■敵情報
仮称:MONS
シッテムの箱を狙い、クロエ達の前に現れた連邦生徒会長の姿をした異形。
物理法則を無視した現象を起こし、彼女らを追い込んだ。
何者であるのか、どこから来たのか、あらゆる情報が不明。
その盲執は、何のため、誰のため。
地形:市街地 防御タイプ:屈折 攻撃タイプ:振動
カァァァァァン……!
黄金の波紋が、悪夢のような赤紫の空にヒビを入れる。
砕けた空の隙間からは夜の残滓がこぼれ、宙に浮く瓦礫がゆっくりと地面へ沈んでゆく。
杖から解き放たれたエネルギーは空間を強制的に現実の位相へと引き戻し、未知なる恐怖を纏っていた化け物から不可侵の特権を剥ぎ取ってみせた。
「今です!!」
クロエの声に合わせ、三人の狐が同時に牙を剥いた。
ズドォンッ!
遠く崩れたビルの隙間から、空気を劈く轟音が鳴り響く。
高所に陣取ったオトギの放ったライフル弾が、真っ黒に歪んだ異形の右肩へ寸分の狂いもなく直撃した。
かつてヒタキが撃ち込んだ時は歪みによって威力を奪われたが、今は違う。
硬質な着弾音と共に異形の黒い泥が飛び散り、肩が大きく弾けた。
『着弾確認。ダメージ入ってるね、よかった』
「なら突貫でいいわよね!FOX1!」
「構わない」
インカム越しのオトギの声に重なるように、クルミが身の丈ほどある防弾シールドを前方に押し出して疾走する。
異形が顔のない面をこちらへと向け、黒い泥のうねりのような衝撃波を射出した。
周囲のコンクリートを粉微塵にする破壊の風。
しかし、クルミのシールドは火花を散らしながら、構えと角度と姿勢の沈み込みによってその力を受け流し、削ぐ。
「い゛っづ…?!流してこんな重いの?!そりゃヒタキも無事じゃすまないわね…!」
「無理ですか?」
「そんなわけないでしょ!!」
「そのまま頼む!」
盾を構えたクルミの後ろから飛び出したのは、アサルトライフルを構えたユキノ。
「はっ!」
タタタァン!!
流れるような移動射撃。
ブレの一切ない歩法から、規則正しく放たれる三点バーストの銃弾が異形の脚、膝、胴体へと的確に穴を穿っていく。
『────!!』
連邦生徒会長の制服の残骸に、着弾した銃火が鮮やかに点灯した。
その猛攻の横腹を縫うように、クロエも飛び出す。
黄金の杖をアタッシュケースの隣に背負い込み、両手で構えたサブマシンガンで弾丸の雨を降らせた。
放たれた弾丸は異形の腕関節を破壊し、次いでの弾丸で片腕が弾け飛ぶ。
続いてユキノの弾が脚に命中し、敵のバランスを大きく崩させた。
「やれる…!」
誰の目にも勝機が見えた。
そう錯覚した。
その安堵はわずか五秒後、凄絶な絶望へと上書きされる。
グジュ…ブシュゥゥゥ……ッ!!
落ちた異形の腕から無数の黒い触手のような繊維が飛び出し、一瞬で元の場所へと再結合されたのだ。
弾丸で穿たれた無数の風穴も、コールタールのような液体が急速に湧き出し、塞がっていく。
「なに…?これ…?」
『ボサっとしてないで!』
クルミのシールドを押し返しながら立ち上がった異形の頭部に、オトギからの第二撃が叩き込まれた。
顔面の半分が完全に吹き飛ぶ致命的な一撃だったが、それすらも泥のような何かが盛り上がり、一呼吸の間に完全に復元されてしまったのだ。
「再生…というよりも、在るべき形に戻っているようですね」
「弾薬が限られるこちらと違い、相手は無尽蔵ということか」
「冗談じゃない…っ、来ますよ!」
異形からの攻撃は激化の一途を辿っていた。
「うわぁっ?!」
相手も学習してきているのか、大雑把な衝撃波だけでなく、足元のアスファルトを破壊してスパイクを作り出し、全方位に向かって放ってくるなど攻撃に変化が見られる。
「この…無駄に知性つけて!」
「伊達に連邦生徒会長のガワを被っていないということでしょうね!」
クルミの盾だけでは到底カバーしきれない全周囲へ向けた無差別面攻撃。
銃を構え直す猶予も与えられず、クロエたちは回避行動だけで精一杯な状況に追い込まれていた。
弾倉が空になる速度よりも早く敵の攻撃が迫り、プレッシャーとなってクロエたちの息を詰まらせていく。
「FOX1!シールドが聞いた事ない音立ててる!このままじゃ…!」
「私が射線に入る、FOX3は位置を移して側面に」
「これなら弾薬も節約できますね…っとぉ?!」
黒い粘液が黒の槍へと変化し、クロエの頬を掠めた。
その後、背後のドラム缶を真っ二つに裂く。
「ハァッ…だが、このままでは…」
掲げられる腕。
それが導くのは、異界か、冥界か。
ドォッ…………!!!!
