ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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鳥と狐と狼

 シャーレの自動扉が開いた時、黒夜は少しだけ首を傾げた。

 

 いつもなら、入ってすぐに先生の気配がある。書類の山に埋もれているか、生徒からの連絡に追われているか、あるいは何かしらの案件に巻き込まれて疲れた顔をしているか。

 どれにせよ、シャーレの中には大抵、慌ただしさが残っているものだった。

 

 けれど今日は、それが無い。

 

 受付の周辺も静かで、奥の執務室からも声が聞こえない。

 黒夜は手にしていた当番用の資料を抱え直し、廊下の奥へ視線を向けた。

 

「……先生?」

 

 呼んでみるが、返事はない。

 当番日を間違えたわけではないはずだ。モモトークの予定も確認してきたし、先生からも特に変更の連絡は来ていない。だが、肝心の先生の姿がない。

 黒夜は執務室の入口から中を覗き込んだ。

 

 机の上には書類がある。

 ただし、いつものような絶望的な山ではない。むしろかなり整理されていて、処理済みの束と未処理の束が綺麗に分けられている。飲みかけのコーヒーもない。椅子も空だ。

 

「外出中でしょうか……」

 

 黒夜が小さく呟いた、その時だった。

 

「彼なら、さっき緊急の案件か何かで出ていったよ」

 

 背後から声がした。

 黒夜は振り返る。

 そこにいたのは、プレ先だった。

 

 先生と同じ顔。

 けれど、纏う空気は少し違う。

 

 穏やかではあるが、どこか静かに沈んでいるような、遠い場所を知っている者の落ち着きがある。今ではシャーレに所属する二人目の先生として過ごしているが、その存在に黒夜が完全に慣れたかといえば、まだ少し不思議な感覚があった。

 

「プレ先さん。おはようございます」

 

「おはよう、黒夜。今日は当番だったね」

 

「はい。先生がいないようでしたので、少し探していました」

 

「急ぎの連絡が入ったみたいでね。出ていく時も、少し慌ただしかったよ」

 

「そうでしたか」

 

 黒夜は手元の資料に視線を落とす。

 

「では、先に書類を確認しておきましょうか。先生が戻ってきた時にすぐ――」

 

「それに、書類ならもう大体片付いてるから、君も今日は自由に過ごしていて構わないよ」

 

 プレ先は、何でもないことのように言った。

 黒夜は数秒ほど固まる。

 

「……大体、片付いているのですか?」

 

「……先生とプレ先さんが二人いると、書類処理速度も二倍になるんですね」

 

「実際には、彼の方が生徒対応でよく捕まるから、完全に二倍とはいかないけどね」

 

 プレ先は少しだけ笑った。

 

 黒夜は机の上をもう一度見る。確かに未処理の書類はあるが、当番として一日かけて片付けるほどではない。

 むしろ、今無理に手を付けると、先生がどの順番で処理するつもりだったのか分からなくなる可能性すらある。

 

 そういう事なら、と黒夜は軽く息を吐いた。

 

「今日はゆったり過ごしましょうか」

 

「そうした方がいい。君は、暇があるとすぐ仕事を探すからね」

 

「……うぐ」

 

「そこで否定できるようになったら、もう少し安心できるんだけどね」

 

 プレ先の声は穏やかだった。責めるというより、静かに見守るような響きがある。

 黒夜は少し困ったように笑い、資料を机の端に置いた。

 

「では、休憩にします。プレ先さんも何か飲みますか?」

 

「じゃあ、コーヒーを頼もうかな」

 

「分かりました。……私も久しぶりにコーヒーにしますか」

 

 療養明けの頃は、カフェインを控えるように言われていた時期もあった。今はもう問題ないと言われているが、何となく紅茶を選ぶことが増えていた。久しぶりにコーヒーを淹れるのも悪くない。

 

