ミラ回…?レイン回…?
フブキは被害者
吹き抜ける風が熱を帯びる、キヴォトスの午後。
D.U.地区から郊外へと伸びる主要環状ハイウェイ『KVハイウェイ』
本来ならば都市の血流として整然と車が行き交うはずのその場所は、黒い硝煙と不快なエンジン音によって蹂躙されていた。
「ヒャッハー!!もっとスピード出せーっ!!」
「アタシらの作ったさいきょうのトラック!見てみなこの制圧力!一般車はまとめてトラッシュ!!」
三車線のど真ん中を占拠し、爆走しているのは一台の異形な大型トラック。
荷台には乱雑な鋼鉄の装甲板が溶接で貼り付けられ、フロントバンパーには重機から剥ぎ取ってきたかのようなスパイクが備わっている。
上部にはアサルトライフルを括り付けた機銃座、おまけにどこから手に入れてきたのか巨大なクレーンの解体用アームまで後部に鎮座しているという、走るスクラップ工場と見紛うばかりの世紀末仕様である。
彼女たちは手作りの爆弾に火をつけ、道沿いにポイポイとばらまいていた。
ドンッ!という小規模な爆発が起きるたびに、周囲を走っていた一般の市民車両が悲鳴のようなブレーキ音を鳴らして次々と路肩へと退避していく。
「あはははは!交通ルールなんてお固いもんはアタシらの辞書にはねえんだよぉ!全ての車道はアタシらの為に!あ、前のヤツちょっとブレーキ遅ぇ!ブッ
ズガァン! と、スパイクバンパーが前方を走っていた小型車に衝突し、中央分離帯へと跳ね飛ばす。
常識を無視した巨大な鉄塊は、サイレンを鳴らし始めた地域の警邏パトカーすら置き去りにして、狂ったような黒煙を吐き出しながらハイウェイを突き進んでいく。
その暴挙の第一報を受け、ハイウェイパトロールD.U.本部にて誰よりも激昂している少女がいた。
「────し、し、し…信ッッじられん暴挙!!本官の愛するハイウェイのアスファルトに傷をつけ、あまつさえ交通の円滑な流れをこれほどまで醜く停滞させるなど!!万死!!億死!!兆死に値するであります!!!」
ハイウェイパトロール本部長、そして交通安全局の局長である志戸レインは、デスクを文字通り拳で粉砕する勢いで立ち上がった。
「今日の本部長めっちゃキレてない?」
「お昼食べ損ねたんだってさ」
「いつもでは?」
額に付けたゴーグルが微かにズレるが、彼女はそれを直すこともせず、銀色の髪を振り乱して本部のモニターにへばりつく。
遠くハイウェイの高架から立ち上る黒煙を、彼女の鋭い観察眼は捉えていた。
「あのバカげた重装甲、ただのパトカーで止めに行くには火力が足りないでありますな! 強引に幅寄せすれば一般車が巻き込まれる!ええい、もっと的確にかつピンポイントで走行装置や脆弱性を叩き潰せる専門家が欲しいであります!」
即座にレインの脳裏に浮かんだのは、爆弾や工作に関してD.U.でも群を抜いている顔見知りの技術者…刑事局のカラスだった。
あの偏屈で意地悪だが腕は確かなハサミの持ち主ならば、トラックごと処理して更地にしてくれるだろう。
『本部長!オペレーションは!』
「オペレーション
『はっ!全体通達!オペレーションF!』
『了解!』『了解!』
「本官は少し寄り道をしてから行くであります、後は任せるでありますよ!」
「「「はっ!」」」
レインはドライビンググローブを突き破るような勢いで装着すると、ドアを蹴破ってオフィスから飛び出した。
いつも通りの行動の速さに慣れているハイウェイパトロールの生徒達は、彼女を見送りそれぞれの役割通りに動き始めた。
「クロノスへの伝達は?」
「終わってるよー!」
「一年は交通規制に回せ!二年チームは事故の注意喚起に!」
「本部長が現場着く前に終わらせるぞ!」
「「「おー!!」」」
『最速、最善、最適』
それがハイウェイパトロール、及び交通安全局にてレインが掲げるモットーである。
