ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

106 / 108
自分の原点

 便利屋68の事務所は、黒夜の記憶にあるゲヘナの空気を堪能できる場所だった。

 

 整っているとは言いがたい。

 けれど、散らかっていると言い切るには妙な秩序がある。

 

 机の上には書類と菓子の袋が一緒に置かれ、壁際には用途の分からない箱が積まれている。依頼書らしきものは無造作に置かれているのに、なぜか銃器や弾薬の類はすぐ手に取れる位置にある。応接用のソファは少し古びていたが、座り心地は悪くなかった。

 

 黒夜はそのソファに腰を下ろし、差し出されたお茶に軽く口をつけた。

 

「久々に来ましたが……落ち着きますね、ここ」

 

 何気なく呟くと、隣に座っていたカヨコが目だけを向けた。

 

「本気で言ってる?」

 

「はい。ゲヘナらしくて」

 

「それ、褒め言葉なのか微妙だね」

 

 カヨコはそう言いながらも、別に嫌そうではなかった。

 黒夜は少しだけ笑った。

 療養期間も終わり、日常生活に戻ってしばらく経つ。トリニティ、ミレニアム、シャーレと、行く先々で心配される生活にも少しずつ慣れてきた頃、ふとカヨコから連絡があった。

 

 時間があるなら、便利屋に顔を出してくれない? 社長がうるさいから。

 

 それだけだった。

 

 黒夜は、その文面を見て少し笑った。

 カヨコらしい誘い方だと思った。

 

 そして実際に来てみれば、出迎えたアルは予想以上に張り切っていた。

 

「ふふん、よく来たわね黒夜! ここが新しく新調した、便利屋68の事務所よ!」

 

 アルは社長椅子に座り、足を組み、腕を組み、いかにも大物らしく振る舞っていた。

 ただし、椅子の高さが少し足りないせいで、威厳よりも背伸び感が勝っていた。

 

「凄いですね。ではお邪魔しますよ、アルさん」

 

「ええ、歓迎するわ。今日は特別に、私たち便利屋68の偉大な仕事ぶりを聞かせてあげる!」

 

「それは楽しみですね」

 

 黒夜が素直にそう言うと、アルの表情がぱっと輝いた。

 その横でムツキがにやにやしている。

 

「くふふ、アルちゃん、黒夜がちゃんと来てくれたからって張り切ってる〜」

 

「ム、ムツキ! 余計なことを言わないの!」

 

「でも本当じゃん?」

 

「本当でも言わなくていいの!」

 

 ハルカは黒夜の前にお茶を置きながら、やけに緊張していた。

 

「黒夜さん…どうぞお茶です。熱すぎないようにしました」

 

「ありがとうございます、ハルカさん」

 

 黒夜がそう言うと、ハルカは顔を赤くして小さく頷いた。

 カヨコはそのやり取りを見て、浅く息を吐く。

 

「あんたってさ、ゲヘナにいる時はちょっと脇が甘いよね」

 

「そう見えますか?」

 

「見えるね」

 

「まあ……ここは、私にとって原点みたいなものですからね」

 

 その言葉に、カヨコは少しだけ嬉しそうな表情をしていた。

 そしてそれ以上、何も言わなかった。

 

 代わりに、アルが机を叩く。

 

「そう! ゲヘナこそ黒夜の原点。つまり、便利屋68とも深い縁があるということよ」

 

「そこは少し飛躍していませんか?」

 

「細かいことはいいのよ!」

 

 アルは胸を張り、得意げに語り始めた。

 

「この前の依頼なんて見事なものだったわ。依頼人は、ある荷物を指定の倉庫まで運んでほしいと言ってきたの。もちろん、普通の運搬依頼なら私たち便利屋68にかかれば朝飯前よ」

 

「けれど、依頼には一つ問題があった。その荷物を狙う不良たちが、途中で襲撃してくる可能性があったのよ」

 

「それは大変ですね」

 

 黒夜が相槌を打つと、アルはますます調子づいた。

 

