ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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――ゲヘナに届いた最悪の報せ

 

 その情報は、あまりにも唐突で、そして致命的だった。

 

 万魔殿の執務室。

 マコトは、机の上に置かれた一枚の報告書を、しばらく無言で見つめていた。

 

 「……は?」

 

 思わず、間の抜けた声が漏れる。

 報告書の内容は単純だった。

 簡潔で、容赦がない。

 

 ――月城黒夜がゲヘナのスパイであるという情報が、トリニティ全域に広まっている。

 

 マコトは、紙を握りつぶしそうになるのを堪え、深く息を吐いた。

 

 「……冗談じゃない」

 

 誰が、どこで、どう漏らした。

 そんなことは、今はどうでもいい。

 問題は一つだけだった。

 黒夜が、もう安全ではない。

 マコトは即座に立ち上がる。

 

 「全員、下がれ。今すぐだ」

 

 部屋で別の作業をしていた生徒たちは、マコトのただならぬ声音に息を呑み、何も言わずに退出していく。

 扉が閉まる音を確認してから、マコトは通信端末を手に取った。

 

 「……ヒナを呼び出せ。至急だ」

 

 それだけ告げて、通信を切る。

 マコトは、机に手をつき、視線を落とした。

 

 ――最悪だ。

 

 これが何を意味するか、分からないほど愚かではない。

 トリニティ。

 特に、あの学園は「敵」に対して、容赦がない。

 

 しかも相手は、ゲヘナ。

 政治的にも、感情的にも、最悪のカードだった。

 

 「私が……あいつを信じて、どれだけ危険な場所に置いたと思ってるんだ…後悔するな…救うんだ…」

 

 独り言のように呟いた、その時だった。

 扉がノックされる。

 

 「入れ」

 

 開いた扉の向こうに立っていたのは、空崎ヒナ。

 そして、その半歩後ろに、鬼方カヨコの姿があった。

 

 マコトは、一瞬だけ目を見開いたが、すぐに状況を察する。

 

 「……なるほどな」

 

 ヒナが、簡潔に説明する。

 

 「鬼方カヨコが、黒夜のトリニティ所属になった理由について確認しに来ていたから対応していたのだけれど。

 その最中に呼び出されたら、付いてくると言って聞かないから、しかたなく同行させたわ」

 

 カヨコは腕を組み、険しい表情でマコトを睨んでいた。

 

 「納得してないって顔だな」

 

 「当たり前でしょ?」

 

 カヨコは即座に吐き捨てる。

 

 「黒夜がトリニティに行った理由、曖昧な説明しかされてなかった。

 しかも、妙に危険な匂いがした。だから聞きに来た」

 

 マコトは小さく鼻で笑った。

 

 「勘が鋭いな。……悪いが、今日はもっと最悪な話だ」

 

 マコトは、先ほどの報告書を二人に差し出した。

 

 「トリニティ中に広まってる。

 月城黒夜が、ゲヘナのスパイだという話がな」

 

 ヒナの目が、はっきりと見開かれた。

 

 「……!」

 

 言葉が、出てこない。

 報告書に視線を落としたまま、ヒナはしばらく動かなかった。

 

 一方で、カヨコは、次の瞬間には机を叩いていた。

 

 「ふざけるな!!」

 

 乾いた音が、部屋に響く。

 

 「どうして黒夜をスパイなんかにした!!

 あいつにそんな役、向いてないだろ!!」

 

 怒りを隠そうともしない声だった。

 マコトは、真正面からその視線を受け止める。

 

 「……必要だったんだ」

 

 「必要!?

 トリニティに潜り込ませる奴が、彼しか居なかったって言うのか!」

 

 「そうだ」

 

 マコトは、はっきりと言い切った。

 

 「黒夜以外に、適任はいなかった。

 実力、判断力、そして――自分の役割を全うする覚悟も含めてな」

 

 その言葉に、カヨコの顔が歪む。

 

 「……最低!!」

 

 ヒナが、ようやく口を開いた。

 

 「……今、黒夜は……?」

 

 「トリニティだ。

 しかも、この情報が出回った後だ、恐らく拘束されているだろう…」

 

 ヒナは、唇を噛みしめた。

 

 カヨコは、即座に一歩前に出る。

 

 「なら、今すぐ救出しろ!!

