ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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平和でくだらない一日

 それは、トリニティからの帰り道だった。

 

 黒夜はその日、ティーパーティーの手伝いを終え、夕暮れの道を一人で歩いていた。空は淡い橙色に染まり、トリニティの校舎の白い壁が、どこか柔らかく光って見える。

 ナギサからは「暗くなる前に帰ってくださいね」と念を押され、ミカからは「寄り道しちゃ駄目だからね?」と笑顔で言われ、セイアからは「君の寄り道は、たいてい騒動の入口だからね」と静かに釘を刺された。

 

 黒夜としては、別に騒動を起こすつもりなどない。

 ただ、道を歩いていると、時々何かに巻き込まれるだけだ。

 

「……今日は、何事もなく帰りたいですね」

 

 そう呟きながら、黒夜は住宅街へ続く道を歩いていた。

 その時視界の端に、何かが映った。

 

 道端の少し草が生えた植え込みの中に、それは落ちていた。

 最初は、ただの落とし物かと思った。

 けれど、黒夜の視界がそれを捉えた瞬間、何かが違うと分かった。

 黒夜は、しばらく無言でそれを見つめた。

 

「……え?」

 

 思わず声が漏れる。

 

「これは……!?」

 

 黒夜は周囲を確認した。

 

 誰もいない、少なくとも、今この瞬間、黒夜を見ている者はいない。

 黒夜はゆっくりとしゃがみ、それを手に取った。

 

 手に馴染む。驚くほどに馴染む。

 まるで最初から、自分が拾うことを待っていたかのような収まりだった。

 

「……これは……かなり、いいですね」

 

 黒夜は、それを軽く持ち上げる。

 その声には、普段の黒夜には珍しい、抑えきれない高揚が混じっていた。

 黒夜はもう一度周囲を確認した。

 

 誰もいない。

 

 そこで、少しだけ構えてみた。

 

 右手で持ち、左手を添え、角度を変える。

 次に、片手で軽く振る。

 さらに、持ち方を変えてみる。

 

「……いいですね」

 

 思わず、頷いた。

 黒夜はしばらく悩んだ。

 

 このまま置いて帰るべきか。

 それとも、持ち帰るべきか。

 

 常識的に考えれば、置いて帰るべきだ。

 

 トリニティからの帰り道に、これを拾って帰るなど、冷静に考えるとかなり妙な行動である。もし誰かに見られれば心配されるかもしれない。

 

 だが、黒夜は手元のそれを見た。

 

「……置いていくのは、少し惜しいですね」

 

 結論は出た。

 黒夜はそれを大事に持ち帰った。

 

 翌日。

 

 シャーレの当番として訪れた黒夜は、いつもより少しだけ足取りが軽かった。

 

 先生は執務室にいた。

 プレ先も同じ部屋で資料を確認している。

 

「おはようございます、先生。プレ先さん」

 

「おはよう、黒夜」

 

「おはよう。今日は少し機嫌が良さそうだね」

 

 黒夜は一瞬だけ目を瞬かせた。

 

「分かりますか?」

 

「分かるよ。君にしては、かなり分かりやすい」

 

「何かいいことでもあった?」

 

「はい」

 

 黒夜は、珍しく即答した。

 黒夜は鞄を机の上に置き、慎重に中から布に包まれた何かを取り出した。

 

 先生が少し身を乗り出す。

 

「それは?」

 

「昨日、トリニティからの帰り道で見つけました」

 

 黒夜は、どこか誇らしげに布を解いた。

 中から現れたのは、一本の木の棒だった。

 しばらく、部屋の空気が止まる。

 

 先生が無言でそれを見る。

 プレ先も、静かに目を細める。

 

 黒夜は少しだけ緊張していた。

 

 これを理解してもらえるだろうか。

 ただの枝だと言われるだろうか。

 拾ってきたことを心配されるだろうか。

 

 だが、次の瞬間。

 