「そう、大変だったわ! でも私は社長として冷静に判断した。正面から行けば狙われる。ならば、あえて裏道を使い、敵の予想を外すべきだと!」

 

「なるほど」

 

「結果、裏道で別の不良集団と鉢合わせしたんだよね~」

 

「駄目だったのでは?」

 

「でも勝ったから成功よ!」

 

 黒夜は一瞬黙り、それから小さく笑った。

 

「それは……アルさんらしいですね」

 

「ふふん、そうでしょう?」

 

 褒められたと思ったのか、アルはさらに胸を張った。

 ムツキはソファの背もたれに腕を置きながら、楽しそうに話を足す。

 

「しかもその時、アルちゃんってば『予定通りよ!』って叫んでたんだよね〜。完全に予定外だったのに」

 

「ムツキ!」

 

「でも結果的には、依頼の荷物も無事だったし、不良たちも追い払ったし、大成功だったじゃん」

 

「そうよ! つまり予定通りだったの!」

 

「まぁ…そうなのかな?」

 

 黒夜が穏やかに言うと、アルは少しだけ目を逸らした。

 

「……結果を出すのが、プロというものよ」

 

「それは確かに」

 

 黒夜が楽しそうに頷くと、アルはすぐに機嫌を直した。

 次に語られたのは、行方不明になった依頼人のペットを探した話だった。

 

「それでね、そのペットがとても珍しい生き物で――」

 

「普通の猫だったよね?」

 

「ムツキ、今は黙っていて」

 

「かわいい猫だった」

 

「カヨコまで!?」

 

 アルは咳払いをして続けた。

 

「とにかく、依頼人にとっては大切な存在だったの。だから私たちはゲヘナ中を捜索したわ。路地裏、倉庫街、廃ビル、飲食店の裏口……どんな危険な場所にも足を踏み入れた」

 

「それは大変でしたね」

 

「ええ。最後にはハルカが排水溝に潜ろうとして――」

 

「アル様のためなら、どこへでも潜ります!」

 

「そこまではしなくてよかったのよ、ハルカ」

 

 カヨコが静かに補足する。

 

「結局、猫は依頼人の家の屋根にいた」

 

「……最初から近くにいたんですね」

 

「そう。でも依頼は達成した」

 

「おめでとうございます」

 

 黒夜は微笑みながら頷いた。

 

 アルの話は、どれも少し抜けていた。

 格好よく始まるのに、途中でだいたい予定外の方向へ転がる。けれど最後には、なぜか依頼そのものは達成している。

 

 それが便利屋68らしかった。

 

 黒夜は、そういう話を聞くのが嫌いではなかった。

 ゲヘナにいた頃、黒夜の周りにはいつも騒動があった。風紀委員会と不良の抗争、万魔殿の無茶な指示、突然始まる銃撃戦。どれも面倒で、危険で、まともではなかった。

 けれど今思えば、それも自分の原点だった。

 

「……楽しそうですね、便利屋の仕事」

 

 黒夜がそう言うと、アルは少し驚いた顔をした。

 そしてすぐ、得意げに笑う。

 

「当然よ! 便利屋68は、どんな依頼も華麗にこなすアウトロー集団なんだから!」

 

「アウトローって自分で言うと、ちょっと安っぽいよね」

 

「ムツキ!」

 

「でも、黒夜が楽しそうでよかったじゃん」

 

 ムツキがそう言うと、アルは一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 それから、少しだけ照れたように視線を逸らす。

 

「ま、まあ……せっかく来てくれたんだし、退屈させるわけにはいかないからね」

 

「ありがとうございます。退屈どころか、かなり面白いです」

 

 黒夜が素直にそう返すと、アルはまた分かりやすく表情を輝かせた。

 その時だった、カヨコが、ふと顔を上げた。

 それまで何気なく椅子にもたれていた彼女の空気が、ほんのわずかに変わる。

 黒夜は、その変化に気づいた。

 

「カヨコさん?」

 

「……静かに」

 

 カヨコは短く言った。

 

 その声に、室内の空気が変わる。

 アルは話を止め、ムツキの笑みも少し薄くなった。ハルカはお茶のポットを持ったまま固まる。

 

