クロエ絆ストーリー
マニュアル人間(作る側)のこだわりとは
その日は朝から各校の調整業務で奔走し、夕方を過ぎてようやくオフィスへと帰還した私を出迎えたのは、およそ日常とはかけ離れた異常な光景であった。
"あれぇ…?"
いつもの電子ロックに手を掛けようとした瞬間。
壁面に備え付けられていた端末のパネルに、見たことのない赤いエラー画面が表示された。
さらには警告のポップアップと共に
『不審な生体反応を検知。強制ロックを作動します。警告:ロックが十秒以内に解除されない、または離脱が確認できない場合、侵入者と見なし制圧します』
という、非常に物騒なアナウンスが流れ始めたのだ。
“え…なにこれ“
『せ、先生!下がってください!』
アロナの声に反射的に一歩後退すると、自分の目の前、足元のタイルから天井に向けて数本の赤外線センサーが網の目のように起動した。
もしあと半歩踏み出していれば完全に引っかかっていただろう。
"?????"
アロナの指示に従って赤外線を避ける。
ただの入室のはずが映画の潜入ミッションのようになっている。
"????"
明らかに連邦生徒会が管理しているシステムではない。
何者かによってプログラムそのものが完全に書き換えられ、さらには物理的にも後乗せで何かが仕組まれている状態だった。
“(
先生が首を傾げていると、扉の奥からカチンとラッチが外れる音がし、ドアがスっと開いた。
そこから顔を覗かせたのは、艶やかな黒髪の少女だった。
「やれやれ。たったこの程度のセンサー一つ解除できないで私のセキュリティを越えようとしていたんですか?甘いですねぇ先生。これだから平和ボケしている人は困ります」
"クロエ"
「というかカードキーはどうしたんですか?」
"シッテムの箱があれば使わないから…"
「置いているんですか?」
口元に余裕の薄ら笑いを浮かべているのはクロエだった。
いつものベージュのトレンチコートを脱いだスーツ姿で、右手にタブレット、左手には大きめのマグカップを持っていた。
そこからはほんのりとレモンのいい香りが漂っている。
"それは?"
「貰い物のバタフライピーですよぉ、レモンを入れると青くなる面白いハーブティです」
"随分快適そうだね"
「随分上等なティーセットがあったので使わせてもらいましたよぉ、ただあまり好みではなかったですねぇ」
シャーレの備品で優雅に楽しんでいるようだ。
“クロエ…君がこれを設置したの?“
「えぇ。今日の午後は非番でしてねぇ。時間を持て余していたので先生のこのお粗末すぎる警備体制を見直してあげたのですよ。感謝してほしいものです」
クロエはマグカップを傾けてお茶を一口飲むと手元のタブレットで数回スワイプをした。
それだけで入り口を塞いでいた恐ろしい数のレーザー光線が瞬時に消失し、赤いエラーパネルも平常時の青い待機画面へと復帰する。
「どうぞお入りください。ご自身の城でしょう?私のようなただの迷い犬を警戒してどうするんですか」
煽るような口調に従いおそるおそる中へと足を踏み入れる。
執務室の景色そのものはほとんど変わっていなかった。
書類もきれいに整えられており、何かが荒らされた形跡はない。
だが部屋の四隅に見覚えのない丸いドーム型の物体が設置されているのが分かった。
さらに空調のダクト部分も元の防塵ネットではなく頑丈なチタン合金のようなパネルで溶接されている。
“これは一体どういう“
クロエは質問を待つことなく、傍らにあった分厚い何かを持ち上げ、私のデスクの中央にドンッと重たい音を立てて置いた。
「これを見れば一目瞭然ですよ。先生のような知識に乏しい方でもすぐに理解できるよう手取り足取り親切に記してあります」
"へぇ…厚ッ?!"