 先生の目が輝いた。

 

「……黒夜…それは…!!」

 

 プレ先が、静かに立ち上がる。

 

「いい棒だね」

 

 黒夜の表情が、ぱっと明るくなった。

 

「分かりますか」

 

「勿論分かるよ」

 

 先生は木の棒を受け取り、慎重に握った。

 

「長さがちょうどいい。剣にもなるし、杖にもなる」

 

「そうですよね? 私もそう思いました!」

 

 プレ先も横から覗き込む。

 

「持ち手の部分に節がある。滑り止めとして優秀だ」

 

「そうなんです。握った時にちょうど指がかかるんです」

 

「先端の曲がり方も良いね。少し魔法杖っぽい」

 

「先生もそう思いますか?」

 

「思う」

 

「私も思った」

 

 プレ先が真剣に頷いた。

 三人の間に、謎の理解が成立していた。

 黒夜は先生から棒を受け取り、軽く構える。

 

「振った時の重心も悪くありません。昨日、少し試したのですが」

 

「試したんだ」

 

「はい。周囲に人がいないことを確認した上で」

 

「そこはちゃんとしてるね」

 

 先生は笑いながらも、どこか楽しそうだった。

 プレ先は棒を横から見て、静かに分析する。

 

「この曲がり方なら、上段から振るよりも、少し斜めに構えた方が様になる」

 

「分かります」

 

「片手剣よりは、魔法剣士の装備だね」

 

「私もその印象です」

 

 先生が手を上げる。

 

「いや、勇者の初期装備感もあるよ」

 

「確かに、それもありますね」

 

「名前をつけたくなる棒だ」

 

「それは少し分かります」

 

 黒夜は棒を見つめる。

 先生とプレ先も、真剣に見つめる。

 三人とも、仕事をする時とは別方向に真剣だった。

 

 先生が言う。

 

「ちょっと貸して」

 

「どうぞ」

 

 先生は木の棒を持ち、軽く構えた。

 

「どうかな?」

 

「似合っていますよ!」

 

 黒夜が真面目に答える。

 プレ先も頷く。

 

「勇者というより、村を出る前の少年感があるな」

 

「それ褒めてる?」

 

「褒めてるよ」

 

 次にプレ先が持つ。

 プレ先は棒を杖のように軽く床へ向けた。

 

「どうかな?」

 

 黒夜は少し考える。

 

「隠者の杖ですね」

 

「確かにそれっぽいね」

 

 先生が即座に頷く。

 

「旅の途中で重要な助言をくれるタイプ」

 

「その後、終盤で実はかなり強かったと判明する方です」

 

「それだ!」

 

 プレ先は小さく笑った。

 

「だいぶ設定が増えたね」

 

 黒夜は木の棒を再び受け取る。

 そして少しだけ構えた。

 先生とプレ先が、同時に頷く。

 

「黒夜は魔法剣士だね」

 

「黒い外套があれば完璧だ」

 

「私は剣士ではないのですが」

 

「でも、これはそういう棒だよ」

 

「そういう棒、ですか」

 

「うん。そういう棒」

 

 黒夜は少しだけ笑った。

 

 何の意味もない。

 本当に、何の意味もない。

 ただ拾った木の棒を見せて、三人でああでもないこうでもないと言っているだけだ。

 

 けれど、不思議と楽しかった。

 

 普段なら、先生達に仕事の話をする。

 報告、相談、確認、書類整理。

 それらも大事だが、今日のこの会話はあまりにも中身がない。

 だが、中身がないからこそ、妙に良かった。

 黒夜が棒を軽く振ると、先生が嬉しそうに言う。

 

「いい音」

 

「風切り音がいいですよね」

 

 プレ先も真剣に頷く。

 

「耐久性はそこまで高くないだろうけど、雰囲気がある」

 

「雰囲気は何より大事ですからね」

 

「大事だね」

 