誰よりも早く現場に向かうレイン。彼女の行動は誰かに任せているのではなく、出来ると信頼して託している。
彼女の信頼に応えるため、彼女の部下達はそれに見合った働きをする必要がある。
──ある種の実力主義社会、それがキヴォトスの交通を守るものたちなのである。
「……無線繋がりっぱなしであります。良い部下達でありますが、こういう所は気を付けさせないといけないでありますな」
レインの目的地はヴァルキューレ本校の刑事局。
その訪問のタイミングが、現在どのような最悪な状況にあるのかを知らないまま、彼女のパトカーは発進した。
───────
「はぁーっ、やっぱりサボるならここに限るよね〜」
同じ頃、ヴァルキューレ警察学校の刑事局オフィス。
いつもは色んな意味で騒音が絶えないその部屋は、気味が悪いほどに静まり返っていた。
誰もいないデスクの椅子にふんぞり返り、ドーナツを咀嚼しているのは、生活安全局1年生の
彼女はつい先程、モナカに借りていた漫画を返しに来たついでに、誰もいないオフィスにちゃっかり居座り、優雅なおサボりタイムを満喫していたのである。
「そうは思わなーい?ミラちゃん」
しかし、オフィスが完全に無人だったわけではない。
フブキの対面にある雑然とした工具や部品の散らかったデスクを、小さな体でもくもくと片付けているもう一人の少女がいた。
公安局鑑識課所属・
彼女は自分の身長と同じくらい長い定規を、まるで刀のように腰にぶら下げたまま、手際よく、しかしひどく暗く澱んだ目で部品をコンテナに詰めていた。
「ねぇ〜ミラちゃん。それくらいにして一緒にドーナツ食べない?ここ数日、ずっと暗い顔で作業ばっかりしてるじゃん。ちゃんと食べてる?」
フブキがのんきな声で話しかけるが、ミラの口から漏れたのは乾いた息だけだった。
「…私のコンディションよりも、放置された爆発物処理用の回路群を規定の収納率99.9%の状態に戻すことのほうが優先事項です。ミリ単位の誤差も許されません」
「そうだけどさぁ〜。そんな丁寧にしまっちゃったら、ご主人が帰ってきたとき使いにくいんじゃないの〜?」
「帰って…くるかどうかなんて、分かりませんから」
ミラの持つ手が止まり、カチンと金属部品同士が寂しい音を立てた。
数日前の図書館で起きた事件。
子供をターゲットにした時限爆弾と、それが自分自身の作り上げた理論を悪用されたものであると知った烏丸クロエ。
かつてSRTにおいて一切の私情を排し、幽霊のように静かに世界を裁ち切る工作員『CROW-1』として活躍していたクロエ。
ミラにとってその背中は絶対的な仕事人としての定規であり、自分がいつか届くかもしれない『完成形』だった。
だがあの日。自分のせいで被害が出たと悟った時のクロエは、青ざめてパニックになり、後輩であるイキハの制止によってなんとか立ち止まる…という、あまりにも弱々しい普通の少女のような姿を晒した。と彼女は人伝てに聞いた。
結果としてクロエは今、寮の自室に籠り、塞ぎ込んでいる。
局長のサザナやイキハたちも別の事件で全員が出払い、ぽっかりと空いたこの部屋の片付けだけを元SRTにして鑑識である彼女は任されていたのだ。
(クロエさん…貴女が構築してきたロジックが、あんなちっぽけなエラーごときで瓦解するなんて。私には、認められません)*1
心中はひどく複雑だった。
心配と同情がないわけではない。だが、それをはるかに上回るレベルの「自分の信仰していた絶対性が崩れ去ったこと」に対する『幻滅』、そしてそれに対する『自己嫌悪』が、彼女の
今は、そんな自分を誤魔化すために無心に片付けることしかできなかった。
「…そっかー」
フブキがもう一つドーナツを取り出した、その瞬間だった。
バァンッ!!!!