 黒夜は給湯スペースへ向かい、棚から豆を取り出す。シャーレには色々な生徒が出入りするせいか、飲み物の種類だけは妙に豊富だった。

 先生の私物、誰かの差し入れ、いつの間にか置かれていたもの。正直、管理している先生も全てを把握しているのか怪しい。

 

 黒夜が豆を挽こうとした時だった。

 

『ん、なら私はダークモカチップフラペチーノ』

 

 唐突に、横から声がした。

 黒夜の手が止まる。

 視線を向けると、いつの間にかシロコ*テラーがそこにいた。

 シャーレの壁際に、まるで最初からそこにいたかのように立っている。

 

 黒夜は数秒だけ彼女を見つめ、それから軽く肩を落とした。

 

「さすがにそれは作れませんね」

 

『冗談、私もコーヒーでお願い』

 

「かしこまりました」

 

 黒夜が素直に答えると、シロコ*テラーは満足そうに小さく頷いた。

 プレ先は少し離れた場所から、そのやり取りを眺めている。

 

「馴染んできたね」

 

「私がですか?」

 

「君も、シロコも」

 

 黒夜はコーヒー豆を挽きながら、シロコ*テラーを見る。

 シロコ*テラーは特に何も言わず、近くの椅子に腰を下ろしていた。表情はいつも通り淡々としている。けれど、以前のような張り詰めた冷たさばかりではない。

 

「この世界のシロコさんとは、上手くやれていますか?」

 

『ん、問題ない』

 

「それならよかったです」

 

『ただ、よわシロコはすぐに調子に乗る』

 

「相変わらず酷い言いようですね」

 

『よわシロコだからしょうがない』

 

 黒夜は思わず苦笑した。

 

「この世界のシロコさんが聞いたら、また言い返されますよ」

 

『言われたら、叩き潰すだけ』

 

「……喧嘩するほどって奴ですかね」

 

『ん、たぶん』

 

 たぶん、と言いながら、シロコ*テラーの声はほんの少し柔らかかった。

 

 コーヒーが落ちる音が、静かなシャーレの一角に響く。

 香ばしい匂いが広がり、黒夜は三つのカップにコーヒーを注いだ。

 

 一つをプレ先へ。

 一つをシロコ*テラーへ。

 そして一つを自分の前に置く。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

『ん。ありがとう』

 

 三人は、休憩スペースのテーブルを囲むように座った。

 先生がいないシャーレは、少し不思議な静けさがある。けれど、プレ先とシロコ*テラーがいるせいか、寂しいというほどではない。

 黒夜はカップに口をつける。

 

 久しぶりのコーヒーは、少し苦かった。

 けれど、悪くない。

 

「……たまにはいいですね」

 

「コーヒー?」

 

「はい。少し前まで控えていたので」

 

「身体の調子は?」

 

「問題ありません。無理をしなければ、ですが」

 

『黒夜の無理しないは信用できない』

 

「シロコさんまでそう言いますか」

 

『事実』

 

 プレ先も静かに頷く。

 

「私も同意見だね」

 

「プレ先さんまで」

 

「君は前科が多い」

 

「……返す言葉がありません」

 

 黒夜はカップを置いた。

 

 責められているのではないと分かっている。

 それでも、こうして周囲に釘を刺されることが増えた。以前なら少し窮屈に感じたかもしれない。けれど今は、その心配がどこから来ているのか分かっている。

 

 だから、困りはするが、嫌ではない。

 

 シロコ*テラーはコーヒーを一口飲み、少しだけ目を細めた。

 

『苦い』

 

「砂糖を入れますか?」

 

『入れる』

 

「どうぞ」

 

 黒夜が角砂糖を渡すと、シロコ*テラーは一つ、二つと入れた。三つ目に手を伸ばしたところで、プレ先が少しだけ眉を上げる。

 

「入れすぎじゃないかな」

 

『これくらいがいい』

 

「シロコがいいならいいけど…」

 