 三人が真顔で頷いていた、その時だった。

 シャーレの扉が開く音がした。

 

「ん、先生」

 

 入ってきたのはシロコだった。

 そして、その少し後ろにシロコ*テラーもいた。

 シロコは執務室の入口で足を止める。

 

 目の前には、木の棒を持っている黒夜。

 それを楽しそうに見ている先生。

 同じく真剣な顔で頷いているプレ先。

 

 しばらく、シロコはその光景を見つめた。

 そして、首を傾げる。

 

「何してるの?」

 

 もっともな疑問だった。

 黒夜は木の棒を持ったまま、少しだけ姿勢を正す。

 

「シロコさん。おはようございます」

 

「ん、おはよう」

 

「これは、昨日帰り道で見つけた木の棒です」

 

「木の棒?」

 

「そうです」

 

 シロコは、黒夜の手元を見る。

 ただの木の棒に見えた。

 

「それで遊んでるの?」

 

「遊んでいるというか……」

 

 黒夜は少し考える。

 

「なんかいい感じだったので、先生とプレ先に見ていただいていました」

 

「なんかいい感じ…?」

 

 シロコはもう一度見る。

 やはり、何度見てもただの木の棒に見える。

 

「……?」

 

 その横で、シロコ*テラーが一歩前へ出た。

 彼女の目が、わずかに見開かれている。

 

『それは……!』

 

 黒夜が振り返る。

 

「もう一人のシロコさん?」

 

 シロコ*テラーは、黒夜の手にある木の棒をじっと見つめていた。

 そして、静かに、しかし確かな熱を込めて言った。

 

『ちょうどいい感じの棒!』

 

 先生が嬉しそうに頷く。

 

「分かる?」

 

『ん、分かる!』

 

 プレ先も静かに微笑む。

 

「やっぱりシロコも分かるんだね」

 

『これは良い棒』

 

 シロコ*テラーは黒夜の前まで歩いてきて、木の棒を観察する。

 

『長さがいい』

 

「はい」

 

『持ち手もいい』

 

「そうなんです」

 

『剣にも杖にもなる』

 

「分かりますか」

 

『すごいよ黒夜!』

 

 黒夜の表情が、少しだけさらに明るくなる。

 シロコは、隣でそのやり取りを見ていた。

 

「……???」

 

 理解できない。

 

 黒夜も、先生も、プレ先も、シロコ*テラーも、明らかに何かを共有している。

 だが、シロコにはそれが分からない。

 

 木の棒は木の棒だ。

 

 確かに、少し形が面白いかもしれない。

 持ちやすそうではある。

 でも、ここまで真剣に語るほどなのだろうか。

 

「ん……普通の棒じゃないの?」

 

 シロコがそう言った瞬間、四人が一斉にシロコを見た。

 シロコは少しだけ身構える。

 

「……ん?」

 

 黒夜は、非常に真面目な顔で言った。

 

「シロコさん、これは、ただの木の棒ではありません」

 

「違うの?」

 

 先生が続く。

 

「なんかいい感じの木の棒だよ」

 

 プレ先も頷く。

 

「そこは大きな違いだね」

 

 シロコ*テラーも短く言った。

 

『ん、別物』

 

 シロコは、ゆっくり瞬きをした。

 

「……そうなんだ」

 

 分からない。

 四人が何を言っているのかまったく分からない。

 だが、黒夜が少し楽しそうなので、悪いものではないのだろう。

 シロコはそう判断した。

 

「黒夜が楽しそうならいい」

 

「ありがとうございます?」

 

 黒夜は少し困ったように笑った。

 シロコ*テラーは、まだ棒を見つめている。

 

『黒夜』

 

「はい」

 

『少し持っていい?』

 

「もちろんです」

 

 黒夜が棒を渡すと、シロコ*テラーは慎重に握った。

 そして、一度だけ軽く構える。

 

『ん!』

 

 先生が頷く。

 

「盗賊職っぽい」

 

