ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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嫌われた一日

 ある日シャーレの当番として訪れた黒夜が最初に目にしたのは、先生とプレ先が、机の上に置かれた一本の試験管を険しい表情で見つめている光景だった。

 試験管には蓋がされている。中には、淡い紫色をした液体が半分ほど入っていた。光に透かすと、わずかに揺らめいて見える。綺麗と言えなくもないが、なぜか本能的に近づきたくない色だった。

 

 黒夜はそんな二人の後ろで足を止めた。

 

「……先生、プレ先。何をされているのですか?」

 

 二人が同時に顔を上げる。

 先生は困ったような顔をしていた。プレ先はいつも通り静かだったが、目だけが少し重い。

 

「ああ、黒夜。当番に来てくれたんだね」

 

「そうですが……その試験管は?」

 

 先生は机の上の試験管を見る。

 そして、深く息を吐いた。

 

「山海経のとある生徒が作った薬なんだけどね」

 

「薬…ですか?」

 

「うん。効果が少し……いや、かなり問題で」

 

 黒夜は眉を寄せた。

 

「どのような効果なのですか?」

 

 先生は答えづらそうに少し黙った。

 代わりに、プレ先が静かに言う。

 

「飲んだ者が、一日だけ周囲から嫌われる薬だそうだ」

 

「……は?」

 

 黒夜は、思わず聞き返した。

 聞き間違いであってほしかった。

 だが、プレ先は淡々と続ける。

 

「正確には、飲んだ者を見た相手の中に、強い嫌悪感や拒絶感を発生させる。効果は約二十四時間。身体への毒性は確認されていない。ただし、精神的な影響は非常に大きい」

 

「……なぜ、そのような物を作ったのでしょうか」

 

「本人いわく、対人関係の反応実験らしいよ」

 

 先生は額に手を当てた。

 

「もちろん、使わせるつもりはない。保管して、ちゃんと処理方法を確認しているところ」

 

「それが賢明だと思います」

 

 飲んだ人間が一日嫌われる薬。

 どう考えても、まともな使い道がない。少なくとも、生徒が気軽に試していいものではなかった。

 

 だから、最初は本当にそう思った。

 けれど机の上の試験管を見ているうちに、黒夜の胸の奥で、ずっと引っかかっていた疑念がわずかに動いた。

 

 自分の神秘は、本当に消えたのか?

 

 あの戦いの後、黒夜の神秘はほぼ完全に消失したと言われた。ヘイローは正常に残り、耐久性も保たれている。リオも、ヒマリも、先生も、プレ先も、同じように説明してくれた。

 それでも、黒夜の中には小さな疑問が残っていた。

 

 もし神秘が消えたのなら、自分の周囲にいる人々の過保護や、構ってくる頻度は、少しくらい落ちるのではないか。

 

 そう思っていた。

 

 だが、現実は逆だった。

 

 ナギサは以前より黒夜の予定を気にするようになった。ミカは会うたびに距離が近い。セイアは静かに見張る。ヒナは訓練のたびに過剰に怪我を気にする。マコトはやたらと黒夜を万魔殿へ呼びたがる。カヨコは言葉で逃げ道を塞ぐ。アツコ達は黒夜の家に自然に集まり始めた。リオもヒマリも、黒夜の体調に口を出す頻度が増えている。

 

 もちろん、嬉しくないわけではない。むしろ、ありがたいとさえ思う。

 けれど、時々怖くなる。

 

 これは本当に、皆の意思なのか。

 まだ、自分の中に残った何かが、周囲の感情を歪めているのではないか。

 

 そう考えてしまう自分がいた。

 

 黒夜は、試験管を見つめたまま口を開いた。

 

「不躾なお願いなのですが…」

 

「うん?」

 

「その薬を、私が飲んでもいいですか?」

 

 空気が止まった。

 

 先生の表情が、はっきりと強張る。

 

「駄目だよ!」

 

 黒夜は静かに先生を見る。

 

「理由を聞かずにですか?」

 

「聞いても駄目だと言いたいくらいだよ。黒夜、これはそういうものじゃないんだよ!」

 

「分かっています」

 

「分かってないよ!」

 

 先生の声が、少しだけ強くなった。

 

「嫌われるんだよ? 周りから拒絶される、ひどいことを言われるかもしれない。黒夜がそれを試す必要なんて――」

 

「あるんですよ」

 

 黒夜は静かに言った。

 先生の言葉が止まる、プレ先は何も言わず、黒夜を見ていた。

 黒夜は一度目を伏せ、それから正直に話すことにした。

 

「私は、ずっと疑問に思っていました。本当に、自分の神秘は消えたのか、と」

 

