どうしてこんなことに…
午後の日差しが照りつける、連邦生徒会本部の近くに位置する小さな公園。
「…ハァ」
周囲には昼下がりをのんびりと過ごす一般の通行人たちがパラパラと見受けられるのみである。
そこにある一つのベンチで、公安局長の
手元を見つめると、まるで一枚の指示書があるような錯覚に襲われる。
その紙に刻まれているのは、防衛室長である不知火カヤから下された指令。いや、明確な『圧力』に等しい重責である。
(……子ウサギタウン予定地の区画全域における放浪者集団の排除、か)
カンナの顔に深い疲労の陰りが落ちる。
子ウサギタウン……カイザーが主導となり開発を進めている区画であり、元々住み着いていた避難民や放浪者たちが集まるようにして形作ってしまった非公認の居住区画が点在する場所だ。
もちろん不法占拠といえばそれまでだが、明日の生活すら定かではない弱者*1たちに法という名の冷水をかけるにはあまりにも厳しいのが現場の実状である。
だがそれを知らぬ、あるいは利用するカヤは無情だった。
ヴァルキューレ警察学校という組織自体が元々慢性的な資金不足に悩まされており、SRT閉鎖以降の煽りを受けさらにその立場は深刻なものになっていた。
ヴァルキューレの長であるカンナはその『財布の紐』を防衛室に握られている状態にあったのだ。
防衛室の背後にはかのカイザーコーポレーションが付き、カヤは土地開発の利権のために彼らと手を組むよう示唆してきた。もう手段を選んでいられないことは、火を見るよりも明らかだった。
「…」
カイザーは子ウサギタウンの再開発権益を確固たるものにしようとしている。
そしてその『清掃』という汚れた仕事がヴァルキューレ、その責任は自分一人に押し付けられようとしていた。
逆らえば公安…ヴァルキューレ自体がどうなるか分からない。
だがしかし、その手をカイザーと共に真っ黒に染めて良いものだろうか。
カンナが両手で額を抑え、ギリリと眉根を寄せた時だった。
「やぁカンナ。またいびられて来たのか?」
スッ、と目の前に傘みたいな姿の影が落ちる。
「…サザナ。どうしてここに」
カンナは目を見開きながらゆっくりと顔を上げた。
そこにいたのはw最も隠し事を持ち込みたくない同期、刑事局長の潮凪サザナだった。
サザナの細めた目からは感情の揺らぎが見えない。 彼女は優雅にジャケットの裾を払いながらカンナの隣へと腰を下ろす。
「君の部下から、君が一人で連邦生徒会に向かったと聞いてね。そこからは刑事のカンというものだよ」
「そんな不気味なカンで追って来られては敵わんな」
「それは褒め言葉と受け取っておこうか」
冗談を交わし合うような間だが、そこにはヒリついた互いの心情への牽制が含まれている。
カンナの表情と反応。それだけで事の事態の深刻さはサザナにはもう十二分に伝わっていたからだ。
「そうだ、渡したいものがあるんだ」
サザナはスっと音もなく、持参していた分厚く大きな茶封筒をカンナの横へと静かに置いた。
「……これは?」
「開けてみれば分かる」
カンナはサザナを見返しつつ訝しげにその封筒を開く。
「テーブルは整えておいた、席につくもつかないも君の自由だ」
中には数十ページに及ぶリストや目録のような束が入っていた。
それはカイザーコーポレーションのフロント企業の一つ、カイザーインダストリーの『VIP用カタログ』や『特別買い入れ契約書』など、裏取引が示唆される極めてグレーな性質を持つ物ばかりであった。
「っ!?なんだこれは、お前、どういうつもりだ」
「そのままだよ、カンナ」
サザナは視線を前方の一点に置いたまま声を落として言葉を続ける。
「防衛室が君に何を持ちかけたのか想像はついている。それがカイザーの差し金であることもね」
「何故この事をお前が…」
「これも刑事のカンか?」と皮肉交じりに問いかけるカンナに対しサザナは「そうなるであろうという予測さ」と淡々と告げたのだった。
「…」
カンナの顔が歪む。
サザナの意図が残酷なほど冷徹に突き刺さったのだ。
カンナが迫られているのは『カイザーとの非道な裏取引への従属』と『市民の奉仕者であるべき警察組織』という矛盾だった。
ヴァルキューレそのものと引き換えに放浪者を暴力で追い出す決断、それは私企業と警察が癒着して守るべき市民を攻撃するということ……カンナはその板挟みになっていた。
「友人を守りたいのさ、私は」
だからこそ、刑事局長であるサザナは先に『泥』に潜り込んだ。
カイザーコーポレーションが求めている「ヴァルキューレによる土地の浄化」の対価となる裏金の交渉において、己が身をその金と武装調達の窓口へ置いた。
つまり癒着の一切の接点を「自分が握っているという状況証拠」を残す事で事実上の全責任と因果をカンナだけでなく自身の身にも同等の呪いとして『分割した』という形にしたのだ。