戦況は優勢に傾くどころか、一方的な蹂躙へと成りつつあった。
出口のない暗闇の中、弾薬をいくら叩き込んでも徒労に帰すという現実が、心を摩耗させる。
「誰かの格言を思い出しました、全ては虚しい…えーとなんでしたっけ、そう、虚しいから何しても無駄だよねって感じの言葉です」
「全然あやふやじゃない…というかそんなバカみたいな事本気で格言と思ってるわけ?」
「んなわけないでしょう…死ぬまで足掻くんですよ私達は」
あの異形は正しく化け物だ。こちらの攻撃は再生され、あちらの攻撃はこちらを死に至らしかねない。
(ヒタキ…)
脳裏に倒れる彼女の姿が浮かぶ。
そう、対してこちらは傷を負っても回復せず、疲弊し、スタミナが底をつく生身の人間だ。
圧倒的な耐久力の壁。倒すための『理論』の組み立てに必要な条件が厳し過ぎる。
削っても再生するなら、一撃で、肉片の一つすら残さず圧縮・破砕し尽くす『規格外の破壊』が必要となる。
当然銃弾では不可能。手持ちの手榴弾やクロエが携帯しているC4プラスチック爆薬であっても、あれを瞬時に消し去ることなどできない。
「質量が必要だ」
(削るのではなく、対象を全て押し潰す圧倒的な質量が)
後方にスライディングしながら、クロエは深紅の瞳で周囲を見渡した。
だがしかし、広がるのは瓦礫の山。世界全てが滅んでしまったのではと錯覚するほどの平坦で代わり映えしない絶望。
(…)
「CROW1!来るぞ!」
「ッ!!」
つい思考に耽ってしまったクロエは、ユキノの鋭い声に現実に引き戻されその場から飛び退く。
その瞬間、真横を衝撃波が駆け抜け、余波が彼女を襲った。
「がっ…!」
瓦礫の山に叩きつけられ、背中に激痛と尖ったものがめり込む感触が走る。
『クロエ!』
「ゲホッ…!ケホッ!だ…大丈夫で……イッ!」
起き上がろうとするが、腕が痛み力が入らない。
視線を向けると、肩が変な方向へ曲がっていた。
「…肩が外れたみたいです、起きられません」
『そちらへ向かう、FOX3』
『問題ないわ』
クルミの返事を待たずして、異形とクロエの中間地点辺りに煙幕が炊かれる。
(…煙幕)
もうもうと立ち込めるそれを薄目で眺めていたクロエは、ふとコートの内側を漁り、予備として持っていた煙幕弾を取り出す。
そして、煙の中からユキノが顔を出した。
「それは…」
煙幕弾を目にした彼女は珍しく眉を下げ、はっきりと不快感を露わにする。
「また懐かしいものを」
「覚えてたんですね」
「忘れるはずも無い、私が初めて敗北を喫したきっかけだ」
それもそのはず、この煙幕弾はかつての演習でクロエがユキノを出し抜いた、ヒタキ特性閃光煙幕手榴弾であった。
「そんな事もありましたね」
「私はずっと根に持っているよ」
「はは、では今度雪辱戦でもやりますか?」
「悪くない。なら尚更今は生き残らなくては……な!」
ゴギィッ!!!
