ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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記憶の向こう側 ~1~

 トリニティ総合学園の白い道を、黒夜は一人で歩いていた。

 

 今日はティーパーティーでの手伝いを終えた帰りだった。ナギサに頼まれていた書類整理は思ったより早く終わり、ミカからは帰り際に「寄り道しすぎちゃ駄目だよ?」と念を押され、セイアからは「君の寄り道は時々、事件の入口になるからね」と穏やかに言われた。

 

 黒夜としては、別に事件を探して歩いているつもりはない。

 

 ただ、なぜか事件の方から寄ってくるだけだ。

 

「私の巡り合わせが悪いんでしょうかね…」

 

 小さく呟きながら、黒夜は校舎の外れにある通りへ差しかかった。

 

 その時だった。

 少し先の広場から、銃声と怒号が聞こえた。

 

「……トリニティで?」

 

 見ると、数人の不良少女と、正義実現委員会の生徒達が交戦していた。どうやら学園内に入り込んだ不良達を、正実の生徒達が取り押さえようとしているらしい。

 トリニティでこの手の騒ぎは、ゲヘナほど日常的ではない。黒夜は少し意外に思いながらも、状況を確認するために広場の端へ移動した。

 正実の生徒達はよく動いている。遮蔽物を使い、不良達を広場の隅へ追い込んでいた。数も正実側がやや有利。大きな怪我人も見当たらない。

 

「……このままなら、すぐに制圧できそうですね」

 

 余計に介入する必要はない。

 トリニティの問題は、まずトリニティの生徒達が処理するべきだ。黒夜が不用意に入れば、かえって混乱するかもしれない。

 そう思い、少し離れた位置から見守る。

 

 だが、次の瞬間。

 黒夜の右目が、広場の反対側で動く影を捉えた。

 正実の生徒達が気づいていない路地。そこから、別の不良少女が顔を出していた。

 その手には、小型の爆発物。正実の生徒の一人が、ちょうどその方向に背中を向けている。彼女は目前の敵に集中していて、背後から狙われていることに気づいていない。

 黒夜の身体が、先に動いた。

 

「危ない!」

 

 叫ぶと同時に、黒夜は地面を蹴った。

 正実の生徒の背後へ飛び込み、彼女の肩を掴んで押し倒す。

 

「え――」

 

 正実の生徒が驚いた声を上げるより早く、爆発音が響いた。

 視界が白く弾ける。

 

 熱と衝撃。

 砂埃。

 飛び散る破片。

 

 黒夜は正実の生徒を庇うように身体を丸めた。

 ほとんどの破片は背中や肩を掠めただけだった。大きな直撃はない。そう判断した瞬間、後頭部に鈍い衝撃が走った。

 

「っ……」

 

 視界が揺れる。音が遠ざかる。

 誰かが自分の事を呼んだような気がした。

 けれど、その声が誰のものなのかを考える前に、黒夜の意識は途切れた。

 その後、黒夜が運ばれたのは、救護騎士団の医務室だった。

 

 慌ただしく動く救護騎士団の生徒達。その中心で、黒夜は静かに眠っていた。

 ベッドのそばには、救護騎士団団長のミネが立っている。彼女は黒夜の状態を確認しながら、周囲へ指示を飛ばしていた。

 

「頭部に打撲があります。出血は軽微ですが、念のため検査を続けます。意識が戻るまでは安静にしてください!」

 

「わかりました!」

 

 救護騎士団の生徒が走っていく。

 ミネは黒夜の顔を見下ろし、表情を引き締めた。

 

「……黒夜さん、貴方はまた…」

 

 彼が庇った正義実現委員会の生徒は、軽い擦り傷で済んでいた。もし黒夜が動かなければ、爆発物の破片をまともに受けていた可能性が高い。

 庇った行動自体は、間違いなく彼女を救っている。

 だが、その代わりに黒夜が倒れた。

 その知らせがティーパーティーへ届くのに、そう時間はかからなかった。

 最初に駆け込んできたのはミカだった。

 

