勘違いガッツポーズ、と言えば、誰が思い浮かぶだろうか。有名どころで言えば、有馬記念のスペシャルウィークちゃんが思い浮かぶのではないだろうか。
いやはや、それ以外で思い浮かばないのも無理はない。それもそのはず、私はG1勝利までハナ差届かなかった。遅くまで粘ってみたけれど、ついぞ届くことはなかった。前年のG2では勝った相手に、G1では勝てなかった。私を負かした彼女らも、怪我をして去っていった。かく言う私自身も、引退は怪我が原因だ。
G1を勝つのは、とても難しいのだ。勝つのにも、挑戦するのにさえ、大きな代償が伴う。
けれど、若い子たち、あなたたちの挑戦を止めようとは思わない。けど、修羅の道を進むと決めたあなたたちに、少しだけ、お話をしよう。
まず、メイクデビュー。そして条件戦を勝ち上がらないことには、G1どころか重賞を目指すのは制度上ほぼ不可能だ。
私の場合は、それがちょっと遅め、ジュニア級の11月だった。勝てなかった。順当に勝ち上がれたわけじゃない。掲示板にも入ってない。
最初から上手くいくわけじゃない。私が勝ち上がったのは、3戦目。12月初頭。中山のダートの1200メートルだ。芝の長距離のイメージがあるかもしれないけど、最初なんてそんなものだ。まだどこに適性があるかも分からない。ジュニア級はそんな状態で走るからこそ、苦しい。私だけじゃない。G1勝者ですら、メイクデビューは後の主戦場とは懸け離れた条件だったりするものだ。私の宿敵の先輩だって、新潟の芝1000メートルでデビューしたんだから、メイクデビューっていうのはそういうものだ。
いきなり夢がない話で申し訳ない。でも、このお話はあなたたちの覚悟が揺らがないためのお話だから。続ける。
自慢ではないが、私はクラシック3戦を皆勤した。その年は8戦して1勝。この1勝は思い出深い。だって…ダービーと同じ条件だったから。この1勝にとても期待していたから。
ちょっと感情的になったね。話を戻そう。
私が初めて重賞に出たのは、その年の2戦目。カトレア賞を叩いた次。皐月賞のステップレースの、弥生賞。
とても緊張したね。勝負服は着ないけど、それでも条件戦とは違うものを感じた。私は格上挑戦…オープンクラスに上がらないままの挑戦だったから、それもあるかもしれないけれど…。重賞と、一般競走はとにかく別物だったのを覚えている。
私を慕ってくれるあなたたちなら知っているのだろうけど、私はここで3着に入った。弥生賞の3着ってのはほかのG2の3着とはわけが違う。皐月賞の優先出走権、って言えば分かりやすいかな。だから死に物狂いで、そこを目指したんだ。もちろん、大目標は一着だったけれども。
私はここから、スプリングステークスを叩いて、クラシックに歩を進めたんだ。
ちょっとここで休憩にしよう。歳をとると長話も疲れてくるんだ。
ああ、後ろに飾ってある服?
あれは菊花賞の後に戒めとしてとっておいた私の勝負服だ。同じのが横にあと2着あるだろう?私がお茶を入れる間に暇なら眺めているといい。
……もっとも、一番左のを着ていたレースは4着だったけれども。
ブランクがありすぎてうまくかけない!