「オ゜ッ…!」
無理やり肩を戻され、クロエは大きく仰け反ってあられもない声を上げた。
「───ん?」
その時、彼女の視界に入ったのは広がる赤い空に聳える、ハイウェイの構造物群。
最初に異形の衝撃波で吹き飛ばされた場所。
戦闘の余波によって橋脚の半分が崩落し、行き場をなくした巨大なハイウェイの高架部分と、その上にそびえ立つ連絡用の上部橋桁が、信じられないほどの斜めな角度で停止していた。
「クロ……CROW1?」
数万トンのコンクリートと鉄鋼が織りなす巨大なオブジェ。今にもバランスを崩して崩落しそうな、ロープ一本で吊るされているような状態の断頭台。
(…)
「…顔を切っているな、少し触るぞ」
クロエの脳内に数式が展開されていく。
異形の再生にかかる時間。倒壊によって生み出される運動エネルギーと衝撃荷重。その崩落地点への敵の誘導。
それを実行するために必要なタイムラグ。
「……見つけた」
答えは弾き出された。しかし、それを実行に移すにはあまりにもリスキーなカードを切る必要がある。
「…ッ」
ゆっくりと身体を起こすと、全身が痛む。肩は戻ったが、戦闘中に負ったダメージが回復する訳では無い。
見かねたユキノの肩を借り、クロエはゆっくりと立ち上がった。
「痛むか?」
「この程度…ヒタキに比べればなんてこと…ありません」
あの橋桁を崩落させるための準備は自分にしか出来ない。
そして、その作業に当たるのならば、『味方』を囮にして時間を稼ぐしか方法がないのだ。
それも、あの異形の注意をこちらへ一切向けないように退避が許されない自殺行為にも近い役割である。
(頼めるのか、そんなことを?)
(私が人の命に、託していいのか?)
躊躇したクロエの耳に、ヒタキの震えた声が鼓膜をこじ開けるように甦った。
『───出来たよ。ウチから前に出て、あんたのこと守れた。……かっこよかったでしょ?』
(私は…)
犠牲に対する責任を持てるのか────?
「クロエ」
声に顔をあげると、ユキノがこちらを正面から見据えていた。
彼女の真紅の瞳に、クロエの顔が写る。
その表情は、誰が見ても迷いを抱いていることが分かる顔だった。
「君は考えすぎだ」
「…考えないといけないんですよ」
「分かってる。だが今はチーム同士の共同作戦中だ、同じリーダーである私にも、君と共に考えさせてくれ」
「…」
クロエの口元が震える。
(分かっている…頼めるはずだ。彼女たちならば、それが生き残るために最も確率の高い理論だと理解できる)
「いいです…か?」
「ああ」
「……感謝します」
その声に恐れはない。
彼女の声は、CROW小隊の仲間に伝達する時と同じような…真に仲間に背中を任せる時の、熱を持った声に変わっていた。
「───FOX1」
クロエが告げた。
「あの異形の再生能力を超えるため、環境を使います」
「…環境?」
「左後方の廃墟に見える大きなアレ…あの『ハイウェイの橋桁』を使って、アイツを圧殺するんです」
「あれを!?」
あまりにも突飛な発想だったのか、ユキノは声を裏返らせつつ、空を見上げた。
そこには今にも倒れそうな巨大なコンクリートの柱。
「だが、あれを倒すとなると、我々の装備だけだと足りないのでは?」
「いいえ、足りますよ。アイツのあの非常識な火力を利用すればいいんです」
クロエはコートの下から幾つかの工具や起爆装置を取り出し手早くベルトへと巻きつける。
「異形をあの橋桁の下…そうですね、おあつらえ向きに広場になっている場所があります。そこに誘導し、足止めしてください」
「必要時間は約1分〜3分。私は橋の下部に潜り込み、結合部、及び柱の鉄筋を処理して倒壊する方向を固定化させます。最後の引き金は、誘導したアレ自身のエネルギーで…といったところですね」
一気に流し込まれた狂気の作戦案。
しかし、理に適っている。理屈だけは完璧だった。
だが、その成功のためにはたった一つの過酷な条件がついてまわる。
「ユキノ。貴女達を準備が終わるまで、アレと真正面から戦い、囮をしてもらいます。後退は許しません」
クロエは事実だけを並べた。
死ぬかもしれないと脅かすつもりもなく、ただ現実の厳しさを宣告する。
「最大3分だな」
しかしクロエが息つく暇もなく、ユキノの声が力強く返ってきた。
「聞いていたか?FOX3、FOX4」
『うん、任せてよ』
『その程度余裕よ!』
同意と言わんばかりにオトギの弾丸が放たれ、クルミは異形を突き飛ばし、盾を天に掲げた。
「…ありがとう」
『それは終わってからしっかり正面で言ってもらうわよ!』
「しくじったら言いませんからね」
「では、作戦開始だ」
ユキノの声に合わせ、クロエは風のように瓦礫の山を飛び出した。
敵に背を向け、後ろの巨大な建造物に向かって駆け出してゆく。
『────!』
異形が動き出したクロエを捉える。
衝撃波を放とうと腕を上げた。
「逃げようとする相手に対して随分な態度だな、慈悲深い連邦生徒会長の姿が泣いているぞ」
ダァン!!