 プレ先はそれ以上止めなかった。

 

 黒夜はその様子を見て、少しだけ笑う。

 

 この二人の距離も、少しずつ変わっているのだろうと思った。

 

 プレ先は、かつて別の世界で先生だった人。

 シロコ*テラーは、その世界の終わりを背負ってきた生徒。

 

 この世界に来て、全てがすぐに癒えるわけではない。けれど、今こうして同じテーブルでコーヒーを飲んでいる。その事実だけでも、以前からすればずいぶん遠くまで来たように感じられた。

 

「アビドスでは、最近何かありましたか?」

 

 黒夜が尋ねると、シロコ*テラーは少し考えた。

 

『よわシロコが、私の分のパンを食べた』

 

「それは事件ですね」

 

『ん、重大』

 

 黒夜が真面目に返すと、シロコ*テラーは小さく頷いた。

 

『だから、私もよわシロコの分のパンを食べた』

 

「報復が早いですね」

 

『等価交換』

 

「本当に等価でしたか?」

 

『たぶん』

 

 プレ先が、カップを片手に薄く笑う。

 

「アビドスらしいね」

 

「プレ先さんも馴染んできましたね」

 

「そうかな?」

 

「以前より、少し楽しそうに見えます」

 

 黒夜がそう言うと、プレ先は一瞬だけ黙った。

 そして、静かに目を伏せる。

 

「……そう見えるなら、私も馴染んできたのかな」

 

 その声は、ほんの少しだけ寂しそうだった。

 それを察した黒夜は、それ以上踏み込まなかった。

 

 代わりに、コーヒーをもう一口飲む。

 シロコ*テラーも、砂糖でかなり甘くなったらしいコーヒーを淡々と飲んでいる。

 

 穏やかな時間だった。

 少なくとも、その時点では。

 シャーレの入口の方で、何かが激しく開く音がした。

 

 黒夜が顔を上げる。

 プレ先も視線だけを動かす。

 シロコ*テラーの耳が、ぴくりと揺れた。

 

 次の瞬間、足音が三つ、こちらへ一直線に近づいてくる。

 黒夜は嫌な予感を覚えた。

 

「……この足音には心当たりがあります」

 

「そうみたいだね」

 

『…来るよ』

 

 シロコ*テラーがカップを置く。

 ほぼ同時に、休憩スペースの入口に三人の姿が現れた。

 

 ナギサ*テラーはいつものように丁寧な微笑みを浮かべているが、目がまったく笑っていない。

 ミカ*テラーは黒夜を見つけた瞬間、ぱっと表情を明るくした。

 セイア*テラーは静かに周囲を確認し、黒夜、プレ先、そしてシロコ*テラーへ順番に視線を向ける。

 

 黒夜はカップを持ったまま、そっと息を吐いた。

 

「皆さん……どうしてこちらに?」

 

 ナギサ*テラーが、一歩前へ出る。

 

『黒夜さんがシャーレにいらっしゃると聞きまして』

 

「今日は当番ですからね」

 

『ええ。存じています』

 

「では、なぜそのように急いで……」

 

 ミカ*テラーが、黒夜の言葉を遮るように前へ出た。

 

『黒夜、会いに来たよ!』

 

「それは……ありがとうございます」

 

『あと、コクヤニウム足りなくなったからハグさせて!』

 

「遠慮させてもらいますね」

 

 黒夜は困ったように繰り返した。

 

 セイア*テラーは、静かに微笑む。

 

『君がシャーレで穏やかに過ごしている未来が見えたのでね。ならば、私たちもその場に居るべきだろう?』

 

「その理屈は理解できないですね」

 

『そうかい?』

 

 黒夜が真面目に答えると、セイア*テラーは特に反論しなかった。

 ただ、笑みだけが少し深まる。

 

 その横で、シロコ*テラーが立ち上がった。

 

『ん、黒夜は今、私と先生とコーヒーを飲んでたの』

 