 プレ先も頷く。

 

「夜に強いタイプだね」

 

 黒夜も真面目に言う。

 

「シロコ*テラーさんの場合、暗殺者にも見えます」

 

『ん、銀行強盗をする』

 

 シロコが即座に言った。

 

「しないでくださいね」

 

 黒夜は思わず笑った。

 シロコ*テラーも、ほんの少しだけ目元を緩める。

 シャーレの執務室には、朝から奇妙な熱気が満ちていた。

 一本の木の棒を中心に、黒夜、先生、プレ先、シロコ*テラーが真剣に語り、シロコだけが首を傾げている。

 

 何も進んでいない。

 書類も減っていない。

 仕事も始まっていない。

 

 けれど、なぜか全員、少し楽しそうだった。

 シャーレの執務室では、一本の木の棒を中心に、奇妙な熱気が生まれていた。

 

 シロコは、その横で静かに首を傾げている。

 

「ん……分からない」

 

 シロコ*テラーは、黒夜から借りた木の棒を両手で持ち、軽く振りながら答えた。

 

『これは分かる人には分かる』

 

「そういうもの?」

 

『そういうもの』

 

 先生も頷いた。

 

「シロコ、これは理屈じゃないんだ。見た瞬間に、なんかいいなって思う。それが大事」

 

「……なんかいい。分からないけど、覚えた」

 

「ただの棒と、なんかいい感じの木の棒は違う」

 

『理解が早い、流石こっちの私』

 

「分かったとは言ってない」

 

『でも一歩進んだ』

 

 シロコ*テラーが、どこか誇らしげに言う。

 

 その時だった。

 廊下の向こうから、複数の足音が近づいてきた。

 

「……先生」

 

「うん」

 

「また、増えそうですね」

 

「そうだね」

 

 プレ先は木の棒を見ながら、静かに言った。

 

「この棒が、人を引き寄せているのかもしれないね」

 

「そのような神秘はないと思いますが」

 

「でも実際、集まっているじゃないか」

 

「設定が増えましたね……」

 

 執務室の扉が開いた。

 入ってきたのは、ナギサ、ミカ、セイア。

 そしてその後ろに、ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラーが続いていた。

 

 通常のティーパーティー三人は、最初こそ先生へ挨拶をしようとしていた。だが、すぐに室内の光景に気づき、言葉を失った。

 

 黒夜が木の棒を持っている。

 先生とプレ先が満足そうにそれを見ている。

 シロコ*テラーが明らかに理解者の顔をしている。

 シロコだけが少し困惑している。

 

 ナギサは、しばらくその光景を見つめてから、丁寧に口を開いた。

 

「……黒夜さん。その木の棒は、一体?」

 

 ミカも不思議そうに首を傾げる。

 

「黒夜、それで何してるの?」

 

 セイアは目を細めた。

 

「何かの訓練道具かい?」

 

 黒夜は非常に真面目な顔で答えた。

 

「これは私が拾ってきた。なんかいい感じの木の棒です」

 

 三人は黙った。

 ナギサは今見ている光景が信じられず自分の眉間を揉みながら。

 

「……なんかいい感じの棒ですか…?」

 

 ミカが、木の棒を覗き込む。

 

「えっと……ただの木の棒だよね?」

 

「ですが、なんかいい感じの木の棒です」

 

「そこ重要なの?」

 

「かなり重要ですよ!」

 

 黒夜が即答した。

 ミカは困ったようにセイアを見る。

 

「セイアちゃん、分かる?」

 

「いや、まったく分からないね」

 

 セイアは静かに首を横に振った。

 

「少なくとも、私にはただの木の棒に見える」

 

 その瞬間、ナギサ*テラーが一歩前に出た。

 

『セイアさん』

 

 セイアはナギサ*テラーを見た。

 

「何かな?」

 

『これは違います』

 

「違う?」

 

『ただの木の棒ではありません!!』

 