 ゲヘナに戻せばいいでしょ!!」

 

 「できると思うか?」

 

 マコトの声は、冷たかった。

 

 「この状況で助け出したら、

 トリニティ側は“ゲヘナがスパイを回収した”と受け取る」

 

 「だからなんだ!」

 

 「全面戦争だ」

 

 マコトは、低く言った。

 

 「政治的にも、軍事的にも。

 その引き金を引く覚悟が、お前にあるのか?」

 

 カヨコは、言葉に詰まる。

 だが、それでも引き下がらなかった。

 

 「……それでもだ。

 黒夜を、このまま放っておく気?」

 

 その問いに、マコトの表情が険しくなる。

 

 「お前だけが、黒夜の安否を願ってるみたいな言い方をするな」

 

 低い声だった。

 だが、はっきりと怒気を含んでいた。

 

 「……!」

 

 「私だって同じだ。

 黒夜を知っている者は全員同じ気持ちだ!」

 

 マコトは、机を叩く。

 

 「だがな、感情だけで動ける状況じゃないんだよ!!」

 

 部屋に、重い沈黙が落ちた。

 ヒナは、二人の間に立つこともせず、ただ俯いている。

 

 その胸中には、

 絶句と、焦燥と、そして強い後悔が渦巻いていた。

 

 ――あの時、止めるべきだったのではないか?

 ――トリニティに行かせるべきではなかったのではないか?

 

 だが、もう遅い。

 

 噂は流れた。

 疑念は植え付けられた。

 

 そして、黒夜は――

 今も、敵地のど真ん中にいる。

 

 万魔殿の執務室には、まだ重い空気が残っていた。

 

 怒声が収まったあとに訪れる沈黙は、時として怒りそのものよりも息苦しい。

 マコトは椅子に深く腰を下ろし、両肘を机についたまま、しばらく視線を落としていた。

 

 ――感情で動くな。考えろ、羽沼マコト――

 

 自分に言い聞かせるように、ゆっくりと深く息を吸う。

 肺の奥まで空気を送り込み、そして、時間をかけて吐き出す。

 

 その呼吸と共に、思考が少しずつ冷えていく。

 

 「……おかしい」

 

 ぽつりと、マコトは呟いた。

 ヒナとカヨコは、同時に顔を上げる。

 

 「何が?」とカヨコが尋ねた。

 

 マコトは、報告書を指で軽く叩きながら続ける。

 

 「黒夜がゲヘナのスパイだという話が、トリニティ中に広まっている。

 ……ここまではいい」

 

 「よくはないだろ」とカヨコが低く言うが、マコトは構わず続けた。

 

 「だがな、次だ。

 トリニティ側から、ゲヘナ側に一切のアクションがない」

 

 ヒナの眉が、わずかに動く。

 

 「……確かにそうね」

 

 マコトは頷いた。

 

 「普通、スパイが発覚した瞬間に何が起こる?

 抗議、糾弾、公式声明、賠償請求。

 どれか一つでも来ていておかしくない」

 

 むしろ、来ない方が不自然だ。

 

 「特にあのトリニティだぞ。

 あいつらは“正しさ”と“体裁”を何よりも重んじる」

 

 マコトは、苦々しく笑った。

 

 「スパイが入り込んでました、なんて話、

 鬼の首を取ったようにこちらに突きつけてくるに決まってる」

 

 カヨコは腕を組み、視線を伏せたまま呟く。

 

 「……なのに、何も来ない」

 

 「そうだ」

 

 マコトは、今度は別の指摘を重ねる。

 

 「そしてもう一つ。

 なぜ、この情報が“トリニティ中に”広まっている?」

 

 ヒナは、その言葉に小さく息を呑んだ。

 マコトの声は、淡々としているが、その内側には鋭い刃が潜んでいた。

 

 「仮にだ。

 黒夜のスパイ行為が露見し、捕縛されたとしよう」

 