「うわぁ?!」「ひっ?!」
「クロエ殿!クロエ殿はいるでありますか!!」
オフィスへのノックを飛ばして、凄まじい足音と共にドアを蹴り開けて現れたのは、息巻いた表情の交通安全局長…レインであった。
「び、びっくりした…レイン局長じゃん。そんな大声出さなくても、みんな留守だよ〜?」
フブキが全く驚いた風でもなく口の周りについた砂糖を舐めながら言う。
「なっ、的場も八咫黒もいないのでありますか?!」
「事件ですか?他の刑事局の方々も皆、D.U.郊外に出ています」
ミラは冷たいトーンのまま応えた。
「なんと…なんと間の悪い!このままではハイウェイが火の海になるというのに!!…………ん?」
レインは自身の手袋をギリリと握りしめたが、その目が目の前に立つ二人にスッとフォーカスを当てた。
「いや、いるではありませんか」
「…なんか、ヤな予感」
フブキの動きが止まる。
「本官が今、見込んだ生徒たちが」
「…?」
ミラは瞬きをした。
「時候ミラ!SRTの経歴を持ち、クロエ殿と同じ観察眼に長けた貴官なら走行車両における動的バランスの演算と敵のウィークポイント計測ができるでありますな!?」
「は、はい…基礎理論においては誤差0.5%以内での測定なら可能です、が…」
「採用!そこの貴官…は生活安全局でありますな!最低限の働きは出来るはずであります!!」
「え〜…今ちょっと食べたばっかりでぇ…」
フブキが椅子からするりと逃げようとしたが、レインは彼女の首根っこをガッシリと片手で掴み、もう片方の手でミラの襟首をホールドした。
「本官は何も食べてないのでありますよ!四の五の言わずついてくるであります!ここからはミリ秒のロスも惜しいでありますよ!!」
「嘘ぉ?!ちょっ、ドーナツ! せめてドーナツだけでも持ってかせて!!」
「なぜ私がこんなことに巻き込まれ…は、離してください、制服のシワになります!」
抵抗も虚しく。二人の小柄な生徒をぶら下げたまま熱血交通局長の影は風のように廊下の奥へと消え去った。
刑事局の部屋に、食べかけのドーナツの箱だけが残されたのだった。
─────────
グゥゥゥォォォォォンッ!!!!!
ヴァルキューレ警察の敷地を出た直後。レインによる高性能チューンを施されたパトカーは、通常では考えられない猛烈な加速度をもってD.U.の主要道路へと突っ込んでいった。
レインはハンドルを握る両手に全神経を集中させている。周囲の景色はもはや流線状に溶け、法定速度のメーターを指で弾いてしまいそうな極限のスピードだ。
「ちょ、ちょ待っ…これ今何キロ?!普通に空飛びそうなスピードじゃない!?ちょ、酔う、ドーナツ出る…!!」
後部座席でフブキが青い顔をしてシートベルトに締め上げられていた。
彼女にとって、これほどの横Gは命の危機と同義である。しかし、運転席のレインにはそれが届いていない。
「ど、どういうことですか…?これほどの速度で走行しているのに周囲の車が全く動じていない…!」
ミラは窓の外を見つめ、驚きの声をあげる。
暴走するレインのパトカー。しかし周囲の車両は一切慌てて避けたりなどの動作をせず、淡々と車両が一台抜けられる程度の隙間を作っていた。
「D.U.のドライバーなら皆、本官の腕を信用してくれているでありますよ!」
オペレーション
それは、志戸レインが緊急出動する際にD.U.全域に通達されるオペレーションコードである。
内容は至極単純。
『志戸レインが緊急出動中はただ道を開けろ』
それだけである。
キヴォトス最高のドライバーの称号を持ち、ハイウェイパトロール本部長兼交通安全局局長という肩書きを持ち、そして何より、人々がレインだから大丈夫だと信頼しているからこそ成り立つオペレーション。
狂気である。
「ミラ殿!カーナビを見るであります!ここから数えてななつ先のコーナーから直接高架へアプローチをかける!トラックとバッティングするまでの相対距離と時間を逆算するでありますよ!」
「…え、ええ。分かりました」
