昔のクロエのはなし
冷たい風が土煙を運ぶ小ウサギ公園。
ここを拠点とするRABBIT小隊のもとへ、先生はコンビニ袋を両手に提げて足を運んでいた。
“おはよう!“
「おはようございます。先生」
やけに仰々しく展開された陣地に建てられたテントの傍で、彼女たちはそれぞれ機材や装備の手入れをしている最中だった。
「先生、わざわざ差し入れなんてすみません」
“いいんだよ、近くまで来たからね“
ミヤコが温かいお茶のペットボトルを受け取りながら、丁寧に頭を下げる。
「悪くないな」
「あ、サキそれ私が狙ってたんだけど」
「早い者勝ちだろ」
サキも白いヘルメットを傍らに置き、肉まんを頬張りながら手を上げた。
モエは弁当の中身を物色し、ミユは物陰からひっそりと缶スープの熱を指先で確かめている。
“最近どう?“
「相変わらずですね。ヴァルキューレも過剰な介入は控えているようで、私達としてもやりやすい状況です」
和やかな時間が流れる中、先生はふと先日の出来事を思い出した。
激走するハイウェイの上で命綱を握っていた、あの刑事達のことを。
“ねぇ、ヴァルキューレの刑事局に元SRTの生徒がいるのは知ってる?烏丸クロエっていうんだけど“
「え…」
「は?!」
その名前を出した瞬間。 ピタリと四人の動きが停止した。
サキの口から、咥えていた肉まんが零れ落ちそうになる。
「えっ」
「げほげほげほ!」
モエが青ざめた顔で咳き込んだ。
テントの傍らにいたミユは、頭を抱えてガタガタと震え始めている。
「ひぅっ!か、烏丸、先輩……?!」
「…うげ。その名前、ちょっとトラウマ」
モエが額を押さえながら大きくため息をつく。
一番冷静だったミヤコでさえ、手にしたお茶をギュッと強く握りしめて顔を強張らせていた。
“あ、あれ…?“
「あ、あんなに怖い人…忘れられないです…うぅ…」
「怖いとかそういうレベルの話じゃなかっただろあの人は」
予想外の反応に先生が困惑していると、ミヤコが居住まいを正した。
「烏丸クロエ…クロエ先輩が率いていた部隊は、特殊工作部隊『
「隠密潜入や破壊工作。文字通り泥の中を這うような裏の任務を専門とする彼女たちは、学園内でも異質な存在でした。周囲からは敬遠と恐れを込めて『
「というか先生、あの人と会ったのか?よく無事だったな」
「ひひ、先生大丈夫?あの人に爆弾仕掛けられたりしてんじゃな〜い?」
モエが弁当を置き、ニヤついた顔で先生を見た。
先生の脳裏に、クロエとのファーストコンタクトの光景が蘇る。
『このまま寄りかかれば、感圧スイッチが作動してドカン。このまま手を離してしまうと、水平維持装置がズレてドカン!…あ〜らら、詰んでますねぇ先生?』
「はは…」
「え、マジでやったのあの人」
懐かしいなぁと微笑んでいると、モエは引いた顔をしていた。
「なら私も仕掛けてもいいってこと?」
「やめとけ、クロエ先輩に見つかったら前みたいにダメ出しされて終わりだぞ」
“前?“
「そう!あの人の座学トンデモすぎてさぁ!退屈だったからちょ〜っと回路をイイ感じに弄ってたら──」
『兵器に感情を乗せるな。そのポンコツもろとも脳の回路を断ち切ってやろうか』
「──って定規で頭ぶん殴られて!そこから6時間ぶっ通しで仮想回路の配線組みをさせられてさぁ!指が取れるかと思ったよねぇ!!」
「それはお前が悪いだろ」
サキが顔をしかめながら当時の恐怖を語る。
「私達が室内の突入演習やった時、模擬犯人はあの人だったんだ。その時はドアを蹴り破って侵入した瞬間に全滅させられた」
「そのあと言い放った言葉が『死人に反省は不要ですが、特別に敗因を教えてあげます』でしたね」
「ただの立てこもり犯って設定なのに室内52箇所のトラップはありえないだろ!!」
ミユも小さな声を上げる。
「わ、私は…隠密行動訓練でいつも追い回されて…何回か捕まった時は色々言われて…」
「彼女が高笑いする姿…どころか、笑った顔を見たのはミユを小脇に抱えてきた時が初めてでしたね」
“昔は結構気難しかったのかな?“
「気難しい…というより、自他共に対して恐ろしいほど厳格な人でした」
「よく外周をユキノ先輩と走ってたよな」
『クロエ先輩の訓練だと──』『あの人は三回目の実践で──』
『チドリ先輩とヒタキ先輩には何度も助けられて──』
“(…)“