「黒夜!!」

 

 扉が開く勢いで、救護騎士団の生徒達が一斉に振り返る。

 ミカはそのままベッドへ駆け寄ろうとしたが、ミネが静かに手を上げて止めた。

 

「ミカ様。黒夜さんは現在安静中です。大きな声は控えてください」

 

「あ……ご、ごめん……」

 

 ミカはすぐに声を小さくした。だが、その目は不安で揺れている。

 

「黒夜は大丈夫なの……?」

 

「命に別状はありません。ただ、頭部に衝撃を受けています。意識が戻るまでは慎重に様子を見る必要があります」

 

 続いて、ナギサとセイアが入ってきた。

 ナギサは表面上は落ち着いていた。だが、握りしめた手がわずかに震えている。

 

「ミネさん。黒夜さんの容態は…?」

 

「現在は意識を失っています。呼吸、脈拍ともに安定していますが、頭部への衝撃があるため、目覚めた後の状態確認が必要です」

 

「……そう、ですか」

 

 ナギサはベッドの上の黒夜を見る。

 

 いつものように困った笑みを浮かべることもなく、静かに眠っている黒夜。

 その姿が、ひどく頼りなく見えた。

 

 セイアは黒夜の顔を見つめ、静かに言う。

 

「また、誰かを庇ったのだね」

 

 その声には責める響きはない。ただ、痛みがあった。

 さらに少し遅れて、空気が変わった。

 

 黒いティーパーティーと呼ばれている三人も現れた。

 救護騎士団の生徒達が一瞬身構える。だが、三人の視線は黒夜に固定されていた。

 ミカ*テラーがベッドへ近づき、今にも泣きそうな顔で黒夜を見下ろす。

 

『黒夜……』

 

 ナギサ*テラーは、唇をきつく結んでいた。

 

『お願いです、早く目を覚ましてください』

 

 セイア*テラーは静かに目を伏せる。

 

『君らしいね。だからこそ私は怖いよ』

 

 ナギサ達と、テラーの三人。

 

 それぞれ同じ顔を持つ六人が、黒夜のベッドの周りに集まっていた。

 ミネはその様子を見て、あえて何も言わなかった。今この場にいる誰もが、黒夜の目覚めを待っている。

 

 それから、しばらく時間が流れた。

 

 ミカは落ち着かずに何度も黒夜の顔を覗き込んだ。

 ナギサは椅子に座っていたが、紅茶を飲む余裕はなかった。

 セイアは静かに目を閉じ、何かを考えている。

 ナギサ*テラーは祈るように指を組み、ミカ*テラーは黒夜の手に触れたいのを必死に堪えていた。

 セイア*テラーだけが、黒夜の呼吸の間隔をじっと数えているように見えた。

 

 そして黒夜の指が、わずかに動いた。

 

「黒夜!?」

 

 ミカが声を上げかけ、慌てて口を押さえる。

 ミネがすぐにベッドのそばへ寄った。

 

「黒夜さん。聞こえますか?」

 

 黒夜のまぶたがゆっくりと開く。

 ぼんやりとした右目が、天井を見つめる。左目にはいつもの眼帯がある。数秒、焦点が合わないように視線が揺れた。

 そして、黒夜は低く呟いた。

 

「あ……?」

 

 その場に居た全員が息を止める。

 黒夜は片手で顔を押さえながら、ゆっくりと上体を起こそうとした。

 

「ここは…どこだ…?」

 

 その声に、全員が固まった。明らかに口調が違う。

 普段の黒夜なら、目覚めて最初に状況を確認するとしても、もっと丁寧に、もっと穏やかに話すはずだった。

 

 だが今の黒夜の声は、荒い。

 警戒心が剥き出しで、刺々しい。

 

 ミネがすぐに黒夜を支える。

 

「黒夜さん、急に起き上がってはいけません。ここは救護騎士団の医務室です。貴方は頭を強打してここに運ばれたんですよ」

 

「救護騎士団……?」

 