 ナギサ*テラーの目が、ゆっくりとシロコ*テラーへ向く。

 

『そうですか』

 

『ん、そう』

 

 ミカ*テラーがシロコ*テラーを見る。

 

『え、ずるくない? 黒夜とコーヒー? 私たち呼ばれてないよ?』

 

『呼んでない』

 

『なんで!?』

 

『黒夜がここに来た、そこに私が居ただけ』

 

『それは理由になってないよ!』

 

 シロコ*テラーは淡々と答える。

 

『出遅れる方が悪い』

 

 黒夜は、カップをそっとテーブルに置いた。

 プレ先が隣で静かにコーヒーを飲んでいる。

 

「プレ先さん」

 

「何かな?」

 

「止めて頂けませんか?」

 

「今止めると、君がどちらにつくか聞かれると思うよ」

 

「……」

 

「もう少し見守ろうか」

 

「先生らしからぬ判断では?」

 

「この世界に来てから学んだことがある。すぐ止めると、かえって長引く騒ぎもある」

 

「嫌な学びですね」

 

 黒夜が小さく呟くと、プレ先は少しだけ笑った。

 その間にも、テラー達の視線はぶつかっていた。

 

 ナギサ*テラーが静かに言う。

 

『黒夜さんは、私たちと過ごすべきです。最近、私たちとの時間が明らかに不足しています!』

 

『そうだよ! コクヤニウムが足りないの!』

 

「その栄養素はまだ存在しているんですね……」

 

 黒夜が思わず呟く。

 セイア*テラーは黒夜を見ながら言った。

 

『君がどこで過ごしても構わない。けれど、私たちが確認できる場所にいてくれる方が望ましい』

 

「それは構わないと言えるのでしょうか?」

 

『君の自由意思は認めているだろう?』

 

「そうですか……」

 

 シロコ*テラーは、短く首を横に振る。

 

『ん、今日はシャーレの日』

 

 ナギサ*テラーが微笑む。

 

『シャーレの日、という区分は初耳ですね』

 

『今決めた』

 

『随分と勝手ですね』

 

『三人で黒夜を囲う方が勝手だと思うけど』

 

『囲ってなどいません。見守っているだけです』

 

『包囲に見える』

 

『貴女にだけは言われたくありません』

 

 静かだが、圧があるやり取りだった。

 黒夜はそっとプレ先を見る。

 

「本当に止めなくていいのでしょうか」

 

「まだ大丈夫だと思う」

 

「どの辺りがですか?」

 

「誰も武器を出していない」

 

「判断基準が物騒ですね」

 

『黒夜!』

 

 不意に、四人分の視線が黒夜へ向いた。

 

 黒夜は固まる。

 

 プレ先は、なぜか少しだけ楽しそうにカップを置いた。

 

 ナギサ*テラーが丁寧に言う。

 

『黒夜さん。こうなっては埒が明きません!』

 

 ミカ*テラーが両手を握りしめる。

 

『だから黒夜が決めて!』

 

 セイア*テラーが静かに告げる。

 

『今日、君はどちらと過ごすのか』

 

 シロコ*テラーが短く続ける。

 

『黒夜はどっちがいいの?』

 

 黒夜は、心の底から思った。

 

 (どうしてこうなった!?)

 

 プレ先とシロコ*テラーと三人で、久しぶりにゆっくり過ごしていただけなのに。

 問題は、そこへ黒いティーパーティーの三人が突撃してきたことだった。

 そして今、彼女達はなぜか黒夜を巡って対立している。

 

 黒夜は、そっと横を見る。

 

 プレ先はカップを片手に、静かにその様子を眺めていた。止める気配はない。むしろ、少し楽しんでいるようにさえ見える。

 

「プレ先さん」

 

「何かな?」

 

「助けてくれませんか?」

 

「男の子だろう? 頑張るんだ」

 

「うーん厳しいな」

 

