この出来事が、今の烏丸クロエを作った。
毒々しい赤紫色に反転した空の下、D.U.の街並みはぐにゃぐにゃと溶け落ちるように歪曲していた。
アスファルトは泥のように波打ち、ビルの窓ガラスは眼球のように蠢いてこちらを見つめてくる。
そんな狂気の世界を、三人の少女が必死に駆け抜けていた。
「ハァ…ハァッ!な、なんなのよアイツ!アタシのドローンの弾、全部当たんないんだけど!?」
チドリが泣きそうな声で叫ぶ。
彼女の背後、空間そのものを滑るようにして迫ってくるのは顔のない『連邦生徒会長の姿をした異形』だ。
ヒタキも走りながら振り返り、CROW-10式対物狙撃銃の引き金を引く。
ダァン!!
コンクリートをも粉砕する大口径の弾丸が、一直線に異形の眉間へと吸い込まれる。
──しかし、着弾のコンマ数秒前。
異形の周囲の空間が水面のように歪み、弾丸はまるで見えないゼリーに撃ち込まれたかのように急激に減速し、ポトリと地面に落ちた。
「嘘っしょ?物理法則ガン無視?」
ヒタキが絶望に顔を引き攣らせる。
「無駄です!撃たないで走りなさい!」
アタッシュケースを抱えた烏丸クロエが、前を向きながら声を張り上げる。
彼女の頭は、既にこの怪物の異常性を計算し終えていた。
こちらからの物理攻撃は、空間の屈折によって届かない。
対して相手が放つ黒い衝撃波は、触れれば防弾素材ですら破壊する圧倒的質量の塊。
目の前にいるのは『未知』の極み。
抗う術はない。
ただ、目的地である『オフィスの地下』へ逃げ込むしか道はなかった。
「見えました!あのビルです!」
クロエが指差す先。建設中の高層ビル───後の『シャーレ』の拠点となる施設がそびえ立っていた。
「やっと…!これで…っ!」
チドリが安堵の声を漏らした、その瞬間だった。
みしり。
「!」
空間が、音もなく裂けた。
クロエたちの進行方向、シャーレビルの入り口の真正面に、背後にいたはずの異形が転移して立ち塞がったのだ。
『……渡しなさい……』
異形が右腕を振り上げる。瞬く間に圧倒的な『死』が形成されてゆく。
「…!」
(間に合わな───)
黒い衝撃波が、クロエとチドリに向けて放たれた。
回避は不可能。
「クロッ───」
「チド───」
クロエとチドリ、視線が交差する。
ドンッ!
「あっ…?!」
「っ…!」
二人は互いに互いを庇おうと身体を傾けてしまい、お互い衝突、体勢を崩してしまう。
築かれてきた信頼関係と、本人らの気質が裏目に出た瞬間であった。
(───ごめん)
死の間際。世界がスローモーションに見えてくる。
目の前のチドリの口元がそう言っているような気がした。
迫る。
(くそっ…)
迫る。
(クソッッ!!!)
死が迫る。
「二人ともッ!!」
ドン!
「きゃあっ?!」「なっ…?!」
横からの衝撃に、二人はもつれあって倒れる。
ズドンッ!!!