ライフルの一閃と共に、異形の片腕が弾け飛ぶ。
異形の目前を横切ったユキノは、弾幕を張り続ける。
『─!!!』
敵は邪魔な存在である狐たちに向けて再び黒い矛先を戻した。
「さて…」
橋の真下。陽の差さない影の中に潜り込んだクロエは、コンクリートで囲われた巨大な柱を見上げる。
本来ならば計算も不可能な程に強固なはずの柱だが、度重なる衝撃と自重によって大きな亀裂が刻まれ、内部の鉄筋がむき出しになっていた。
「ここを切るか?…いや、違う。ここでは倒れる方向がズレる」
頭の中に青写真を書き出し、それの通りに携帯していたチョークで印をつけてゆく。
数千トンの重みが向かう場所、それを導いてやるのが彼女の仕事だった。
(あと二分…いや、一分で終わらせなければ)
ドドォォン…
(派手にやってくれていますね)
遠くからは轟音と銃声が絶え間なく響く。
そのおかげか、鉄筋をグラインダーで切除しても音でバレずに済んでいた。
「ここ…ここ…ここ」
クロエの手は正確に、自らが描いた印の箇所に指向性爆弾をペタペタと貼り付けていく。
工具を取り出し、爆弾にコードを結線する。
導線の束に手当り次第のように見えながらもミリ単位で組み替えを行っていく彼女の作業速度は常軌を逸していた。
極限まで頭を使い、鼻血まで出ていたが彼女に焦りはない。
ただ背後で聞こえる音と狐たちの気合の声が、彼女の手首に絶大な信頼としてリズムを与えてくれている。
ズドォン!!ガキィン!!
後方での激戦はさらに熾烈を極めている。
「っぉおおおおお?!!」
連続して攻撃を受け止めていたクルミの盾は一部が赤熱化し、その形を大きく歪ませていた。
衝撃は盾の内側にまで浸透していたようで、支える彼女の手は真っ赤に染まり、指の何本かは変な方向に曲がっている。
「FOX4!後退を!」
「ダメ!ここで少しでも軸をずらしたら…アイツが見つかるからぁぁぁ!」
痛みをこらえ、歯を食いしばりながらも盾を構え、一歩も退かないクルミ。
ユキノがカバーに入ろうにも、敵が放つ放射状のスパイクが行く手を阻む。
『FOX1!行って!』
しかしそれを破壊したのは、オトギの狙撃だった。
『さすがにFOX3でも次は無理だよ!!』
「舐めないで!まだ行けるわよ!!」
『痩せ我慢すんな見栄っ張り!!』
「私が前へ出る、FOX3は回避に専念しつつ、隙を狙ってくれ、FOX1は本体ではなくこちらの障害物に狙いを変更」
『「了解!」』
ユキノは武器の射程などお構いなしに近接へと飛び込み、異形へ肉薄する。
「はぁっ!」
銃床を敵の肩に打ち付け、相手の意識を自分だけへと縛り付けるという文字通りの『決死』。
異形の頭上から漆黒の泥が触手のように伸び、ユキノを捕らえんと幾重にも渦を巻き始めた。
三分などとうの昔に過ぎているような永遠の体感時間。
(クロエ───!)
体力と精神力の底が見えてきた頃。
通信に、クロエの澄み切った声が鳴り響いた。
『───コンプリート!』
背後の橋脚から、彼女が飛び出してきたのが見えた。
『FOX3!FOX1!今すぐ戦闘態勢を解除しこちらへ!後は私が誘導します!』
「遅いっての!!」
『これでも19秒も短縮したんですよ!!』
クロエの声が聞こえた直後、クルミは持てる全ての力を使って、わざとらしく右側へ吹き飛ぶような形で距離をとった。
ユキノも倣って後ろへ下がる。
『───?』
異形からしてみれば、唐突に敵が姿を消し、正面がら空きになった状態。
「こっちですよ!!」
バァン!!
