烏丸クロエの切断論理   作:四条の利

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幸運にとっての不幸は不幸であり、不幸にとっての不幸は幸運である
─的場イキハ



大穴狙いのイキハ

 

ォォォォォォォ…

 

熱気と怒号、そして外れ馬券が紙吹雪のように舞う土曜日の昼下がり。

D.U.郊外に位置する広大な公営競馬場『D.U.東競馬場』の観客席には、周りの雰囲気に似つかわしくない二人の少女が並んで座っていた。

 

「あ゛あ゛ぁ゛ーもう!!!!また外れたーー!なんで圧倒的一番人気の馬が、最終コーナーで突然転ぶんですかぁ?!」

 

両手で頭を抱え、ベンチシートで身悶えしているのはイキハだ。

彼女の手からヒラヒラと落ちた紙切れは、今日の第十レースのハズレ馬券…つまりは紙ゴミである。

 

「当然でしょう」

 

その馬券に手が伸ばされる。

 

「彼はパドックの歩様で右後脚を庇っていましたし、今日の芝の水分量…何よりあの騎手はカーブの姿勢が安定しないという噂が付き纏っていた。あのコーナーでバランスを崩すのは計算上明白でしたよ」

 

イキハの隣で雑誌の束を小脇に挟み、たいして面白くもなさそうにジュースのストローを噛んでいるのはクロエ。

落ちてきた紙ゴミを弄る彼女の態度は冷めきっていた。

 

休日の刑事局。本来なら非番のところを、イキハに「給料日前に軍資金を増やしに行きましょう!」と半ば強引に連行されたのだ。

 

「私のお小遣いがぁぁぁ…今月残業した手当が吸い込まれていくぅぅぅぅぅ…!」

「貴女のその天文学的な『不運』をもってすれば、ギャンブルという遊戯は資金回収のトラップでしかないでしょうに」

 

クロエはハァ、とため息をつく。

ギャンブルとは、不確定要素に身を委ねる遊戯だ。

 

だが元SRTの工作員であり、微小なデータから敵の配置や爆発物の構造をプロファイリングするクロエの眼をもってすれば、レースの結果は走る前におおよそ視えてしまう。

 

(オッズ、馬の骨格、疲労度、騎手の状態、風向き…あらゆる情報をかき集めれば、結果は九割方「予測可能な事象(ロジック)」に変換される)

 

だからこそ、当たっても外れても驚きはなく、退屈でしかない。

 

「ふぁ…」

「あ!私とのデートでそんな顔するなんて!」

「なーにがデートですか小娘が」

「あーあーっ!やっぱり局長くらいの歳がいいんだ!!」

「うるさいですよ」

 

最近のクロエは、慢性的な閉塞感に囚われていた。

毎日届けられる爆弾から、明確な悪意──WDAの匂いが強まっていたからだ。

彼らの手口は、巧妙にクロエの解除プロセスを対策(メタ)してきている。

手堅く、常道を行くほどに相手の仕組んだ袋小路へと追い込まれる。

 

(……このまま私が安全な定石を選び続ければ、いずれ狩られるのはこちらの方)

 

ジュースの氷がカップの中でカラカラと音を立てる。

 

「さぁて、もう夕方です。今日のつまらない一日の償いは立ち食い蕎麦で手を打ちましょうか」

「ま、待ってくださいクロエさんんん!!」

 

帰ろうとするクロエのコートの袖を、イキハがガシッと掴んだ。

 

「まだ…まだ次があります! 次が最終の第十二レースです! 最後に大きく勝てば、今日の負けは全部『投資』に変わるんですよ!」

「完全にギャンブル中毒者の台詞ですね。SRTの救護部隊で依存性の専門家は居なかったはず…カウンセラー行きですかね」

「私の不運も、きっと最後のための前フリなんです!見ててください、私の給料全弾発射(フルバースト)!!」

 

イキハは残された財布の中身を鷲掴みにすると、発券機へとダッシュしていった。

 

そして。

 

待望の第十二レース。芝2000m。

メインスタンドは今日最後の勝負に湧く観客たちで満員状態だった。

ファンファーレが鳴り響き、ゲートの前に十四頭の出走馬が整列する。

 

クロエはイキハが買ってきた馬券を見て、完全に呆れ果てていた。

 