 カヨコは窓の方へ視線を向けた。

 

「外の足音が変だ…」

 

 黒夜も耳を澄ませた。

 

 最初は、気のせいかと思うほど微かな音だった。だが、すぐに分かる。事務所の周囲を囲むように、複数の足音が動いている。規則的で、訓練された動き。適当な不良集団のものではない。

 

 黒夜はゆっくり立ち上がった。

 

 カヨコも窓際へ移動する。

 ムツキは楽しそうに目を細め、アルは早くも表情を引きつらせていた。ハルカはなぜか鞄の中に手を入れている。おそらく、取り出してはいけないものを探っている。

 

 黒夜はカーテンの隙間から外を見た。

 

 事務所の前の通り、路地の角、向かいの建物の影。

 そこに、風紀委員会の生徒たちが展開していた。

 

 しかも、ただの巡回ではない。

 明らかに包囲している。

 

「……風紀委員ですね」

 

 黒夜が言うと、アルが勢いよく窓へ近づいた。

 そして外を見た瞬間、顔色を変える。

 

「ど……どうしてここがバレたのよ!?」

 

「バレるようなことをした覚えは?」

 

「ありすぎて分からないわ!」

 

 ムツキは別の窓から外を覗き、くふふ、と笑った。

 

「あぁ~、向こうも本気みたいだね~。ヒナまで居るじゃん」

 

 その言葉に、黒夜の眉がわずかに動いた。

 

 窓の向こう、包囲の中心に近い位置。

 小柄な身体に、しかし場の空気を支配する圧。確かに、そこにはヒナがいた。隣にはアコ、少し離れてイオリ、そしてチナツの姿も見える。

 周囲には風紀委員会の生徒たちが配置され、退路を塞いでいた。

 

 どうやら本気の摘発らしい。

 

「……寄りにもよって今日なのか……」

 

 黒夜は小さく呟いた。

 

 せっかく穏やかに、アルの仕事話を聞いていただけだった。

 本当に、それだけだった。

 

 なのに、よりによって自分が便利屋68の事務所にいるタイミングで、風紀委員会が包囲してくる。

 

 ゲヘナらしい、と言えばゲヘナらしい。

 だが、もう少し空気を読んでほしかった。

 

 外では、風紀委員会の生徒が拡声器を構えている。

 

「便利屋68! こちらは風紀委員会です! 事務所は包囲されています! 大人しく出てきてください!」

 

 室内に緊張が走った。

 アルは一瞬青ざめ、それから無理やり胸を張った。

 

「ふ、ふふん……ついに来たわね、風紀委員会。だけど、この私が簡単に捕まると思ったら大間違いよ!」

 

「声が震えてるよ、アルちゃん」

 

「震えてないわ!」

 

「震えてるね」

 

「カヨコまで!」

 

 ハルカは鞄から何かを取り出しかけていた。

 

「アル様! 私がぶっ潰してきましょうか?」

 

 声はおどおどしているのに、言っていることは完全に狂犬だった。

 黒夜は反射的に手を伸ばし、ハルカの手元をそっと押さえる。

 

「ハルカさん、それは置きましょう」

 

「で、でも黒夜さん! アル様を捕まえようとするなんて、風紀委員会だろうと許せません! 私が全部、その、爆破して――」

 

「爆破はやめましょう。まだ誰もそこまで追い詰められていません」

 

「ハルカ、黒夜の言うこと聞いて」

 

 カヨコが低く言うと、ハルカはすぐに手を引っ込めた。

 

「は、はい……」

 

 カヨコは窓の外を見ながら、小さく舌打ちした。

 

「……面倒だね」

 

「カヨコさん、ヒナさんまで出てくる事に何か心当たりが?」

 

「ありすぎる」

 

「それは…すごいですね」

 

「褒めてないよね、それ」

 

「半分くらいは」

 

「残り半分は?」

 

「呆れています」

 

 カヨコは、少しだけ口元を緩めた。

 だがすぐに表情を戻す。

 

