烏丸クロエの切断論理   作:四条の利

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キリノ回その2。

オリキャラはこねくり回して広げるこういう幕間がいちばん難しい。ピザみたいなもの。


日常を守る力

 

ひゅおお。

 

木枯らしが街の街路樹を揺らし、落ち葉がアスファルトの上をカサカサと音を立てて転がっていく。

 

「はぁ…」

 

ヴァルキューレ刑事局の烏丸クロエは、いつも以上に重い足取りでD.U.管轄内の小学校へと向かっていた。

 

「……なんで私がこんな寒空の下で、また生活安全局の手伝いをしなくてはいけないんですかねぇ」

 

彼女は羽織ったコートの襟を立て、ポケットの奥深くで拳を握りしめていた。

彼女がぼやくのも無理はなかった。

ここ最近、D.U.自治区内ではW.D.Aの残党による不穏な動きが活発化していた。

かつて彼女が解体したはずの爆弾ネットワークの類似品が、いくつかの現場で発見されていたのだ。

 

(時間も余裕もないというのに…)

 

連日のように徹夜で捜査に当たり、過去の亡霊を追いかけるような日々に、クロエの精神はすり減っていた。

 

(…はぁ、気が重いですねぇ)

 

自分がやっていることは、本当にこの街の平和に繋がっているのだろうか。そんな底なしの迷路に迷い込んでいた矢先…

 

『クロエ、近場の小学校で防犯講習があるんだが、人が足りないらしい。だからお前行ってきてくれ』

『本気ですか局長、子供泣かせてきますよ』

『お前で泣くほど子供はヤワじゃないよ』

『あなたは泣かせますもんね』

『そんなことないが?』

 

「あ、クロエさん! お疲れ様です! お待ちしていました!」

「ウッ真夏の太陽…」

 

小学校の体育館の入り口で、大きな声を張り上げて手を振っていたのは、生活安全局の中務キリノだった。

キリノは制服の上に冬用のジャケットを羽織り、寒さなど微塵も感じさせないような満面の笑みを浮かべていた。

相変わらず真っ直ぐな、直視するには少し眩しすぎる瞳だった。

 

「お久しぶりですねぇ、キリノさん。相変わらず元気そうで何よりですが、少しは落ち着きというものを覚えたらどうですか。寝起きには響きます」

「すみません!でも今日は近隣の小学生から中学生まで、総勢百人近くが集まる大規模な防犯講習なんです。気合を入れないと、子供たちのエネルギーに負けてしまいますから!」

 

キリノは拳を握りしめて力説したが、その拍子に脇に抱えていた防犯講習用のパンフレットの束を派手にぶちまけた。

 

「あわわわ!すみません、すぐに拾います!」

 

慌ててしゃがみ込み、風に煽られる紙を追いかけるキリノを見て、クロエは小さく溜息をついた。

 

「……本当に、相変わらず不器用な人ですねぇ」

 

彼女は腰を落とし、信じられないほど素早い手つきで、地面に散らばったパンフレットを数秒で全て回収した。

その無駄のない動きは、部隊で鍛え上げられた身体能力の証明でもあった。

 

「ありがとうございます、クロエさん。やっぱりクロエさんは凄いです」

「これくらい、誰でもできますよ。さあ、さっさと中に入りましょう。凍え死んでしまいます」

 

小学校に入った二人は、教員達と打ち合わせや簡単なリハーサルが進め、あっという間に開始時刻を迎えた。

 

「うわぁ…キヴォトスの未来は安泰ですねぇ」

「どういう感覚なんですかそれ…?」

 

体育館の中に入ると、すでに暖房器具の周りに子供たちが集まっていた。

小学生の無邪気な声と、中学生の少し冷めたような話し声が入り混じり、独特の騒がしさを作り出している。

クロエはそれを、まるで畑の野菜に向けるような顔で眺めていた。

 

「あー、あー」

 

キリノが演台の前に立ち、マイクを握った。

 

「皆さんこんにちは!ヴァルキューレ警察学校、生活安全局の中務キリノです。今日は皆さんに、自分の身を自分で守るための『防犯』について、一緒に勉強してもらいたいと思います!」

 

キリノの真面目で一生懸命な語り口に、子供たちの視線が集まる。最初は少し騒がしかった体育館が、徐々に静かになっていった。

 