置かれたそれはファイルバインダーであった。
しかし厚みが異常だ。ざっと見積もって辞書を三冊重ねたくらいの厚さがある。
ファイルにはテプラで『シャーレ完全防衛プロトコル・特殊環境における対人迎撃マニュアル』と貼られていた。
“これクロエが作ったの?“
「ええ、即席ですが」
パラパラとページをめくって先生は絶句した。
そこには異常なまでの細かさと執拗さで執務室のあらゆる死角と侵入経路が網羅され、対策の構築理論が展開されていた。
"…えーと"
・ケース1A:一般的な武装生徒三人組がドアを物理的に破ろうとした場合。
対処:廊下側に設置した超高周波の忌避音発生装置を手動で三秒間起動し意識を刈り取る。
・ケース4B:ミレニアムのような最新設備を持つハッカーによる電子制圧を受けた場合。
対処:対処プログラムが稼働中に電源を物理的に切断しオフライン化。
さらにはこんなものまである。
・ケース12C:地下からの振動削岩機を用いた物理的奇襲。
・ケース18F:近隣の高層ビルからの指向性レーザーによる超遠距離狙撃。
・ケース25D:シャーレの空調設備へ対する有害化学兵器および特殊麻酔ガス散布時の強制排気ルート。
・ケース33H:悪意のある配管操作によるガス漏れへの対処。
ありとあらゆる脅威、テロリスト、強盗、愉快犯、さらにはどこの軍隊が攻めてくるのかと問いたくなるレベルのオーバーテクノロジー兵器に対する防壁ロジックまでが、図解入りでビッシリと書かれているのだ。
「先生のいるこの場所は、このD.U.…いえ、キヴォトスにおける中枢の一つだという自覚が足りないんですよ。セキュリティレベルが市井の銀行以下じゃないですか」
クロエは私を小馬鹿にするように言いながら椅子に腰掛けた。
いやその気は無いんだろうけど……無いのか?
「その甘い防御意識を逆手にとられれば、あっという間に誘拐でも暗殺でもやり放題。こんなガラス張りの高層階でコーヒーなんて呑気に飲んでいる余裕すらも与えられませんよ。本当に考えが足りていないですねぇ」
「…と言いますか、今も観られてますよね?」
"…あー、うん"
「公認ですかぁ、ならいいです」
窓の外から視線を外したクロエは、スーツのポケットに手を突っ込むと何かを取り出した。
「ただ…コレは外させてもらいますよ」
彼女の手には、小さな白い機械が握られていた。
"それは?"
「盗聴器です」
コタマさん?
"さすがだね"
「当然ですよぉ?」
元特殊部隊という肩書きは伊達ではない。
クロエの赤い瞳がどこか冷たく冷徹に輝いていた。
それはかつて数多の爆弾を処理し暗闇から様々な組織の手の内を見抜いてきた『プロ』としての顔だ。
「些細な油断がどれほど致命的な刃として帰ってくるか…私はよく知ってますからねぇ」
だからこそ「予測できる脅威を全て潰しておかなければ気が済まない」のだと言う。
強迫観念に等しい『完璧への渇望』がその重いファイルからは透けて見えていた。
「どうです?この教範…いいえ、このマニュアルを叩き込めば明日から先生の不用意な背中も少しは隙のないものに変えることができますよ。まぁ先生の技術でどこまでこれを実践できるかが第一のハードルですけどねぇ?」
煽りを含んだ挑発。
私がここで怒り出すか呆れ果てるかをクロエは待ち構えているように見えた。
自分が勝手に部屋の環境を書き換え、不条理なまでに複雑な対策を作ったのだから「やり過ぎだ」「非常識だ」と反発されるのが常だろう。
サザナとの面談で話された言葉がようやく腑に落ちた。
彼女はそうやって自分のと相手のルールの隔たりを探し、その隔たりを自分が保管するべき『危険』だと思っているのだろう。
私が不満の声を上げれば彼女は私に対して『あぁ、そこが分かっていないんですねぇ』と同情し、さらなるルールを押し付けてくる。
たちが悪いのは、その不満箇所を予測して先回りしてくる所だ。
"(…犬?)"
私はこのバインダーのページを一つ一つ確認してゆく。
文章に加えられた細かすぎる注釈の筆跡、手書きで訂正された何十本という赤いインクの線。
それがほんの数時間で書かれたにしてはあまりにも思考の手間と疲労を感じさせる熱量を持っていたからだ。
“すごいね、クロエ“
「え?」
クロエが口にしたティーカップをわずかに下げて目を丸くする。
私は真っ直ぐに彼女の赤い目を見た。
“これを書き上げるために一体どれだけ考えてくれたのかな。流石のクロエでも、これだけのものを準備するのは大変だったでしょ“
バインダーを閉じその厚みに手のひらを当てて伝える。
呆れるのでもなく、怒るのでもない、純粋な感嘆だ。
“私が気付いていない死角。これをクロエが塞いでくれたおかげで、シャーレが安全になったということだよね"
"なら今のここはキヴォトスで一番安全な場所に違いない!何が来ても安心だよ!“
「は…は?」
クロエの表情が凍りついたように動かなくなった。
自分に向けられるのは拒絶や畏怖であると構えていたところに、全く予測していない感謝と肯定が降り注いできたのだ。
それは彼女の論理ロジックにはないパターンの対応だったであろう事は明らかだった。
あとから聞いた話だが、彼女にとって褒められるとは『自分と同等の知識レベルを持つものが自身の仕掛けに納得した時に出る感嘆の言葉』でのみ成立するもの…らしい。
考え方のレベルが高いな…?