助手席に押し込まれていたミラは、大きく揺れる車内の中で特大定規を抱きかかえたまま備え付けのカーナビを操作する。
マップ情報から敵の反応を引き出し、レインの車と暴走トラックの予想軌道上を計算し始める。
「目標の現在時速は145km/h、違法改造により車体重量が増加しているため直進の加速度が…そして私達のパトカーの現速ならびに風速予測を加味した場合、1分55秒後のカーブの終端で追尾が成立します」
ミラの口から発せられる数値は淀みがない。レインはそれを聞き「完璧でありますな!」とニカッと笑った。
だが、当のミラの顔色はひどく優れなかった。
(計算程度なら問題なく行える。ただの数値の弾き出しだ。こんなもの誰でもできる。ですが、ここからどう対応していいかが、何も湧いてきません)
普段であれば、ここで算出されたデータに基づき、何を使ってどこをどう攻めるかの指示や決定事項が自分の中ですんなりと描けていた。
彼女の計算が単なる事実から強力な武器に変換される過程には、いつでもクロエの強烈で絶対的なロジックがお手本として彼女の頭に残っていたからだ。
しかし今の彼女の脳内に広がるのは、膝を落とし自分を見失っているクロエの残像だ。
定規の目盛りがひどく歪んで見える。どこに合わせて直線を引いていいか分からない。エラーばかりが蓄積されていく。
「うぁぁぁぁぁぁ?!?!」
「ハハハ!元気でありますな!フブキ殿!!」
「ミラちゃん!これ労基行ったら勝てるかなぁ!」
「……」
タイヤが限界の摩擦音を鳴らし、パトカーがハイウェイへと乗り上げた。
遠くから微かな火薬の匂いと黒煙が見え始める。
「視認したであります!全く、見るに堪えない醜悪なハリボテでありますね!」
「い、今から私だけ降ろしてもらうとかって…」
「ダメであります」
「うわぁぁぁ今日は厄日だー!キリノー!!助けてー!!!」
フブキが後部座席の窓に張り付きながら情けない声を上げる。
距離はおよそ400m。
トラックの上からは相変わらず、スケバンたちが火のついた小規模のパイプ爆弾を面白半分にバラまいていた。
「よし!このまま肉薄し「肉薄し?!?!」後方の隙間を縫って側面に取り付くであります!ミラ殿!敵のバラマキと落下の軌道予測を出し、本官が踏み込める『1m未満の安地』のデータを頼むであります!」
「…………えっと」
レインの矢継ぎ早の指示に、ミラの指が止まった。
タブレット上に落下物の計算式は浮かんでいる。
だが、どの要素を『危険』と判断し、どの風圧の乱れを『計算の外に出す』かという切り捨ての判断が何故か出来なかった。
「…速度が不確定です、放物線の乱れに12パーセントの誤差が含まれ、予測到達点が…その、拡散しすぎていて…」
「ミラ殿?」
レインが眉をひそめる。少し前の事を思い返す。
それはクロエと昼食に赴いた際、後輩についての話の中で…
『気になっている後輩?そうですね…ミラでしょうか』
『思考は少しうるさいですが、彼女は計測においては私を遥かに超える才能を持っています。SRTの頃から目をつけていた有能株ですよぉ』
(何か…変でありますな)
以前聞いた時の印象とあまりにもかけ離れた、鈍い反応速度。
「…右、ですか?いえ、このままだと」
「ミラ殿」
「ちが…違います……そんな…誤差が…こんな誤差のままじゃ、出せません…クロエ先輩なら……もっと完璧な答えを、瞬時に……」
(なぜ?私はこの程度も出来ないの…?!クロエ先輩ならすぐに完璧な答えを出せていたはず……はずなのに!)
自己への失望と焦りが脳内リソースを埋め尽くす。
ミラの目からは光が抜け落ち、演算不可状態に陥ってしまっていた。
「アハハッ!おまわりさん追ってきたじゃん!!くらえオラァ!」
「!」
前方からの笑い声。
バラまかれた爆弾のうちの一つが、路面を不規則に転がりパトカーの進路へ吸い込まれるように弾んできた。
「この程度ォ!!!」
レインがハンドルを右に強く切ると、パトカーが真横に滑り、激しいスキール音をあげる。
バァァン!!
