。
刑事局長としての彼女の盤石な強さがその食事風景に全て凝縮されていた。
「ふふ…ふふふ…!」
一方で隣に座る黒舘ハルナの実食はまるで一編の詩を読み解くかのように優雅で繊細であった。
(目玉焼きハンバーグといえばまずはこれでしょう!)
彼女はハンバーグの上に乗った目玉焼きの黄身の中心にだけナイフの先端を突き立て、とろりと流れ出た黄金色の卵黄をデミグラスソースの最も色の濃い部分へと線を引くように誘導した。
まるで魔法のように混ざりあったその完璧な色合いのグラデーションを目で楽しみ、ふふと嬉しそうなため息を漏らす。そして切り分けた肉片にその二色のソースを絶妙な比率で絡ませゆっくりと舌に乗せた。
(あぁ…なんというオーソドックスで愛に溢れたお味…!!)
ハルナの頭の中で万魔殿のファンファーレが鳴り響く、昔から散々聞いてきた音であり、それは彼女にとっての吉兆である。
(やはり見込んだ通り…ここには『深み』がありますわ!)
口先だけの旨味調味料ではない、厨房で数日、いや、今までずっと歴史をかけて煮詰められてきた嘘偽りのない努力の味が肉の奥まで染み込んでいる。
(こちらの白身の具合も完璧…!)
カリッ。
そして自らが指定したカリカリに揚げられた卵の白身。
その焦げ目がもたらす微かなクリスピー感が、柔らかい肉の中で最高のアクセントとして自己主張し、食べていて全く飽きが来ない。
(素晴らしい…!)
これは決して美食を気取った悪徳三流店舗などではない。
大通りに存在しないのが惜しまれるほど…
(いえ、この場所だからこそ、なのでしょうね)
マスターの腕前にハルナの頬は無自覚に薔薇色に染まっていった。
素晴らしいロケーション、店主の理想がここには存在し、自らにこうあるべきだと確かに伝えている。
「ふう…」
数分後。
サザナが満足げにグラスの水を飲み干し、手元にナプキンを置いた。
あの大盛りの肉の連山は綺麗に更地へと還り、ソースの一滴すら皿に残っていない。彼女の捜査スタイルとよく似た、芸術的なまでの殲滅力だった。
「はぁ…」
彼女が顔を上げたその時、隣の銀髪の少女もまた最後の一口をエレガントに飲み込み、銀のフォークをそっと皿の上に交差させて置いた。
「「あ」」
その瞬間互いの視線が初めて正面から絡み合った。
漆黒と銀白。法を守る狩人と法を無視する美食家。
だが互いに素性は知らない。それ以上に腹の底の満ち足りた幸福感が壁を取り払っていた。
静寂を破ったのはハルナだった。
「素晴らしい健啖家でいらっしゃいますわね。思わず見惚れてしまいましたわ」
ハルナがクスリと上品に笑いながら口元に指を当てる。
「あまりにも手際の良いフォーク捌きでいらしたので、まるで見事なオペラを一つ見終えたような充実感でしたわ」
それは嘘偽りのない賛辞だった。
ただ食らうだけの大食いとは違い、目の前の彼女の食べる姿には一本の筋が通っている。
食事への真摯で真っ直ぐなリスペクトが備わっていたのだ。
「お、おぺ…?」
サザナはわずかに目を丸くした後、その細い目を三日月のようにより細め深い大人びた笑みを返した。
「恐縮だよ。君こそ見事な審美眼だった、目玉焼きの白身の焼き方を指定することで、その食感をあのハンバーグのクッション材として利用するとはね。ハンバーグとソースに精通した者だけが導き出せる素晴らしい調和だった」
「まあ!お気付きになって頂けたのですね。うふふ、嬉しい限りですわ」
ハルナの紅い瞳がきらきらと輝きを増した。
彼女にとって食を共にする存在と並び、美食の真髄を分かち合える存在というのは何より得難い宝石である。
これまで美食の道を歩む中で、これほど鋭い考察を一瞬で返してきた人間に出会ったのは久しぶりだった。
「あれだけのソースを作り上げるには膨大な
「その通りだ。食事というものは作った者の精神構造の鏡でもある。適当な配線やごまかしのハンダ付けでは本物のエネルギーを抑え込むことができないように……ソースのコクは歴史の裏付けがなければ偽物で終わる。だからこそ私たちはそこに全力を注ぐ店に対し決して軽口で臨むべきではないんだよ」
「!!!まったくもって同意ですわ!お金を払えば完成された食事が出てくるのが当たり前であってはなりません。料理への向き合い方は客の在り方そのものを表す鏡でもあるべきでしょう!」
カウンターで並んで食後の無料の薄いコーヒーを啜り、サザナとハルナの対談はかつてないほどの熱量を持って白熱した。
料理は単なるエネルギー補給ではないというハルナの主張にサザナは自身の刑事としての生業を重ね合わせる。
「私の仕事は起きてしまった事象にしか対応できず、常に後手に回らざるを得ないひどく陰湿で理不尽なものばかりでね。形のない悪意と向き合い正解を探す毎日さ」
サザナは微かに苦笑してコーヒーの黒い水面を見つめる。
「だからこそ、このように完成された存在───完璧に調理された一皿を前にしたときだけ、私は安心して正解を受け取ることができるんだよ」
「…深いお言葉ですわね」
ハルナはその瞳の奥に確かな同調の光をともす。
彼女にはサザナの素性や刑事の辛酸など知る由もないが、それはもう知る由もないが、彼女の口から出るストイックな在り方にはハルナ自身の持つ美食探求への哲学と同じ響きがあったのだ。
「私も似たようなものかもしれませんわ。私は『究極』という一つの完璧な理想を求めてどこへでも出向きます。けれど世界はままならないことばかりで本当に救いのない欺瞞や嘘にまみれた食事を出してくる輩があまりにも多いのです」
ハルナの目元が微かに歪み、危険な深淵が瞳を濁らせる。
「だから私は…納得のいかない冒涜には決して妥協しませんの。そういう輩に対しては一度更地になってもらうことも厭わない姿勢でいます」
「…」
(…更地?)