「…じゅ、十四番。単勝で一点買い、ですか」

「はい!今日の主役です!」

「主役とは程遠い…というか路傍の石レベルでしょうよ…」

 

その馬は、単勝オッズ120倍の最低人気だった。

ここ半年間まともに掲示板に乗ったことすらなく、直近のレースも全て二桁着順という、誰も期待していない負け犬。

名前すら、パドックの時点ですでにクロエの記憶から削除されていた個体だ。

 

「それはヤケにも程がありますよぉ。一番人気の本命が完全に仕上がっている盤面で、わざわざドブにお金を捨てるなんて。この私に奢りたくないと?」

「違いますよ!これでいいんです!!この子をパドックで見た時、ビビッときたんですよ!」

「ハァ、直感頼り。ますますもって破滅的ですね」

 

クロエは全く期待せず、大型ビジョンを流し見した。

ゲートが開き、各馬が一斉に飛び出す。実況の声が会場に響き渡る。

 

『さあ、最終レーススタートしました!まず飛び出したのは好調の二番パテルアンセレネ! そして大外の十四番オモイデモコモコ、大きく出遅れたァーッ!』

 

案の定というべきか、イキハの買った十四番はスタートダッシュに完全に失敗し、集団から三馬身以上離れた「ドベ」の位置でとぼとぼと走り始めた。

 

「ほーら。終わりましたよ」

「まだまだ!勝負はここからですよ!」

 

イキハは立ち上がり、フェンスを握りしめて叫ぶ。

 

レースは中盤に差し掛かった。

先頭集団を構成する本命馬たちは、計算されたペース配分で見事に隊列を組み、風の抵抗を避けながら体力を温存している。

 

(完璧な戦術。これでは番狂わせも有り得ませんよぉ)

 

クロエのロジックが弾き出した通りの決着が目前に迫っていた。

 

だが、最終コーナーの手前──多くの馬が振り落とされる魔の第三コーナー。

そこで、突如として『特異点』が発動した。

 

……ドドォン!!

 

ゴォッ!!

 

遠くの空で雷鳴が轟き、周囲のビル群からに強い『吹き降ろし』がコーナーに吹き込んだのだ。

 

「え?」

 

クロエが思わず声を漏らした。

 

『おーーーっと!突然の突風にパテルアンセレネが減速!後ろに着いていたマコトサマカワイイも巻き込まれてしまったー!!』

 

突風をもろに受けた先頭集団。それまで完璧な陣形を組んでギリギリの競り合いを維持していたがゆえに、一頭が風で体勢を崩した影響がドミノ倒しのように後続の有力馬たちへと伝播してしまった。

スピードが殺され、コースアウトを避けるために一斉にブレーキがかかる。

 

大混乱に陥る先頭と中団グループ…ほぼ全馬であろうか。大惨事である。

 

…ただ一頭を除いて。

 

「……まさか」

 

飛び出していたのは、大きく引き離されていた最後尾、十四番オモイデモコモコだ。

はるか後方を単独で走っていたため、突風による集団のクラッシュにも全く巻き込まれず、自分のペースを乱すことなく悠々と魔のコーナーを回り切ってしまったのだ。

 

『な、なんと先頭集団がペースダウン!その間隙を縫って、最後方からオモイデモコモコが猛烈な追い上げでやってきたァーッ!!』

 

最終直線。

焦った先頭の馬たちが内側のコースを奪い合い、再び泥沼のスタックを引き起こす。

しかしその馬は、そんな馬群のしがらみを無視し、一番外側の何も開けたルートへと迷いなく飛び出した。

 

『オモイデモコモコきた!オモイデモコモコ来た!挑み続けた不屈の魂が神風を呼んだのか────?!』

「いっけぇぇぇぇー!!そのままぁぁぁ!!」

 

イキハの絶叫がスタジアムの怒号に混じる。

 

先頭争いの足を引っ張り合うエリートたちを横目に、負け続けのドン亀馬が、大外から一直線に差し切っていく。

 

「まさか…」

 

風を切り裂き、泥を跳ね上げ、全くの無警戒だった盤面を一気にひっくり返す。

 

「ありえない───」

 

クロエは、コートがずり落ちるのも、手に持ったカップが落ちるのも気付かない程、その光景から目が離せなくなっていた。

 