「黒夜……」

 

「リオさんやヒマリさんの検査結果を疑っているわけではありません。先生やプレ先の言葉を信じていないわけでもありません。ただ……どうしても、引っかかっていたんです」

 

 黒夜は、自分の胸元に手を当てる。

 

「もし神秘が消えたのなら、周囲の皆さんの過保護や、私に構う頻度は少し落ちると思っていました。ですが、実際には落ちるどころか、むしろ増えています」

 

「それは、君がそれだけ大事にされてるからだよ」

 

「そうだと思いたいです」

 

 先生の顔が苦しそうに歪んだ。

 黒夜は困ったように笑う。

 

「ですが、思いたいだけでは、時々分からなくなるんです。皆さんが私を大切にしてくださる理由が、私自身なのか…それとも、まだ残っている神秘の影響なのか…」

 

「黒夜、それは……」

 

「この薬を飲んで、皆さんから嫌われなかったら、神秘が残っている可能性があります。逆に、嫌われたら、ただの思い過ごしだったと判断できます」

 

 黒夜は試験管を見た。

 

「だから、飲ませてください」

 

 先生は、すぐには答えなかった。

 代わりに、プレ先が低く言う。

 

「君は、嫌われたいわけではないんだね?」

 

「はい」

 

「傷つきたいわけでもない」

 

「勿論です」

 

「ただ、確かめないと進めないところまで来てしまっているのかい?」

 

 黒夜は少しだけ沈黙した。

 

 そして、頷く。

 

「……そうかもしれません」

 

 先生は目を閉じた。

 

「本当は、許可したくない。でも、君がこの疑問を抱えたまま、ずっと自分の周囲の好意を疑い続ける方がつらいんだね」

 

「無茶な申し出をしてしまいすみません」

 

「謝らないで」

 

 先生は試験管を見つめ、長く息を吐いた。

 

「条件をつける。効果は一日で切れると確認されているけど、危険だと思ったらすぐシャーレへ戻ること。位置情報は共有すること。人気のない場所や、危険区域には行かないこと。翌朝、必ずシャーレに来ること」

 

「分かりました」

 

「それと、もう一つ」

 

 先生の声が、さらに重くなった。

 

「テラーのみんなには会わないこと」

 

 黒夜は、はっと顔を上げた。

 先生の表情は真剣だった。プレ先も同じく、静かに黒夜を見ている。

 

「もし薬がテラーのみんなに効いたら、君がどうなるか分からない」

 

「……そうですね」

 

「逆に、効かなかったとしても、もし他の誰かが黒夜を拒絶する言葉を彼女達が聞いたら、それも危険だ」

 

 プレ先が続ける。

 

「彼女達は、君を失った世界から来ている。君への拒絶や罵倒を、冷静に受け止められるとは思えない。それにシロコも君には恩を感じているから例外じゃない」

 

「……確かに」

 

 黒夜は小さく頷いた。

 

 ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラー、シロコ*テラー。

 彼女達が、黒夜に強い拒絶を向ける場面を見たらどうなるか。

 想像するだけで、少し怖かった。

 

「分かりました。テラーの皆さんには接触しません」

 

「絶対だよ」

 

 先生は、それでもなお迷うように試験管を見た。

 だが最後には、静かに蓋を開けた。

 

「……黒夜。つらくなったら、すぐ戻って来るんだよ」

 

「承知しました」

 

「本当に、すぐに…」

 

「分かっています」

 

 黒夜は試験管を受け取った。

 淡い紫色の液体が、わずかに揺れる。

 

 嫌われる薬。

 

 黒夜はそれを一息に飲んだ。

 

 味は、ほとんどなかった。

 ただ喉を通った瞬間、少しだけ冷たい感覚が残る。

 

 何かが変わったようには感じない。

 

「……特に、体調に変化はありません」

 

「無理はしないでね」

 

 黒夜は試験管を置き、先生とプレ先に頭を下げた。

 

「では、行ってきます」

 

 先生は最後まで心配そうだった。

 プレ先は、短く言う。

 

「黒夜、君が確かめるものが、君を傷つけるためのものにならないことを祈っているよ」

 

 黒夜は少しだけ笑った。

 

「大丈夫です。これは、ただの確認ですから」

 

 そうして、黒夜はシャーレを出た。

 

 最初に向かったのは、トリニティだった。

 

 ティーパーティーの皆がよくお茶会をしているテラスへ向かう途中、黒夜は少しだけ緊張していた。薬が本当に効いているのかは分からない。

 もしかすると、何も起きないかもしれない。もしそうなら、神秘の残滓がある可能性を考えなければならない。

 

