機鋼連邦ヴァルトブルク。
それは、アッシュリア王国を含んだ前身連続国家――ヴァリスティアが滅び去った後、その廃墟と怨念の上に築かれた新たな国家である。
彼らは、滅びの記憶を忘れない。
ヴァリスティアの無念を血と鋼に刻み込み、何十世紀にもわたって旧文明との戦争を続けてきた。
この国家には、多様な民族が暮らしている。
しかし、その中でもひときわ重い宿命を背負わされた者たちがいる。
――「灰の民」。
彼らは、日々その肉体を削り、連邦のために奉仕する民である。
かつて、ヴァリスティアが滅亡へと追い込まれた直接の原因。
それが、後に「灰の反乱」と呼ばれることになる大規模な内乱であった。
旧文明を神のごとく崇拝する巨大カルトが、上層大陸において蜂起したのだ。
反乱は凄惨を極め、各都市は焼き尽くされ、黒く炭化し、まるで灰の山のように変わり果てた。
文明の炎は消え、国は死んだ。
そして――
「灰の民」と呼ばれる所以も、ここにある。
彼らの祖先こそが、あの灰の反乱を引き起こした張本人であった。
当時、彼らは連合国家内でも随一の勢力を誇る民族だった。
だが、その力と繁栄は慢心を生み、やがて彼らは邪へと傾いていく。
人類存続のために遂行されるべき、旧文明との崇高な戦争。
それよりも己の利益を優先し、民を扇動し、国家を裏切り、邪悪なカルトへと沈めた。
その原罪はあまりにも重く、
数十世紀を経た今なお、子孫たちはその罪を贖うためだけに戦場へと送り出されている。
彼らの死生観は、長き贖罪の戦争の中で歪み果てた。
旧文明こそが、自分たちを罪へと導いた元凶であり、
その旧文明との戦争に殉じ、最期の瞬間まで連邦に身を捧げること。
それこそが、唯一許された安らぎなのだと。
彼らは、誉のために死ぬのではない。
救済のために、死を求めるのだ。
そして――
下層大陸、旧文明最前線の塹壕で、死んだ魚のような目をした一人の少年がいた。
セルジュリオ・ロベルト。
彼もまた、その呪われた民族――灰の民の出身だった。
当初、彼は信じていた。
偉大なる祖国、連邦のために使命を果たすことが、自身の存在意義なのだと。
だが、戦場はあまりにも過酷だった。
砲弾の轟音が絶え間なく響き、
数十世紀に及ぶ戦争によって大地は赤黒く染まり、無数のクレーターが口を開けている。
上層とは異なり、太陽の光すら届かぬ世界。
空は常に鈍色で、時間の感覚すら曖昧だった。
さらに追い打ちをかけるのが、連邦の食糧事情である。
戦時下の国家が食糧不足に陥るのは珍しくない。
だが、数十世紀戦い続ける国家ともなれば、その惨状は想像を絶する。
腐敗、疲弊、欠乏。
酷い戦線では自給自足が強いられ、
中には敵である旧文明の存在を喰らう兵士すらいるという噂もあった。
この戦線は、すでに限界に達している。
それでも、かろうじて――持ち堪えているだけなのだ。
ロベルトは虚ろな目で、敵戦線を見つめていた。
その瞬間、凄まじい轟音が空気を引き裂いた。
砲弾が雨のように降り注ぐ。
――四脚式移動砲台による戦場支援だ。
旧文明の技術力は、凄絶だった。
見たこともない鋼で構成された兵器。
数百人の兵士を一瞬で薙ぎ倒すガドリング砲。
神話の中でしか語られぬはずの、光線兵器。
それでも――
ロベルトは理解している。
これは、ただの残滓に過ぎない。
かつて、旧文明は四つ存在したという。
三つは滅び、残る一つが、下層大陸のどこかで今なお息づいているらしい。
だが、彼にとってそれを知る意味はない。
連邦が今、敵としているのは主に二つの文明。
そして、ロベルトが立つこの戦線は――
「マキナ文明」と対峙する最前線であった。
ここに初めて配属された時、彼は愕然とした。
聞いていた話とは、あまりにも違う。
数十世紀も渡り合ってきたにしては、
あまりにも自軍は貧弱ではないか、と。
確かに、四脚式移動砲台や浮遊戦艦といった優秀な兵器は存在する。
だが、彼の目には――
それらすら、旧文明にとっては子供騙しの玩具にしか見えなかった
そんなことを思っていた時、士官から突撃の笛が鳴らされた。
それと同時に、多くの兵士が雄叫びを上げながら塹壕から飛び出し、クレーターとなった土地を踏みしめる。
一人、また一人と続々と駆け出した、その瞬間――
「それ」はヌルリと現れた。
突如、いなかったはずの場所に「マキナ文明」の自立兵器群が出現した。
タールのように黒く、不気味なほどにテカテカとした装甲、そしてモノアイの目が特徴の兵器。
それは凄まじく、
ダダダと
マシンガンを撃ち放ち、バタバタと多くの駆け出した兵士が弾丸の雨に倒れる。
一人、また一人。
ロベルトのすぐ隣にいて、同じ釜の飯を食い合った仲間が、一瞬で弾丸の餌食となり、肉塊と化す。
彼はそれを横目で見るが、死を嘆くことも、仲間との思い出を振り返ることもできない。
もし一瞬でも躊躇いを感じ、速度を遅めたりすれば……
その時だった。
凄まじい速度で、彼の横を光線が突き抜ける。
瞬間、凄まじい轟音が背後から響く。
先ほど砲撃を行っていた四脚式移動砲台が撃破されたのだ。
しかし、彼はそれを気にも留めない。
ただひたすらに走る。
「それ」めがけて走り、走って、走り続ける。
度重なる栄養不足によって脚がうまく動かなかろうと、走るのだ。
そうして、彼はなんとか射程距離圏内に辿り着いた。
しかし、安心してはいられない。