 ミカ*テラーも目を輝かせながら、黒夜の手元を見つめていた。

 

『なんかいい感じの木の棒じゃん!? どこでそれを見つけたの!?』

 

「昨日、トリニティからの帰り道に」

 

『トリニティの道端にこんな逸材が!?』

 

「逸材?」

 

 ミカが自分のテラーを見ながら呆れたように呟く。

 

 セイア*テラーも静かに近づき、棒の曲がりを観察する。

 

『なるほど。枝の曲がり方がいい。剣と杖の中間にある』

 

「黒セイア様、分かりますか」

 

『分かるよ。これは持つ者によって意味を変える枝だ』

 

 セイアは、理解できない光景に少し遠い目をした。

 

「私が詩的に言いそうなことを、木の棒相手に言わないでほしい」

 

 ナギサ*テラーは、木の棒を見ながら頷く。

 

『黒夜さんに似合いますね。守護者の杖のようです』

 

 ミカ*テラーは即座に反論する。

 

『えー? 黒夜なら聖剣でしょ! こう、ばーんって構えてさ!』

 

『いえ、黒夜さんは無闇に振り回すより、静かに構える方が似合います』

 

『でも振り回したくならない!?』

 

『それは否定しません』

 

 ナギサ*テラーは少しだけ真剣に頷いた。

 

 黒夜も頷く。

 

「振り回したくなる衝動には抗えませんよね!」

 

 ナギサが額に手を当てた。

 

「私は疲れて幻覚でも見ているのでしょうか……?」

 

 先生は嬉しそうに言う。

 

「ナギサ、これはそういうものなんだよ」

 

「先生まで完全に理解側なのですね」

 

「うん」

 

 プレ先も静かに言った。

 

「私も理解側だね」

 

「プレ先さんまで……」

 

 ナギサは本当に困っているようだった。

 ミカは木の棒と黒夜を交互に見る。

 

「えー……そんなにいいものなの?」

 

「ミカ様も持ってみますか?」

 

「えっ、いいの?」

 

「はい」

 

 黒夜は木の棒をミカへ差し出した。

 ミカは少し戸惑いながら受け取る。

 そして、軽く握った。

 

「……」

 

 数秒。

 

 ミカの表情が少し変わった。

 

「……ん?」

 

 ナギサが見る。

 

「ミカさん?」

 

「なんか……ちょっと分かるかもしれない…」

 

 ミカは木の棒を軽く構えた。

 

「持つと、なんか……構えたくなるし、無性に振り回したくなる長さ…」

 

 ミカ*テラーが満面の笑みで頷く。

 

『そうでしょ?』

 

「うん、なんかこう……えいってやりたくなる」

 

「ミカさん!?」

 

 ナギサが軽く声を上げる。

 ミカは慌てて木の棒を戻した。

 

「ち、違うよ? 別に完全に分かったわけじゃないよ? でも、なんかちょっと楽しいかもっていうか」

 

 シロコが静かに頷く。

 

「私も分かってないけど、みんなが楽しそうだからいいと思う」

 

「シロコちゃん、それ分かってる側なの?」

 

「分かってない側」

 

『でも可能性はある』

 

 シロコ*テラーが言った。

 

 セイアは木の棒を見つめる。

 

「意味のないものに意味を見出す遊び、ということかな?」

 

 黒夜は少し考えてから首を横に振った。

 

「いえ、セイア様」

 

「違うのかい?」

 

「理屈ではありません」

 

 先生も頷く。

 

「そう、理屈じゃない」

 

 プレ先も続く。

 

「そこにいい棒があった。それだけで十分なんだ」

 

 セイアはゆっくり息を吐いた。

 

「……なるほど。ますます分からなくなった」

 

 セイア*テラーが静かに言う。

 

『分からなくてもいい。いつか出会うよ。君だけのいい棒に』

 

「私はその未来を見たいような、見たくないような気持ちだ」

 