その直後、重い衝撃音が響き、何か生暖かい液体がクロエの頬に飛び散った。
(一体何が…)
クロエ自身に痛みはない。
「…………え?」
ゆっくりと目を開けると、目の前には一人の少女が立っていた。
「あ、はは……いっ、て……」
見開かれたクロエとチドリの眼前。
狙撃銃を剣のように構え、その強固な金属フレームごと己の身体を盾にしたヒタキが、ゆっくりと膝から崩れ落ちていく。
衝撃波は狙撃銃を両断するだけでは事足りず、ヒタキの肩口からから腰あたりにかけてを深く切り裂いていた。
「ヒタキッ!!!」
ドサリとヒタキが血溜まりの中に倒れ込む。
自慢の狙撃銃はへし折れ、その身体からは大量の血が流れ出していた。
「う、嘘、嘘嘘嘘!?なにしてんのヒタキ!?いや、血が、こんな……」
チドリはタブレットを取り落とし、震える手で親友の身体を抱き起そうとした。
指の隙間から、命の赤色がとめどなく零れ墜ちていく。
どれだけチドリが患部を抑えても、出血は止まらなかった。
どんな知識すら意味を成さないほどの大きく致命的な傷。
「え…?え?」
外の世界と比べ、異常な程に丈夫なキヴォトスの人間…その中でもとりわけ丈夫な『生徒』がこうもあっさり切り裂かれた。
クロエはその現実を理解できずにいた。
「ねえ、ヒタキ、こんな、待ってよ、ウチらのプランに、こんな事ない、私が止血するから、ちょっと待って……お願いだから待って!どこ止めるの?!止血剤どこに打つの?!ねぇ!!クロエ!!!」
「や、やめなってば、チドリ…あんたの制服、汚れちゃうから……」
錯乱し涙で顔をぐしゃぐしゃにするチドリの頭を、血まみれの手で撫でようとして空を切り、ヒタキは力なく微笑んだ。
そして、その震える視線は、凍りついたまま立ち尽くしているクロエに向けられた。
「ヒタキ…!なぜ…貴女は逃げるのが一番得意でしょう!なんで!」
クロエがアタッシュケースを放り出し、ヒタキの身体を抱き起す。
その手は、かつてないほどに激しく震えていた。
「ゲホッ……あはは……あんま怒んないでよぉ……小隊長……」
ヒタキは口から血を零しながら、力なく微笑んだ。
その瞳の光は、急速に失われつつあった。
「あー、そうだ…」
「ウチさ…前は、アビドスにいた、って…言ったっけ……?」
「何を言っているんですか…!?」
「ヒタキ、もう喋んないで!死んじゃうから!お願いだから!!!クロエ!!あんたも押さえてよ!!!!!!!」
「っ!」
クロエの言葉も聞かず、ヒタキはうわ言のように言葉を紡ぎ続ける。
チドリの必死の静止も、もう彼女の耳には届いていなかった。
「あそこ…昔から、砂塵とかの影響で体調を崩す子が多くてさ……」
「ウチは、その為に医者を目指してたんだ。みんなの、力になりたくて…」
ヒタキの呼吸が浅くなる。
「でも…自治区が借金で大変ってなって…どうにもならないってなった時…」
「ウチは、怖くなって…夢も、学校も諦めて、逃げたんだ…」
ヒタキの瞳から涙がこぼれ落ちた。
普段からイキり散らしていた少女の仮面の下に隠されていたのは、ただの臆病で優しい少女の素顔。
「でも…ずっと、後悔してた。だから、弱気な自分と別れて、いつかアビドスの力になるために、SRTを選んだんだ…」
「でも結局…イキることしか出来なくてさ…はは、ほら、ウチはあの初演習の後にさ…あんたらとは違って、したい事を、言えなかった……」
血まみれの手がゆっくりと持ち上がり、クロエの頬に触れた。
「ウチは、みんなの力に、なりたいって…本当の気持ちを、言えなかった」
「ヒタキ、もういい!もうやめてください…!」
クロエが声を振り絞る。普段から感情を顕にしない冷めた顔は完全に崩れ去り、ただ友の死を恐れる少女の顔になっていた。
「でもさ…今回は、出来たよ」
ヒタキの口角が、少しだけ得意げに上がる。
「ウチから、前に出てあんたらの事、守れた…」
「かっ、こよかったでしょ……?しょー、隊、長……」
その言葉を最後に、ヒタキの腕が力なく落ちた。