四人の兎は、クロエから始まる学園での昔話に華を咲かせる。
その中で、皆から見た彼女の姿は『教わる側』であり『教える側』でもあるように聞こえた。
“そういえば…クロエは訓練も担当してたの?“
「…はい」
先生の質問に、ミヤコが小さく息を吐く。
そこには、感嘆に近い感情が込められていた。
「…SRTでは、優秀な成績の生徒が教官として授業や訓練を担当する事が出来るんです」
「成績次第では教範も書き換えられるらしい」
「クロエ先輩は、他の先輩方に比べると独特なスタイルでしたが、積極的に教鞭を振るわれていました」
“厳しくも良い先輩だったんだね“
「そうですね…ですが…」
「あの人、見た目が怖すぎて誰も近寄らなかったんだよ」
ミヤコとの会話にモエが割って入る。
「制服は真っ黒だし、首から口元まで包帯で隠してさ、任務の時なんか黒いフードを被ってて…しかも声もガラガラ!まんま『幽霊』だったよ」
先生は少し考え込む。
RABBIT小隊の語る「CROW小隊長の烏丸クロエ」と、今の刑事局でハサミを回して爆弾の配線を笑顔で切っている彼女とでは、あまりにも印象が違う。
いや、根本的な無慈悲さは共通しているのかもしれない。
ただ、彼女は今いる場所にある種の「楽しさ」を見出しているように見えたのだ。
「でもあの人、工作員としての腕は別格だったんだよ。本当に、マジで」
モエが少し興奮したような、尊敬が入り混じった声で話を続けた。
「先生『
“いや、聞いたことないかな“
初めて聞く物騒な組織の名前に、先生は首を傾げる。
RABBIT小隊の他のメンバーも真剣な顔で頷いていた。
「通称W.D.A。裏社会の組織の一つで、テロリストや反社会的勢力に大量の爆弾を卸していた連中です。目的は思想とかじゃなくて、純粋に爆破を利用した地価操作や土地ビジネス。キヴォトスの不動産にまで手を出していた巨大な悪の組織です」
「連邦生徒会や各自治区の治安維持組織でも手を焼いていた大規模な犯罪組織。でもそれをたった一夜で壊滅させたのが、CROW小隊なんです」
「そ、それもクロエ先輩一人で…です」
ミユの言葉に先生は驚いた。巨大な組織の拠点を、たった一人の生徒が。
「厳密には直接潜入したのがクロエ先輩ってだけで、CROW小隊は全員参加していたんだけどな」
「当時の任務記録では、拠点の大規模プラントに潜入し、施設内の全ての配線を組み換え、奴らが保管していた数トンもの爆薬もろとも施設を『時限爆弾』に変えて自壊させたんです。音もなく、正確に弱点だけを吹き飛ばして…」
「くひひ…気持ちよかっただろうなぁ…」
モエが「ドーン」と両手で爆発するジェスチャーを作る。
「その作戦が凄すぎて、残党以外に証拠すら残らなかったくらいだったらしいよ。裏の世界じゃ、いまだにカラスの影に怯えている連中も多いとか…」
「なんでお前はそれを知ってるんだよ」
先生の胸にストンと腑に落ちるものがあった。
ショッピングモール、社長室、保護施設、ハイウェイと続いてきた爆弾処理。
本来なら大騒ぎになる事態だったのだろう、飄々とそれらを解除する姿は、組織を単独で壊滅させるほどの実戦経験に裏打ちされたものだったのだ。
“そんなに凄い過去があったんだね“
「はい。だからこそ…彼女の『あの時の決断』は、私たちにも大きく影響しました」
“決断?“
ミヤコの表情が一転して険しくなる。
他の三人も静まり返り、子ウサギ公園には乾いた風がテントを揺らす音だけが響いていた。
「SRT特殊学園の閉鎖が決まり、皆が連邦生徒会に抗議の声を上げようとしていた時期。当然、私たちの先輩であるFOX小隊のユキノ先輩も、武力決起のために全小隊の長に協力を呼びかけていました」
ミヤコは自身の銃をギュッと抱きしめる。
「FOX小隊からすれば、裏から手を回せるCROW小隊の力は絶対に必要なピースでした。しかしクロエ先輩は、その誘いを真っ向から跳ね除けたんです」
“クロエが…?“
「そして誰よりも早くSRTを見限り、小隊分の退学と移籍の書類を出して、自分はヴァルキューレ警察学校に移ったんです」
「当時は信じられなかったな」
サキが肩をすくめる。
「あんな任務にストイックだったクロエ先輩が、一番に学校を裏切るなんてな。最初は薄情な裏切り者だってみんな言ってたんだよ、FOX小隊とも完全に仲違いして出て行ったって噂だった」