 ナギサは、まだ納得しきれていない様子だった。

 

「ですが、黒夜さん。道端で拾ったものを持ち帰るのは少し衛生面が……」

 

「洗いました」

 

「洗ったのですか!?」

 

「はい。軽く拭いて、ささくれも取りました」

 

「そこは丁寧なのですね」

 

 ナギサ*テラーが微笑む。

 

『黒夜さんらしいですね。拾った木の棒にも礼を尽くす』

 

「礼を尽くしているつもりはありませんが……」

 

 ミカ*テラーが黒夜の横から棒を覗き込む。

 

『名前は決めたの?』

 

「まだです」

 

『えっ、まだなの!? こんなにいい棒なのに!?』

 

「名前は慎重に決めるべきかと思いまして」

 

 先生が真面目に頷く。

 

「いい棒ほど名前が難しいからね」

 

 プレ先も頷く。

 

「一度名付けると、その物語が固定される」

 

 ナギサが小さく呟く。

 

「なぜ木の棒に物語が……」

 

 セイア*テラーが答える。

 

『良い木の棒には、すでに物語の気配がある』

 

「もう一人の私は本当に何を言っているんだ……」

 

 その時、シャーレの扉が勢いよく開いた。

 

「先生! 黒夜! アリスが到着しました!」

 

 明るい声と共に入ってきたのは、アリスだった。

 

 黒夜は振り返る。

 

「アリスさん。おはようございます」

 

「おはようございます、黒夜!」

 

 アリスは満面の笑みを浮かべていた。

 そして、その手には。

 一本の木の棒が握られていた。

 黒夜の目が見開かれる。

 

「……アリスさん」

 

「はい!」

 

「それは……」

 

 アリスは誇らしげに木の棒を掲げた。

 

「ここに来る途中で拾いました! 勇者の剣です!」

 

 空気が爆発した。

 先生が立ち上がる。

 

「流石アリス分かってるね!」

 

 プレ先も静かに、しかし確かに目を輝かせる。

 

「良い剣だ」

 

 黒夜も真剣に頷いた。

 

「アリスさん、その棒……かなりいい感じですね」

 

 シロコ*テラーが短く言う。

 

『ん、強い』

 

 ナギサ*テラーも感心したように見る。

 

『なるほど。勇者の剣としての完成度が高いですね』

 

 ミカ*テラーは嬉しそうに手を叩いた。

 

『アリスちゃんも理解側だ!』

 

 セイア*テラーは静かに頷く。

 

『未来を切り開く剣だね』

 

 ナギサ達は、完全に置いていかれていた。

 

 ナギサが呆然と呟く。

 

「また、増えましたね……」

 

 ミカはアリスの木の棒を見て、少し悔しそうに言う。

 

「アリスちゃんの棒、なんか勇者感ある……」

 

 セイアは静かに現実を受け入れ始めていた。

 

「どうやら、私たちの方が少数派らしい」

 

 アリスは黒夜の木の棒に気づき、目を輝かせた。

 

「黒夜! 黒夜も剣を持っていますね!」

 

「私は剣というより、魔法剣士か旅人の杖という評価を受けています」

 

「ジョブ分岐です!」

 

「ジョブ分岐」

 

 アリスは自分の木の棒を構えた。

 

「黒夜! チャンバラごっこをしましょう!」

 

 ナギサが即座に反応した。

 

「待ってください。シャーレ内で木の棒を振り回すのは危険では?」

 

 先生が真面目な顔で答える。

 

「大丈夫。周囲を確認して、ゆっくり、安全にやるから」

 

 プレ先も頷いた。

 

「安全第一のチャンバラだね」

 

 黒夜は棒を持ったまま、笑顔で構えた。

 

「挑まれたからには…断れませんね…!」

 

 アリスはすでにやる気だった。

 

「勇者アリス、参ります!」

 

 黒夜は静かに息を吐いた。

 