声に振り向いた異形の視線の先で、小規模な爆発が発生する。
光が瞬き、立ち込める煙幕の中に、二人、三人と人影が過ぎってゆく。
「ヒタキの
『よくご存知で!あいつほど上手くはやれませんが十分でしょう!』
本能的に音と光、そして動く影へと矛先を向けた異形が、黒い質量の衝撃波を正面───その脆くなりきった橋桁を支える柱へと向けて放つ。
「あとはとにかく離れて!!」
橋桁の下から脱出スライディングを決めながら、クロエが不遜に言い放つ。
ゴォォォォン……!!
敵が自ら放った暴力的なエネルギーが柱を破壊する。
バランスを失っていた数千トンの巨大高架は、何十台もの車が乗っていたその名残のまま、悲鳴のような鋼のきしみ音を立て、斜め前方…まさしく異形が立っているその一点へと崩れ落ち始めたのだ。
『────?!!?』
初めて異形が焦ったかのように泥を波打たせ、回避しようとするが、もう遅い。
『逃がすか!!』
異形の胴を、オトギの弾丸が貫く。
「「はぁっ!!」」
その脚を、クロエとユキノのクロスファイアが撃ち抜いた。
「仄暗い物語は…幕引きです!!!」
ズドガァァァァァァァンッ!!!
地震のような激しい震動が走り、地面が数十メートル規模で跳ね上がった。
巻き上げられた無数の瓦礫と土砂、黒いコンクリートの雨が大地を飲み込み、視界の全てが凄まじい衝撃による土煙に閉ざされる。
『うわすごい威力…周りのビルも倒れてるよ』
「そういえばこれ現実に影響ないのよね?」
周囲の建物すらも巻き込んだ大崩落はしばらく空と地面を揺らし続けた。
そして、凄絶な嵐が収まり始めた頃。
「……はぁ、終わりましたかね」
全身に積もった土埃を払うクロエの視線の先には、柱だった瓦礫が山となり、墓標となっていた。
巨大な封印。そこから何も動く気配はない。
「はぁ…はぁ…っ、なら良かった…」
「もうこれ以上は勘弁願いたいわね…指凄いことになってるし」
ユキノはライフルを膝に乗せ、呼吸を整えながらその光景を見据える。
クルミも横に寝転がって肩を大きく上下させていた。
「立証終了ですね」
クロエは砂ぼこりだらけの顔を手で拭う。べっとりと血と泥が着いた手を見て、彼女は薄笑いを浮かべていた。
「さて、ヒタキ達を迎えに……」
『待って』
「どうしたんですFOX4」
『空が、変わってない』
「!」
だが。
「まさか」
その余裕は長続きしなかった。
──_──_─_──_─!!!!
崩落した瓦礫の山。
その隙間から、まるで噴き上がる溶岩のように黒と白が混ざり合った光が漏れ出し始めたのだ。
コンクリートがジュウウと音を立てて熱に溶け、気化していく。
数千トンの重さが、消去されるかのように崩れていく。
「何だあれは…!」
ユキノの叫び。クロエも後ずさる。
そこに立っていたのは、もう連邦生徒会長の形など留めていない、不定形の悪意だった。
『アァァァァァァァァッ!!』
「っ!」
耳を塞ぎたくなるような絶叫。
異形の胴体の中央で十字状の光が迸ったかと思えば、溢れる黒い泥が変形、膨張してゆき、無数の触手や刃のような突起を形成していく。
人の形を保つ限界を突破し、ただ力を無差別に放出し続ける脅威として復活した姿だった。
『─────!!!!!』
ドドドドドドォ!!!
「体が崩れたことで、制御を失って暴走し始めたか」
ユキノが顔を顰める。
暴走を始めた異形はもはや誰を狙うことかも忘れ、ただ手当たり次第に周囲を破壊し始めた。
「うわっ?!」
『こっちのビルもやばいかも…ちょっと動くね!』
黒い触手が鞭のように振るわれ、地面が砕け、空間の歪みがさらに激しさを増していく。
周囲に映し出されていた黒い影がガラスのように割れ、赤紫色の空が荒れ狂う嵐のように渦を巻いている。
(空間が…!)