彼女は、不審者に遭遇した時の心構えや声をかけられた際の間合いの取り方などを、身振りを交えて丁寧に説明していく。

しかし、中学生のグループなどは、少し退屈そうな表情を浮かべ始めていた。

そして───

 

「ねーお巡りさん。そんな綺麗事ばっかり言ってもさ、実際に悪い奴に捕まったら、そんな簡単に逃げられないでしょ?」

 

一人の中学生が、挑発するような声を上げた。周囲の子供たちが、ニヤニヤしながらキリノの反応を伺う。

キリノは一瞬言葉に詰まったが、すぐに表情をキリリと引き締めた。

 

「確かに、言葉で言うのは簡単ですね。では、実際に不審者に絡まれた時、どのように対応すればいいか実戦形式で見せてみましょう。……クロエさん、不審者役をお願いできますか?」

 

キリノに話を振られ、壁際で腕を組んでいたクロエは、面倒くさそうに歩み出た。

 

「いいですよぉ。ただし、私は加減というものをあまり知りませんからねぇ。怪我をしても恨まないでくださいよ、キリノさん」

 

クロエはそう言うと、両手をパァンと打ち合わせる。

 

その音は、瞬時にその場の空気を変えた。

さっきまでの眠そうな目が、獲物を捉える狩人のそれへと変わる。

 

「さて…」

「あのクロエさん?そこまで気合いを入れなくても…」

 

コートと上着を脱ぎ、ワイシャツ一枚になったクロエ。

人を食ったような態度を引っ込め、ただの「脅威」として、キリノの前に立った。

体育館の空気が、一瞬で凍りつく。子供たちも、クロエが纏うただならぬ雰囲気に圧倒され息を呑んだ。

 

「じゃあ、行きますよ」

 

ダァン!

 

クロエの身体が、爆発的な踏み込みとともに動いた。

彼女が選択したのは、SRT特殊学園仕込みのCQCだった。無駄のない最短距離の軌道で、キリノの胴体へと手を伸ばす。

 

衣服を掴み、瞬時にバランスを崩して地面に叩きつけるための、実戦的な技術。

子供たちに見せるための「お芝居」ではない。一体何をしているのか。

 

クロエは最近の捜査での鬱屈とした感情も手伝って、ほんの少し、ムキになっていた。

プロの技で、この青臭い後輩を驚かせてやろうという、大人気ない悪戯心が働いていた。

だが、次の瞬間、彼女の視界が大きく揺らいだ。

 

「はっ!」

 

キリノの鋭い気合の声とともに、クロエの手首が下から弾き飛ばされた。

 

(これを見切りますか…!)

 

キリノはクロエの凄まじい突進に対して、一歩も引いていなかった。

それどころか、ヴァルキューレの逮捕術の基本を、完璧な形で体現してみせた。

クロエの攻撃を受け流すと同時に、彼女は懐へ飛び込み、クロエのシャツの襟と袖を的確に捉えた。

 

「おっと……っ?!」

 

引き離そうとしたクロエは驚愕した。

相手の身体の軸が、寸分のブレもなく固定されている。

 

(!)

 

クロエはすぐさま、空いている足で相手の膝裏を蹴り崩そうとしたが、キリノはその動きを予期していたかのように、逆に自身の体重を乗せてクロエの身体を浴びせ倒しにきた。

柔道の足技と、逮捕術の融合。

 

(なんという…!面白い!)

 

クロエの心に火がついた。

特殊部隊のプライドが、ここで負けることは許さないと囁く。

クロエは倒れるまでの僅かな空中で身を翻し、キリノのホールドを強引に振りほどくと、着地と同時に相手の背後へ回り込もうとした。

 

目にも留まらぬ速さのステップ──

 

「やぁ!」

 

しかし。

 

キリノの反応は、自身の予想を遥かに超えていた。

彼女は地面を踏みしめると、振り返る動作と同時に自身の重心を極限まで下げ、クロエの懐へ体当たりをするように潜り込んだ。

 

「そこです!」

 

キリノの右腕が、クロエの胸元に深く差し込まれる。

見事な一本背負いの体勢。彼女の頭をよぎったのは、「まずい」という確信だった。

 

(くっ──!)

 

しかし、既に手遅れ。

次の瞬間、クロエの身体は綺麗な放物線を描いて体育館の畳の上に叩きつけられていた。

 

ドォン!