「なっ…?!」
クロエの頬に朱色が走る。
いつも余裕めいた態度を崩さない彼女から表情が抜け落ち、動揺の色が貼り付く。
彼女はバツの悪そうな視線を窓の外に向けると、すぅと大きく息を吸った。
「べ……別に。大したことじゃありませんよこんなのは……」
いつものハスキーな落ち着いた声ではなく、少しばかりうわずった強がりの言葉がこぼれる。
「ほ、本当に!たかがただのヒマ潰しです暇つぶしの片手間で書き上げた落書きをそんな風に拝まないでくれますかねぇ?!私はただ先生があんまりにも弱っちくてすぐさまどこかの輩に利用されて死んでしまったら私がこれからからかって遊ぶ相手がいなくなって愉快な時間が削られて不愉快なだけなんですから私が先生のオフィスを保護したのは私の縄張りを保持するための事前消毒のようなものです」
彼女は自分に言い聞かせるようにものすごい速度で言葉を連ね、最後に再び私を見て強気な笑顔を作ってみせた。
いつもの悪い口角を上げた不敵な彼女に戻ろうとしているのだ。
「私がこれだけのことをしてあげたんですからね。しっかり感謝してせいぜい安全なオフィスで徹夜でもしてくださいな。どんな相手だろうと、私の計算ロジックにかかれば傷一つつけられないように完膚なきまでに防御してあげますよ!」
クロエの得意げな笑みには確かな嬉しさの感情が籠っていた。
自分に恐れを持たないという点について安心し、そして少しだけ鼻を高くした小動物のような得意げな優越感だ。
自分を受け入れさせたことで彼女はここで『勝利した』と確信したのである。
"(微笑ましいなぁ)"
私は笑顔でクロエを見つめていた。
"(まぁ……)"
それはそれとして。
私がただの底なしのお人好しの甘いだけの飼い主だったならそれで済んだのだろうが…彼女は少し調子に乗りすぎている。
私は彼女に背を向けて立ち上がり部屋の中に仕掛けられた四隅の防衛ユニットやその他あまりにも過剰すぎる改造の数々を指で指した。
“ありがとう。君の素晴らしい気遣いと労力には本心から最大限の敬意を払うよ。クロエ“
「ええ、もっと褒め、かつ崇めてくれてもいいくらいです」
“そうだね。クロエ"
"ちょっとそこ正座“
「は?!」
先程までのドヤ顔が一瞬にしてピタリと硬直した。
「はぁ?!正座って何を言っているんですか!?」
“公私の区別というものだよ“
私は溜息をつき腕を組んだまま彼女に説教の姿勢に入った。
“防衛のためにマニュアルを作ってくれた事は嬉しい。だけど勝手にシステムを改造して独自の迎撃設備をオフィス内に設置するというのはどう考えても限度を超えているよね。もし私以外の子が当番に来てレーザーで焼かれたらどうするの?“
「…それはマニュアルを読めば」
"これをキヴォトス全域に配布するつもり?連邦生徒会がコピー代で破産するよ"
「電子化…」
"みんなのスマホが爆発しちゃうよ"
「そこまでの容量は無いですよ!本気で作れば可能ですが…」
クロエの表情が一瞬にして先程の得意げなところから『やべっ』という悪い子供のそれに急変する。
彼女は視線を横に逸らし机の上にあるマグカップへと伸ばした。
「うぐ…私はちゃんと計算があってのことでしてね…私の緻密な防衛手段においてはマニュアルを把握してさえおけば事故などは起きないというか。だから例え私が不在だったからといっても……あの」
“それはこの過剰な設備を撤去してから打ち合わせしようか"
「そ、それはつまり…」
"全部元に戻すよ“
有無を言わせない圧に、クロエがウッと喉を詰まらせたように後ずさる。
私は決して引かなかった。彼女が自分の中に隠している不器用な気遣いを理解はしても、やり過ぎにはきちんと『NO』と言える線引をしてやらないと彼女は暴走してしまうのだと直感的に分かったからだ。
彼女のすべてを無下にせず、けれど間違っているものは直させる。彼女に求められているのはそういうものなのかもしれない。
「……ッ!」
数十秒間の葛藤の後、ついにクロエは悔しそうに舌打ちを一つ落とし、私の指示に屈服して膝を折りその場でコトンと正座をした。
いつも背中で翻しているトレンチコートが無いと、その背中はどうにも小さく見えた。意外と華奢?
「理不尽ですね…わざわざ私が数ミリ単位の調整までして取り付けた防犯の結晶をたった一声でご破算にするなんて。シャーレの横暴ですよこんなものは、防衛室よりも酷い」
“恨んでもらって構わないよ。さぁ片付けよう、手伝うよ“
「いーーーえ!手助けは不要ですよぉだ!」
クロエが不貞腐れたように大きな声を張り上げてスッと立ち上がると、椅子にかけてあったコートから厳つい工具やハサミを取り出し部屋の四隅へ駆け出した。
ガチャカチャガチャガチャンバタン!!