 でもそれは、そうかもしれない。

 黒夜は反論できず、もう一度前を向いた。

 

 ナギサ*テラーが、丁寧な微笑みを浮かべたまま口を開く。

 

『黒夜さん。難しく考える必要はありません。今日は私たちと過ごす。そう仰ってくだされば、それで済む話ですから』

 

 済むだろうか。

 少なくとも、シロコ*テラーは納得しなさそうだった。

 案の定、シロコ*テラーは短く首を横に振る。

 

『済まない』

 

『なぜですか?』

 

『黒夜はシャーレに来た。だから今日はシャーレの日』

 

『ですから、その区分は貴女が今作ったものでしょう』

 

『決めたからには有効』

 

『横暴ですね』

 

『三人で黒夜を独占する方が横暴』

 

 ナギサ*テラーの微笑みが、少しだけ深くなった。

 黒夜は、あまり良くない兆候だと思った。

 

 ミカ*テラーが黒夜の方へ一歩近づく。

 

『黒夜、お願い! 私たちと一緒にいよ? 最近ほんとに黒夜が足りないの!』

 

「足りないと言われましても……私はそれなりに皆さんと会っていると思うのですが」

 

『足りないものは足りないの!』

 

「そうですか……」

 

 理屈ではなかった。

 ミカ*テラーに関しては、最初から理屈でどうにかするべきではないのかもしれない。

 

 セイア*テラーは、静かに黒夜を見つめていた。

 

『君が私たちを選んでくれるなら、今日一日は穏やかに過ごせると思うよ』

 

「それは、私が選ばなかった場合は穏やかではなくなるという意味でしょうか」

 

『そこまでは言っていない』

 

「ですが、大分含みがありますよね?」

 

『君は鋭いね』

 

 黒夜は少しだけ肩を落とした。

 シロコ*テラーが、すっと黒夜の横へ移動する。

 その動きに、ミカ*テラーがすぐ反応した。

 

『ちょっと、近くない!?』

 

『ふっ』

 

『!?』

 

『黒夜はさっきまで私と先生とコーヒーを飲んでいた。だから継続中』

 

『継続中ってなに!?』

 

『休憩時間はまだ終わってない』

 

 ミカ*テラーは、むっと頬を膨らませる。

 ナギサ*テラーは静かにシロコ*テラーを見る。

 

『つまり、貴女は先に黒夜さんと時間を過ごしていたにもかかわらず、まだ譲らないと?』

 

『譲らない』

 

『それは欲張りではありませんか?』

 

『三人いる方が欲張り』

 

 空気が、また一段重くなる。

 黒夜はプレ先へ視線を送った。

 プレ先は、カップを置いて小さく笑った。

 

「大丈夫まだ会話で済んでいる」

 

「プレ先さんの“大丈夫”も、少し信用できなくなってきました」

 

 黒夜の訴えは、どこか虚しく空気に溶けた。

 テラー達はすでに、それぞれの主張を積み上げ始めている。

 

『まず、黒夜さんは私たちと過ごす方が自然です。私たちは黒夜さんをよく理解していますし、黒夜さんが無理をしそうになった時、適切に止められます』

 

「う~ん?」

 

『必要であれば拘束も辞しません』

 

「物騒なワードが聞こえてきましたね」

 

 ナギサ*テラーは、悪びれもしなかった。

 ミカ*テラーが胸を張る。

 

『それに、私たちは三人いるし!』

 

「人数の問題なのでしょうか」

 

『三人いたら黒夜をいっぱい構えるでしょ!』

 

『それに羽もあるよ!』

 

 ミカ*テラーは、自分とナギサ*テラーの羽を指差す。

 

『ミカさん。私の羽を交渉材料に使わないでください』

 

『でも強いよ? 羽って特別感あるし!モフモフだよ?』

 

『否定はしませんが』

 

 否定はしないらしい。

 セイア*テラーが、静かに付け加える。

 