近づけば近づくほど、優先的な標的になりやすくなる。
横で数多くの同胞が凶弾に倒れていく中、彼は冷静にコッキングレバーを引き、眼前のそれに銃口を向け、引き金を引いた。
先ほどの轟音などには程遠い、素っ頓狂な音とともに放たれた銃弾は旧文明の兵器に命中するが……
カン、という無様な音とともに、あっけなく弾き返される。
そして、彼に気づいたと言わんばかりに、
その赤く、ぎょろりとした無機質な目が彼を見据える。
もはや終わりだ――そう思った、その時。
彼の横を、数多の兵士たちがスコップを手に駆け抜けていく。
皆が、突撃したのだ。
ロベルトが作り出した、この数少ない隙に乗じて、続々と兵士たちが駆け込む。
兵器は想定外だと言わんばかりに、その目をあちらこちらへと動かすが、それが命取りとなった。
数多の兵士が、狂ったような雄叫びを上げながら兵器へと群がり、スコップを突き立てる。
装甲の隙間。
関節の隙間。
ありとあらゆる場所に、スコップが差し込まれていく。
兵器はそれに対抗しようと、兵士たちを振り解こうとするが、
振り解けど、振り解けど、
兵士たちは襲いかかる。
ある者は銃剣を突き立て、
ある者はスコップを差し込み、
また、ある者は己の歯をもって、文字通り兵器に噛みついていく。
ロベルトは、ただその場に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
だが、突如として目の前に何かが落ちてくる。
そして、彼は気づく。
これは……先ほどの兵器の目ではないか?
ふと前を見れば、
先程まで猛威を振るっていたはずの兵器が、兵士たちによってただの鉄塊へと変貌させられていた。
あちこちから白い液体が溢れ出し、兵士たちはそれを狂ったように飲み続けている。
その様子は、さながら捕食者の食事のようで、彼は一種の恐怖を覚えた。
戦場が、過度の飢餓が、人をここまで変貌させるものなのかと。
これが、自分たちの子孫が受けるべき贖罪の結果なのかと。
慣れているつもりではあった。
革靴やベルトを煮込んだ食事は当たり前。
兵士の死骸や兵器の残骸を、なんとか食べられないかと思索している者たちを見たこともある。
だが、ここまで狂った光景を見るのは、これが初めてだった。
驚いたのも束の間、彼自身も何日間もまともな食事にありつけていないことを思い出す。
心許ないが、やむを得ない。
自身も、目の前に現れた「ごちそう」に向かおうとした、その瞬間――
目の前の兵士たちが消えた。
正確に言えば、どこからともなく現れた光線によって、消し炭になった、と言うべきだろうか。
彼の目前に現れた「それ」は、先ほどよりも何倍も大きく、
それでいて、浮遊した目のような見た目をしていた。
その巨大な目は、先ほどと同じように赤く不気味な色を湛え、こちらを見つめ、矛先を向け放とうとし――
次の瞬間、眩い閃光が走る。
彼の視界に映っていた兵器が、ずれた。
訂正しよう。
――そう。真っ二つに切断されたのだ。
つまり、切り離されたのである。
雷でもなく、砲撃でもない。
それは、ただの斬撃だった。
光線を放つ寸前だった旧文明の兵器が、中心から真っ二つに割れる。
その断面は、異常なほどに、惚れ惚れするほど美しかった。
浮遊していた巨大な機体は縦半分に分かたれ、
時間差で、ずり落ちる。
彼は、さらに遅れて、目の前に立つ何者かの存在に気づく。
天使――いや、それは「人」だった。
背中には重厚な装甲と装飾が施され、さながら神話で語られる戦神のようであった。
その鎧はあまりにも綺麗で、整っていて、まるで戦場という名の地獄に舞い降りた一人の天使のように見えた。
それほどまでに、その存在は戦場から浮いていた。
騎士。
機鋼連邦ヴァルトブルクが誇る、国の最高戦力。
ロベルトは、息を呑んだ。
確か昔、教範で見たことがある。
もちろん、記録映像でも見たし、噂話として何度も耳にしてきた。
しかし、実物を目にするのは、これまでの人生で一度もなかった。
騎士には、様々な逸話が語られている。
「戦場に舞い降りれば、ひとたび、その戦線の戦況は必ず勝利へともたらされるだろう」
「皇帝陛下の最大の矛であり、人類の盾」
そんな言葉で語られる存在。
それが、彼の知っている騎士だった。
そして、目の前に存在するそれは、
神々しく、轟々しく、言葉では言い表せない感情が、ロベルトの内に込み上げてくる。
彼だけではない。
周囲の兵士たちが、次々と涙を流しながら膝をつき、銃をその場に置き、泥にまみれたまま地に額をつける。
誰かが、震える声で呟いた。
「あぁ……天使だ……」
否定する者はいなかった。
騎士もまた振り返らず、ただ静かに剣についた白いオイルのようなものを払い、ゆっくりと下ろすだけだった。
気づけば、ロベルトの目からも涙が溢れていた。
彼もまた、周囲の兵士と同じように膝をつき、目の前に現れた「天使」に祈りを捧げる。
その瞬間、ロベルトは確信した。
――ああ。もし天使というものが存在するのなら、
きっと、こういう姿をしているのだろう。
目の前の「騎士」は、再び剣を構え、前を向く。
まだ、戦争は終わっていない。
そう告げているかのように。
彼らは、胸に溢れ出る勇気を振り絞り、目の前の騎士についていこうと立ち上がる。
連邦の戦争は、
彼らの贖罪は、
まだ終わることはない。