爆発自体はかわした。
だが、破裂で生じた細かいアスファルトの破片や散弾の残骸が、真横を向けたパトカーのサイドパネルとボンネットにバチバチと鋭い音を立てて襲い掛かった。
「くおっ!?」
「貫通したぁぁ!!」
フブキが後部座席のフロアマットへダイブして丸くなる。
フロントガラスの一部にヒビが入り、車体に幾つものクレーターが刻まれる。
レインが体勢を立て直そうとするも、爆風の衝撃に煽られ、制御の限界を超えたタイヤはグリップを失ってしまっていた。
車体はハイウェイの緊急停車帯────路肩にある古いガードレールへ向かってスリップしていく。
「総員!対ショック姿勢!」
「とっくに対ショック!!」
ガシャァァァァァァンッ!!!!
鈍い激突音が鳴り、パトカーがガードレールに衝突して停車した。
車体の前方から白煙が噴き出し、エンジンがごうごうと痛ましい息を吐いている。
走行不能による一時退避。トラックとの追走劇は開始数分で文字通りの急ブレーキをかけられることとなった。
──────────
「ケホッ……コホッ…」
白煙が舞う中、静まり返った車内に息を呑む音だけが響く。
「…ああー、びっくりした……」
後部座席からノロノロと這い上がってきたフブキがため息をつきながら窓を開ける。
助手席のミラは定規を握りしめたまま、うつむいて固まっていた。
完全に自分の不手際だ。
自分が判断を投げ出した結果、自分がもたらした失態。
「……彼女の評を、過信しすぎたでありましたかな」
レインの冷たい呟き。
それはミラが自分の中でだけ抱いていた自分への評価が、他者からの客観的事実として胸に突き刺さった。
クロエに失望し、そのくせ彼女の後ろ姿を亡霊のように追いかけていたからこそ、先が見えない状況で自分自身だけの計算というものを提示できなかった。
言い訳のしようもない失態だった。
「ミラ殿、貴官は───」
ミラは目を固く閉じた。
鬼教官と噂されるレイン本部長から、身の毛もよだつほどの凄まじい怒号と罵倒を浴びせられるのだと、受け入れなくてはならないと、身を固めた。
「ちょっと待ってよ」
そんな二人の合間に割り込んできたのは、フブキだった。
ミラが恐る恐る目を開けて後ろを見ると、彼女は真っ直ぐレインを見つめていた。その瞳には、若干の怒りが見えた。
「レイン局長さぁ、その言い方は良くないんじゃない?」
「…?」
「確かにミラちゃんはなんか調子悪そうだけどさ、局長が無理やり連れ出したからかもしれないじゃん?」
「…?」
「…」
「……」
「…………ッ?!」
「ウソ、無自覚…?」
フブキの言葉にしばらく黙っていたレインだが、何かを察したのか、渋い顔をしてハンドルに頭をゴンと叩きつけた。
「も、申し訳ないであります!ミラ殿!本官はなんて事を……!」
ハンドルにヒビが入るほど手に力を込めながら、彼女は絞り出すように声を出した。
「…ミラ殿、フブキ殿、これは言い訳にしか聞こえないでありましょうが、本官は思った事をすぐ口に出してしまう、悪い癖があるのであります」
「…」
「車両のブレーキは踏めても、自身のブレーキは踏めない。本官はみっともない人間であります」
「えっと、そこまで言わなくてもいいんじゃない…?」
ハンドルに突っ伏したままのレイン。
黙ったままのミラ。
思っていたより重いのが来たなと困惑するフブキ。
車内は地獄のような空気に包まれる。
その中で、真っ先に口を開いたのはレインだった。
「…ミラ殿、失礼を承知で一つ、聞くであります」
「…は、はい?」
ミラの返答を待たず、レインは彼女の顔を覗き込んだ。
「何か、見失っているのでありますね?」
「っ………!!」
レインの声は、奇妙なほど真摯で落ち着き払っていた。
「エンジンの唸りと同じなのでありますよ。今の貴官の立てている『音』は」
「全くシリンダーが連動しておらず、摩擦だけで空転しているような不健康な異音が、貴官からずっと発せられていた。それは精神の不調を表す音であります」
「…」
レインのバカ正直で一直線な言葉は、ミラの分厚い心の壁に鋭く突き刺さった。
「…はい」
ミラは定規を胸元で抱きしめ、震える唇を開いた。
ポツリ、ポツリと、心の内に隠して圧縮していた不完全燃焼の淀みが音となって吐き出されていく。
「私は…許せないんです」
「許せない?」
「完璧だった…絶対だと信じていた。どんな問題もロジックで一刀両断すると思っていた人がヘラヘラと笑うようになって…くだらないトラップに怯えるようになって…ごく普通の人間のような絶望を見せて立ち止まったのが、私は許せなかったんです」
ミラの声は次第に感情的な響きを持っていった。
レインはひっそりフブキに耳打ちする。
(…何かあったのでありますか?)