「黒夜、あんたは関係ない。こっちで何とかするから、タイミング見て逃げて」

 

「うーん…」

 

 黒夜は外を見たまま答えた。

 

「私が無関係だと説明すれば、少なくともヒナさんは分かってくれると思います」

 

「なら――」

 

「でも、それだと便利屋の皆さんは普通に捕まりますよね?」

 

 カヨコは黙った。

 アルがぎくりとする。

 

「つ、捕まるとは限らないわ! 交渉という手段もあるし!」

 

「アルちゃん、交渉得意だっけ?」

 

「得意よ!」

 

「うっそだ~!」

 

 ムツキが笑う。

 外から再び声が響いた。

 

「繰り返します! 大人しく投降してください! 抵抗する場合、実力行使に移ります!」

 

 風紀委員会の配置が少しずつ詰まってくる。

 黒夜は、静かに息を吐いた。

 

 身体はもう万全だ、ヒナとの訓練も、最近はできていなかった。

 療養明け以降、周囲は自分を過剰なほど守ろうとした。ありがたいとは思う。だが、自分の中にあるものが完全に大人しくなったわけではない。

 

 ゲヘナにいた頃の、あの感覚。

 胸の奥が、ほんの少しだけ熱を持つ。

 

 それは自己犠牲の衝動ではなかった。

 誰かのために自分を消そうとするような、あの冷たい決意ではない。

 もっと単純で、もっと荒っぽい。

 

 面倒な状況だ。

 だからこそ、少しだけ血が騒ぐ。

 

「……私が時間を稼ぐので、皆さんは逃げてください」

 

 黒夜がそう言うと、室内の空気が止まった。

 カヨコが鋭く振り返る。

 

「黒夜!」

 

「大丈夫です。ヒナさんも居ますし、酷いことにはならないでしょう」

 

「そういう問題じゃない」

 

「最近、ヒナさんと訓練してませんでしたから。腕試しで挑んできます」

 

「待って!」

 

 カヨコの声が低くなる。

 

 アルが慌てて声を上げる。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい黒夜! 客人にそんなことをさせるわけには――」

 

「アルさん」

 

 黒夜は窓の鍵に手をかけながら、振り返った。

 

「アルさんなら、逃げるタイミングを見誤らないですよね?」

 

「えっ?」

 

「カヨコさんなら分かります。ムツキさんも、ハルカさんも。皆さんなら、隙を見て逃げられるでしょう」

 

 カヨコが一歩踏み出す。

 

「黒夜、待って。あんた、また――」

 

「大丈夫です」

 

 黒夜は、今度ははっきりと言った。

 

「遊んでくるだけですよ」

 

 その言葉に、カヨコの動きが一瞬だけ止まる。

 黒夜は窓を開けた。

 

 外の空気が流れ込む。

 風紀委員会の生徒たちの声と足音が、よりはっきり聞こえた。

 

 ムツキが口笛を吹く。

 

「うわ、ほんとに行く気じゃん」

 

 ハルカが青ざめる。

 

「黒夜さん!? せめて私も一緒に――」

 

「ハルカさんはアルさんをお願いします」

 

「は、はい!」

 

 アルはまだ何か言おうとしていた。

 だが、黒夜はもう窓枠に足をかけていた。

 カヨコが最後に呼ぶ。

 

「黒夜」

 

「はい」

 

「無茶しすぎたら、怒るからね」

 

「それは怖いですね」

 

 黒夜は少しだけ笑った。

 

 そして。

 

「では、行ってきます」

 

 そう言って、黒夜は便利屋68の事務所の窓から、真っ先に外へ飛び出した。

 

 黒夜が窓から飛び出した瞬間、外の空気が肌を叩いた。

 便利屋68の事務所は、決して高層階にあるわけではない。けれど、療養明けの頃なら間違いなく止められていた高さだった。

 今の自分なら問題ない。そう判断しての行動だったが、地面が近づく一瞬だけ、胸の奥が妙に軽くなる。

 黒夜は空中で体勢を整え、建物の壁を蹴って勢いを殺した。靴底が壁面を擦り、少し遅れて地面へ着地する。衝撃が膝に伝わったが、耐えられる範囲だった。

 