 

重い衝撃音が体育館に響き渡る。

 

「…!」

 

クロエは天井を見上げたまま、しばらく動けなかった。

背中に受けた衝撃よりも、自分が純粋な格闘技術で投げ飛ばされたという事実の衝撃の方が大きかった。

 

「はっ!」

(えっそこまでやります…ぐぇっ!」

 

キリノはすぐに、床に伏せたクロエの腕を取り、関節を極めて動きを封じた。完璧な制圧だった。

 

「はぁ…はぁ…不審者が襲ってきたときは、このように相手の力を利用して、隙を作って逃げるか、周囲に助けを求めてください!」

「無理でしょうよ」

 

キリノは息を荒くしながらも、大きな声で子供たちに説明した。

子供たちはぽかんとした表情を浮かべていた。

 

そして僅かな静寂の後、体育館が割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。

 

「すげえええ!今のヒーローみたいだった!」

「お姉ちゃん、めちゃくちゃ強いじゃん!」

「そっか!そうやればいいんだ!」

 

子供たちは目を輝かせて立ち上がり、大騒ぎしている。特に、さっき挑発的な口を利いた中学生は、口を半開きにして呆然としていた。

キリノは慌ててクロエの手を放し、顔を真っ赤にして頭を下げた。

 

「く、クロエさんすみません!ついつい身体が勝手に動いてしまって、本気で投げてしまいました!お怪我はありませんか!?」

 

クロエはゆっくりと起き上がり、痛む背中をさすりながら、信じられないものを見る目で目の前に立つ後輩を見つめた。

 

「…キリノさん。貴方、普通に強すぎませんかね。何か大会とかで賞獲ってたりしませんか?」

「え?そういうのは特に…昔から制圧術は得意でしたが…」

 

キリノは申し訳なさそうに指を弄んだ。

 

「……なるほど。いや、参りました。まさか私がこんなところで一本取られるとは思いませんでしたが、子供たちにも大ウケですし結果オーライですかねぇ」

 

クロエは苦笑しながら立ち上がり、ハネた髪を直した。

 

不思議と悪い気分ではなかった。

心の中にあった暗い霧が、投げ飛ばされた事によって、ほんの少しだけ吹き飛ばされたような気すらした。

 

「よし、次は私の番ですねぇ。キリノさんの素晴らしいショーで熱くなった後は、少し頭を使う講習(レクリエーション)にしましょうか」

 

クロエは演台の前に進み出た。

彼女の目はすでに刑事、そして元特殊部隊の鋭さを取り戻している。

 

「こちら刑事局の烏丸クロエさんです!元特殊部隊の方で、爆弾のスペシャリストなんですよ!」

「すげー!」

「ははは、大した事はありませんよぉ。では、私からは『怪しいもの』を見分ける方法を教えましょう。題して『現場検証ゲーム』です」

 

クロエがそう言うと、子供たちは興味津々といった様子で身を乗り出した。

 

「実は私、既にこの体育館の中に『不審物』を仕掛けてあります」

 

悪い笑みを浮かべた彼女が掲げたのは、あからさまに危険そうな色合いのテープが貼られた赤いスイッチ。

その発言に、キリノと教員たちがギョッとした顔をしていた。

 

「もちろん本物の爆弾とかではありませんよぉ、それっぽいものです。ですが、プロの私が本気で隠しました」

 

彼女が用意したのは、得意分野である裏工作の知識と刑事としての鑑識知識を応用したレクリエーションだった。

 

「 今から班ごとに分かれて、それを見つけ出してください」

 

「ただし、ただ探すだけではダメです。周囲の状況、違和感、そして『なぜそこにそれがあるのか』という理由を考えて探してください。観察眼のテストです」

 

「私の皆さんの真剣勝負、ズルや反則はダメですよぉ」

 

クロエの言葉に、子供たちは一斉に盛り上がった。

冷め気味だった中学生たちも「絶対に全部見つけてやる」と息巻いている。

 

「では始め!」

 

ゲームが始まると、体育館の中は小さな探偵たちで溢れかえった。

クロエが仕掛けた不審物は、どれも一筋縄ではいかない場所にあった。

 

ある不審物は、ステージの袖にある非常用照明のカバーに付けられたカメラ。

またある不審物は、清掃用具入れの中に置かれた偽装バケツ。

 