ヘイローの光が、風前の灯火のように明滅し、そして薄れていく。
「ヒタキ?……ヒタキ!!目を開けて!嘘でしょ、ヒタキ!!ねぇ!!!!」
チドリが泣き叫び、ヒタキの肩を揺さぶる。
「…どうしてこんな時に言うんですか」
「クロエ…?」
クロエは、静かに立ち上がった。
常に自身に泥を被り、全てを自分の計画内に収めることで恐怖から逃れていたクロエ。
彼女のルールにおいて、自分ではなく仲間がこんな理不尽な代償を払わされることは、絶対に許されないことだった。
『ワタセ…』
「黙れ、渡すものは何も無い」
クロエは転がっていたアタッシュケースを抱え、銃口を目の前のそれに向ける。
『未知の化け物』に対する恐怖は完全に消し飛び、残ったのはただ一つ。
恐怖すらも焼き尽くすほどの、凄絶な『憤怒』だった。
「お前ごときに、私の大切な仲間を、私たちの『時間』を…こんなワケの分からないまま壊させてたまるか!!!!」
「クロエ?!やめてよあんたまで!!!」
クロエのヘイローがパチパチと音を立てて輝きだし、その光は奔流となって彼女のサブマシンガンに纏われる。
「そんなのよりヒタキが優先だよ!」
「うるさい!!」「っ!」
「殺すっ!!!!!絶対に!!!!未知だろうが殺す!!!!!」
理性を失ったクロエは、足元に縋り付くチドリを払い除け絶叫する。
弾丸が空間に飲み込まれることなど百も承知。だが彼女は引き金から指を離さず、死すら恐れぬほどの激情をむき出しにして化け物へ歩み寄っていく。
『アアアア!!!』
振り下ろされる二発目の質量。
化け物の叫びに対抗するが如く、クロエも叫びをあげる。
「死ねェェェェッ!!化け物ォォォッ!!」
ドゴォォォォン!!!!
しかし、その弾丸は届くことなく、クロエは質量に巻き込まれた。
辛うじて回避こそしたが、全身へ瞬く間に傷が刻まれ、血が流れる。
「クロエ!もうやめてよぉ!!」
「あああああああ!!!!」
再びクロエが異形へと跳躍した、その時。
パンッ! パンッ! パンッ!!
異形の足元に、数発の閃光弾と煙幕弾が撃ち込まれた。
強烈な光と煙が異形の視界を遮り、クロエの突進を物理的に制止する。
「……何……!?」
『そこまでだ、クロエ。無駄死にする気か』
聞こえてきたのは、聞き馴染みのあるあの声。
クロエが声の聞こえた方向に視線を向けると、煙の中から四つの影が現れた。
並んだ狐耳、白のSRT制服。
「…ユキノ?」
SRT特殊学園・FOX小隊。
その先頭に立つ七度ユキノが、クロエの前に静かに降り立った。
「ユキノ?!なぜ貴女がここに…?」
「連邦生徒会長から特命を受けた」
ユキノは周囲の歪んだ空間を一瞥し、背後に立つニコに目配せをした。
「ニコ、ヒタキの救護を頼む」
「了解。チドリちゃん、泣いている暇はないよ、ヒタキちゃんの命を繋ぐの」
「…うん」
ニコが素早く医療キットを展開し、パニックになっていたチドリの肩を叩いて正気に戻す。
呆然とするクロエの頬に、クルミはビンタ並みのスピードでベチッと止血パッドを貼り付けた。
「あんたもボサっとしてないの!」
「いっつ!!!」
じわりと頬に広がる痛みに、熱くなっていたクロエの頭が冷静さを取り戻してゆく。
「…ど、どういうことですか?連邦生徒会長は、この箱を私たちのみに託したはず」
痛みに顔を歪ませたクロエが問いかける。
「ああ、だがこの空間の歪みが観測された事で、会長は最悪の事態を予測した。そのため私たちFOX小隊に『あるもの』を届ける役割を託したんだ」
ユキノは背中に背負っていたケースを開き、中から布に包まれた何かを取り出した。
彼女は布を外し、一本の『黄金の杖』を取り出す。
それはシンプルな棒に精緻な装飾が施された、まさしくオーパーツだのアーティファクトだのといった呼び名が相応しい代物だった。
「それは?」
クロエが目を見開く。
「私達は『聖遺物』という事だけ聞いている。連邦生徒会長曰く、『あなたなら理解できます』とのことだが…」