サザナは思わず自分の部下のクロエの顔を思い出し小さく肩をすくめた。
「熱心なことだ。若いうちに譲れない一線を持つのは悪いことじゃないさ。その情熱がある限り君の食事の席が灰色のつまらないものになることは決してないだろう」
「!」
サザナの肯定する言葉に、ハルナはパッと顔を明るくした。
自身の熱意(意味深)を好意的に受け取ってくれた相手に、ハルナは心を強く打たれた。
「素晴らしい出会いに感謝します。貴女とでしたらきっと何時間でも美味しいお話を続けられそうですわね」
「私もだ。近頃はうるさい騒音の中で昼餉を摂る日が多くてね。この店で君と静寂を共にできたのは私のお昼に素晴らしい彩りを与えてくれたよ」
「それは良かったですわ。あ、それでは…」
ハルナはふと思いついたように自らの手提げバッグから紙に包まれた細長い袋を取り出した。
そこからはほのかに甘い、餡子と焼けた生地の香りが漂っている。
「こちら、もしよろしければいかがですか。私が一番好きなデザートです。D.U.の東にある古い露店のものですが、皮が薄くて中まで尻尾がぎっしり詰まっていますわ」
差し出されたのは見事な狐色に焼かれた立派な鯛焼きだった。
「おお…!」
サザナは少し驚いたように袋を見つめ、にこりと破顔してそれを受け取った。
「ありがたく貰うとしよう。実を言うと甘いものにも少しばかり目がなくてね。この芳醇な焦げの香りと甘み…夕方の糖分補給にこれ以上ない助けになりそうだ」
店主に勘定を置き、サザナとハルナは並んで店の外に出た。
分厚い雲が少しずつ晴れ青空が覗き始めている。二人は互いの所属や名前すら聞かなかった。
本物の戦友には、ただ味への賛辞の共有だけで十分だったのだ。
「それでは私はこれで。いずれまた素晴らしいお料理の前でお会いしましょう」
ハルナが恭しくスカートの裾を持って
「ああ。またどこかで会えるのを楽しみにしているよ。今日は素晴らしい時間をありがとう。お嬢さん」
サザナも片手を胸元に当て、肩にかけたスーツをマントのように広げた
二人は背を向けてそれぞれ逆の方向へと歩き出す。
(ふふふっ……素晴らしいお店に出会えた上、素晴らしい人にも出会いましたわ)
ハルナは手ぶらの帰り道になったことを全く後悔することなく、楽しげな足取りで駅へと向かう。
(昨日の店は見るに堪えないものでしたが………ああ、もしあの方のお勧めの店があったのなら伺っておくべきでしたわね)
(またいつか、あのお店でお会い出来るでしょうか)
(次に来た時には…マスターのおまかせで焼いた目玉焼きにしてみるとしましょう)
(…良い娘だったな)
サザナは片手に温かい鯛焼きの袋を持ったまま口元を微かに綻ばせる。
(礼儀を知り味を知る本物の食求者だった。こういう生徒がいるならゲヘナという学園もまだまだ捨てたものではないな。さて)
サザナは幸福に満たされた脳細胞が、通常運転を再開するのを感じて深くため息を吐いた。
(ここからが現実という海への帰投だ。昨日上がってきたゲヘナ自治区からD.U.に進出してきたナントカ研究会の手配書の確認もしなければな…まったく週末にかけてどうして皆忙しないのか)
(またあの店は訪れてみるか、会えるかは分からんが…)
(次は…カリカリの目玉焼きを乗せてみようか)
数日後。
ヴァルキューレ警察学校、刑事局オフィスの昼下がり。
潮凪サザナはオフィスチェアの限界まで寄りかかっていた。
「あー…」
目の前に積み上げられた指名手配書と被害状況の確認ファイル。
その一番上にあるカラーの顔写真。
『指名手配:黒舘ハルナ(ゲヘナ学園3年生・美食研究会部長)レストラン・ギソーシテマスにて味への不服を理由に建物を丸ごとダイナマイトで吹き飛ばして逃走』
サザナの手の震えが手元の湯呑みを微かに鳴らしていた。
指名手配写真の中にいるのは、優雅に微笑むあの白銀の少女だった。
「更地にするがまんまな意味のことあるかよ…!」
「はいぃ?」
隣の床で報告書の束に埋もれていたクロエが、書類を横から覗き込み顔を上げる。
「あ、それ公安からこっちにも応援要請が来てますよぉ局長…爆破跡地見ましたけどこの人いい仕事しますよね。ただ精度の割には構造が無駄に豪快っていうか美しさがちょっと」
「クロエ、黙っていろ…いや、私が黙りたい。なんということだ…」
「安心してください、彼女プロの爆弾魔ではないですよぉ」
「いいから黙ってろ…!!」
あの気高く真っ直ぐな美学を持った戦友は、とんでもないレベルの極悪テロリストであった。
もしあの場で彼女への食事が少しでも遅れたり味に満たない点があった場合、あの素晴らしい洋食屋は我々を食の海溝に落とすことなく爆発されていた可能性があったのかとサザナの額に嫌な冷や汗が流れた。
(その辺の線引きは私と同じであってくれ〜!!)