『それなら狐耳もいるよ?』

 

 黒夜はセイア*テラーを見る。

 

「黒セイア様まで乗るのですか?」

 

『交渉材料は多い方がいい。君が選ぶには、判断材料が必要だろう?』

 

「耳や羽で判断する話ではないと思いますが…」

 

 シロコ*テラーが、そこで一歩前へ出た。

 

『ん、甘いね』

 

 全員の視線が、彼女へ向く。

 シロコ*テラーは淡々と言った。

 

『私は狼耳だから、鳥も狐も狼には勝てない』

 

 黒夜は、一瞬だけ言葉を失った。

 理屈として成り立っているようで、何一つ成り立っていない。

 

 ミカ*テラーの目が、すっと細くなる。

 

『あ?』

 

 シロコ*テラーの耳が、ぴくりと揺れた。

 

『ん?』

 

 ナギサ*テラーの微笑みが、さらに圧力を帯びる。

 

『今の発言は、少し聞き捨てなりませんね』

 

 セイア*テラーも、静かに目を細める。

 

『私たちを鳥と狐に一括りにして負け扱いとは、なかなか豪胆な未来を選んだね』

 

『ん、事実』

 

『事実ではありません』

 

『狼は強い』

 

『強さの話なら、私も負けないよ!?』

 

『この世界くらい、五分もあれば粉々に出来るし!』

 

『そのぐらい私も出来る』

 

「二人ともやめてくださいね!」

 

 黒夜が即座に言う。

 

『じゃあ黒夜が逃げなければいいんだよ』

 

「別に逃げていないでしょう」

 

『じゃあ、私たちといてよ』

 

「話が戻りましたね」

 

 黒夜は額に手を当てた。

 どう考えても、このままでは平行線だ。

 

 ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラーの三人は、自分たちの側に黒夜を引き入れたい。

 シロコ*テラーは、シャーレに来た以上こちら側だと主張している。

 

 どちらかを選べば、選ばれなかった方が不満を持つ。

 選ばなければ、今のまま続く。

 ならば、角が立たない答えを探すしかない。

 

 黒夜は慎重に息を吐いた。

 

「皆さん」

 

 四人の視線が向く。

 

「私は、どちらが優れているかで皆さんを見ているわけではありません」

 

『黒夜さん』

 

『黒夜……』

 

『君らしい答えだ』

 

『ん』

 

 少しだけ空気が緩んだ気がした。

 黒夜は、このまま収められるかもしれないと思った。

 

「羽も、狐耳も、狼耳も、それぞれ個性だと思います。ですから、どちらが良いという話ではありません――」

 

 そこで黒夜は、少しだけ言葉を探した。

 探した結果、なぜか余計なことを言った。

 

「それに、私はどちらかというと、猫耳の方が――」

 

 時間が止まった。

 黒夜は、言い終える前に気づいた。

 

 非常にまずい。

 

 ナギサ*テラーの微笑みが消えた。

 ミカ*テラーが固まった。

 セイア*テラーが、ゆっくりと目を閉じた。

 シロコ*テラーの耳が、ぴたりと止まった。

 プレ先が、隣で小さく息を呑んだ。

 

 違う、今のは驚いたのではない。

 笑いを堪えた音だった。

 

 黒夜は、そっとプレ先を見る。

 プレ先は口元を押さえていた。

 黒夜は、嫌な予感を覚えた。

 ナギサ*テラーが、一歩前に出る。

 

『黒夜さん……今、あなたはここにいる全員を敵に回しましたね……』

 

「そ、そういうつもりでは!」

 

 ミカ*テラーが涙目で詰め寄る。

 

『黒夜!? 私たちの前でそれ言う!? 私たち、こんなに黒夜のこと好きなのに!?』

 

「すみません、反射的に…」

 

『反射で猫耳って言ったの!?』

 

「いえ、好みの話になったので、カヨコさんの影響で猫好きですし…つい……」

 