ユキノは黄金の杖を、クロエに手渡した。
「──!!」
クロエがその杖を受け取った瞬間。
彼女の脳内に、膨大な情報が流れ込んできた。
その詳細を把握することはできない。
まるで遠い記憶のように頭の中を過ぎ去ってゆく。
『異端なるもの達に祝福を─────────』
(これはトリニティの…?いや、違う。これは────)
「っ!」
クロエの赤い瞳が、杖と共鳴するように妖しく発光する。
彼女は直感で理解した。この杖は、ただの生徒には扱えない。
「───」
「何?」
「いえ…」
興味も無い、ただ忌み嫌う自らの過去。
箱庭に閉じ込められていた理由である『特別な血』
連邦生徒会長はどうやってかクロエの過去を知った上で、この未知の化け物を打ち倒すためのカウンターとして彼女を活用しようとしているのだ。
「ははっ」
クロエの口から、乾いた笑いが漏れた。
「『未知』にはそれに対応する『未知』のロジックがある。私の忌まわしい過去がこういう形で役に立つとは。最高に悪趣味な采配ですね、連邦生徒会長」
クロエはサブマシンガンを納め、アタッシュケースをワイヤーで身体に括り付ける。
そして黄金の杖を両手で強く握りしめた。
「フー……」
怒りに我を忘れていた先程までの彼女ではない。
頭の中は冷え切り、全ての感情を『敵を断ち切るための論理』へと変換していく、完璧な仕事人の顔だった。
「チドリ」
「…う、うん」
「ヒタキの事、任せます。絶対に死なせないでください」
「…あんたは?あんたは無事に帰ってくるんだよね?ヒタキもあんたも、あたしから離れていかないよね?!」
酷い顔で縋るような視線を向けチドリ。
クロエは彼女へ視線を向けないまま、静かに語りかける。
「何を言っているんですか…ヒタキも、私も離れません」
「私達はずっと共に。それが私のロジックの前提条件です」
「……!は………ハッ!言われなくても!あたしらの遊撃手を、こんなとこで死なせるわけないでしょ!」
顔を赤くしたチドリが涙を拭い、ニコと共にヒタキをビル内へと運んでいった。
それを見届けたクロエは杖を構え、ユキノとクルミの隣に並び立つ。
「言うじゃないイキリカラス」
「前はお任せしますよ小さなエリート様。カラスの飛ぶ速度に追い抜かれないでくださいね」
「誰に向かって口を利いてるの!」
ユキノがライフルのボルトを引き、隣でクルミがシールドを構える。既にオトギは離れた位置に潜んでいた。
「さぁ…
クロエは黄金の杖を高く掲げ、足元の歪んだアスファルトに向かって渾身の力で突き刺した。
ガァァァァァァンッ!!!!
杖から放たれた金色の波紋が、周囲の空間へ爆発的に広がり、異形を覆っていた歪みをガラスのように粉々に砕き割った。
『──────ッ!?』
異形が初めて、苦痛に満ちた叫び声を上げる。
「下準備、完了です」
クロエの瞳には、一切の迷いがない。 ただ静かに、冷徹に、目の前の異形を見据えている。
「うちの小隊員を傷付けた代償は高くつきますよ」
怒りは消えていない。
だがその目はどこまでも冷静に、敵を解体するための完全なロジックを組み上げていた。
「「作戦、開始!」」
SRT特殊学園、影の部隊『CROW』と、光の部隊『FOX』。
交わるはずのなかった二つの部隊が並び立ち、未知の恐怖へと反撃の銃弾を放った。
「そうだ、作戦名はどうする?」
「それ今いります?!」
「『カラス救助作戦』とか…」
「『クローズ・ランナバウト』でいきましょう」
「もっと分かりやすい方が良いか?『カアカア作戦』とか」
「『クローズ・ランナバウト』!」
「一時的とはいえFOX小隊員のようなものだし『フォック「『クローズ・ランナバウト』!!話を聞けよ!!」
「ユキノ、あのクロエを手玉に取ってる…」
『意外と相性いいんじゃない?あの二人』
どの話が見たい?
-
クロエ
-
サザナ
-
イキハ
-
モナカ
-
ミラ(鑑識課)
-
レイン(交通安全局長)
-
まだ見ぬオリキャラ
-
既存生徒との関わり