 黒夜は顔を上げた。

 目の前には、風紀委員会の包囲網が広がっていた。

 

 事務所の出入口を塞ぐように展開した風紀委員会の生徒たち。路地の奥にも、建物の反対側にも配置がある。銃口は便利屋68の事務所に向いていたが、突然窓から現れた黒夜に反応し、数人が慌てて照準を移した。

 

 その中で、もっとも早く黒夜に気づいたのは、やはりヒナだった。

 

「……黒夜?」

 

 低く、鋭い声。

 

 驚きはあった。

 だが、動揺に飲まれてはいない。

 

 ヒナは一瞬で状況を見て、黒夜の着地位置、窓、事務所内の気配、風紀委員会の配置まで把握したようだった。その目が、ほんの少しだけ細くなる。

 黒夜は、困ったように笑った。

 

「奇遇ですね、ヒナさん」

 

「奇遇ですねじゃない。どうして貴方が便利屋68の事務所から出てくるの」

 

「ちょうどお邪魔していました」

 

「どうして?」

 

「カヨコさんに誘われまして」

 

「……そう」

 

 ヒナは小さく息を吐いた。

 その隣で、アコが明らかに混乱している。

 

「黒夜さん!? なぜ貴方がそこに!? いえ、そもそもなぜ便利屋68の事務所に!? まさか、便利屋68に協力を……!?」

 

「アコさん、落ち着いてください」

 

「落ち着ける状況じゃありません!」

 

 イオリも銃を構えたまま、目を見開いていた。

 

「はぁ!? アンタ、何やってるのよ! こっちは便利屋68の摘発に来たのよ!?」

 

「それは見れば分かります」

 

「分かってるならそこを退きなさいよ! なんで窓から飛び出してくるの!」

 

「ドアは包囲されていたので」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 チナツは一歩前に出かけ、しかし状況が状況だけに止まった。

 

「黒夜さん、怪我はありませんか? 着地の衝撃は? 療養後の経過を考えると、あまり無茶な動きは――」

 

「チナツさん、大丈夫です」

 

「大丈夫と言う方ほど、大丈夫ではないことがあります」

 

「そう言われてしまうと…」

 

 黒夜は苦笑した。

 風紀委員会の生徒たちの間に、ざわめきが広がる。

 包囲していたはずの相手とは別の、しかもヒナと縁のある黒夜が突然現れた。銃口を向けていいのか、保護すべきなのか、敵と見るべきなのか、判断に迷っているのが伝わってくる。

 

 その迷いこそが、黒夜の狙いだった。

 

 事務所の窓の奥では、便利屋68の面々がこちらを見ているはずだ。

 今の混乱があれば、逃げるための隙は作れる。

 

 ただし、それだけでは足りない。

 

 風紀委員会の包囲は厚い。ヒナがいる以上、半端な撹乱ではすぐに立て直される。ならば、自分がもう少し強く視線を引きつける必要がある。

 黒夜は、ゆっくりと銃を抜いた。

 風紀委員会側の空気が、一気に張り詰める。

 

 アコが目を見開いた。

 

「黒夜さん……!」

 

「すみません、アコさん」

 

 黒夜は銃口を地面へ向けたまま、静かに言った。

 

「今日は、便利屋68側です」

 

「なっ……!?」

 

 イオリが声を上げる。

 

「本気で言ってるの!? 相手は私たちよ!?」

 

「まぁ、遊びがてらお手合わせをお願いしようかと」

 

「滅茶苦茶じゃない!」

 

 ヒナは黙って黒夜を見ていた。

 

 かなり怒っている。

 それは分かる。

 

 だが、同時に、どこか確かめるような目でもあった。

 

 黒夜がなぜそこに立っているのか。

 何をしようとしているのか。

 どこまで本気なのか。

 

 それを見極めようとしている目だった。

 

「黒夜」

 

「なんでしょうか?」

 

「便利屋を逃がすつもり?」

 