 覚悟を決めてテラスの扉を開ける。

 

「失礼します」

 

 そこには、いつもの三人が居た。

 いつもの光景だった。

 

 紅茶の香り。

 整えられたテーブル。

 静かな午後。

 

 黒夜が入った瞬間、三人の視線がこちらへ向いた。

 

 その空気が、一瞬で変わる。

 

 ナギサの表情から、笑みが消えた。

 

「……貴方は」

 

 声が冷たい。

 

 ミカは、露骨に顔をしかめた。

 

「は?なんで来たの?」

 

 セイアは何も言わず、ただ黒夜を見ていた。

 その目には、明らかな拒絶があった。

 

 黒夜は、胸の奥で何かが静かに落ち着いていくのを感じた。

 

 よかった効いている。

 

「少し、皆さんのお顔を見に来ただけです。皆さん、お変わりありませんか?」

 

 ナギサはカップを置く。

 

「用件がないのでしたら、今すぐお引き取りください」

 

 丁寧だが、刃のような声だった。

 

「今は、貴方と話す気分ではありません」

 

「ナギサ様」

 

「貴方にそう呼ばれるのも不快です」

 

 ミカが椅子から立ち上がる。

 

「っていうか、近づかないでくれない?」

 

「ミカ様?」

 

「私の傍に来ないで。ゲヘナ風情が…!」

 

 その言葉に、普通なら空気が凍っただろう。

 黒夜は、少しだけ目を伏せた。

 だが、傷つきはしなかった。

 

 薬の効果だと分かっているし、ミカの本心ではないとわかっている。

 そして何より、ミカはちゃんと自分を嫌えている。

 

 黒夜は、静かに安心した。

 

「……分かりました。すみません、ミカ様」

 

 セイアが静かに言う。

 

「今日は帰ってくれないか。君と同じ空気を吸っているだけで、少し気分が悪い」

 

「そうですか」

 

 黒夜は小さく頷いた。

 

「それでは、失礼します。お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 黒夜は微笑んだ。

 安心したからだ。

 

 ちゃんと嫌われている。

 なら、神秘は彼女達の感情を縛っていない。

 

 その笑顔を見た三人が、さらに不快そうな顔をした。

 黒夜は気にせず、静かにテラスを後にする。

 

 次に向かったのは、ゲヘナだった。

 

 万魔殿では、マコトが書類を前にして何かを叫んでいた。サツキとチアキ、イロハ、イブキの姿もある。

 黒夜が入ると、マコトの声がぴたりと止まった。

 

「マコト様。お疲れ様です」

 

「……なんだ、貴様か」

 

 その声には、普段のような喜色がない。

 むしろ、鬱陶しそうだった。

 

「何か用か?」

 

「いえ。少しご挨拶に」

 

「今は忙しい。貴様に構っている暇などない」

 

 マコトは手を振る。

 

「下がれ」

 

 サツキも、いつものように「黒夜ちゃん」と甘く呼ぶことはなかった。

 

「悪いけど、今日は近くに来ないでくれる? なんか、ちょっと無理」

 

「分かりました」

 

 チアキは軽く眉をひそめる。

 

「用も無いのになんで来たの?」

 

 イロハはだるそうに目を逸らした。

 

「ハァ…気分が悪くなってきました」

 

 イブキは黒夜を見ると、少しだけ後ろへ下がった。

 

「……黒夜先輩、今日はやだ」

 

 黒夜は、静かに頷いた。

 

「すみません、イブキさん」

 

 マコトが苛立ったように言う。

 

「聞こえなかったのか? 下がれと言ったのだ!」

 

「失礼しました」

 

 黒夜は頭を下げた。

 そして、微笑む。

 

「皆さん、お仕事頑張ってください」

 

 背を向けながら、黒夜は思う。

 

 ここでも効いている。

 マコトも、サツキも、イブキでさえも、自分を拒める。

 

 よかった。

 

 情報部の方へ向かうと、ヒナとカヨコにも会った。

 ヒナは黒夜を見るなり、足を止めた。

 

「……黒夜」

 

「ヒナさん。お疲れ様です」

 

「用がないなら帰って、今日は、貴方の顔を見ると気分が悪くなる」

 

「そうですか」

 

「正直話もしたくない」

 

「分かりました」

 

 ヒナは少しだけ目を細める。

 

「……何を笑っているの?」

 

「いえ。何でもありません」

 

「気味が悪い」

 

 黒夜は静かに頷いた。

 

「すみません」

 

 カヨコは、いつもよりずっと冷たい目で黒夜を見ていた。

 