 「その場合、普通は――」とヒナが言いかける。

 

 「秘匿する」

 

 マコトが、はっきりと遮った。

 

 「徹底的に隠す。

 なぜなら、それを公にした瞬間、トリニティはこう宣言することになる」

 

 マコトは、皮肉を込めて言った。

 

 「“我々は、ゲヘナの諜報員が長年入り込んでも気付けない節穴です”とな」

 

 その場に、重い沈黙が落ちる。

 

 ヒナは、はっきりと理解した表情を浮かべていた。

 カヨコも、ゆっくりと歯を食いしばる。

 

 「……あいつらが、そんな真似をするわけがない」

 

 「その通りだ」

 

 マコトは、背もたれに体を預けた。

 

 「だから、この噂は“内部から自然に漏れた”ものじゃない。

 意図的に、誰かが流している」

 

 「誰が?」とカヨコが問う。

 

 マコトは、少しだけ目を細めた。

 

 「……トリニティでも、ゲヘナでもない存在だ」

 

 その瞬間、空気が一段階、冷えた。

 

 「今回の状況を整理する」

 

 マコトは、指を折りながら言う。

 

 「黒夜がスパイだという噂が広がる。

 トリニティ内部は疑心暗鬼に陥る。

 ゲヘナは激昂し、回収か介入を考える」

 

 「……最悪の場合、全面衝突」とヒナが呟く。

 

 「そうだ」

 

 マコトは、はっきりと頷いた。

 

 「ゲヘナとトリニティが争えば、得をする第三勢力がいる」

 

 その言葉は、確信を帯びていた。

 カヨコは、低い声で言った。

 

 「……戦争屋、か」

 

 「あるいは、両学園の弱体化を狙う連中だろうな」

 

 マコトは、机を軽く叩いた。

 

 「黒夜は、そのための“導火線”だ」

 

 誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 

 黒夜という一人の少年が、

 学園同士の衝突を引き起こすための材料にされている。

 

 その事実が、あまりにも重い。

 

 「……だが」

 

 マコトは、唇を噛みしめる。

 

 「問題はここからだ。

 今の我々には真相を確認する手段がない」

 

 「ティーパーティーに直接聞けば――」

 

 「できない」

 

 マコトは、即座に否定した。

 

 「公式ルートを使えば、向こうは必ず身構える。

 最悪、こちらの動きが“事実確認”ではなく“挑発”として受け取られる」

 

 奥歯を、ぎり、と噛みしめる音がした。

 

 「……詰んでる」

 

 そう言いかけた、その時だった。

 

 「一つだけ、手はある」

 

 そう口を開いたのは、ヒナだった。

 マコトとカヨコが、同時に視線を向ける。

 

 「アビドスの件で、シャーレの先生には貸しがある」

 

 ヒナの声は、静かだが迷いがなかった。

 

 「シャーレの“強権”を使えば、

 非公式の会談を取り付けることは可能」

 

 カヨコが、すぐに続ける。

 

 「ゲヘナ側は私たち三人。

 トリニティ側はティーパーティーの三人」

 

 「公式記録なし、第三者立ち会いはシャーレの先生。

 ……確かに、これ以上ない条件だな」

 

 マコトは、顎に手を当て、素早く思考を巡らせる。

 

 メリット。

 ・直接、真意を確認できる

 ・戦争回避の可能性

 ・第三勢力の存在を炙り出せる

 

 デメリット。

 ・シャーレに弱みを握られる

 ・交渉が決裂した場合、状況が悪化する可能性

 

 数秒後。

 

 マコトは、決断した。

 

 「……やるしかないな」

 

 顔を上げ、ヒナを見る。

 

 「すぐにシャーレに連絡してくれ。

 事態は一刻を争う」

 

 ヒナは、力強く頷いた。

 カヨコは、拳を握りしめながら呟く。

 

 「……無事でいてね、黒夜」

 

 その言葉は、祈りのようだった。

 

 こうして、

 水面下で、もう一つの戦いが始まった。

 

 黒夜の知らぬ場所で。

 彼の運命を巡って。

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