サキの言葉に、ミヤコは首を横に振った。
「私も初めはそう思いました。でも…こうしてこの場所でテント生活を送っている今になって、先輩の選択の意味が少しだけわかる気がするんです」
「クロエ先輩は決して、正義を捨てたわけじゃありません」
ミヤコの声に力がこもる。
「先輩は『飼い主がいなくなった場所で野良犬になるのは嫌だ』と言って学園を去ったそうです」
「先輩はFOX小隊とは違い、SRTという『組織の枠』に縋らなかった。新しい場所で、新しい主人を見つけて、自分自身の刃を振るうことこそが正義であると証明しようとしたのだと思います」
「どこまでもストイックだった先輩がヴァルキューレに行った事は、私たちに残してくれたメッセージだったのかもしれません。組織の看板がなくなっても、自分自身の『正義』は貫くことができるのだと」
残された後輩…ミヤコ達は今、SRTの看板に固執するあまりこの公園でテント生活を続けている。
しかしその本質は「自分たちの信じる正義のあり方」を必死に模索する戦いでもあるのだ。
クロエは最も早くそれを切り替え、自分なりの正解を見つけ出した。
“彼女の選択は、皆にとって多様な在り方を示すものだったんだね“
「はい。先輩の活躍は噂程度ですが私たちの耳にも届いています。ただ…少し……その…」
「ちょっとはっちゃけ過ぎっしょアレは」
「何事も恐れない姿勢はずっとブレないよな、あの人」
「もう怒られないからってやりたい放題なんでしょ、羨ましいなぁ…くひ…」
モエが怪しく笑うと、サキやミユも釣られて表情を和らげた。
「そういえば」
ミヤコがふと、真剣な顔で先生を見上げた。
「一つだけ心配なことがあります」
“心配?“
「最近、WDAが活動を再開したとの噂を聞きました」
“!“
「クロエ先輩は異常なまでに完璧主義だとユキノ先輩から聞いています。自分が一度終わらせた仕事を再びやり直すことになれば…自分だけで終わらせようとする癖があるとも」
ミヤコの警告は、先生の胸に重く落ちた。
「CROW小隊は全員、自己犠牲の塊のような人が集まった部隊でした。あの人が一人で何かに向き合おうとしているなら、それは絶対に助けを呼べない暗闇です」
「先生。もし彼女の周りに異常が起きたら…どうか、彼女を一人で戦わせないでください。ヴァルキューレがどうかは分かりませんが、最後の歯止めをかけられるのはおそらく先生しかいません」
「へぇ〜?信頼してるねミヤコ〜?」
「え?い、いえ…それはその…」
“わかった、ありがとうミヤコ。約束するよ“
先生の答えに、煽られて焦っていたミヤコはホッとしたように微笑んで頷いた。
「もしクロエ先輩さえよければ、一度お会いしたいです」
「あの人が今どんな事考えてるのか気になるしな」
“今度聞いてみるよ“
弁当を平らげ作業を再開する彼女たちと別れ、先生は公園の土を踏み締める。
W.D.A。世界爆破連合の影。
RABBIT小隊の話を聞き、先生はようやく点と点が線に繋がっていくのを感じていた。
クロエの周囲で発生する、不可解で突発的な爆弾事件。
それらは全て、ただの『事件』ではないのではないか。
陰謀論とも言えるような突飛な発想だが、W.D.Aの存在を聞いて確信した。
彼女は全て分かっているのだろう。
そして、自分を頼る事はない。
“クロエ…“
先生の視線の先には、キヴォトスの見慣れた高層ビル群が立っている。
吹き抜ける冷たい風には、遠くで焦げたような微かな火薬の匂いが混じっていたような気がした。
“ミヤコ達が会いたいって言ってたんだけど、一度ど「は?!絶対罠なので嫌ですねぇ!元気な若者が一番恐ろしいんです!私に会ったら『この裏切り者がそのギザ歯均してやる』ってボコボコにしてくるに決まってますよぉ!訓練の時も厳しくしてましたしきっと恨みを買っていますからねぇ!」
“クロエの中の後輩はどんなイメージなの…?“
どの話が見たい?
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クロエ
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ミラ(鑑識課)
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