「近くに来ないで」

 

「分かりました」

 

「理由はわからないけど、一緒に居たくない」

 

「……そうですか」

 

「うん。悪いけど、本当に無理」

 

 黒夜は微笑んだ。

 

「教えてくださってありがとうございます。では、離れますね」

 

 カヨコは眉を寄せる。

 

「……何その顔?」

 

「顔、ですか?」

 

「いやいい、早く消えて」

 

 黒夜はその場を離れた。足取りは軽かった。

 ゲヘナでも、問題なく薬は効いている。

 

 次はアリウスだった。

 

 アリウススクワッドの隠れ家へ向かう途中、黒夜は少しだけ気を引き締めた。ここでの反応は、もしかすると強く出るかもしれない。

 自分達の間には、左目の件を含め、いくつもの痛みがある。

 

 だからこそ、確認にはなる。

 隠れ家の扉を叩く。

 最初に出てきたのはサオリだった。

 

「……お前!」

 

「サオリさん。少しだけ、お邪魔してもいいですか?」

 

 サオリの表情が険しくなる。

 

「今日は帰れ」

 

 短く、鋭い声。

 

「こっちにお前を入れる理由はない」

 

 奥からアツコが出てきた。

 黒夜を見るなり、その目に露骨な拒絶が浮かぶ。

 

「サッちゃんたちに近付かないで!」

 

 黒夜は一瞬、瞬きをした。

 

 アツコは続ける。

 

「……気持ち悪い!」

 

 ヒヨリが奥で小さく震えている。

 

「す、すみません……でも、本当に、近くにいるの……嫌です……」

 

 ミサキは黒夜から目を逸らしたまま言った。

 

「帰って。見てると、落ち着かない」

 

 黒夜は静かに息を吐いた。

 

 薬の効果だ。

 アツコの本心ではない。

 サオリ達の本心ではない。

 

 むしろ、これほど強く拒絶できるのなら、神秘の影響など残っていないのだろう。

 

 黒夜は、安心した。

 

「分かりました。今日は帰りますね」

 

 アツコが警戒するように黒夜を見る。

 黒夜はいつもと変わらない微笑みを浮かべた。

 

「皆さん、お身体に気をつけて」

 

 そう言って、黒夜は背を向けた。

 

 最後に向かったのは、ミレニアムだった。

 セミナーに顔を出すと、リオが端末から目を上げた。隣にはヒマリもいる。おそらく何かの技術相談中だったのだろう。

 

「リオさん。ヒマリさん」

 

「……」

 

 リオは無表情だった。

 

「今は貴方に割く時間はないわ」

 

「少しだけでも――」

 

「ないと言ったでしょう」

 

 黒夜は口を閉じた。

 ヒマリも、いつものような長い自称を口にしなかった。

 

「申し訳ありませんが、今日はお引き取りください」

 

 その声は丁寧だった。

 けれど、冷たかった。

 

「貴方と話していると、どうにも気が散ります。正直に言えば、不快です」

 

「……そうですか」

 

 リオが続ける。

 

「用件がないなら帰って。貴方の存在は、今の作業に不要よ」

 

「分かりました」

 

 黒夜は頭を下げる。

 

「お邪魔しました」

 

 そして、笑った。

 

「また改めて伺います」

 

 リオは眉をひそめた。

 ヒマリも、わずかに不審そうに黒夜を見る。

 黒夜はそれに気づいたが、何も言わず部屋を出た。

 ミレニアムでも、薬は効いた。

 

 これで十分だった。

 

 帰り道、黒夜は夕暮れの街を歩いていた。

 いくつもの言葉を受けたが普通なら、痛むのだろう。

 けれど黒夜の胸にあったのは、穏やかな安堵だった。

 

 薬の影響だと分かっている。

 皆の本心ではないと分かっている。

 

 そして、それでもちゃんと拒絶された。

 

 なら、皆が普段自分に向けてくれる好意は、神秘による強制ではない。

 少なくとも、薬の効果を上書きするほどの何かが残っているわけではない。

 

「……私の思い過ごしで、本当によかった」

 

 黒夜は小さく呟いた。

 家に着く頃には、すっかり夜になっていた。

 

 今日はもう休もう。

 明日、先生とプレ先に報告しよう。

 神秘の影響ではなかったと分かった。これで少しは、自分も皆の好意を素直に受け取れるかもしれない。

 

 そう思いながら、黒夜は自宅の扉を開けた。

 

 直後。

 

 室内から、対戦ゲームの効果音が聞こえた。

 

「……」

 

 黒夜は固まった。

 

 見慣れた部屋。

 その中央。

 

 ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラー、シロコ*テラーが、当然のようにくつろいでいた。

 

 ミカ*テラーはコントローラーを握ったまま振り返る。

 

『あっ、黒夜おかえり~!』

 

 ナギサ*テラーは勝手に紅茶を淹れていた。

 

『勝手にお邪魔させていただいています、黒夜さん』

 

 セイア*テラーは画面から目を離さずに言う。

 

『君の帰宅時間は、おおよそ読めていたからね』

 

 シロコ*テラーは、真剣な顔でゲーム画面を見つめている。

 

『ん、今いいところ』

 

 黒夜は、扉を開けた姿勢のまま数秒止まった。

 そして、ようやく声を出す。

 

「……なぜ、私の家に?」

 

 ナギサ*テラーが微笑む。

 

『黒夜さんの家だからです』

 

「答えになっていません」

 

 ミカ*テラーが元気よく言う。

 

『暇だったからさ黒夜の帰りを待ってた』

 

「不法侵入って言葉知ってますか?」

 

 黒夜はそこで、先生とプレ先の言葉を思い出した。

 

 テラー達には会わないこと。

 もし薬が効いたら、どうなるか分からない。

 もし他の拒絶を聞いたら、それも危険だ。

 

 黒夜は一気に緊張した。

 

「皆さん、その……」

 

『黒夜さん』

 

 ナギサ*テラーが、じっと黒夜を見る。

 

『今日は少し疲れているように見えます。どこを回っていたのですか?』

 

「ええと……」

 

『黒夜、こっち来て! 一緒にやろ!』

 

「今日は少し疲れているので、見ているだけで――」

 

『駄目、今日このゲームの最強を決める!』

 

 シロコ*テラーが即答した。

 

「シロコさんまで…」

 

 セイア*テラーが静かに言う。

 

『顔色は悪くないけど、何か隠しているね?』

 

「……気のせいですよ」

 

『相変わらず嘘が下手だな、君は』

 

「……」

 

『まぁ無理には聞かないさ』

 

 黒夜は、四人の様子を確認した。

 普段通り、いや、いつも通りに黒夜へ近い。

 薬の効果は出ていない。

 

 黒夜は、内心でそっと息を吐いた。

 

 (テラーの皆さんには、効かなかったみたいですね)

 

 先生とプレ先が危惧していた事態にはなっていない。

 それだけで、少し安心した。

 

 もちろん、勝手に家にいること自体は別問題だったが。

 

「……皆さん、鍵はどうしたのですか?」

 

『開いていました』

 

「嘘つきはドロボウの始まりらしいですよ?」

 

『結果としては開いていました』

 

「正直に言って貰えて涙が出そうですよ」

 

『黒夜さんが無事に帰ってきたので、問題ありませんよね?』

 

 ミカ*テラーが立ち上がり、黒夜の腕を取る。

 

『ほら黒夜、座って! 私たち、黒夜が帰ってくるまで待ってたんだよ?』

 

「勝手に遊びながら、ですよね?」

 

『待ってたの!』

 

 シロコ*テラーがコントローラーを差し出す。

 

『一戦』

 

「一戦だけですよ」

 

『三戦』

 

「増えましたね」

 

『妥協して三戦』

 

「最初から三戦だったのでは?」

 

 セイア*テラーが穏やかに微笑む。

 

『今日はどこかに行っていたんだろう? 少しくらい私たちに付き合ってくれてもいいだろう?』

 

「……分かりましたよ」

 

 黒夜は、少し困ったように笑った。

 今日は、一日かけて嫌われた。

 そして最後に、薬の効かない彼女達が、自分の家で勝手にゲームをしていた。

 

 あまりにも身勝手で、あまりにも重い。

 けれど、不思議と悪くはなかった。

 

 黒夜は鞄を置き、テラー達の間に座る。

 

 ミカ*テラーが嬉しそうに肩を寄せる。

 ナギサ*テラーは当然のように黒夜の前に紅茶を置く。

 セイア*テラーは自然と黒夜の隣を確保し、シロコテラーは無言で対戦開始を選んだ。

 

 黒夜は苦笑しながら、コントローラーを握った。

 その夜、黒夜はテラー達に囲まれながら、しばらく対戦ゲームに付き合わされることになった。

 

 薬の効果が切れるのは、明日。

 

 そして明日、今日の記憶を持ったまま正気に戻る者達が、どうなるのか。

 

 黒夜は、まだ知らない。

 

 ただ眠る前に、静かに思った。

 自分の神秘は、やはり消えている。

 

 よかった。

 

 その確信だけを胸に、黒夜は穏やかに目を閉じた。

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