「……来い! 勇者アリス!」

 

 先生がすぐに手を上げる。

 

「私も混ざっていい?」

 

 プレ先も静かに立ち上がる。

 

「私も少しだけ」

 

 ミカ*テラーが嬉しそうに言う。

 

『私も! 黒夜と一緒にやる!』

 

 シロコ*テラーも短く言った。

 

『ん、私も参戦する』

 

 ナギサ*テラーは微笑む。

 

『では、私は黒夜さんの後方支援を』

 

 セイア*テラーは真面目に言う。

 

『未来を読むまでもない。私も参加するぞ』

 

 ナギサは、完全に頭を抱えた。

 

「どうしてこうなるのですか……」

 

 ミカは、少しそわそわしている。

 

「ねえ、ナギちゃん、ちょっとだけなら私も……」

 

「ミカさんまで何言ってるんですか!?」

 

 セイアは木の棒を見ながら、静かに言った。

 

「……意味は分からないが、楽しそうではあるね」

 

「セイアさんまで……」

 

 アリスは黒夜へ向かって、木の棒を構える。

 

「黒夜、準備はいいですか?」

 

「はい。お手柔らかにお願いします、勇者アリス」

 

「はい! 勇者は全力で、でも安全に戦います!」

 

 先生とプレ先が少し離れて見守る。いや、見守ると言いつつ明らかに参加する気でいる。シロコ*テラーはすでに位置取りを確認している。ミカ*テラーは黒夜の近くで待機している。シロコは「ん、危なくないならいい」と言いながら、少しだけ興味深そうに見ていた。

 

 ナギサはため息をつく。

 

「本当に、ゆっくりですよ」

 

 黒夜は真面目に頷いた。

 そして、アリスの木の棒と、黒夜の木の棒が軽くぶつかった。

 こつん、と小さな音が鳴る。

 

「いざ尋常に!」

 

「勝負ですよ!」

 

 その瞬間、シャーレの執務室は、なぜか小さな冒険の始まりのような空気に包まれた。

 

 ただの木の棒。

 いや、違う。

 

 なんかいい感じの木の棒。

 

 それを持った者達が、意味もなく構え、意味もなく笑い、意味もなくはしゃいでいる。

 

 書類はまだ減っていない。

 仕事もまだ終わっていない。

 先生もプレ先も、たぶん後で少し困る。

 けれど、その場にいた誰もが、楽しそうに笑っていた。

 ナギサでさえ、最後には小さく苦笑した。

 

「……黒夜さん…後で、その棒はきちんと片付けてくださいね」

 

「もちろんです」

 

 ミカが小さく手を上げる。

 

「私も後でちょっと参加してもいい?」

 

「はい、ミカ様もぜひ」

 

 セイアは諦めたように息を吐いた。

 

「どうやら、今日のシャーレは平和らしい」

 

 その言葉に、先生が笑った。

 

「そうだね。すごく平和だ」

 

 プレ先も頷く。

 

「こんな平和でくだらない日があってもいいだろう」

 

 黒夜はその言葉に、少しだけ目を細めた。

 平和で、くだらない。

 確かに、その通りだった。

 だが今の黒夜には、そういう時間がとても大切なものに思えた。

 

 アリスが元気よく声を上げる。

 

「勇者アリス、第二撃です!」

 

「では、魔法剣士黒夜も受けます」

 

「黒夜、ジョブが決まりました!」

 

「今決まりましたね」

 

 こつん、とまた木の棒がぶつかる。

 その音は、シャーレの朝に小さく響いた。

 

 なんの役にも立たない。

 意味もない。

 けれど、なぜか楽しい。

 

 そんな一日が、静かに始まった。




セイア*テラー『〇ルトラーク!』
ミカ*テラー『セイアちゃん!そればっかりズルいよ!』
ナギサ*テラー『二人とも!早く私にも貸してください!』

ナギサ・ミカ・セイア「……なにこれ?」
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