視線を向けた先に刺さったままの黄金の杖は限界が近いようで、切れかけの電灯のように明滅を繰り返していた。
「ユキノ!くァっ…!」
クルミが触手の一撃をシールドで防ぐが、その衝撃で彼女の身体が吹き飛ばされ、地面を滑ってゆく。
『この!!』
ドポッ……
オトギの狙撃も、不定形となった泥の身体には決定的なダメージを与えられない。
「ハァ…ハァ…クソ…!」
「CROW1!」
クロエめがけて伸ばされる触手。足に力が入らず動きが遅れた彼女をユキノが抱えて回避する。
地面に倒れ込んだ二人に、攻撃の余波が襲いかかり、まとめて吹き飛ばされた。
「ぐっ…すみません…」
「大丈夫か?」
「もう少し鍛えておけばよかった、です…ね」
クロエとユキノもまた、限界を迎えていた。
息は上がり、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
手持ちの装備も底を尽き、弾薬も残りわずかだ。
(ここまでやって、まだ倒れないんですか…?)
どうしようもない絶望感と、かつて抱いていた未知に対する恐怖が、冷たい水のように足元から這い上がってくる。
ロジックは通じた。打つ手はすべて打った。それでも届かない圧倒的な存在。
(もう…私には…)
(いや…違う、ダメだ、絶対にダメだ)
無意識に身を抱こうと背中に手を回していたクロエだが、彼女の脳裏に、血まみれになって倒れ込んだヒタキの顔が浮かんだ。
(ここで私が倒れれば、ヒタキの覚悟が無駄になる。チドリが悲しむ)
(何より、死線に来てくれたFOXの皆に顔向けできないでしょう…!)
クロエは強く唇を噛み締めた。血の味がした。
ロジックが通じないのなら。計算で超えられない壁があるのなら。
『…格上と戦うのなら『速度』を上げろ。今の限界を超えた10倍の速度で論理を組み立てろ』
いつかの演習で、教官に言われた言葉が蘇る。
「ハァ…ハァ…!」
クロエは静かにボルトクリッパーを抜き放った。
恐怖はない。絶望も振り払った。
あるのは、この理不尽な怪物を絶対に断ち切るという、純粋で鋭利な意志だけ。
「ユキノ」
「なんだ」
クロエは隣に立つユキノに声をかけた。
「私は、私の『正義』を果たします」
「…ですから、お願いします」
「…」
クロエの意志を察した彼女は、答えるように力強く一歩を踏み出した。
「クルミ、ニコとチドリの元まで撤退を」
「……あんた達はどうすんのよ」
ここまでやっても殺し切れないのなら。ここから先はただ一つのルールだけが適応される。
「ああいう暴走状態はクライマックスの兆候なんです、あと少し、やりますよユキノ!」
クロエがユキノに叫ぶ。
「ああ。ここまで来れば力で打ち倒す他はない」
息を合わせた二人。立ち上がりも厳しい状況にも関わらず、それぞれの赤い瞳に、異様な熱が灯った。
「はー分かったわよ、悪いけどFOXとCROWの合同チームになるのは嫌だからね!」
「縁起でもない!」
地面を力強く踏みしめた瞬間、頭上に浮遊する二人のヘイローが激しく明滅し、眩い光を放ち始める。
生徒達が秘める可能性、生きる力、強い意志、感情の昂り、古くより様々な言葉で例えられる神秘的な力。
それらが臨界点を超えた彼女らの肉体は、自らの限界を超えたポテンシャルを発揮させる、ある種の『覚醒』に近い領域へと踏み込んでいた。
覚醒の余波は、それぞれが握るサブマシンガンとアサルトライフルにすら伝播し、銃身が赤い燐光を纏う。
互いに言葉はなくとも理解していた。
やらなければならないと。
「行きますよエリート様!」
「後れを取るな!」
駆け出す二人。暴走状態となった敵からが放つスパイクが地面を砕き、宙に舞った瓦礫が降り注ぐ中、二人は左右に散らばるのではなく、あえて最前線を一直線に交差し合いながら猛然と突き進んでいく。
「はぁっ!!」
ドドドドォン!!!