(知らないの?あのハサミの人、自分の技術を悪用されたらしいよ。そのショックで休学してるんだって)
(…そうでありましたか)
「クロエ先輩の背中は、私にとって『絶対の尺度』でした。彼女の指示、考え方に寄り添う計算なら、私はどんな状況だって間違いを起こさない!彼女という正確な式があるからです。それなのに…!」
ミラの丸メガネのレンズに、ぽたぽたと涙の雫が落ちる。
「彼女の数式が狂ってしまった今。私は自分の中で正解が出せません。自分が提示するどんな答えにも自信が持てない…今の弱い彼女への失望と、それに付いていくことしかできない、今の彼女を受け入れられない空っぽの自分が、心底嫌でたまらないんです!」
これがミラの処理落ちの正体だった。
崇拝にも近い感情と、それを失った後の空虚。
彼女もまた、一つ歯車がズレていれば、クロエと対峙する側の存在であった。
パトカーの中は沈黙に沈んだ。
ハイウェイを通過していく風の音が、寂しく窓を叩く。
「なるほど」
レインは歪んだ窓枠に腕を乗せ、少しだけ寂しそうな笑みを口元に作った。
そして晴れた空をフロントガラス越しに見据えたまま、ポツリと言った。
「その痛み、本官にも覚えがあるであります」
「レイン本部長にも?」
ミラが驚いて聞き返した。一直線で馬鹿らしいほど熱血な彼女からは想像のつかない言葉だったからだ。
「へぇ、意外。そういう事無さそうなのに」
「合歓垣」「はぁ〜い」
「ま、昔の話でありますけどね」
レインは手で自分のゴーグルをコンコンと軽く叩いた。
「本官には姉がいるであります。強くて、速くて、優しくて。本当に、無敵の存在だと信じ、その眩しい背中を追っていたのであります」
「本官は当然のように姉がヴァルキューレの道へ進むものだと思っていたのであります。…ですがある日、彼女は突然、全く違うルートへとハンドルを切ってしまった」
レインの目に、少しだけ悔しさに似た影が落ちた。
だがそれはすぐに払拭される。
「裏切られたと思いましたな。本官には理解できない、約束された将来を捨てて、まだ見ぬ未踏のルートを進むのかと。落胆もしました」
レインは再びミラの方へ向き直った。その目は一点の淀みもなく澄んでいる。
「ですが、ミラ殿。本官は姉が翼もないのに『隼』の名を与えられ、自由に飛び回る姿を見て…」
(…隼?)