『黒夜のバカーー!!』

 

 セイア*テラーが静かに首を傾げる。

 

『なるほど。君はこの場で、鳥でも狐でも狼でもなく、ここにいない猫を選んだわけだ』

 

「選んだというほどでは」

 

『未来には、言い訳が通じない場面がある』

 

「今がそれですか!?」

 

『そうだね』

 

 シロコ*テラーが、無言で一歩近づいた。

 黒夜は椅子に座ったまま、少しだけ後ろへ下がる。

 

『ん、今から襲うね』

 

「なんで!?」

 

『狼耳を否定された』

 

「否定していません!」

 

『猫耳がいいと言った』

 

「それは好みの傾向の話であって、皆さんを否定したわけでは――」

 

『言い訳は良くない』

 

「言い訳ではなく!」

 

 黒夜が必死に弁明していると、横から低く笑う声が聞こえた。

 

「プッククク……」

 

 プレ先が、肩を震わせて笑っていた。

 

「いや、ごめん。今のは黒夜が悪いよ」

 

「貴方まで!?」

 

「だって、羽と狐耳と狼耳で揉めているところに、猫耳が好きですは……さすがに擁護できないよ」

 

「私はそこまで直接的に好きとは」

 

「意味は同じだね」

 

「味方が消えちゃいました」

 

 黒夜は愕然とした。

 

 プレ先はまだ笑っている。

 助ける気配はない。

 

 むしろ、今の一言でテラー達の怒りに正当性を与えてしまった。

 

 ナギサ*テラーが、ゆっくりと黒夜の右側へ回る。

 

『黒夜さん。まずは発言の撤回を求めます』

 

「勿論、撤回します!」

 

『早いですね』

 

「今、撤回するべきだと思いました!」

 

『では、誰が良いのですか?』

 

「またその質問に戻るのですか…?」

 

 ミカ*テラーが左側へ回る。

 

『黒夜、私たちのこと嫌いになったわけじゃないよね?』

 

「もちろんです。嫌いなわけがありません」

 

『じゃあ好き?』

 

「ええと……」

 

『好き?』

 

「……大切に思っています」

 

『逃げた!』

 

「逃げていません!」

 

 セイア*テラーは、黒夜の正面に立った。

 

『君は言葉を選ぶのが上手い。だが、時々決定的に選び方を間違える』

 

「今、まさにそれを痛感しています」

 

『なら学習しよう。今後、私たちの前で猫耳の話は禁止だ』

 

「はい」

 

 シロコ*テラーが、黒夜の背後へ回った。

 退路が消えた。

 

『ん、捕まえた』

 

「私はこれからどうなるのでしょうか?」

 

『想像してみたら?』

 

 四方向を塞がれた黒夜は、完全に身動きが取れなくなった。

 ナギサ*テラーからは丁寧に圧をかけられ、ミカ*テラーは涙目で黒夜の袖を掴み、セイア*テラーは逃げ道を読むように静かに立ち、シロコ*テラーは背後で淡々と待機している。

 プレ先は、その光景を眺めながらコーヒーを飲んでいた。

 

「平和だね」

 

「一人の生徒が死にかけてますよ?」

 

「少なくとも、誰も世界を壊そうとはしていない」

 

「基準が重すぎる!」

 

「でも、間違ってはいないだろう?」

 

 黒夜は何も言えなくなった。

 確かに、間違ってはいない。

 

 かつて彼女達は、黒夜を失った世界から来た。

 黒夜の喪失によって壊れ、反転し、テラーとなった存在だった。

 

 その彼女達が今、黒夜を巡って耳や羽の優位性を主張し、黒夜の猫耳発言に怒っている。

 そう考えれば、これは確かに平和なのかもしれない。

 

 平和の形として、かなり危なっかしいが。

 黒夜はため息をつき、それから少しだけ表情を緩めた。

 

「……分かりました。では、こうしましょう」

 