目にもとまらぬ凄まじい手さばき。
つい先程、厳重にガッチリ取り付けられたはずの特殊設備が、あっという間に分解され壁から張り紙でもひっぺがすかのようにあっさりと取り外されていく。
さらには配線もパチパチという切断音とともに瞬く間に回収されていくではないか。
“は、早くない!?“
私が呆気にとられて声をあげるより先に、全てが瞬く間に解体され、ダンボールへと放り込まれる。
あれほど強固だと彼女自身が太鼓判を押したはずの機構がなぜこれほどの間に崩されてしまったのか。
クロエは私のその顔を見て、得意げな薄ら笑いを取り戻して答えた。
「ハッ! 当たり前でしょう?自分が作った仕掛けなんてあっという間にバラバラにできますよ!」
「解体する時の方が、作る時よりも思考が早くなる!」
そう言い張る彼女の目は本職の技術者のそれであり、ギラギラと輝いていた。
先程まで感謝を受け取って恥ずかしそうにしていたり、正座させられて拗ねていた様子など嘘のような立ち直りの早さだ。
これにはこちらが参って苦笑を浮かべるしかない。
「あーあ、せっかく先生の意識がヒヨコレベルだから設置した完ッッ璧なセキュリティ機能も、結局使われずにお払い箱ですかぁ。まぁいいですけどね、次に設置し直すときにはさらにお節介なくらい厄介な仕様にしてやりますから」
クロエは不満と負け惜しみを混ぜつつ文句を続け、自分の撤去した機材の入った箱をシャーレの端に置く。
"持って帰って?"
「気が早いですねぇ、まだ最後の仕上げが終わってないでしょう」
そう言ったクロエは、ロッカーから掃除用具一式を引っ張り出してくると、こなれた様子で掃除を始めた。
"…"
「なんですかその顔、まるで私にガサツな印象を抱いていたから意外みたいな顔ですね」
"…ソンナコトナイデスヨ"
爆弾適当に捨てていつも怒られてるらしいし…とは口が裂けても言えない。
「こんなもんですかね」
サラッと解体した場所だけでなく、オフィス全体を掃除してくれたクロエ。
しかし彼女は机の上のマニュアルだけは頑なに動かそうとはしなかった。
「これは残しておいてやります。私が手引きできない時用ですからしっかり読んで脳にインストールしてくださいよぉ?」
“そうだね。熟読させてもらうよ“
ダンボールを抱えたクロエは、ドアの前で一度だけ肩を向けて振り返った。
「まぁ…気をつけてくださいよぉ。あなたは要人なんですから」
「あなたの血の赤色で、マニュアルを訂正するなんて絶対に御免ですからね」
“…ありがとう“
「おやすみなさい、先生」
ふっと赤い目を一瞬だけ細めたクロエの笑顔がそこに残され、ドアの電子ロックがバチリと閉ざされた音で室内は普段の日常のオフィスへと逆戻りした。
残されたのは、ティーカップの微かな紅茶の匂いと彼女の努力の詰まったマニュアル。
ずっしりとしたそれを持ち上げる。
"ん?"
ガサッ。
持ち上げたその中から、何か……中に入ってる?ような音が聞こえる。
"まさか…"
まだ見ていなかった後半のページに広げてみるとそこには…
『ここまで読んだ先生にチャレンジです!30秒以内に解除しないと冷蔵庫にしまってある先生とっておきのシュークリームにカラシが300g注入されます!!』
というメモと共に、配線が繋がれたタブレットがくり抜かれたスペースに収められていた。
タブレットには大きく【00:30】と表示されていた。
あ、【00:29】になった。
"…"
『せ、先生…これ、作動してます』
アロナの声に我に返る。
タブレットに繋がれたコードは三本。
赤、黒、青。
"(ヒント…ヒントは…)"
クロエのことだ、何かヒントが…
会話の中に『
【00:21】
『クロエさんが
"だとしたら…"
ご丁寧に添えられたハサミを手に取る。
【00:17】
"私が切るのは…『黒』色!"
ぱちんという音が響いた。
恐る恐るタブレットを見てみると、タイマーは【00:09】で止まっていた。
"はぁ…やってくれたね…クロエ"
今度サザナにチクってやろう。そう思った。
次回『鑑識室にて』
どの話が見たい?
-
クロエ
-
サザナ
-
イキハ
-
モナカ
-
ミラ(鑑識課)
-
レイン(交通安全局長)
-
まだ見ぬオリキャラ
-
既存生徒との関わり