フブキが割れた窓越しに空を見上げると、丁度海鳥の群れが空を飛んでいた。
「…憧れたその人の背中ばかりを見ながら走り続けたとしても、後ろに着くだけでは永遠にその背中を追い抜くことなど出来ない。その事に気づいたであります」
「…」
「憧れた誰かがブレーキを踏んだ。曲がってしまった。だからといって自分も急停車する必要があるのか?」
レインの言葉が、エンジンの音を取り戻したかのように熱を持ち始める。
「『憧れ』というのは、決して自分を前へ走らせるだけの『燃料』ではないのであります」
レインは自分の胸をドンドンと叩いて見せた。
「その本質は…貴官自身が進むルートで、憧れの存在を追い越すための『ニトロ』でなくてはならない!!」
「憧れた時点で貴官のルートは決まっている!後は追い越してゆくだけなのであります!!」
車体が震えるほどの大声。
息を切らすレインの前でミラは静かに「私の…ニトロ…」と反芻していた。
「わ、私が…クロエ先輩を追い越せるのでしょうか?」
「ハハハ!知らんでありますな!」
不安げに問うミラに対し、レインは豪快に笑ってみせた。
「えっ?!」
「ですが、本官は未だ憧れを抱いているであります!いつかその時が来れば最高速度をいつでも叩き出せるように!!」
「…」
その言葉の圧倒的な『速度の説得力』は、今まで自分が縛られていた細かい誤差への恐怖を荒々しく削り落としていくようだった。
「ですが……」
「まぁさ?ちょっとクドくなっちゃうけどさぁ〜」
沈黙を切り裂くように、後部座席で割れ残ったガラスをつついて落とすフブキの軽い声がした。
「あれでしょ〜?要するに」
フブキが身を乗り出して、呆けたままのミラの横顔の丸メガネの奥を見つめながら言う。
「クロエさんだっけ、あのヤバいハサミ先輩。今メンタル病んで引きこもっちゃったから、もう前みたいにお手本としては何なんだー、って思ってるわけじゃん〜?」
「え、ええ…まぁ、そうですけど」
「だったらさぁ」
フブキは欠伸混じりに極めて簡単な結論を口に出した。
「そんな落ち込んだ先輩の代わりに…今度はミラちゃんが悪い奴らぶった切って活躍すればいいって話じゃん〜」
「!」
「むしろ休学してるハサミ先輩からしたら『私が休んでる間に後輩が立派になってくれてよかった〜』って大助かりだと思うんだよねぇ」
「SRTにいた頃より笑うようになったって事はさ、ハサミ先輩もちょっと疲れて、休みたくなったんじゃな〜い?」
それは自分がサボりたい側の人間が言う理屈だったが…この時の『憧れの完璧性が失われた状態での解』としては完璧な答えだった。
「私が…」
ミラの心の中で何かが繋がった。
いや、断ち切れたのだ。
(クロエ先輩がいないと私は何も出来ない?)
いいや。完璧で氷のように正確無比だった、私の知っている昔のままの理想の彼女が消えたというなら。
私がそのクロエ先輩から学んだ、最も冷徹で正確な『定規』として暴れてやればいいだけのこと。
戸惑う必要はもうない。私の計算能力は才能だ。使わずにして何とするのだ。
パキンッ。
ミラの中にある手詰まりになっていた数式が、解法を見つけた瞬間であった。
ミラの瞳から淀みがスッと晴れ去り…そこにクロエを彷彿とさせるような『計算され尽くしたロジックによる愉悦』のような危うい笑みが薄っすらと張り付いた。
「…ふふ、ふふふふふっ」
「あ…お、おぉっ?」
ミラの急変にフブキが思わず身を引いた。
「なるほど、理解しました」
ミラは足元の床から自身の代名詞である1m定規を拾い上げ、がっしりと握りしめた。
「彼女のロジックが欠陥を起こしたのなら、私のこの定規を使って新たな理論を打ち立て、計算式の中へ組み込んで修正してやればいい…そういうことですね!」
極限の焦燥と自己嫌悪が反転し、異常なまでの吹っ切れ方に至った彼女は、今までの几帳面な態度からバーサーカーのような目を見開き、壊れたパトカーのドアノブへと手を掛けたのである。
「行きましょう!」
「どこへ?!」
「やつらを……」
「ブッ〇すんです!!!!!」
「やばいよ〜!!!やばい方向に吹っ切れちゃったよ〜!!!!!!」
どの話が見たい?
-
クロエ
-
サザナ
-
イキハ
-
モナカ
-
ミラ(鑑識課)
-
レイン(交通安全局長)
-
まだ見ぬオリキャラ
-
既存生徒との関わり