刑事局長は嘆いていた。
同じ頃、ゲヘナ学園。
とあるレストランにて山盛りのパフェを食べていた部員達の横で、黒舘ハルナはタブレットの動画サイトを優雅にスワイプしていた。
「あら?」
画面の向こうの動画サイト。
チャンネル名は『ヴァルキューレ警察学校【公式】』
その動画でサムネイルになっている一人の長身の警察官の姿にハルナは目を奪われた。
カメラに向かって挑発するハサミを持った警官の横で『これ以上調子に乗るならそのカメラごと物理的に始末書の中へ埋めるぞ』と、とてつもない眼光でその人を睨みつけている黒いスーツ姿。
「部長、どうかしたの?」
隣で小さくなったパフェをつまむジュンコが不思議そうに覗き込む。
「このお方…」
覗き込んだジュンコの瞳が見開き、そして微かに震え始める。
「げっ!ヴァルキューレの刑事局長じゃん!泣く子も黙る強硬派だよこいつ?!」
動画のコメント欄には『仏の局長ブチギレキタコレ』『極道の姉さんが通るぞ』と大量の草が生えた文字列が並んでいた。
「ふ…ふふふ…」
「ハルナ?」
「なにー?とうとうおかしくなっちゃったの〜?!」
「なんたる僥倖!なんたる奇跡!」
「うわマジでおかしくなってる!アカリ、叩いたら治んないの?!」
「無理じゃないですかね〜☆」
ハルナの顔がサッと赤くなり、すぐさま妖艶で危なっかしい微笑みへと形を変えた。
法の番人とテロリストが互いに名前を告げず、同じ机を挟み熱烈な食の討論と褒め合いをしていたのだと考えるとあまりにも数奇で劇的。
「きっともう二度とない…あぁ、もっと味わっておけば良かったですわ…!」
「やば…もしかしてパフェに危ないもの入ってんじゃない?爆破しとくこの店?」
「え〜?!?!おいしいのに〜?!?!」
「少なくとも35杯目で大丈夫なので大丈夫ですね〜」
彼女は画面越しにサザナの恐ろしくも整った横顔に向かって静かにささやいた。
「ええ…これでいいのですわ。運命が用意してくださった極上のスパイス」
ハルナの目が悪魔のように紅く輝く。
「私の美食への道に最大の制約を課す者が、最も私の美食を理解してくださる最高の相手だなんて…このシチュエーション…ああ!余韻だけで満たされていく気分ですわ!!」
「ねぇ絶対ハルナやばいよ」
全く相容れない光と闇の領域の二人が、食卓でのみ奇妙に引かれ合う。
次どこかの料理店の隅で出くわした時、サザナの手が懐のリボルバーに伸びるのか、それとも揃ってメニューに伸びるのか。
「ふふ…ふふふ…!!!」
「フウカ連れてくる?」
「そうしましょうか☆」
キヴォトスの数奇な歯車は今日も絶賛回転中であり、サザナ局長の頭痛とカロリー摂取が止まることはまだまだなさそうである。
「やぁカンナ、なんとも顔色が悪いじゃあないか。上からの圧力かね?」
「取り込み中だ、帰れ」
「そういう訳にもいかんのだ。君の部下からランチに連れ出せと仰せつかっているのでね」
「いつ刑事局は公安の下に入った」
「元々合併予定だっただろ、というか話を逸らすな。外に行くぞ」
「……はぁ、分かった分かった。少し待て」
次回『鑑識室にて(2)』
どの話が見たい?
-
クロエ
-
サザナ
-
イキハ
-
モナカ
-
ミラ(鑑識課)
-
レイン(交通安全局長)
-
まだ見ぬオリキャラ
-
既存生徒との関わり