 黒夜は少し笑った。

 

「…さすがに分かりますか」

 

「当たり前」

 

「では、止めますか?」

 

「止める」

 

「ですよね――」

 

 言い終えるより先に、黒夜は動いた。

 最初に撃ったのは地面だった。

 

 風紀委員会の前列の足元。銃弾がアスファルトを叩き、破片が跳ねる。狙いは生徒ではなく、足を止めるための牽制。風紀委員会の生徒たちが反射的に散開し、包囲網の一部にわずかな歪みが生まれた。

 

 黒夜はその隙へ身体を滑り込ませる。

 

「各員、距離を取りなさい!」

 

 ヒナの指示が飛ぶ。

 

 早いな。やはり、立て直しが早すぎる。

 

 黒夜は内心で苦笑しながら、次の遮蔽物へ走った。かつてヒナに叩き込まれた動き。止まらない。真正面から受けない。相手の照準が定まる前に位置を変え、次の一手を差し込む。

 

 ヒナから教わった機動戦。

 ホシノから学んだ盾の扱い方。

 その両方を、自分なりに繋いだ動き。

 

 黒夜は路上の標識を盾にしながら、風紀委員会の前進を止めるように撃つ。

 

「黒夜さん!それは敵対行動ですよ!!」

 

「敵対と言うほどでは……!」

 

 黒夜は小さく抗議したが、アコには届かなかった。

 

「十分敵対です!」

 

「じゃあそうかもしれません」

 

「認めるの!?」

 

 イオリの叫びが聞こえた。

 その直後、便利屋68の事務所側から銃声が響いた。

 

 ムツキの楽しそうな声が混ざる。

 

「くふふ、黒夜だけにいいところ持っていかせるわけにはいかないよね〜!」

 

 窓から飛び出すようにして、ムツキが援護射撃を始めた。狙いは的確というより、相手の動きを乱すための派手な弾幕。風紀委員会の生徒たちがそちらへ反応する。

 

 続いて、ハルカが顔を出した。

 

「アル様の邪魔をする人は、全員まとめて――!」

 

「ハルカ、爆発物は駄目!」

 

 カヨコの声が即座に飛ぶ。

 

「は、はい!」

 

 ハルカは爆発物らしきものを引っ込め、代わりに銃を構えて乱射した。おどおどしているはずなのに、火力だけは妙に容赦がない。

 アルも出てきた。

 最初の慌てぶりが嘘のように、彼女は堂々と窓枠に立ち、銃を構える。

 

「ふふん! 風紀委員会ごときに、この私が怯むと思ったら大間違いよ!」

 

「アルちゃん、さっきすごく慌ててたよね」

 

「ムツキ! 今はそういうこと言わない!」

 

 それでも、アルの声には覚悟があった。

 

 逃げるだけではない。

 黒夜を置いて、自分たちだけ安全な場所へ行くつもりはない。

 黒夜は、それを感じて少しだけ笑った。

 

 やっぱり、アルさんは社長ですね。

 

 だが、同時に思う。

 

 だからこそ、逃がさなければならない。

 黒夜は風紀委員会の視線を引きつけるように、さらに前へ出た。イオリがすぐに反応し、銃口を向ける。

 

「黒夜! そこをどきなさい!」

 

「お断りです」

 

「即答するな!」

 

「すみません」

 

「謝るくらいならどいて!」

 

 イオリの射撃は鋭い。黒夜は横へ跳び、弾道を避けながら路肩に転がる。起き上がると同時に牽制を返し、イオリの追撃を一瞬だけ遅らせた。

 

 その間に、カヨコが動いていた。

 

 派手な援護をしているアルたちの後ろで、彼女だけは冷静に退路を見ている。

 右の路地は封鎖。

 正面はヒナ。

 左の狭い通路には風紀委員会の生徒が二人。

 

 黒夜はそこを見た。

 そして、カヨコと目が合った。

 

 言葉はない。

 

 だが、カヨコはすぐに理解した。

 

 黒夜が次に開ける場所。

 そこが、便利屋68の逃げ道になる。

 