 黒夜は眉を寄せる。その視線が、周囲にいるナギサ達へ向いた。

 

 ナギサ、ミカ、セイア。

 そして、ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラー。

 

 白い羽根と黒い羽根。

 見慣れない顔ぶれ。

 黒夜は一瞬だけ黙り、それから警戒するように目を細めた。

 

「……なんで羽根付き共がこんなに居るんだ?」

 

 時間が止まった。

 ナギサの表情が、完全に固まる。

 

「……黒夜、さん?」

 

 ミカは目を見開いたまま、声が出ない。

 セイアも、わずかに息を呑む。

 ナギサ*テラーの手が震えた。

 

『え……?』

 

 ミカ*テラーは、泣きそうな顔で一歩近づく。

 

『黒夜、私のこと……』

 

「近づくな!」

 

 黒夜の声が鋭く飛んだ。

 ミカ*テラーの足が止まる。

 黒夜は、ベッドの上で身構えようとしていた。身体はまだうまく動かない。それでも、いつでも動けるように重心を探している。

 

 その仕草まで、今の黒夜とは違っていた。

 今の黒夜なら、まず周囲を安心させる。

 

 自分が怪我をしていても、「大丈夫です」と言う。

 相手を拒絶するより先に、状況を聞こうとする。

 

 けれど、目の前の黒夜は違う。

 まるで、知らない場所で知らない相手に囲まれた獣のようだった。

 

 ミカが震える声で言う。

 

「黒夜……私だよ? ミカだよ?」

 

「誰だよ?知らねぇよ」

 

 即答だった。

 ミカの顔が、ひどく傷ついたように歪む。

 黒夜はその反応に少し眉をひそめたが、警戒は解かない。

 

「それと馴れ馴れしく呼ぶな。俺はお前らなんか知らねぇ」

 

「俺……?」

 

 セイアが小さく呟く。

 

 黒夜は自分を「私」と呼ぶ。

 少なくとも、今の彼はずっとそうだった。

 

 だが今、彼は確かに「俺」と言った。

 ナギサはどうにか声を絞り出した。

 

「黒夜さん、落ち着いてください。私たちは貴方の――」

 

「……」

 

 黒夜が露骨に顔をしかめる。

 

「気安く呼ぶなと確かに言ったぞ?」

 

 ナギサの言葉が止まった。

 その場にいる全員が、同じことを思っていた。

 おかしい。これは、ただ寝起きで混乱しているだけではない。

 

 ミネが一歩前に出る。

 

「皆さん、少し下がってください」

 

 その声は冷静だった。

 

「いくつか質問します。今、自分の名前は分かりますか?」

 

「……月城黒夜」

 

「所属は?」

 

「ゲヘナ学園」

 

 黒夜は不機嫌そうに答える。

 

「てかよ……なんでそんなこと聞くんだよ?」

 

「確認です。今の学年は分かりますか?」

 

「一年に決まってんだろ…入学してちょっとしか経ってないだろ!?」

 

 その答えに、空気がさらに凍った。

 ナギサが小さく息を呑む。

 ミカは口元を押さえる。

 セイアの目が鋭くなる。

 ミネは表情を変えず、さらに問いを続けた。

 

「最後に覚えている出来事は?」

 

 黒夜は少し考えた。

 そして、どこか悔しそうに歯を食いしばる。

 

「……最強に負けた」

 

 その名前に、全員の表情が変わる。

 

「誰ですか?」

 

 ミネが確認する。

 

「風紀委員長の空崎ヒナさんだよ…」

 

 黒夜の声に、先ほどまでとは違う熱が混じった。

 

「クソみたいに強かった。何もかも桁違いだった。俺がどれだけ調子に乗ってたか、嫌でも分からされた」

 

 黒夜は悔しそうにしながらも、どこか目を輝かせていた。

 

「……あの人みたいになりたい」

 

 ナギサ達は、何も言えなかった。

 目の前にいる黒夜は、今の黒夜ではない。

 