何かあり最悪ヴァルキューレへの内務調査や弾劾がされた時にはサザナがその身一つを切り捨てるだけでカンナやその周囲への追求を減らすことができるよう状況を揃えたのである。
「随分と思い切ったな。だが」
カンナは拳を強く握り込み、怒気を腹底に孕ませて絞り出すように問うた。
「部下達はどうするつもりだ?もしこれでお前の身に泥がついたと知れば、あいつらが黙っているはずはないだろう」
「そもそも烏丸クロエ、彼女は昨日の事件で色々あったと聞いている。さらなる負担を与えるつもりか?」
「ム」
「…上司としての自覚が足りないな」
部下の名前を出されたサザナはムッと顔をしかめる。
どうやらそれは予想外だったらしい。カンナは「冗談だろ」と言わんばかりの顔で彼女を見た。
「…クロエをどうこう出来るのは私ではない」
サザナの言葉は静かに揺れていた。
「イキハも…そうだな、刺されるならあいつか。まぁそれも無茶の代償というものだろう。上手くあいつの罪が重くならないよう誤魔化してくれ」
「やめろ、縁起でもない」
カンナが苛立ちを含んだ低い声で制止する。
サザナの顔色には決して仏などという温かみはなく、青銅の仏像のように暗い影を落としていた。
「元々は私一人の自己満足や気まぐれで拾った捨て犬達だ。組織を辞した後にも、あるいはその身勝手から刺されても……奴らが今後どういった『結末』へ走るのも全ては成り行きだよ」
「どう生きようと私の知った事じゃあない…それだけの話だ」
カンナはその冷徹な態度に、哀れみに似た感情と苛立ちを覚えて吐き捨てた。
「それはお前の本心なのか?」
「……私は『仏』という冷めた立場だと言ってきているはずだ」
「『仏』か…
はぐらかすような返答の中にあった、本心から来る怯えと自嘲をカンナは見逃さないでいた。
「今のお前を見ていると思い出すよ。
「…」
「お前は『仏』を演じているだけだ、偽りの自分に甘えて、冷徹に切り捨てれば全てが解決すると思っている」
カンナが知るサザナの本質は『依存』
何かに依存し、それを軸に『偽りの自分』を演じる。
「
「…」
しかしその拠り所すら今のカンナを保護し自分たちの組織を守り切るためならば完全に切除しようとしている。
サザナの冷たく無感情であろうとする姿はかつてのトラウマからくる、自分という器一つで終わらせればいいというあまりにも不格好すぎる逃走の側面だとカンナは見抜いていた。
静寂だけが木立の中に響く。
このままだとお互いの退路となる線までも消失してしまうと判断したサザナはそっと膝に手を当て立ち上がる。
カンナに書類を渡した時点でサザナ自身の『手配』という役割は無事に終わったも同然だった。
「……さて。どうなるかはなってみないと分からない。結末がどう出たところで後顧への杞憂は時間の無駄だ」
風が吹く。
気まずい雰囲気が流れる二人だが、唐突にサザナが口を開いた。
「そうだ、全てが終わったあと、レインには何と謝るべきだろうな。矯正局行きはないだろうが、ミスズにも迷惑をかけるだろう」
「ハァ…」
サザナは薄っすらと開いた目でカンナを見る。
カンナも重い嘆息を一つついた。あの熱血の交通局長がこの事を知ればそれはもう大騒ぎだろう。
慈悲深い矯正局長も、深く悲しむ事は明らかだった。
「素直に頭を下げるしかないだろう。ミスズもレインも、遠回りは悪手だ」
「それもそうか、ははは。この歳にもなって謝り方を模索するとは…嫌なもんだね」
「降りてもいい。今からサインは私のものに書き換えれば…」
「嫌だがやらないとは言っていない」
「…泣き虫が言うようになったな」
サザナは自身の腕に視線を落とす。
うっすらと刻まれた古傷が、彼女の後悔と決意を呼び起こした。
「涙が枯れて、潮で満ちたからね」
そう言い残し踵を返したサザナの背中はこれまでと一切の違いもなく、一切の重荷を語ってはいなかった。
しかし、見送るカンナには『私を言い訳にしてでも生き長らえろ』と言わんばかりの背中に見えた。
「…満ちているからこそ、手放せないんだろうお前は」
カンナは自分の手元にある書類を一別したあと、それを膝の上に乗せ、静かに己の胸の中へ渦巻く感情を封じ込めた。
いつか訪れるであろう決戦の日まで、二人はそれぞれの道を進んでゆく。
うっす。モナカっス。
あの日以降、クロエさんが部屋から出てこなくなったっス。あの人お昼くらいしかマトモに食べないんで心配っス。いざとなったら無理やり食わせるんでいいんスけど…
局長は忙しいのか出かけてばっかり、イキハさんもなんかずっと思い詰めた顔をしてるっス。
はぁ…こういう時、『全知』とか貰えるくらい頭の良い人ならスパッとぜんぶ解決できるんスかね。
次回『カラスの見る夢』
夢なんか見ても、過去には帰れないんスよ。
回顧の目的は挑戦への下準備っス。
どの話が見たい?
-
クロエ
-
サザナ
-
イキハ
-
モナカ
-
ミラ(鑑識課)
-
レイン(交通安全局長)
-
まだ見ぬオリキャラ
-
既存生徒との関わり