 四人の視線が再び黒夜に集まる。

 

「今日は、皆さんでお茶にしませんか。私が淹れますので」

 

 最初に反応したのは、ナギサ*テラーだった。

 

『黒夜さんが淹れてくださるのですか?』

 

「もちろん」

 

 ミカ*テラーの表情が、一気に明るくなる。

 

『黒夜とお茶!? 飲む飲む!』

 

 セイア*テラーも静かに頷く。

 

『それなら、争う理由はないね』

 

「切り替えが早いですね」

 

『君が逃げないなら、それでいい』

 

 シロコ*テラーは短く言った。

 

『私も飲む』

 

「コーヒーを飲んだばかりでは?」

 

『別腹』

 

「飲み物にも別腹があるんですか」

 

『ある』

 

 シロコ*テラーがそう言うなら、あるのかもしれない。

 黒夜は立ち上がろうとした。

 だが、四人共離れようとしない。

 

「……皆さん、少し離れていただけますか?」

 

『黒夜さんがまた猫耳などと言い出さないよう、見張る必要があります』

 

「もう言いませんよ!」

 

『黒夜、ほんとに逃げない?』

 

「逃げません」

 

『未来を確認するまでもなく、今の君には逃げ道がないからね』

 

「わかっています」

 

『黒夜、早く淹れて』

 

「マイペースですね」

 

 結局、黒夜は四人に囲まれたまま、お茶を淹れることになった。

 プレ先は、少し離れた席で静かにその様子を見ている。

 

 黒夜は湯を注ぎながら、小さく呟いた。

 

「……本当に、距離が近いですね」

 

 ナギサ*テラーが微笑む。

 

『近くにいれば、黒夜さんが不用意な発言をした時、すぐに訂正できますから』

 

『反省するまで離さないからね!』

 

『むしろ、反省しても確認は続けるべきだ』

 

『ん、同意』

 

「味方がいない……」

 

 黒夜は肩を落とした。

 

 プレ先が、穏やかに言う。

 

「人気者は大変だね」

 

「他人事のように言わないでください、プレ先さん」

 

「実際、他人事だからね」

 

「ひどい」

 

 そう言いながらも、黒夜の声に本気の不満はなかった。

 

 お茶が入る。

 

 カップが並び、テラー達がそれぞれ受け取る。

 

『ん、おいしい』

 

「ありがとうございます」

 

『でも猫耳発言は許してない』

 

「まだ続くんですか?」

 

『続く』

 

 ミカ*テラーが頷く。

 

『黒夜、あとで私たちのいいところ十個言ってね』

 

「十個も!?」

 

『十個ずつ』

 

「実際三十個じゃないですか!?」

 

 セイア*テラーが静かに言う。

 

『彼女の分も含めれば四十個だね』

 

「…嘘でしょう?」

 

 ナギサ*テラーが微笑む。

 

『黒夜さんなら可能でしょう?』

 

「可能かどうかではなく、なぜそうなったのかが問題でして」

 

『猫耳と言ったからです』

 

「………」

 

 黒夜は諦めた。

 プレ先はまた小さく笑っていた。

 

 シャーレの休憩スペースには、穏やかな茶の香りが広がっている。

 窓の外からは、遠くの喧騒が薄く聞こえる。

 先生はまだ戻ってこない。

 

 その間、黒夜はテラー達に囲まれ、四十個の褒め言葉を求められながらお茶を飲むことになった。

 それは実際かなり大変だった、けれど、黒夜は途中で少しだけ思った。

 こうして騒がしく言い合えるのなら。

 自分を取り合って、怒って、拗ねて、お茶を飲んでいられるのなら。

 

 それはきっと、悪いことではないのだろう。

 たとえ、発端が自分の不用意な発言だったとしても。

 そして、プレ先が穏やかに見守る中、シャーレの休憩時間は、結局予定よりずっと長引くことになった。

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