そして三つ目は、体育館の隅にある消火器の台座の裏に貼り付けられた、一見するとただのゴミに見えるコード。

 

「あ、これ怪しくない!?普段こんなところにコードなんてないよね!」

「こっちのバケツ、中身が空なのに重いよ!」

 

子供たちは、クロエが教えた「日常の風景からズレているものを探す」という鉄則を忠実に守り、次々と不審物を発見していった。

 

「ふふ、よく見つけましたねぇ」

 

彼女は子供たちが発見をするたびに、その不審物がどのような意図で隠されていたのか、そしてなぜそれが危険なのかを専門的な知見を交えて分かりやすく解説した。

 

「素晴らしい観察眼ですねぇ。その通り、爆弾や危険物は、一見すると普通のゴミや日用品に偽装されていることが多いんです」

 

「大切なのは、自分の知っている『いつもの景色』と、何が違うのかに気づく力です。それが自分と周りの人を守る第一歩になります」

 

クロエの解説を、子供たちは真剣な目で聞いていた。

さっきまで退屈そうにしていた中学生もクロエの周りに集まり、「刑事さん、次はどうすればいいの?」と質問を投げかけている。

 

「…」

「キリノちゃん、あの子、いい子だね」

 

キリノは、その光景を少し離れた場所から、温かい眼差しで見つめていた。

隣にいた彼女の顔なじみの教員が声をかけてくる。

 

「はい、クロエさんは凄い方です!」

 

キリノはそれに、笑顔で答えた。

 

「おっと、それは………」

「ちがう?」

「さぁてどっちでしょうねぇ?あなたはどうしてこれを不審物だと?」

 

クロエの教え方は、子供たちの安全を心から願う説得力に満ちていた。

 

「自信を持つんですよぉ、間違いだったらそれで良し。正解なら誰かを守れるんですからねぇ」

 

彼女が持つ特殊な知識が、子供たちの「生きる力」へと変換されていく瞬間だった。

 

──────────────

 

講習は大盛況のうちに終了した。

解散の際、子供たちは二人の周りに集まり、「ありがとうございました!」と元気よく挨拶をして帰っていった。

あの生意気だった中学生も「お巡りさんも刑事さんも、二人ともめちゃくちゃ格好よかった」と言い残して、照れくさそうに体育館を後にした。

 

「…ふー」

 

子供たちが去り、静まり返った体育館で、二人は後片付けを始めた。

外はいつの間にか完全に日が落ち、窓の向こうには夜の帳が降りている。

 

「クロエさん、今日のレクリエーション、本当に素晴らしかったです!子供たち、みんな目の色を変えて探していましたよ!」

 

「やっぱりクロエさんの知識や経験は、こうやって人を守るために必要なものなんですね!」

 

キリノがシートを畳みながら、嬉しそうに言った。

クロエは不審物の模型を箱に収めながら、ふっと視線を落とした。

 

「……どうですかねぇ。私の知識は、元々はこれを使って人を欺き、陥れ、破壊するためのものですから。今日やったことも、言ってしまえば裏工作の基礎を裏返しただけです」

 

クロエの声が、低く沈む。

彼女の頭の中に、W.D.Aの残党たちの顔が浮かんでいた。

彼らは今もこのキヴォトスのどこかで、かつて自分が扱っていたような凶悪な兵器を使い、何かを企んでいる。

 

「キリノさん。私は最近、自分が何者なのか時々分からなくなるんですよ。過去の亡霊を追いかけて、暗闇の中で泥仕合をして。そんな私がこうやって光の中にいる子供たちに『防犯』なんて偉そうなことを教えていていいのだろうかと、考えてしまいました」

 

久微の言葉は、冬の寒風のように冷たく、そして切実だった。

彼女は今、戦場という「非日常」の能力を持ったまま、「日常」という世界に溶け込めずに、一人で佇んでいるような孤独感の中にいた。

 

「…」

 

キリノは、片付けていた手を止め、クロエの前に歩み寄った。

そして、じっと彼女の目を見つめた。

 

「クロエさん。私は不器用ですから、あなたが抱えている過去の重さや、今戦っている暗闇の全容は分かりません……でも今日、子供たちの顔を見ましたよね?」

「子供たちの顔、ですか?」

「はい。みんな、クロエさんの言葉を真剣に聞いて、新しい知識を得て、笑顔で帰っていきました。それは、あなたがその『力』を持っているからこそ、できたことなんです。クロエさんの知識が、子供たちに『自分の身を守る盾』を与えたんですよ」