 カヨコの表情が一瞬だけ歪む。

 

 怒っているのか、呆れているのか。

 たぶん、その両方だった。

 

 黒夜は小さく頷いた。

 

 その瞬間、ヒナが動いた。

 

 黒夜の視界から消えるように低く踏み込み、次の瞬間には目の前にいた。速い。相変わらず、速すぎる。黒夜は反射的に後ろへ下がりながら銃を向けるが、ヒナはその照準の外側へ滑るように回り込む。

 

「黒夜」

 

 声が近い。

 

「…っ!」

 

「遊びのつもり?」

 

「少しだけ…」

 

「……本当に、貴方は」

 

 ヒナの銃撃が来る。

 黒夜は身をひねって避ける。完全には避けきれず、制服の肩口を弾が掠めた。熱が走る。だが、足は止めない。止めた瞬間、捕まる。

 

 黒夜は路上の看板を蹴り倒し、ヒナとの間に障害物を作った。

 同時に左の通路へ向けて牽制射撃。

 

 風紀委員会の二人が足を止める。

 

 カヨコが動いた。

 

「社長、行くよ!」

 

「え?」

 

「逃げるよ」

 

「で、でも黒夜が――」

 

「合図は出した。あいつはそのために前に出てる」

 

 アルは一瞬、黒夜を見た。

 黒夜はヒナの攻撃を受け流しながら、視線だけで答えた。

 

 行ってください。

 

 そう言ったつもりだった。

 アルの顔が変わる。

 震えや迷いが消え、代わりに社長としての意地が浮かぶ。

 

「……逃げるわけないでしょ」

 

「社長」

 

「でも、ここで全員捕まったら、それこそ黒夜の作った隙が無駄になる」

 

 アルは銃を構え直し、一度だけ黒夜へ向けて叫んだ。

 

「黒夜! 後で絶対文句言うからね!」

 

「了解しました!」

 

「返事が素直すぎるのよ!」

 

 ムツキが笑う。

 

「くふふ、じゃあ撤退戦だね」

 

「アル様の退路は私が切り開きます!」

 

「ハルカ、やりすぎないでね」

 

「は、はい!」

 

 便利屋68は、カヨコの誘導で左の通路へ走った。

 風紀委員会の生徒たちが追おうとする。黒夜はその進路へ割り込み、銃撃で足を止める。さらにムツキが投げた小型の煙幕が弾け、周囲に白い煙が広がった。

 

「煙幕です! 便利屋68、左路地へ逃走!」

 

 アコの声が飛ぶ。

 

「追撃を――」

 

「待って」

 

 ヒナが言った。

 

 その一言で、風紀委員会の動きが止まる。

 

 黒夜は煙の向こうで、わずかに息を整えた。

 体力はまだ十分。だが、ヒナとやり合うには足りない。分かっていた。最初から勝つつもりはない。勝つ必要もない。

 

 必要なのは、彼女達が逃げ切るまでの時間。

 

 もう十分だ。

 

 なら、最後にもう少しだけ。

 黒夜は煙の中から飛び出した。

 ヒナは、当然のように待っていた。

 

 銃口が黒夜を捉える。

 黒夜は真正面から向かわず、右へ滑る。ヒナの射撃が地面を穿ち、黒夜はその反動の隙に踏み込んだ。距離を詰めれば、少しは可能性がある。黒夜はそう考えた。

 

 だが。

 

「甘い」

 

 ヒナの声がした。

 次の瞬間、黒夜の腕が取られていた。

 

「……っ」

 

 視界が回る。

 足を払われたのだと理解した時には、黒夜の身体はすでに地面へ崩されていた。銃を持った手首を押さえられ、背中に軽く膝を当てられる。痛みはあるが、怪我をさせるほどではない。

 完全に、勝負は決した。

 

 ヒナの動きは無駄がなかった。

 そして、どこまでも正確に加減されていた。

 

「やっぱり、まだまだ私では勝てませんね」

 

 黒夜が地面に伏せたまま言うと、ヒナは盛大にため息をついた。

 