 いや、黒夜であることは間違いない。

 だが、記憶が違う。口調も違う。

 態度も、目つきも、周囲への距離感も違う。

 

 ミネは黒夜の瞳孔反応や意識状態を確認し、静かに息を吐いた。

 

「黒夜さん。今は安静にしてください。頭部への衝撃で、記憶に混乱が起きている可能性があります」

 

「記憶に混乱だと?」

 

「そうです」

 

 ミネは振り返り、ナギサ達へ向き直った。

 その表情は厳しい。

 

「皆さん、落ち着いて聞いてください」

 

 誰も動かなかった。ミネは続ける。

 

「黒夜さんは頭部に受けた衝撃の影響で、一時的な記憶障害を起こしていると考えられます」

 

 ナギサの手が震える。

 

「記憶、障害……」

 

「現在の黒夜さんの発言から判断する限り、記憶はゲヘナ学園一年時点まで遡っている可能性が高いです」

 

 ミネは一度黒夜を見る。

 黒夜は周囲を警戒したまま、ミネの言葉を聞いている。

 

「しかも、ヒナさんに敗北した直後の時期。つまり、今の皆さんとの関係を築く前の黒夜さんです」

 

 ミカの目から、涙が零れそうになった。

 

「じゃあ……黒夜、私たちのこと……」

 

「覚えていない、ということになります」

 

 その言葉は、静かだった。けれど意味する事は重かった。

 ナギサ*テラーが唇を噛む。

 

『黒夜さんが……私たちを、知らない……』

 

 ミカ*テラーは震える声で言う。

 

『やだ……そんなの……』

 

 セイア*テラーは目を伏せた。

 

『過去の黒夜……ということか』

 

 黒夜はその会話を聞き、苛立ったように眉を寄せる。

 

「さっきから何なんだよ。俺を知ってるみたいな顔しやがって、俺はトリニティに知り合いなんか居ねぇよ」

 

 ナギサは胸を押さえるように手を当てた。

 

 答えたい。自分達がどれだけ黒夜を知っているのか。

 黒夜がどれだけ自分達にとって大切なのか。

 けれど、目の前の黒夜には届かない。今の彼にとって、ナギサ達は見知らぬトリニティの生徒でしかない。

 黒夜は周囲を見回し、不機嫌そうに言った。

 

「で、俺はなんでここにいる? 誰かとやり合って負けたのか?」

 

「違います」

 

 ミネが即座に答える。

 

「貴方は正義実現委員会の生徒を庇って、爆発に巻き込まれました」

 

「庇った?」

 

 黒夜は眉をひそめる。

 

「……俺が!?」

 

「はい」

 

 黒夜は少し黙った。そして、視線を逸らす。

 

「……そいつは無事なのか?」

 

 その一言に、空気がわずかに変わった。

 

 荒く、警戒心も強い。トリニティを敵視していると声色でわかる。

 それでも、最初に確認したのは、自分が庇った相手の無事だった。

 ミネは静かに頷いた。

 

「無事です。軽い擦り傷で済みました」

 

「……そうか」

 

 黒夜は短く答えた。

 少しだけ、表情の険しさが緩む。

 

「記憶にないが、俺が庇い損になって無いならいい」

 

 その言葉は、今の黒夜と同じだった。

 言い方は違う、口調は荒い、態度も刺々しい。

 それでも、根本にあるものは変わっていない。

 ナギサはそれを感じて、余計に胸が痛くなった。

 

 ミネは黒夜へ向き直る。

 

「黒夜さん。しばらくは安静にしてください。記憶については、経過を見ます」

 

「記憶ね……いつ戻るんだ?」

 

「現時点では断言できません。一時的なものなら、時間経過で戻る可能性があります」

 

「戻らなかったら?」

 

 その問いに、部屋の空気がまた重くなる。

 ミネは真っ直ぐに答えた。

 

「その可能性も含めて、慎重に診ます」

 

 黒夜は舌打ちしそうな顔をしたが、実際にはしなかった。

 代わりに、ベッドへ背を預ける。

 