 

キリノは一歩、クロエに近づいた。

 

「過去にどんな理由があろうと、今、クロエさんがその力を使って子供たちを守ろうとした事実は、何も変わりません。暗闇の中で戦う人がいるから、私たちはこうやって、明るい体育館で子供たちと笑っていられるんです。クロエさんは、自分のやっていることに迷う必要なんて、絶対にありません!」

 

キリノの言葉には、一片の迷いもなかった。

それは、彼女の信条である「警察官は奉仕者である」という理念から来る、揺るぎない確信だった。

権力を振りかざすのではなく、ただ目の前の人々を、その日常を守るために自分の持つすべての力を尽くす。

キリノはそれを、自身の圧倒的な格闘能力も含めて、ごく自然に実践していた。

 

「───っ」

 

クロエは、キリノの真っ直ぐな言葉を受け止め、言葉を失った。

さっき、キリノに一本背負いで投げ飛ばされた時の感覚が、再び蘇る。

 

あの時技には、他者を傷つけようという悪意は一切なかった。

ただ、クロエの突進を受け止め、制圧し、場を収めるための、純粋な「守るための力」だった。

 

(……私は、力を『使う目的』ばかりを気にしていましたが、大切なのは『何を守るためにその力があるのか』ということ…か)

 

特殊部隊時代、彼女はキヴォトスの安全という巨大な名目のために動いていた。

だが今、目の前にあるのはあの子供たちの笑顔であり、キリノのような真面目な警察官が守ろうとしている、ささやかな「日常」そのものだ。

自分の裏工作の知識も刑事としての執念も、すべてはこの、壊れやすく愛おしい日常を、過去の亡霊から守るための垣根として機能すればいい。

 

「はは、ははは…はぁ───…」

 

クロエは、長い溜息とともに、心の中に澱んでいた迷いをすべて吐き出した。

そしていつもの人を食ったような、しかしどこか温かみのある笑みを浮かべた。

 

「……まったく。キリノさんには本当に敵いませんねぇ。格闘でも負けて、口喧嘩でも負けて。これでは先輩としての威厳が丸潰れですよ」

「えっ!?口喧嘩だなんて、私はただ本心を言っただけで……!」

 

キリノが慌てて手を振るのを見て、クロエは声を上げて笑った。

 

「分かっていますよキリノさん。貴方のその頑固なまでの真っ直ぐさに、今日も少し、救われました。……ありがとう」

 

彼女が素直に感謝の言葉を口にすると、キリノは驚いたように目を見開き、それから、嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「はい!これからも一緒に、この街の日常を守っていきましょう、クロエさん!」

「ええ、まぁほどほどに付き合ってあげますよ……さあ、片付けを終わらせて、早く帰りましょう。キリノさんのせいで背中が痛むので、今日は美味しいものでも奢ってもらわないと、割に合いませんねぇ」

「ええっ!?わ、私の奢りですか!?薄給の身には厳しいですが……分かりました、美味しいラーメン屋さんを知っているので、そこに行きましょう!」

 

キリノは嬉しそうに、またパンフレットの箱を抱えて走り出し、体育館の出口の段差で見事に躓いた。

 

「わわっ!」

「おっと危ないですねぇ、やっぱり貴方には、私が後ろについていてあげないとダメなようですねぇ?」

 

クロエは瞬時に彼女の腕を掴み、その身体を支えた。

今度のクロエの手は、人を傷つけるためのものではなく、彼女の転倒を防ぐための確かな「盾」として機能していた。

 

「うっ、寒い……」

「もう冬ですね〜!」

 

体育館の外に出ると上に広がる夜空には、満天の星が冷たく、しかし美しく輝いていた。

凍えるような寒風が二人の頬を撫でていく。だが、クロエの心には、もう先ほどのような冷たさはなかった。

 

暗闇の中で戦う理由が見つかった。

この不器用で真っ直ぐな後輩と共に、あの子供たちの未来を守るために。

 

烏丸クロエは、コートのポケットの中でハサミを力強く握りしめた。

 





「キリノさんは太陽です」
「あぁ分かるでありますよ、彼女は良い警察官であります」
「えぇ、それだけです」
「この為だけに本官をランチに誘ったのでありますか?!」

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