「勝てると思っていたの?」

 

「それはまぁ…」

 

「本当に?」

 

「……一割くらいは」

 

「私も舐められたものね」

 

 ヒナは黒夜の首根っこを掴むようにして引き起こした。

 その時、黒夜は視線だけを路地の方へ向けた。

 

 カヨコがいた。

 

 煙の向こう、建物の角。

 彼女は一瞬だけこちらを見ていた。

 

 黒夜は、申し訳なさそうに目を閉じた。

 

 やっぱりヒナさんには勝てなかったよ。

 

 カヨコは舌打ちするように口元を動かした。

 

 聞こえはしなかった。

 だが、たぶんこう言っていた。

 

 黒夜、後で説教。

 

 次の瞬間、カヨコはアルたちと共に路地の奥へ消えた。

 結果として便利屋68は逃げ切った。

 

 

「黒夜」

 

 ヒナの声が低くなる。

 

「今、便利屋68を逃がしたでしょ?」

 

「…」

 

「黙秘権は無いわよ」

 

「部分的には…そう」

 

「一発殴るわよ」

 

「はい。逃がしました」

 

 黒夜は素直に認めた。

 アコが頭を抱える。

 

「な、なんということを……! 黒夜さん、あなたという人は……!」

 

 イオリは完全に呆れていた。

 

「ほんと何してんのよ、アンタ……風紀委員会相手に時間稼ぎって……」

 

 チナツは黒夜の肩口を見て、眉を寄せる。

 

「肩、掠っています。すぐに手当てをしますね」

 

「大したことありませんよ」

 

「そういう自己判断は信用できません」

 

「……お願いします」

 

 黒夜が素直に頷くと、チナツは少しだけ安心したように息を吐いた。

 ヒナは黒夜の襟首を掴んだまま、もう一度深くため息をつく。

 

「やっぱり貴方も、根っこはゲヘナ生ね」

 

 その言葉に、黒夜は少しだけ笑った。

 

 責められているのは分かっている。

 怒られているのも分かっている。

 

 それでも、その言葉はどこか温かかった。

 

「そうですよ。私の原点ですからね」

 

 ヒナは黙った。黒夜を見る目が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 けれど、その柔らかさはすぐに消えてしまった。

 ヒナはまたいつもの風紀委員長の顔に戻り、黒夜の襟首を離さないまま言う。

 

「はぁ……罰として、今日一日、私の補佐として書類仕事を手伝いなさい」

 

「わかりました」

 

 黒夜は即答した。

 あまりにも素直な返事に、ヒナが少しだけ目を瞬かせる。

 

「……嫌がらないの?」

 

「ヒナさんの補佐なら、慣れていますから」

 

「罰のつもりだったのだけど」

 

「では、きちんと罰として働きます」

 

「貴方ね……」

 

 ヒナは困ったように眉を下げた。

 けれど、黒夜が穏やかに笑っているのを見ているうちに、その表情も少しずつ緩んでいく。

 

 風紀委員会の生徒たちは、便利屋68を取り逃がしたことで慌ただしく報告を続けていた。アコは「次こそ必ず摘発します」と何かの書類に書き込み、イオリは「絶対あいつらまたやらかすわ」とぼやいている。チナツは黒夜の肩の手当てをするため、すでに医療キットを取り出していた。

 

 その中で、ヒナだけが黒夜を見ていた。

 

「次からは、せめて先に事情を説明して」

 

「次がある前提なんですね」

 

「ゲヘナだからね」

 

 黒夜は一瞬黙り、それから小さく笑った。

 

「……そうですね」

 

 ヒナも、ほんの少しだけ笑った。

 騒がしくて、面倒で、すぐに銃声が響いて、どうしようもなく落ち着かない場所。

 

 それでもここは、黒夜の原点だった。

 そして、その原点に戻ってきた黒夜は、首根っこを掴まれたまま、今日一日分の書類仕事という罰を受けることになった。

 遠くの路地の奥では、逃げ切った便利屋68の誰かが、盛大にくしゃみをしている気がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。