『そ、そのままゴールイン!!単勝オッズ120倍の大波乱!誰も予想しなかった最低人気、十四番オモイデモコモコが一着だァァァッ!!』

 

ワァーーーッ?!!という悲鳴に近い歓声が会場に弾けた。

 

「や……やったーーー!!見ましたかクロエさん!!勝ちましたよ!!しかも単勝クソデカオッズです!今月はお寿司毎日食べられますよ!!」

 

イキハがクロエに抱きつき、ぴょんぴょんと跳ね回っている。

クロエはただ目を丸くし、大型ビジョンに映る大穴の馬の姿を茫然と見つめていた。

 

「な…なな…?」

 

ロジックが破綻した。

計算尽くの盤面が、最も可能性の低い『ゼロ』の要素によって根底から崩されたのだ。

 

「なんで…あなたは、こんな紙クズ確定に等しい大穴に賭けられた…いえ、信じられたのですか。あれが本命を食うなんて、予測では完全に不可能だったはず」

 

クロエの問いに、イキハは涙目で笑いながら答えた。

 

「だから賭けたんですよ、クロエ先輩!」

 

イキハはしわくちゃになった当たり馬券を青空に向かって掲げる。

 

「普段から不運な目にばっかり遭ってると、絶対に来る!って時があるんです!それはこれまでの不運ぜんぶ覆すような、どうしようもない『不運にとっての不運』ですよ!!」

 

それは何の根拠もない精神論だったが、今のイキハと、奇跡を起こした馬を前にしては説得力を持っていた。

 

「外れるかどうかなんて、賭けてみなきゃわからない。計算で全部分かるんなら、レースなんてやる意味ないじゃないですか!」

 

イキハの真っ直ぐな瞳が、クロエを見据えた。

 

「外れるリスクがあるからこそ!ギャンブルって面白いんですよ!!」

「…」

 

その言葉は、雷のようにクロエの胸に落ちた。

 

(そうだ。私はいつから、安全で完璧な盤面にこだわっていたのだろうか)

 

WDAが私の教本を分析し、私のプロセスに対策を立ててきている。

それは、私が『予測可能で堅実な動き』を取ると敵に舐められている証拠ではないか。

 

なら、私が取るべき選択は何か。

相手の予測マップを大きく逸脱する、常識外れの場所からの『差し切り』

絶対に選んではいけないとされる危険な手───

 

そう、例えば、ヴァルキューレという現在の立場を無視して、かつての友人達とコンタクトを取ること。

 

場合によってはヴァルキューレと旧友の双方を敵に回しかねない選択。

単勝オッズどころの騒ぎではない大穴。

 

(……ふふ、フフフ)

 

クロエはハサミをコートのポケットの中で握りしめた。

今まで冷たく淀んでいた視界に、強烈な高揚感と緊張感が蘇ってくる。

 

烏丸クロエが最も輝くのは、盤面が保証されている時ではなく、破滅と成功が紙一重の状況下でワイヤーを斬る時だったはずだ。

 

「…まったく」

 

クロエはフッと息を吐き、悪魔のように口角を限界まで吊り上げた。

 

「本当に面白いですよ、イキハ」

「へへっ!さすがのクロエさんも私のアッパレな運に惚れ直しました?」

「ええ。おかげで目が覚めましたよ」

 

イキハが見せた『大外からの逆転劇』

敵がメタを張ってきているなら、私は相手の想定外の外周から全てを更地に変えてやる。

 

「よぉし!じゃあまずは両手いっぱいのカツ丼から買いにいきましょう!お持ち帰りで局長たちにもたくさん!!」

「はいはい。お伴しますよ、大富豪のお嬢様」

 

歓声の冷めやらぬスタジアムから歩き出しながら、クロエは誰にも聞こえない声で呟いた。

 

 

「私も勝ちますよ、このゲームに」

 

 





「クロエさんお金貸してくださいぃ〜!!」
「イキハ?お寿司云々はどうしたんですかぁ?先日大当たりした時に言っていたでしょう」
「…アハハー、全部溶かしちゃいまして」
「ハァ?!あの金額をですか?!一体何に──」
「…ボートと自転車に」
「……馬鹿ですねぇ」

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