「……分かったよ。とりあえず、状況は最悪ってことだな」

 

「最悪ではありません」

 

 ミネが言う。

 

「貴方は生きています。意識も戻りました。今は、それが一番大切です」

 

 黒夜は少しだけミネを見る。

 

「……誤魔化さず真っ直ぐ言う奴だな」

 

「よく言われます」

 

 ミネは真面目に答えた。

 そのやり取りに、ほんの少しだけ空気が緩んだ。

 だが、ナギサ達の胸に落ちた衝撃は消えない。

 

 目の前にいるのは黒夜だ。

 けれど、自分達を知らない黒夜。

 まだトリニティを警戒し、ゲヘナの空気をまとい、ヒナへの憧れに目を輝かせる、過去の黒夜。

 

 彼が今の黒夜に戻るのか。いつ戻るのか。

 そして、それまで自分達はどう接すればいいのか。

 

 誰にも、すぐには答えられなかった。

 

 黒夜はそんな彼女達を見回し、少し不機嫌そうに言う。

 

「……なんでお前ら、そんな顔してんだよ」

 

 その言葉に、ミカがとうとう涙を堪えきれなくなりそうになった。

 セイアは静かに目を伏せる。

 ナギサは唇を震わせながら、それでもどうにか微笑もうとした。

 

「……何でも、ありません」

 

「嘘くせぇ~」

 

 黒夜は即座に言った。

 ナギサは返事ができなかった。

 その様子を見て、ミネは静かに告げる。

 

「これ以上、刺激を与えない方がいいでしょう。皆さん、一旦外で状況を整理しましょう」

 

 誰も動きたくなかった。

 けれど、黒夜を囲み続けることが今の彼に負担を与えているのも事実だった。

 ナギサはゆっくり頷く。

 

「……分かりました」

 

 ミカは黒夜から目を離せないまま、小さく呟く。

 

「黒夜……また来るから」

 

「だから、馴れ馴れしいって言ってんだろ…」

 

 黒夜の返答に、ミカは傷ついたように笑った。

 

「……うん。ごめんね」

 

 ミカ*テラーが何かを言いかけたが、セイア*テラーがそっと腕を掴んで止めた。

 今は言葉を重ねても、届かない。

 それが分かってしまったから。

 

 ミカ達は、一人ずつ医務室を出ていく。

 最後にナギサが振り返った。

 

 黒夜はベッドの上で、まだ警戒を解いていない。だが、同時にどこか落ち着かなさそうでもあった。

 自分が知らない誰か達に、なぜかひどく心配されている。

 それが、彼には理解できないのだろう。

 

 扉が静かに閉まる。

 

 廊下に出た瞬間、ミカが壁に手をついた。

 

「……黒夜が」

 

 声が震える。

 

「私たちのこと、分からないって……」

 

 ナギサは何も言えなかった。

 セイアは静かに目を閉じる。

 

「あれは、過去の黒夜だ」

 

 セイア*テラーが呟く。

 

『けれど、黒夜であることに変わりはない』

 

 ナギサ*テラーは両手を握りしめた。

 

『だからこそ、苦しいのです』

 

 ミネは扉の前に立ち、真剣な声で言った。

 

「黒夜さんの記憶が戻る可能性はあります。ですが、それまでは現在の彼にとって理解できる範囲で接する必要があります」

 

 ナギサは震える息を吐いた。

 

「……はい」

 

 ミカは涙を拭いながら頷く。

 

「分かった。分かったけど……」

 

 セイアが静かに言う。

 

「まずは、今の彼を知ることから始めるしかない」

 

 ナギサは閉じられた扉を見つめた。

 

 昔の黒夜。

 

 自分達を知らない黒夜。

 荒く、警戒心が強く、けれど誰かの無事を真っ先に確認する黒夜。

 そこには、今の黒夜へ繋がる確かな欠片があった。

 だからこそ、胸が痛かった。

 

 ナギサは小さく呟く。

 

「黒夜さん……」

 

 その声は、扉の向こうには届かなかった。

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