クロエが地面を滑るように低い姿勢でアプローチし、左斜め前からの銃撃で敵の腕をもぎ取る。
「邪魔だ、クロエ!」
「そっちこそ!私の射線に入るなぁ!!」
その弾道に飛び込むかのように彼女を踏み越えてきたユキノの三点バーストが、クロエが切り拓いた隙を真っ直ぐにぶち抜いて着弾し、異形の胴体の一部を弾けさせる。
二人の赤く光る武器から放たれる射撃はもはや弾丸の領域を超え、放たれた弾丸はまるでレーザーのように敵を貫き、その背後の瓦礫を易々と穿ってゆく。
「「はぁぁぁぁぁあ!!!!」」
ごぼりと泥を溢れさせ、再生しようとする異形。
その一瞬を突き、ユキノのライフルの銃底が顔らしきものがある暗闇を殴り飛ばした。
二人はもはや、相手の手など読んでいない。
覚醒状態による興奮か、あの冷静なユキノでさえ「私がやるからどけ」という身勝手なスタンスで突撃しており、結果として阿吽の呼吸となっているだけであった。
相手の攻撃や再生より早く、再生したとしてもその一瞬を打ち破り続ける事を目指す怒涛の攻勢。
異形とてただやられている訳ではない、彼女らの攻勢に差し込むかのように触手や刃を振るい続ける、一瞬のミスが許されない極限の攻防。
「「はぁぁあああああ!!!」」
二人は攻撃を行う度に叫び声を上げる。
銃火の音と衝撃、そして頭部に受けたダメージによって、一時的に聴覚が麻痺しており、互いの生存確認のために本能的に行っていた行動であった。
「かはっ…っぁあああ!!」
息を吸う隙すらなく、体内の酸素はとうに尽きているが二人はさらにスピードのギアを上げた。
それぞれに追従する赤い光の尾が空に線を描き、異形を確実に窮地へと削り込んでいく。
「押し切る…ッ!!」
ユキノは残り全ての弾丸で、相手が防壁代わりに構築しようとしていた黒泥の大部分をなぎ払い、相手の胴体へ気迫と膂力で構成された全力以上の拳を叩きつけ、胴体を抉りとる。
大きく開いた異形の胴体。
その中枢の真っ白な空洞が見え、その中心にて輝きを放つ十字状の光芒が顕になった。
「今だ!!」
「言われなくても!!」
クロエは残りの弾倉を撃ち切り、サブマシンガンを足元に放り投げた。
代わりに手に取ったのは、連邦生徒会長から彼女に託されていた、光輝く黄金の『
先程まで消えそうな程に弱々しく明滅していたそれだが、彼女が手に取った今は再び黄金の輝きを取り戻していた。
ドォン!!
彼女はそれを構え、地面を強く蹴って跳躍した。
限界以上のポテンシャルを発揮していたクロエの跳躍は、これまでの彼女の常識では計れない、奇跡と言っても良い驚異的な高さを誇っていた。
『────!』
「させるかァ!!!」
胴体を押さえ、抵抗しようとする異形にユキノは飛びかかり、その腕を無理やり開かせる。
「クロエ!!」
「はぁぁぁぁぁああああ!!!!!」
黄金の杖の柄を両手で持ち、クロエは今自身が使える全ての運動エネルギーと、この戦いにおけるヒタキや仲間たち、そして自分自身の想いすべてを注ぎ込み、上空から中央目掛けて杖を振り降ろした。
ハサミによる断ち切りとは違う、全ての理不尽を一瞬で貫き終わらせる、慈悲深き処刑の一撃。
「「私達の前から失せろ───怪物!!!」」
二人の絶叫が空に轟く。
カァァァァァン…!!
黄金の杖の先が、異形の光輝く中枢を捉え貫通する。
溢れる光がバチバチと黒い泥を焼き焦がしながら奥へ突き刺さった、その瞬間。
『……────イイイィィィ…………ッッ!!!』
空間を引き裂くような断末魔にも似た高音が周囲一帯を包み込んだ。
中核を損ない、エネルギーの限界を迎えた異形は、中枢に溜まった泥を黒煙に変え蒸発させてゆき、その身はぼろぼろと砂山が崩れるかのように霧散していく。
空気に溶け込むその粒子は光となって天へと登ってゆく。
異形の存在自体が現実から削除されてゆく。
「あっ」「うわっ」
崩れた体を通り抜けたクロエを受け止めようとしたユキノだが、支える余力なんて残っているわけもなく二人揃って地面にもつれて倒れ込んだ。
霞んだ視界で異形が消えてゆく姿を見つめている二人。
ふと、その姿の後ろに『誰か』がいたような気がした。
『ありがとう──ございました、そして、ごめんなさい』
その『誰か』は二人に深々と頭を下げると、次の瞬間には消えていた。
シュウ…と。最後の一部がアスファルトに焼け跡を残して消失するのを二人は見届けた。
その場には、煌めく『青い鉱石』が転がっていた。
「「……」」
静けさだけがそこにあった。 誰も何の声も発さなかった。
否、誰一人として喉の奥から空気を吐き出すことが出来なかった。
「…はぁ〜〜〜」
ユキノの上から転がり落ちたクロエは空を見上げ、大きく息を吐いた。
頭上で明滅していたヘイローの輝きはゆっくりと収まり、元の色へと戻っていく。
ユキノも同じく空を見上げたまま身動ぎ一つしない。
「生きてますかー?」
「…」
「…生きてそうですね」
「お疲れ様、生きてる?」
「当然です」
「ハァ…そう、良かったわ本当に」
彼女らの元に駆け寄ってきたクルミとオトギ。
クルミは真っ二つに折れた盾を名残惜しそうに背負い、包帯でぐるぐるに応急処置された手で二人を小突く。
前線で激闘を繰り広げた三人に比べれば小綺麗なオトギも、戦闘の余波が広がる中で戦いを支援し続けてきた結果、至る所に擦り傷や打撲を負っていた。
やがて。 赤紫の異常な空を包んでいた歪みがパリパリと崩れて消滅した。
砕け散った異空間の向こうから、冷たい空気が流れ込んでくる。
「…ああ」
見慣れたD.U.のビル群。遠くから聞こえる微かなサイレンの音。
彼らは現実の世界へと帰還を果たしていた。
空を見上げれば、長かった夜が終わりを告げようとしていた。
東の空が薄っすらと白み始め、深い群青色からオレンジ色へとグラデーションを描いている。澄んだ暁の光が、満身創痍の少女たちの顔を優しく照らし出した。
「…終わったのか」
ユキノが静かに呟いた。
「ええ…本当に、割に合わない仕事でしたよ」
クロエは手に持っていた黄金の杖を地面に転がし、仰向けのまま手足を大きく広げた。
冷たい風が、自分が生きていることを実感させてくれる。
ヒタキは無事だろうか。
そんな事を考えていると、ニコから通信が入る。
『CROW1「作戦は終わりましたよ」…クロエちゃん、ヒタキちゃんは何とか落ち着いたよ』
「…そうですか、良かった。ありがとうございます、ニコ。何事も無かったようで良かったです」
『う、うん…』
彼女は言葉に詰まっていた。
「…?」
抱いた疑問に対しては重傷のヒタキの面倒を見ていのだからそれも当然だろう。と結論づけた。
(チドリが迷惑をかけていないだろうか)
そんなことを考えながら、クロエは暁の空を見上げた。
「……ユキノ」
「なんだ」
「貴女達とこんな作戦をするのは、これが最後にしたいものですね」
クロエの言葉に、ユキノは小さく息を吐いた。
「そうか、それは残念だ」
「?………!ち、違いますよ!もうこんな事態は御免だってことです!」
「あぁ…そうだな」
「なんなんですあなたは本当にいつもいつも!」
「はは、元気になったじゃないか」
すぐにクルミとオトギに呼ばれたユキノは離れてしまい、この瞬間これ以上二人が顔を見合わせることはなかった。
だがその声には確かな安堵と、互いの健闘を称え合う静かな響きが含まれていた。
夜明けの光が、カラスと狐の姿を一つの長い影としてアスファルトに刻み込んでいた。
「…前衛が欲しいですね、今回のようにヒタキがやられた際に正面戦闘では勝ち目がなくなります」
「いや、あいつが役割背負いすぎなのよ」
「そうですね…クルミのようなシールド持ちが欲しいですね、とびきり硬くて厄介なやつが」
どの話が見たい?
-
クロエ
-
サザナ
-
イキハ
-
モナカ
-
ミラ(鑑識課)
-
レイン(交通安全局長)
-
まだ見ぬオリキャラ
-
既存生徒との関わり